【緊急・昭和天皇メモ問題】


フリートークです。

1.今回の件、公式参拝反対派の私が見ても
  「出来すぎている」「捏造の可能性あり」と思います。

  もし捏造の場合、参拝反対派は壊滅的ダメージを受けるでしょうし、
  最悪日経は倒産するかもしれません。

  この件についてフリートーク願います。
  http://d.hatena.ne.jp/itarumurayama/20060721
  
  むしろ、合祀勢力によって、分祀勢力は「嵌められた」のではないか?
  
2.この件が国政に影響を及ぼすことは、日本の民主政治が君主の意向によって
  左右されてしまう、という「民主主義の重大危機」なのに、そういう
  視点の報道はゼロです。

  天皇制に反対している日本共産党までもが、参拝反対派の尻馬に乗るのは
  いかがなものか?

  この件についてもフリートーク宜しくです。

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  • 終了:2006/07/23 21:04:16
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回答29件)

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「戦勝国が神」という新たな宗教を作りたい人がいるんですよ TomCat2006/07/21 19:52:28ポイント3pt

昭和天皇陛下が「A級戦犯合祀」をこころよく思われていなかったことは

ご自身が体を張って終結させた戦争の経緯を考えれば当然で、

これは何も驚くには当たりません。

 

ましてや、靖国神社というところは、元々大元帥であるところの

天皇陛下の御裁可を経て

はじめて合祀が認められる特別な場でしたから、

陛下のご意向もうかがわずに合祀したと言うことになれば、

陛下としては当然それに対するご意見をお持ちになります。

ですから、それを側近が聞いていた、そのメモが出てきた、

などということは、何も驚くに当たらないことです。

政治家なら誰でも、探せばそういう物は出てくると

分かり切っていたことでしょう。

 

ではなぜ、今そのメモなのかといえば、

これは小泉政治の根幹を成す「日米同盟」の総仕上げ、

ということだろうと思うんですよね。

 

戦勝国が敗戦国を刑事で裁くということは、

「極東裁判」以前にはなかったことです。

それまでは、敗戦国の王族を全員引っ捕らえて処刑、

などという前近代的な戦争を除けば、

敗戦国は戦勝国に領土を割譲する、補償金を支払うなどの方法で

講和を求めていくというやり方が普通でした。

要するに民事上の賠償責任で決着を付ける、

というのに似ています。

 

ところが「極東裁判」は違いました。

戦勝国が全て正しいというめちゃくちゃな論法のもとに

一方的に敗戦国の犯罪を刑事的に裁くという前代未聞の裁判。

これによって生み出されたのが「A級戦犯」という罪状です。

 

たしかに日本の側に戦争犯罪はあったでしょう。

それは誰も否定できないところです。

しかし「戦勝国」にそれを裁く権限はありません。

戦争の当事者は等しく国際法によって平等に裁かれるべきであって、

戦勝国の開いた一方的な裁判による刑の執行は、

法的にはただの「私刑」に過ぎないものと言うことが出来ます。

つまり「極東裁判」そのものが犯罪であるということです。

 

それでも日本は、それを受け入れなければなりません。

戦後60年以上を経た今、小泉政権の「日米同盟」路線は、

戦勝国押しつけの「A級戦犯」について、

再びそれを追認せざるを得ない状況に追い込まれたわけです。

その引き金が、遺族会の票欲しさの「首相靖国参拝」

にあったことは言うまでもありません。

 

そこで小泉政権としては、靖国という存在を、

「戦勝国こそ神」の神社に作り替える必要に迫られたわけです。

ここに特別な宗教とその指導者のみをあがめる宗教政党と、

朝鮮半島本籍のカルト宗教の広告塔である官房長官が加われば、

この機に乗じて靖国解体という動きに出てくることは

当然すぎるシナリオでしょう。

 

問題の本質は、メモが捏造であったかどうかの問題ではなく、

当然あると考えられていたものを

「なぜ今わざわざ持ち出してくる必要があったのか」

ということです。

 

ここに、日本を日本以外の国の意向で動かしていこうとする

現政府の「売国性」が垣間見えてきます。

 

日本の戦争責任を真剣に考えていくことは大切ですが、

不当な私刑の所産である「A級戦犯」という考え方を受け入れることは、

戦勝国の戦争犯罪を放置することにつながります。

 

アフガンやイラクで蛮行を続ける

「戦勝戦犯国家」を正当化するための道具として

英霊のみたまが利用されている、ということです。

個人的見解と質問 kumonoyouni2006/07/22 03:52:57ポイント2pt

長文失礼します。


>昭和天皇陛下が「A級戦犯合祀」をこころよく思われていなかったことは

>ご自身が体を張って終結させた戦争の経緯を考えれば当然で、

>これは何も驚くには当たりません。

との事ですが、果たして本当にそうなんでしょうか?


私は以下の点で疑問が残っています。


1)東條英機との関係

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9...

日米開戦日の深夜、和平を熱望していた昭和天皇の期待に答えることができず、懺悔の念に耐えかねて号泣した逸話は有名で、『昭和天皇独白録』にも記載されている通り、昭和天皇から信任が非常に厚かった臣下であり、失脚後、昭和天皇からそれまで前例のない感謝の言葉(勅語)を贈られた。そして東京裁判時には親しい関係者に「戦犯の指定を受けたとは言え、国に忠義を尽くした国民の一人である。被告人として立たせるのは忍びない」と言い悲しんでいた。東條内閣が不人気であった理由について、天皇は「憲兵を用いすぎたことと、あまりに兼職をもち多忙すぎたため国民に東條の気持ちが通じなかった」と回想し、内閣の末期には田中隆吉などの評判の悪い部下や憲兵への押さえがきかなかったとも推察している。

まずこの点考えても、A級戦犯合祀全般を不快としたというのはおかしいと思いますし、


2)終戦と「昭和天皇退位工作」

近衛文磨による昭和天皇退位工作からはじまり、

http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20050812A/ind...

http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20050812A/ind...

にある三笠宮崇仁親王の

1946年2月、枢密院(明治憲法下での天皇の最高諮問機関)で、昭和天皇の3人目の弟、三笠宮崇仁親王が、遠まわしに「天皇退位」を求めました。

『芦田均日記』(芦田はのちの首相)によると、そのとき昭和天皇の顔は青ざめ、神経質な態度をあらわにしたといいます。


1975年2月号の『文藝春秋』に、高松宮のインタビューが掲載、自らを「和平派」と語る高松宮の記事に昭和天皇は激怒したといいます。また、高松宮が「昭和天皇は戦争をとめることができた」という発言があったということも(高松宮の死後発覚)、問題になりました。

1975年、昭和天皇はアメリカを訪問、ディズニーランドでミッキーマウスとなかよく写真を撮っています。人々は「昭和天皇は無害で平和愛好者であり、戦争責任などない」というワシントンが創り上げた「神話」を「再確認」するものだった、のかもしれません。

「カゴの鳥だった私にとって、あの旅行(筆者注:皇太子時代のヨーロッパ訪問)ははじめて自由な生活ということを体験したものだった。あの体験は、その後の私に非常に役立っていると思う」

敗戦直後、昭和天皇はこのようなことを記者に話していますが、言ってみれば、あの旅行以外はすべて「カゴの鳥」だったのでしょう。そしてそれは戦後も続くことになります。

の一連の流れも私には引っかかります。


特に1975年という年は昭和天皇の靖国神社への親拝が最後になった年に合致してますし、昭和天皇の「だからあれ以来参拝していない」と言ったというメモが本当だとするなら、この発言は単なるA級戦犯合祀に不快感を示されたのではなく、こうした一連の流れがあっての発言ではなかったのかと推測もできる気がしますがいかがでしょうか?


最後にTomCatさんは靖国問題どうしたらよいと思われますか?

(もう少し書きたい事もあったけどまたの機会に・・・そろそろ寝ます。おやすみなさい)

おっしゃることは分かります TomCat2006/07/22 06:17:19ポイント2pt

いわしはだんだん下になるにしたがって幅が狭くなる・・・・。書き込みスタイルを変えなければ・・・・(^-^;

 

さて、昭和天皇陛下の東条英機をはじめとする「戦犯」に対するお気持ちは、これは私も十分十分理解しています。陛下が「戦犯」とされた者に忍び難きお心を寄せられたのは当然のことです。

 

しかし陛下は、まさに退位どころか皇室解体、もっと言えば国家解体をも視野に入れた戦後処理を御覚悟なさったお立場であり、それゆえに、その後は一切の政治的権能を持たない象徴として、まさに「無害な平和主義者」のお立場を貫かねばならなかったわけです。

 

だからこそ、戦後数十年を経てもなお、国際関係を考える時、陛下としては「A級戦犯」という戦後処理の受け入れを貫かねばならなかったわけです。元の「臣下」に寄せる忍び難きお心と、戦後の象徴天皇としての国際関係の安定を願うお心とは、けっして相反するものではありません。

 

それを考えれば当然のこととして、陛下が「A級戦犯合祀」に対して批判的であったことは全く驚くに当たらないわけで、したがって、今初めて陛下が合祀に反対だったという新事実が出てきたわけでは全くない、ということなんですよね。

 

にも関わらず、なぜそれをこうもタイミング良く持ち出して「大ニュース」にして見せたのかという、その意図をこそ問題視すべきだと、私はそう考えるわけなんです。

 

捏造だろうが事実だろうが、ぶっちゃけそんなことは関係ない。誰が何のために、わざわざこんなものをニュースにして見せたのかという、その工作の意図こそが問題なわけです。

 

さて、靖国問題についての私の意見ですが、これは人の気持ちも尊重できないワガママ首相さえいなくなれば、何の問題もないと考えています。

 

小泉さんは二言目には「心の問題」と言い張りますが、自分の「心の問題」を大切にしようと考えるならば、そこには当然、他者の「心の問題」も同じように尊重することが必要ですよね。

 

内閣の長という立場の者ならば、当然のことながら他国政府や他国民の心情に対しても最大限の配慮が必要です。それが出来ないのはただのワガママであり、政治家の資質そのものを疑わせる振る舞いです。

 

どうしても参拝したければ、自宅から靖国に向かって手を合わせればよい。遠方の戦没者の遺族などは、みんなそうやっているんです。票欲しさのスタンドプレーでないのなら、そのくらいの「心」を見せなさいと私は言いたいと思います。

 

「A級戦犯」問題については、戦勝国が敗戦国を裁くという不当な国際慣習を定着させないためにも、合祀継続を主張します。今もアメリカはイラクにおいて、不当な「戦勝国」の占領政策をやっています。その不当性を正当化するのが、日本の戦後処理という「前例」です。日本が「A級戦犯」を徹底してパージし続ける姿を利用すれば、アメリカは自身の戦争犯罪は追求されずに、どんどん戦争が出来るというわけです。

 

「戦犯分祀」論は、一見平和主義者の主張のように聞こえますが、その本質は戦勝国の蛮行の正当化を助けるもので、世界の平和に大きく敵対する結果をもたらすことに注意が必要です。

 

さて、靖国以外の戦没者追悼施設についてですが、これは私は、議論の主人公は戦没者の遺族であると考えていますので、遺族の意向を聞きもせずに勝手な政治家の意向だけで事が進んで行くことには反対の考えを持っています。

 

戦前戦中、靖国神社に祀られるということは、一種の死後叙勲に等しい「栄誉」だったじゃないですか。したがって靖国に代わる追悼施設を作ろうという議論は、ひとつ間違えると、戦没者からその栄誉を取り上げようというのに等しい議論になっちゃうんですよね。そこに十分な配慮が必要です。

 

むしろ、日本はもう二度と戦争なんかしないはずで、新たな「戦没者」など出ないはずなのに、なぜわざわざ新しい施設が必要なんだと。そこに警戒心を持っていかないといけないと思うんです。

 

むしろ新たな追悼施設という議論は、日本はもう一度戦争をやるぞという、「改憲」「再軍備」論とセットの議論でしょう。新たな追悼施設の次は、「千鳥ヶ淵で会おう」と言わされて死地に送り込まれる私たちの姿です。

 

私たちは毎年夏、広島で祈り、長崎で祈り、そして靖国で祈るんです。もう二度と政府の過ちによる戦争は起こさないぞと。そしてそこから365日、世界の平和のために尽くしていく。それが日本国民の「未来指向」だと思うんですよね。

 

平和憲法と靖国神社を、ひとつの平和への祈りで護り続けていくこと。そしてその力で好戦的売国政府のたくらみを、左の護憲からも右の愛国主義からも阻止していくことが大切だと考えています。

おっしゃりたいことはほぼ分かった気がします kumonoyouni2006/07/23 04:17:29ポイント1pt

早速のご回答ありがとうございます。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060720dde00104...

これらを鑑みると、1975年という年が親拝最後の年となったというのは確かに説得力があるように見えます。

そう言えば1975年という年は三木首相が8月15日の終戦記念日に参拝を行った問題の年でもありました。

ここから参拝に3年の空白があいたのは国会で野党が天皇参拝を追及したことが原因という声もあったようですが、昭和天皇は1945~75年の間に8回しか参拝されてません。つまり元々数年おきに参拝されていたわけで、国会の追及があったというのは関係なく、1978年10月に合祀されなければ参拝を続けておられたという可能性は元々高かったわけですよね。


TomCatさんおっしゃりたい意味がほぼ分かりました。


>にも関わらず、なぜそれをこうもタイミング良く持ち出して「大ニュース」にして見せたのかという、その意図をこそ問題視すべきだと、私はそう考えるわけなんです。

>捏造だろうが事実だろうが、ぶっちゃけそんなことは関係ない。誰が何のために、わざわざこんなものをニュースにして見せたのかという、その工作の意図こそが問題なわけです。

というのは全く同感で、私もそう思います。

今となっては亡くなられた方を、そしてご自身何度か退位を望んでいたにも関わらず、東京裁判を正当化するために退位する事ができなかった心情などお察しするに、ここでまた政治の道具として使われるのは何とも言いがたいものがありますね・・・。


これ以上、この点について話しても答えがないように思いますので、質問した手前、靖国神社の今後について話をさせてもらいたいと思いますが、結論から申し上げるとTomCatさんとほぼ同感です。


大きく異なる点といえば首相が靖国神社へ参拝するのがなぜまずいのか?という点くらいです。

おっしゃる事はよく分かります。

確かに日本として総括できてない部分はあると思いますし、大きな流れの中であの戦争は避けられなかった事とはいえ、やらかした事は許されない事もあるでしょう。

が、小泉首相のパフォーマンスは置いといて、首相が「終戦」記念日に「平和」の誓いのために参拝するのがなぜダメなのでしょうか?

これまでの歴代首相が参拝していた時は何も言わなかった時代もあったのに、情勢変わった途端、それはおかしいと言いはじめる国にどこまで譲歩し、配慮する意味があるのでしょう?

謝罪と戦後補償はどこまでやれば納得してもらえるのでしょう?

仮に参拝をやめたら、その他の問題は全て解決していくんでしょうか?


私にはこの話はA級戦犯となった岸信介がこれまたアメリカの都合で戦犯不起訴になった話にも重なってしまいます。

岸信介はその後首相にもなって、晩年、国連平和賞までもらっていますが、この時は文句言ってたのでしょうか?

そういう点を見ていくと隣国に配慮するというご意見にはいま一つ納得できないものがあるのです。


そもそも「A級戦犯」ばかりいつも話題にあがりますが、「A級」、「B級」、「C級」の違いが分かっている人ってどれだけいるんでしょうね。

恥をさらすと私自身は、学生時代不勉強だったので、神社や寺に行っても全く面白いとも思いませんでしたし、大人になってしばらくの間も靖国問題と言われても、A級戦犯と言われても何のこと?B級、C級の違いって? A、B、CなのでAが一番重いの?程度でしたが(苦笑)


そんな奴だったので思うのですが、解釈の違いあれ歴史的事実を分かったうえで議論されていけばいいと思うのですが、そういう総括をできないまま賛成だ、反対だというのもおかしな気がして、自分の考え纏めるためにも話につきあってくれそうなTomCatさんに突っ込んで聞かせていただいている次第です(^^)

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