お手数かけますが、以下のURL(私のダイアリー)を参照下さい。
http://d.hatena.ne.jp/nobita_t/20060722
日テレ世論調査(http://www.ntv.co.jp/yoron/2006_07/200607/index.html)の首相靖国参拝問題の項をベースとして、同じような主旨で「はてな世論調査」を実施したいと思っています。
そこで、設問文と選択肢の回答文を練ろうと思うのですが皆さんの力を是非お貸しください。
とりあえず「A級戦犯」「公人・私人」「政教分離」などのキーワードをどう盛り込むかに悩んでいます。フリートークでいろいろな意見を聞かせてもらえるようにいわしで質問します。
補足であり、当然皆さんご存知かもしれませんが、一度私が疑問点を提示させて頂いた件なんですが、これは要するに、一説によれば、天皇の意向、しかも昭和天皇の意向ということ、つまりは、天皇つまり昭和天皇のために存在した神社・靖国神社に対して「おまえ今のままで良いのか」と、直接的に物申す、ということを意味する、ということなのでしょうね、実際。
以下http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060721より抜粋ですが、個人的にはまあ所詮はそういうこと程度なんだろうと。
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開戦、敗戦に至る経緯や、「聖断」当時の状況を見れば、上記のような昭和天皇の述懐には容易に納得できるものがあります。
昭和天皇がこう思っていたからこうすべきだ、という、単純な論法もどうかと思いますが、天皇を尊崇する神社であれば、まず、天皇のご意向というものをよく考えてみるのは当然のことでしょう。
形の上では天皇尊崇をうたいながら、肝心なところで天皇の大御心に背いているようでは、国民の納得も得られないと思います。
追記:
http://www.jinjahoncho.or.jp/honcyo/katudou.html
神社本庁のサイトの中の、「神社神道の宣布」を見ると、「敬神生活の綱領」中に、「大御心(おおみこころ)をいただきてむつび和(やわ)らぎ、国の隆昌(りゅうしょう)と世界の共存共栄とを祈ること」とあります。
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日本は天皇や武将を神格化して神様にしてしまうので、そういう点でもある意味では非常に有効な「もの申し」だということなのでしょう。
結局は靖国神社サイドの匙加減次第、っていうことを、日頃から考えている人間が、まあどこかにいる、ということ程度なのでしょうね。
昔の大陸国家に見る帝国体制の政治腐敗・体制疲労などというものは、数百年単位でまわっていたわけですが、現代は何もかもターンが短くなってきていて、それがちょうど50年くらいなんでしょうかね。
幕末でいうと、いわゆる当時の一級の教養・待遇があった層(幕府旗本・譜代・大藩上層部)より、「尊皇攘夷なんてよくわからないけどカッコイイから、脱藩して一旗あげてやるぜぃ!!!」みたいな若い連中が熱いエネルギーを持って時代を動かすきっかけになったのかもしれません。
そう見ると、未だ外国の意向を伺う某新聞を始めとする大メディアより、ネット上からの小さな意見が大きなうねりとなって時代を変えていく流れになるのかなぁーなんて思っちゃったりして!
なるほどいろいろと議論があり感心しております(切腹したのではという意見もありますが)。ただ一つ遠い未来を思うと、ふと思い浮かぶことがあります。
例えば大昔。
安土桃山時代の前段階に、毛利元就や、武田信玄の父親の武田信虎・今川義元の父親の時代の戦国時代、ついで、前述の安土時代・そして、元和偃武を迎えますが、、、その後はというと、安定した江戸幕府の統治時代が長く続きます。さらにその後、享保年間徳川吉宗の時代には、未だ、戦国時代の気風や人材が随所に残っていたと思います。つまり構造疲労、制度疲労は無かったわけです。享保年間は例えば昭和バブル時代のような時代でもありました。
さて、その後天保時代は長きに渡る慢性不況の時代だったのではないかなと思います。この頃にはもう既に、幕府組織の制度疲労が存在していたのではないかと個人的には考えております。
さて、さらにそのまま制度疲労が長々と続いたときに、黒船の到来なわけですね。もう既に、あれほど強大を誇った徳川家も、ほぼ体制を外形的には維持したまま、本来家康によって設計されたはずの機能性能を、もはや少しも果たしませんでした。戦国時代には考えられないような柔軟性に欠ける考えで異国政策をしたと私は考えていますし、実際問題、薩長土肥による進軍も、殆ど阻むことが出来ず、その様相は、国の統治のために設計された家康の設計図で言えばおおよそ理解不能であるほどの酷さだったとも思います。つまりは制度疲労です。制度疲労・構造疲労が長く維持され、その圧迫の下で長い間耐えてきた力は、外圧を契機に爆発します。
このような例は世界中に山のようにあると思います。
個人的な考えですが、
今現在の時点で、戦後に打ち立てられた体制もその成長の頂点を迎え終わり、長期低成長・慢性不況・制度疲労の時代を迎えているように思います。
昭和の田中角栄の時代などは、文官田中角栄も衆目を集めるパワー(悪事を働きましたが)、そういう説得力は、一方では現に時代の雰囲気の中で、存在したわけです。憲法違反の自衛隊を設立したりもした。是非はともかく、少なくともそういう人間的能力があった。そして、当時の官僚も、当時の財界人も、そして、当時の民衆も、一つの同様のパワーというものを持っていたのではないでしょうか。それが、やはり最終的には国の世論を動かすパワーとなり、流れが大河的に流れていたと思います。
しかし、今現在そういうことはありません。上級省庁役人の大多数は保身と財界転身のみを考えて、まるで三国志に出てくる漢王朝の宦官のようなイメージを醸し出しているように、個人的には見えます。政治家は、パワーどころか、二世三世のお坊ちゃま世襲政治家です。財界人も若手が台頭していますが、これは経済専門の方向へ向かっているように見えます。
社会の管理社会化も進み、一方では、安定低成長・衰退の時代でもあると思います。子供の教育現場ではイジメの問題が発生し、その陰湿さ、明るさの無さ、元気の無さは、既に管理社会のそれであると私は見ています。そもそも管理社会化ということは、やはり、民衆の頭の上に立って、民衆を厚い雲で押さえつけている大きな分厚い雲がある、ということです。そのぶ厚い雲が腐ってるというイメージ、低成長でどうにもならないなあと、そういう天保以降の江戸時代的イメージ、政治的構造疲労、制度疲労、こういう中で、外威を恐れなければならなくなった、という時に、おおよそ有り得るパターンは、歴史的には革命ですね。
ただ、今現在の民主主義は史上でも比較すれば優れたシステムではありますので、やはり民主主義の原則とは、法の予定した小さな革命によって、社会が常に新陳代謝をして、常に構造疲労を払拭する、ということにもあるのだ、と思います。
ですので、そういう意味においても、昨今の中国・韓国・北朝鮮の動きがもたらす脅威というイメージ、これをマスメディアなどの報道が健全に機能する、そういうことによって、リアルタイムで靖国の問題などが国民に伝達されて、議論になる、、、こういうことは微力ながらも、それでもしかしながら、本来的に非常に望ましいことだと思うのですね…。
何が何でも反対っていう人はいると思いますよ。ただそれはそれでいいのでは。「私的」という説明が配慮になるか、がポイントでしょうね・
アンケート方式なんかは選択肢の順番が変わるだけで結果が大きく変わるということが
(中略)
をどれだけ「それっぽく」作るかということに調査実施者は骨身を砕くわけです。
はてなアンケートには、不特定多数の人に気軽に聞ける便利さがある反面、その結果にはどれだけ信頼できるかという懸念もありまして・・・。
そのことについて、かつて私が前に行ったアンケートについて言及したことがあります。
http://d.hatena.ne.jp/goldwell/20060617
とりあえず質問文による条件付け(○○の人のみお願いします、みたいな)はやめた方がいいです。
おっしゃる通り、いかにそれっぽい選択肢を練るか、ですね。
以下、アンケートの際にこれは気を使ったほうがいいかな、と思う点です。
なぜ靖国参拝するのか、というスタート地点は、「なんとなく行かなきゃいけない気がする」というような感情論でも全然問題はないと思います。対外的になぜそうするのかということを、後付の理由だろうが論理的にきっちり説明できれば問題ないはずです。そこをうやむやにしてきてしまっていて、収拾がつきにくい状態まで来てしまっているのが問題ですね。何が問題なのかも分からなくなってきているので、参拝反対の理由が多岐に渡っているんでしょうね。
右翼の街宣活動ですが、「右翼の人→怖い人→右派的な考えは怖い考え」というイメージを子どもの頃から植えつけるために一部の左派が先導しているような気がしないでもないかも。
話は変わりますが、いろいろな史料を調べてみると、昭和天皇は激動の時代を生きつつも、当時の日本人の中では一番冷静であったようにも感じます。だから私は昭和天皇の人となりをそれなりに見るべきものがあると考えているので、今回のメモに関しては「一人の人間」として「ああ、そうなんだ。そうなんだろうな」と思うこともあります。これを「天皇の意見」という視点で見ると、今の世論のブレようには違和感を感じますが。
新聞やらなんやらの世論調査を見るたびに、設問文の書かれ方もチェックしないといけないのですが、選択肢の順番がなぜそういう順番になっているのかということが気になるのです。アンケート方式なんかは選択肢の順番が変わるだけで結果が大きく変わるということが往々にしてあるわけで、なぜそうなるかというと自分自身の考え自体に自信を持てていないか或いはよくわからないからなんかわからんけどそれっぽい選択肢を選んでおこうという心理が働くのではないのかなと思います。だからこそ、その「それっぽい選択肢」をどれだけ「それっぽく」作るかということに調査実施者は骨身を砕くわけです。
仕事柄多くの子ども達と接する機会があるのですが、経済、社会、政治に全く無関心な子どもが増えているのが手に取るようにわかってしまうような現状です。別に自分がそんなこと考えなくても賢い誰かがやってくれるだろう、と。それより今楽しいことやろうよ、と。みんながそうなってしまえば、その「賢い誰か」の思うとおりに国が動いていってしまいます。いかに社会が作為にあふれているか、ということを子ども達に伝えて、能動的に社会と関わっていって欲しいなと思ったのが、今回のきっかけです。
とはいえ、それとは別に今回の件は私の好奇心によるところも大きいのも事実であるので、なんとかうまくやってみたいと思います。
それこそ「A級戦犯」の中にも「Aクラスの重罪」「Bクラスの罪」というような罪の重さの違いはあるはずです。なぜ「A級戦犯」のみが焦点になっているのか、という視点が一般的に抜け落ちているのが問題であるように思います。新聞にでかでかと「A級戦犯」と出てくると「C級戦犯」と出ているより言葉の上でインパクトがあるので、A級以外はどうなの?という視点がどうしても後回しになるのはわかります。
後々B,C級を議論の中心から微妙にはずそうという意志があって、国際軍事裁判所規約にABCという言葉を選んだのではないかと勘繰ってしまいます。takokuroさんがおっしゃるように『国民が気付かないよう』という意志がどこかにあると疑ってかからないと損ばかりです。
首相の靖国参拝が公的なものであるから反対だ、とする人は首相がプライベートで私的な参拝である、という立場を明確にしたとしても結局「国の政治的リーダーが私的であれ靖国参拝などけしからん」と言い、A級戦犯が合祀されているから反対だ、とする人はA級戦犯が分祀されてもB級が、C級だと言い、周辺諸国への配慮が必要だ、とする人は中篇諸国が何も言わなくなっても「そもそも靖国参拝は戦争を美化する行為である」と方針転換をし、・・・という感じで何が何でも反対ということなんでしょうか。それを言っちゃおしまいですが。
ただ、この問題を考える際には公的・私的に関しては避けられない問題ですね。
>むしろ、まあ政教分離は原則かもしれないけれど……と曖昧な要素を残して棚上げにしながら複雑な関係のまま現実的に対応しておくといった選択肢もありえます。放置論などのその一種でしょうね。
憲法で信条・信教の自由が認められている以上は内閣総理大臣という立場にあっても何かの宗教を熱心に信じることを禁止するわけにもいかない以上は、政治行為のどこかに宗教が影響する可能性を一切排除できないわけで。実際にはこのような選択肢に落ち着いてるんでしょうね。
対外的な説明さえ論理的にできれば、人間はコンピュータのような論理機械ではないので別にその中身は「なんかそんなような気がする」という感情論がスタートになっていてもなんら問題はないような気がします。というかそうであるべきだとすら思います。
以下心の声ですが、お隣の国は日本人の心の中まで完全に否定して隷属させたいようなので、なにをどう説明しようが最初から説明を聞く耳を持っちゃいないんでしょうが…。
>むしろ、まあ政教分離は原則かもしれないけれど……と曖昧な要素を残して棚上げにしながら複雑な関係のまま現実的に対応しておくといった選択肢もありえます。放置論などのその一種でしょうね。
憲法で信条・信教の自由が認められている以上は内閣総理大臣という立場にあっても何かの宗教を熱心に信じることを禁止するわけにもいかない以上は、政治行為のどこかに宗教が影響する可能性を一切排除できないわけで。実際にはこのような選択肢に落ち着いてるんでしょうね。
対外的な説明さえ論理的にできれば、別にその中身は「なんかそんなような気がする」という感情論がスタートになっていても問題はないような気がします。
以下心の声ですが、お隣の国は日本人の心の中まで完全に否定して隷属させたいようなので、なにをどう説明しようが最初から説明を聞く耳を持っちゃいないんでしょうが…。
メモ問題はメモ問題で突き詰めてみたいですね。今回のこういう問題がここまで大きくなるということを考えると、そもそも立憲君主制という考え方自体に無理があるんでしょうかね。ちょっと前に話題になったタイ国王の「俺を政治利用するな」発言を彷彿とさせます。
そもそもなんで「A級戦犯」「分祀」というキーワードだけが一人歩きしているのかということをまずまとめておかないといけませんね。靖国に奉られている戦犯者がA級だけではないにも関わらず、なぜB,C級戦犯については大々的に分祀論が出ていないのかということまで掘り下げないといけませんね。
たくさんご回答いただきましてありがとうございます。ただいま仕事が立て込んでおりまして、また明日まとめて返信いたします。
そしてaounさん、のっかりありがとうございます。大事に使わせていただきます。
今回の件に関しては、私も全く専門家ではなく、いろいろな人の意見を聞いたり、はてなでプチ世論を調査してみたいなというただの好奇心からのスタートです。皆さんにいろいろと教えていただいて感謝しております。こういう機会にいろいろと深く考えてみたいと思います。
いえね、回答の質云々は例で・・・
誰の指してというわけでなく・・・
どこかで誰かが書いていたような気がしただけで・・・
(そんなこと言ったら私だって人のこと言えません)
まだ回答上限に達していないし、まだまだaounさんの出番はあるはずですよ~
政教一致というよりは、【教】を最優先にした【政】と言えるかもしれません。。
尚、takokuroさんの方にもその旨ご申告させて頂きました。
誠に失礼致しました。(嫌味ではありません)
人力検索や軽いいわしの方で、またお目にかかれることを楽しみにしております。ここは遠慮させて頂くのが宜しいかと思います。
人力検索はてな - 今は無くなって(消えて?)いたとしても、【本来、人間社会はこうあるべきである】という大前提を列挙してみて下さいませんか? 特に!ここ10年、あまりの目まぐるしい社会..
国内食料自給率の件回答させて頂いたものの…
やはり精度不足はあまりにひどく。
かくなるうえは、切腹、うっ!
m(._.)mウウ…
介錯は自分でやります、ブンッ!!
憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」の、「不断の努力」という部分を忘れかけているということにつながるんでしょうか。
戦後60年経った今、先行きが怪しい国際情勢にあって、戦争関連の話題が盛んにされるようになってきたのは、かつて自由を獲得してきた歴史的経緯に目を向け直さなければならない、ということが無意識のうちに湧き上がってきてるというところに原因の一つがあるのかもしれません。
今、自分がこうして自由な活動ができているのは、その自由を獲得するための先人達の多大なる努力があったから、というのは疑いようのない事実なわけで。
それとgoldwellさん、のっかりありがとうございます、大事に使わせていただきます。