それならそうと、A級戦犯合祀や靖国参拝でもめるのではなく、国際社会に堂々とサンフランシスコ平和条約を破棄して、もう一度新しい平和条約を結びなおすと戦後がやり直せるような気がするのですが、こういう理屈は間違っているのでしょうか。
どうにも本質的なところに触れずに、表面的なところをごまかしながら物事を既成事実化しようとしているように感じるのです。
別に自分の希望とは関係なく、主張されている方々の論の筋道を知りたいだけなのですが・・・。
知ってか知らずか、そういう混乱は多いんですよねぇ。
おっしゃるとおり、合祀と平和条約には関係がありません。
東京裁判を否定するから合祀されているところに参拝することに問題がないのであり、
参拝は神社本庁にすら所属しない1宗教法人の合祀をどう捉えるかの行動であり、
参拝の意味と合祀の可否とは関係ないです。
そもそも、政治の中に組み込まれているはずの厚生省がA級戦犯を戦没者名簿に書き入れて神社に渡したことも
議論されていませんよね?
そういう別のことを一緒に論じようとするごまかしが潔くない(日本男児の潔さを感じない)のではないかと思うわけです。
米帝の占領に対抗することが日本男児の本懐だとしてもですね。
サンフランシスコ平和条約では「第十一条 戦争犯罪」で戦争犯罪裁判を受けるということを受諾はしています。が、その裁判を受けた人の死後や生き延びた後での権利制限といったものは、一切規定されていません。
よって、合祀するとかしないとかは一切関係がないことです。
また、合祀は一神社の決定でありこれは政教分離の原則(これは日本国憲法に深く立ち入った米国の承認がある)からしても、サンフランシスコ平和条約の主体としての「日本国政府」(つまり日本の政治統括者)が介在できないことは、明白なんですね。
よって、直接的な制限がサンフランシスコ平和条約にはないことと、サンフランシスコ平和条約の元で作られた憲法に従う上のことから、合祀するかどうかは「サンフランシスコ平和条約に関係しないこと」であると判断するべきことだとするのが妥当な推論だと思いますよ。