ダメです。
政治というのは万民のために行われるもので、
感情や感覚というのは個人的な所産ですから、
そもそも次元が違います。
政治を理解し、判断しようとするならば、
まず客観的な視点で情勢を分析しなければなりません。
情報を集め、資料を基に、社会情勢を客観的に分析します。
そして判断しようとする政策について考察していくわけです。
ここには当然、政党間の駆け引きであるとか
利益誘導などといった問題も客観的に加味して考えます。
たとえば、「骨太の方針」をどう判断するか、
といった問題を例に挙げるなら、
まず首相は先月22日の経済財政諮問会議で、
歳出をどんどん切り詰めていけば「やめてほしい」という声が出てくる。増税してもいいから必要な施策をやってくれ、という状況になるまで、歳出を徹底的にカットしないといけない。
と発言した、つまりこれは国民を兵糧責めにして
増税への道を開くという方針であって、
財政支出削減は実体のない見せかけだけのものかもしれない、
などという仮説が立ってくる。
資料からそれを検証してみると、
一般会計からはずいぶん支出を削減して見せているが、
特別会計にはほとんど手が付けられていない、
などという実体が見えてくる。
さらにいわゆる赤字解消必要額のうち歳出削減で埋められない額、
つまり増税によってまかなわねばならない額は
2.2兆~5.1兆円と言われるが、
6月25日のローレス米国防副次官の発言によると、
在日米軍再編問題で日本が負担する総額は
控えめに試算して約2兆9千8百億円になると言っていた。
ほぼ増税によって穴埋めする額と等しい。
これが意味するものは何なのか・・・・。
などと、だんだん分析が深まって、
具体性のある判断ができてくるようになるわけです。
これを何の資料も持たない感情論で考えたら、
「何?国が赤字?
それを孫子の代まで残しちゃ大変だから増税やむなし、
どうせ少子化社会だし、社会弱者や高齢者は切り捨て当然。
まず歳出削減は福祉と医療から」
などといった方向に簡単に流されていってしまいます。
ま、政府としては、そういう単純な感情論で煽動できる国民の方が
都合はいいわけですけどね。
なんにしても、政治は感情で考えれば、
必ず「強い者」に騙されます。
自分の頭で考えるには、資料と情報、
そしてその客観的な分析が大切です。
民主主義の世界では、普通に考えて「自分の感情」や「自分の感覚」を「判断基準」にして良い訳ないんですが、「人々の感情」や「庶民感覚」がない政治家も終わってます。
そういう意味では「判断基準の一つ」として「”自分を除いた国民の”感情・感覚」を用いるのはアリですよね。
そうじゃないのであればアウトかと。
※民主主義ではなく帝国制だったりすると、そうでもないんですが。
darktribeさん。
回答、ありがとうございます。
そうですね、”用いる”のはアリですよね。国民の感情は政治に用いられますよね。
・・感情がもちろん、ベーシックにあるんですけど、
なんだか世界中の市民のその感情はいつも利用されているだけなように感じて、どのように政治とつきあえばいいのだろうと思っています。Darktribeさんはどのようにつき合っていらっしゃいますか?
http://www.law.keio.ac.jp/~hagiwara/lawsemi5.html
「政治とは、国家間であれ、一国家内の、国家に含まれる人間集団間であれ、権力の分け前に与ろうとする努力であり、権力の分配に影響を及ぼそうとする努力である」
要するに、”努力”なんだから、
(例えば、努力につきものなのは、根性でしょう。根性は、感情や感覚に分類されるでしょう。)
感情や感覚で判断したって良いのでは?
世の中、論理が全てじゃないんです。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4106101416/249-9598978-615716...
Takahiro_kiharaさん。
回答、ありがとうございます。
もう少し、違った質問をした方が良かったかもしれません。でも、どのような質問が的確なのか・・なんだか世界中の市民のその感情はいつも利用されているだけなように感じて、どのように政治とつきあえばいいのだろうと思っています。また、米軍基地問題に関わる政治家も、北朝鮮の実験いらい、すっかりひるんでしまい、いままでの意思がくずれてしまった人たちがいました。多くの人が、多くの場合、こうやって恐怖によってころっと変わってしまうと思うのですが、それは単に、事件の本質を見ようとしていないからだと思ってしまうのです。それで、このような質問になってしまいました。takahiro_kiharaさんの下さったリンクはとても難易度が高く感じましたが、参考にさせていただきました。ありがとうございます。
ダメです。
政治というのは万民のために行われるもので、
感情や感覚というのは個人的な所産ですから、
そもそも次元が違います。
政治を理解し、判断しようとするならば、
まず客観的な視点で情勢を分析しなければなりません。
情報を集め、資料を基に、社会情勢を客観的に分析します。
そして判断しようとする政策について考察していくわけです。
ここには当然、政党間の駆け引きであるとか
利益誘導などといった問題も客観的に加味して考えます。
たとえば、「骨太の方針」をどう判断するか、
といった問題を例に挙げるなら、
まず首相は先月22日の経済財政諮問会議で、
歳出をどんどん切り詰めていけば「やめてほしい」という声が出てくる。増税してもいいから必要な施策をやってくれ、という状況になるまで、歳出を徹底的にカットしないといけない。
と発言した、つまりこれは国民を兵糧責めにして
増税への道を開くという方針であって、
財政支出削減は実体のない見せかけだけのものかもしれない、
などという仮説が立ってくる。
資料からそれを検証してみると、
一般会計からはずいぶん支出を削減して見せているが、
特別会計にはほとんど手が付けられていない、
などという実体が見えてくる。
さらにいわゆる赤字解消必要額のうち歳出削減で埋められない額、
つまり増税によってまかなわねばならない額は
2.2兆~5.1兆円と言われるが、
6月25日のローレス米国防副次官の発言によると、
在日米軍再編問題で日本が負担する総額は
控えめに試算して約2兆9千8百億円になると言っていた。
ほぼ増税によって穴埋めする額と等しい。
これが意味するものは何なのか・・・・。
などと、だんだん分析が深まって、
具体性のある判断ができてくるようになるわけです。
これを何の資料も持たない感情論で考えたら、
「何?国が赤字?
それを孫子の代まで残しちゃ大変だから増税やむなし、
どうせ少子化社会だし、社会弱者や高齢者は切り捨て当然。
まず歳出削減は福祉と医療から」
などといった方向に簡単に流されていってしまいます。
ま、政府としては、そういう単純な感情論で煽動できる国民の方が
都合はいいわけですけどね。
なんにしても、政治は感情で考えれば、
必ず「強い者」に騙されます。
自分の頭で考えるには、資料と情報、
そしてその客観的な分析が大切です。
TomCatさん。
回答ありがとうございます。
TomCatさんのご意見はとてもわかります。でも、TomCatさんのような人は少ないんですよね、きっと。
どうすれば、(自分の感情を一度受け止めた上で、)TomCatさんのように”判断”出来る人が多くなるのでしょうか・・・せっかくネットというこんな素晴らしいものがあるので、どうにか使えないかと思います。
質問者様はどう思われるのでしょうか?
現実の世界では「これが正解」というのはなかなかありません。
「良いか」「悪いか」はケースバイケースだと思います。
そもそも、政治家は国民の代表です。
人間はかなりの割合で感情をベースに生活しています。
確かに感情や感覚だけでは軋轢やいざこざを大きくしてしまいますが、それがなければつまらないとは思いませんか?
国民の代表である政治家が感情や感覚を大事にして政治を行うことは非常に大切なことだと思いますよ。
jenngaさん
回答ありがとうございます。
政治が何を目的に動いているのか、を私のような一般市民が一歩引いて、、もしくはもっと情熱的により多くの異なる視点から見る事ができればいいですね。
政治家は国民の代表であるべきなんですけどね。
>感情とか感覚で判断していいんですか?
良いか悪いか別にして...
あらゆる事象を説明して論理的に組み立てる機構はいまだない。
これがあるとしたらラプラスの魔というものになるんだけどね。
では、人は何を判断基準にしているかというと、理屈にある程度納得することを前提にして、納得できる理屈から好き嫌いといった感情や、こうすればよいだろうという感覚で、理屈を選んでいる。
たとえば、数学でさえ、説明がつけばユークリッド幾何学の元で議論を進めるし、それで説明がつかなければユークリッド幾何学もある。物理学にしたって、量子論関係で色々な説が飛び交い、そこでの毀誉褒貶は激しい。いわんや、政治とて..と思う。
大きく国を誤った日本の先の大戦にしても、非戦/開戦等のいくつかの理屈がある選択肢があったわけだ。そして、「こうすればよいだろう」という筋道がいくつもあったわけだ。しかし、その内の戦争突入を「米英の軍門に下るとはなにごとか!」「このままではずるずるとアジアは欧米の下に置かれる!」という好悪の判断から産まれて、そこで無茶な賭けにでてしまった結果なわけだ。
よって、「政治は感情とか感覚で判断していいんですか? 」という問いには、「期待値が近似すると思ったものから、好悪という感情、こうなるだろうという推測/憶測/感覚」で判断される以上は、良いか悪いかではなくて、それしかないのだ..と考えているわけです。
今の日本の政治とかみていると、そういった好悪/予測を積み上げた人たちが出来上がった政治という舞台で、その積み上げたモノに縛られているという面が結構強いとは思います。
そういった政治を預かる人間について、「この人はこういったしがらみで、こういった判断をするだろう(それは国を誤る/正しく往く)」を見越せる環境にて選ぶことが出来る様にしないといけないな..とは思いますけどね。でも、原則的にはラプラスの魔が人間の元にない以上は、人間の「非ラプラスの魔」な「完全計算以外のモノ(感覚や感情)」が入らざるを得ないということです。
yasudaSさん。
回答、ありがとうございます。
そうですね。でも判断するときは一度自分の感覚や、感情を疑ってみたらどうかなと思うんです。それが出来ればいいのになと。
外から見ると、政治家という立場に感情論はダメだ!という考えが生まれるのもよく解ります。
しかしながら、政治家も、「政治家」である前に、「人間」だということです
そして、政治を行う相手も、全て人間だということです。
世の中は、感情で埋め尽くされています
感情なくしては、成り立たないのです
alainaさん
回答ありがとうございます。
感情の存在がだめとはまったく思いません。でも判断へいたるまでに、いちど見渡してほしいんです。でも私がそう思うのは、政治家に大してではなくて、私を含めた一般の人たちです。
まず初めに、こういう議論が噴出しそうな質問では、いわしの方が適当ですな。
(おそらく、ポイント消費の面でもその方がオトク。)
えーと、詳しくは、私が紹介した本「国家の品格」を読んでほしいのですが、議論の出発点というのは理屈ではなく感情・感覚で決まるんです。
もちろん、議論をしていく内に、その出発点が間違っていた、ということはあり得ますが。
(だから、戦争はいかなる場合でも悪なんです。)
takahiro_kiharaさん
そうですか、いわしのほうですね。
「もちろん、議論をしていく内に、その出発点が間違っていた、ということはあり得ますが。
(だから、戦争はいかなる場合でも悪なんです。)」
これが、すっごい大切!自分の持っている感情や感覚をいちど疑ってみてほしいと思いました。えっと、とくに私のような普通の人たちが。
まず、大前提として、【感情】【感覚】の対立軸として何をおくか?が、キーに思います。
と言うのが、人間の五感プラス第六感?で脳へ伝達され、それが、論理、理性を司る部分も情動(下品な意味でなく、生物としての喜怒哀楽も)、又、経験、或いは先天的に胎児であるときに、あるいはDNAに刻まれてる要素で脳は連動して機能するからです。。
又、それらが独立してる状態は、一種の分裂症であるかもしれません。。多重人格症。。
多分、感覚、感情に関係付けられた脳の働きは正常なのだと思います。
ただ、、脳への情報の与え方の寸借で、例えば、同じデータに対しても全く違うように反応させてしまうことも可能でしょうし、、、そういう点で昨今大流行のカルト宗教は駆使してます??
takokuroさん。
回答ありがとうございます。
でも、よく理解できませんでした。
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM#s4
第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
政治家→国会議員は選挙により当選した以上、選挙公約を果たす義務が課せられています。
sami624さん。
回答ありがとうございます。
なにを言わんとされているのかわからないのですが、
”ルールはこうだ”と言われても、そんなの人間がつくっているのですから、変えればおしまいです。まさに今そうですよね。
もしくは、これは国民は感情や感覚でしか判断していないよ、という事なのでしょうか?だから”〜判断していいのか?”という質問自体がずれてるよ、ということなのでしょうか?
よく分かりませんでした。
SUPERFLAT さん、再度、お邪魔します。
人の判断には①現実の事象の中から一部抽出して出来たデータという事実を重視し、
②感情や感覚という要素をきれいさっぱり拭い去るのは、却って、問題があります。
例えば、、子供がこっそり!お饅頭を食べてしまって、知らん顔して、犬が食べた、、と言って、お饅頭の空き箱を犬の寝床の前に置いてあったとします。。
その時、う!何か匂うぞ! さては、企んでるな?って感も、感情や感覚が経験値とともに情報として今目の前に与えられた事実、、「空き箱が犬の前にある状況証拠」を疑うわけですよね。。
こう言う風に、与えられた情報を見破る切っ掛けも感情や感覚です。
一方、理性をか負けさせて感情を煽られ、ナショナリズムに走り、開戦したのも歴史上の事実です。。
大切なのは、自分で真実を見極めることですが、当事者でない多くの国民に与えられる情報は、結果的には編集された当事者らに都合の良いデータになってる、作られたデータです。。
そこで、大切なのは、与えられた情報を真に受けず、一度、色んな立場から調べなおしたり、考え直してみる習慣です。。
そうすると、、胡散臭さという【感】が研ぎ澄まされますし、真偽を見る目が出来てくるのではないでしょうか。。
その証拠に、、カルトでは指導者や自分の上位の人の言葉は丸呑みすることが【素直さ】だとか【和】ということで疑いもせずに納得してるのではないでしょうか。。
本当に人間解放を望むのなら、目的とするなら、、その人個人が自分で考え、判断することを望むはずではないでしょうか。。
それと、二元論で割り切って判断させ納得させるというのも、現実の事象を立った!二元例えば、良いか悪いか、損得、好き嫌い、、そういうAorBという論理で又、それらが独立してる状態は、一種の分裂症であるかもしれません。。多重人格症。。
多分、感覚、感情に関係付けられた脳の働きは正常なのだと思います。
ただ、、脳への情報の与え方の寸借で、例えば、同じデータに対しても全く違うように反応させてしまうことも可能でしょうし、、、そういう点で昨今大流行のカルト宗教が信者さんたちに競馬馬の余所見しないます??ような目隠しをしてるような感じを危険に思います。。
Takokuroさん。
お返事、ありがとうございます。
何かを判断するときには、いちど、その感情を吟味する必要があるという理解で、いいでしょうか?
>>その証拠に、、
から、よく分からなくなりますが、ー「考え直してみる習慣」を与えないカルト宗教のものとでは周りが見えなくなってしまうから危険だ。だけど、信者の脳の働きが異常だということではないはずで、そこに心理的な巧みな操作や何かがあるのではないかー
という理解でいいですよね。
ありがとうございました。
TomCatさん。
回答ありがとうございます。
TomCatさんのご意見はとてもわかります。でも、TomCatさんのような人は少ないんですよね、きっと。
どうすれば、(自分の感情を一度受け止めた上で、)TomCatさんのように”判断”出来る人が多くなるのでしょうか・・・せっかくネットというこんな素晴らしいものがあるので、どうにか使えないかと思います。