特に!ここ10年、あまりの目まぐるしい社会で何が根底に確立されてないといけないのか、、昔はそんなこと改めて考える必要も無く、目の前の小さな変化に今までの人間社会の良識という経験で大方判断できたのに、、今、多くの人は受け入れるがままか利害の判断しか出来なくなってるのではないでしょうか?
一面のアスファルト化で車社会を優先し、又、雨天でも晴天同様の社会活動を期待する。。
が!!
①夜、早朝でさえ地熱が冷めない、熱中夜。。
②照り返しの熱さ、砂地の熱さと違い、目玉焼きが出来るのでは??と地面から陽炎が
立ち上ってるのを見ますよね。。
↓
この環境がますます車社会を必要とし、クーラーなど結果的に地球廃棄物を出し、環境に
悪循環する電化用品の必然性が大きくなる。
↓
これも格差社会の一現象ですよね。
つまり、住環境とは、自分だけの所有面積と建蔽率が満たされていれば良いのではなく、
町全体の環境として互いに守らないと、こう言う風に熱風夜の街があるわけです。
歩いてると、よく分ります。。
あ。ここは利己的な町なんだな。って具合に。。
アスファルトに除草剤を撒いた土、土手、、その川はバクテリアや有機物を消化する植生も無く
自浄作用の無い【ドブ川】・・つまり、、生きてる生物ではなく、ロボットが川の機能の一部を
請け負ってる。。
植栽も毎年花時が終われば、掘り起こし捨て、新たな苗を植え替える、、、命のポイ捨て
植栽が多いのを思います。。江戸時代の着物や絵画にある、野の草花の美しさ、優しさ、
生き様を道端に見出せない哀しさ。。
花を植えるが、道端の落ち葉やごみを掃除しない。。
その時は、街のいたるところに【ゴミ箱】を設置し管理しました。
この5年で、【ごみは持ち帰り】すべきとの政治方針で、かつて置かれていたゴミ箱が
街中から姿を消してるように思います。
そうすることで、ゴミ箱の管理する人件費を削減できるからでしょうか??
ここ数年の、ごみポイ捨て傾向はその要因があるのではないでしょうか?
平気な顔でポイ捨てできることが悲しい。
元を正せば、人と人との距離が遠くなった(昔は近所に住んでても誰かまでわかった)からかと思われます。