「いらない人間などいない」

「いらない人間は確かにいる」

皆さんはこれのどちらが正解だと思いますか?
定義(適用範囲)にもよりますので、ご自由に定義した上でお答えください。たとえば……。

・国家レベルで見た場合
・個人レベルで見た場合
・会社レベルでみた場合
・家庭レベルで見た場合
・人間関係を総合して見た場合

等です。私はダイアリーにこのテーマを書こうとして、数行書いた時点であまりの難しさに指が止まってしまいました。ご回答お待ちしています。

回答の条件
  • 1人2回まで
  • 登録:2006/08/01 19:31:10
  • 終了:2006/08/02 01:15:26

ベストアンサー

id:bijyou No.12

bijyou回答回数107ベストアンサー獲得回数42006/08/02 00:53:27

ポイント20pt

 人間ということばは仏教用語で、Human worldというのが本義です。江戸初期、Humanという意味が派生しました。 

 エリートを集めるとかならず落ちこぼれが出てきます。逆に落ちこぼれを集めると、必ずその中に優秀な人間が現れます。

 「いらない者」が存在したとして、それを処分しても、「いてもいい者」の一部が「いらない人間」になるだけのように思います。

 人間は脳もDNAも半分しか活用していないとされてきましたが、さいきんでは「いらない」とされていた部分も、人間が快適に暮らすためには必要ではないかと言う論調になってきています。

 人の世は、「いてもいい」ように思える人間と「いらない」ように見える人間で構成されている細胞なのではないかと思います。

 しかし、「いらない(ように見える)人間」を完全に排除するには、人間自体が滅ぶしかない。適切な言い方ではないですけど、人の世という巨視で見た場合、「いらない人間」は必要悪と言えなくもないように思います。「神の見えざる手」で、システム上、なにかの役に立っているのかもしれません。摂理という言葉が浮びます。

id:ElekiBrain

この回答はなんだかすんなり受け入れられます。

結局、あらゆる部品がひとつになることによって、社会は存在しています。そんな中、最近になって個人主義が隆盛を極めました。団塊世代、個人主義世代、どちらも良い側面と悪い側面を持ち合わせているものですが、いよいよその両方を抱合した新たな第三の価値観が生まれるときかも知れません。それはきっと、全てか、無か、という二択ではなく、あらゆる立場から見て矛盾無く全てを内包する価値観かもしれません。浸透するにはずいぶんと時間がかかりそうです。

2006/08/02 01:02:37

その他の回答(12件)

id:takeshi825 No.1

takeshi825回答回数246ベストアンサー獲得回数52006/08/01 19:52:19

ポイント14pt

「いらない人間などいない」と私は考えます。今まで生きてきた中で、色々な人に会ってきました。嫌なことを言ってくる人もいれば、生理的に会わない人もいました。しかし、そのような出会いは

後になって考えてみると自分自身を成長させてくれる要因になって

いたような気がします。自分の周りの人間が全て自分の好きな人たちなら、自分自身はあまり成長できなかったような気がします。今まで出会ってきた嫌な人たちも含めて人間関係という観点からみるといらない人間などいないと私は考えます。

id:ElekiBrain

確かにそう思います。これは、「人間関係を総合して見た場合」に関する意見ですね。

あらゆる角度から見れば、「いらない」と人から言われる人間を必要とする人もいるわけです。たとえばそれは家族であったり、仰るように自分を成長させるスパイスとしての必要性だったり。


しかし、実際問題として女性をレイプした後、赤ちゃんとレイプした女性を殺して、その上のうのうとしている犯人がいる(その後刑務所内から出した手紙の中に「女と男がヤリたいと思う感情、コレ普通(笑)」等と書かれたふざけた手紙がマスコミによって公開された)、というニュース等を聞いたりすると、あながち全てそういった解釈で理解できるとは限らない気もします。


社会派な意見もお待ちしています。

2006/08/01 20:11:40
id:jippu No.2

jippu回答回数61ベストアンサー獲得回数42006/08/01 19:58:35

ポイント14pt

僕は基本的に「いらない人間はいない」という考えなのですが。

例えば仮に、自分の家族が誰かに殺されたとなったら、その誰かに対して「いらない人間」と思うに違いない。

逆に、例えば仮に、自分の家族が誰かを殺してしまったとしたても、僕はその家族を「いらない人間」だとは思わないでしょう。

ということで、どちらも正解。

…というのはだめでしょうか。

id:ElekiBrain

難しい質問にお答えくださって、ありがとうございます。しかし、自分のことしか考えない少数の心無い人間も確かに存在すると思うのです。


しかし、仰る通り、その人間が100%悪であったり善であったりすることはないため、家族や恋人であれば「何かの間違いに違いない」「ストレスが溜まっていたのだろう」と思うのでしょう。


公私の意識の違いによって「いらない人間」と「必要な人間」の住み分けもできてしまっているような気もします。先ほどの犯罪者の例でも、父親は完全に擁護派にまわっているという立場でしたし(事件の内容を見ればあきらかに擁護できない内容にも関わらずです)。

2006/08/01 20:18:21
id:TomCat No.3

TomCat回答回数5402ベストアンサー獲得回数2152006/08/01 20:22:19

ポイント20pt

私はあらゆるレベルにおいて、要らない生命というものは一切ない、

という立場を取りたいと思います。

人間だけでなくあらゆる生命について、細菌のレベルに至るまで、

必ずその存在に何らかの意義があるものと考えます。(*注)

 

基本的には病原体としての細菌ですら、

本来は宿主との共生体であって、

宿主の生体環境を含めた環境がよく整ったものであるならば、

偏利共生の形でダメージは与えつつも、

自己の生存環境の喪失につながる宿主の死ということは

極力避けるようにコントロールされているんですよね。

 

そうした生物相互のバランスがうまく保たれていたからこそ、

医学も何もない時代をずっと、生物は種を長らえてきたわけです。

 

そしてその「バランス」というものが、生命体の存在意義と

おそらく密接に関わっています。

 

さて、そこで人の存在ということを考えてみます。

まず地球環境の中の生命としてこれをとらえた場合、

どのような人であれ、その存在に依拠しながら、

おそらく何十億という生命体が共生しています。

それら微生物にとっては宿主たる人が地球そのものであり、

その健康が生息環境の全てなんだろうと思うんですよね。

 

ですから宿主たる人がちょっと二日酔いにでもなって

何かの薬でも飲んだとしたならば、それはもう、

ハルマゲドンのような大惨事となっているに違いないんです。

ましてやその人が殺されでもしようものなら、

その人の体に共生していた生物にとっては、

この世の終わりにも等しい状況がやってきます。

 

したがって、地球レベルで見た場合、

この世に要らない人なんて、

ただ一人も存在しないはずなんですよね。

誰もが何かの生き物の、かけがえのない地球」に

なっているはずなんです。

 

さて、続いて国家レベルで見た場合を考えます。

近代の国家はその主権が国民に置かれますから、

少なくともその国の主権者たる人の中に、

国家にとって不要な人間は誰一人いないはずなんです。

この認識は、近代現代国家における、

国家存立の基本に関わる問題です。

 

国家の主権者となり得ない外国人についても

必ずどこかの国のかけがえのない主権者であるはずで、

国家はその大切な客人を、国際信義に基づいて

自国民と同様に尊重していく義務を担います。

 

もちろん無国籍状態に置かれている人がいるとすれば、

関係するいずれかの国がそれを救済しなければなりません。

 

個人レベルで見た場合は、単に付き合いの相手としてなら、

自分にとって不要と退けても良いでしょう。

しかしそれによって相手の権利を侵害するとするならば、

その時点で問題は国家レベルの視点の話になりますから、

国の主権者が別の主権者を不要扱いすることは出来ません。

 

会社レベルでみた場合も同様です。

たとえば会社が持つ不要な社員を解雇する権利は、

解雇される側の正当な権利を侵害しない限りにおいてしか

認められるものではありません。

不当な権利侵害があれば、それは会社レベルの視点で

語れる問題ではなくなってきます。

 

家庭レベルで見た場合は、家族である限りにおいて、

その家にいていいのだという立場を保証します。

お前なんぞいらない、出て行け、と言った時点で、

言った側が家族という制度を崩壊させることになります。

 

人間関係を総合して見た場合、

基本的に、私的な立場としては不要な人間は避けてよい。

しかしそれによる影響が私的なレベルを超えた場合は、

既に問題は社会的国家的視点に移るのであって、

そこにおいて不要な人間は誰一人存在しない、

ということになるのだろうと思います。

 

*注:私はウイルスについては生物と認識していないので、
エンドサイトーシスによって宿主細胞内に入り込んだとしても
それを共生とは認めません。
だからウイルス性感染症は、かかると致命的なんです。
だから宿主を簡単に取り殺すような病態になりがちなんです。
つまり、生命体としての存在意義とバランスの外にいる物体なんですよ。
したがって、あんなものは不要だから糖と蛋白に分解しちゃえ、
とか思っています。はい(^-^;

id:ElekiBrain

国家レベルのお話、興味深く拝見させていただきました。確かに定義を明確にしてゆけば、仰るとおりですね。しかし、現状、法律上ではなく、実際面の問題として「いらない人間」を社会全体が容認していることも事実であると思います。


今度は「いらない人間などいない」立場に立って話しますが、例えばホームレスの問題があります。ホームレスは別に怠慢ではなく、それまでで社会に対して一定の貢献をなしてきた方達が圧倒多数であると思います。そういった方達は、コンピュータ化が進む中で元々あった職業を追われたという話を聞きました。彼らは私達からしても先人でこそあれ、追い払う対象ではないと感じています。大阪の公園からホームレスを追い出す計画は、人間としての異常性を感じました。

2006/08/01 20:45:21
id:sougetsu No.4

sougetsu回答回数519ベストアンサー獲得回数152006/08/01 20:44:55

ポイント14pt

ところで

「人間」という生き物自体が、何かの必要があって存在してるんでしょうか?

何かの必要があるなら、

「いらない人間などいない」と思います。

何の必要もないなら、

「全ての人間はいらない」と思います。

あるいは、どうでもいいことだと思います。


たぶん、

ご質問は仏陀の「無記」の類に属する問題であろうかと思います。

id:ElekiBrain

「無記」は存じませんが、確かに宇宙の様々な存在レベルで考えるならば、全ては必要、あるいは全ては不要、となります。だからこそ、ご自分で定義の上で、と付け加えました。


様々な角度から見て、総合的に判断した内容をダイアリーに書こうと思っているからです。


※回答回数を2回に増やしました。一度回答された方も、もう一度ご回答くださって構いません。お待ちしています。

2006/08/01 21:37:56
id:kumaimizuki No.5

くまいみずき回答回数614ベストアンサー獲得回数312006/08/01 20:55:35

ポイント14pt

結論から書きます。いらない人間は確かにいます。

というか、「いらない人間がいる」ではなく「いらない人間しかいない」と思います。

もちろん、わたし自身も「いらない人間」だと認識しています。


例えば恋愛等で「あなたがいてくれたから」というのをよく聞きますよね。

でも冷静になって考えてみたんです。

「あなたしかいない」と思った人と、全く同じ人がこの世に存在していたら。

そして、その人と先に出会っていたのなら。

今「あなたしかいない」と思われている人は、必要なくなってしまうのです。

仮に「A子」さんと「B男」さん、「C男」さんという3人がいたとします。

A子さんはB男さんに「あなたしかいない」と言ったとします。

ところが、B男さんと全く同じ考えや行動をするC男さんがこの世に存在したとします。

そして、C男さんとA子さんが先に出会ったとします。

すると、A子さんはC男さんに対し「あなたしかいない」と言うでしょう。

なぜなら、B男さんとC男さんは全く同じなのですから。

この場合、B男さんはA子さんに必要とされません。つまり「いらない人間」になってしまうのです。

他にもB男さんを必要としている人がいるかもしれません。

が、今と同じ理屈で、D男さんという全く同じ考えや行動をする人がいたら・・・。


分かりにくいのですが、こういったことを考えたことがあります。

その結果、どう考えても自分は「必要のない人間」という結論にしかならなかったのです。

そのため、冒頭に書いたとおり「いらない人間はいる」という回答になりました。



以下、蛇足の話題。

よく、自殺しようとする人に対し「いらない人間なんていないんだ」と言うところを見ると思うのですが。

裏を返すと「必要としている人間のために生きろ」という意味になります。

これって何かおかしいと思いませんか?

自分が生きるのは他人のためではありません。自分のためです。

自分の為に生きる。それが本当の意味で生きるということではないでしょうか?

いらない人間だって生きていく権利はあるんです。

自分が生きたいのならば・・・。


長文、失礼しました。

以下、ご参考になれば幸いです。

id:ElekiBrain

B,Cともに必要、という結論は成り立たないのかが少し疑問に思いました。


>自分が生きるのは他人のためではありません。自分のためです。

私も大枠はそう思いますが、最近では少し考え方が変わりつつあります。それはこの「はてな(人力検索・いわし)」を通して感じたことです。質問者が質問する内容に回答し、その内容に対して質問者は感謝の意を述べる。今までの荒れ放題の掲示板システムとは明らかに違いました。人間は自分の主張だけを醜く撒き散らす生物ではなく、ちゃんと礼節をもって対すれば、確かによい関係が築けるのではないか。そう思ったのです。私は人間関係に今まで散々苦しみました。それこそ、他人のことなど全く考えない奴等から暴力やいじめにもあいましたし、逆にあらゆる暴力を行使したこともありますし、他人をいじめたこともあります。日々生きた心地がしなかったこともしばしばです。高校の頃は監獄のような場所で生活したこともあります(※刑務所や少年院ではありませんが、似たような環境でした)。そういったなか、人間関係について深く考えるようになったのです。

人間不信が人生の大半を占め、それでも人間のことをあきらめたくなかった自分がいました。

「はてな」はたかだかインターネットの一サービスです。希薄なインターネット社会の弊害も確かにあるでしょう。しかし、それでも人間関係を見つめなおす必要性を感じるのです。

2006/08/01 21:13:23
id:sami624 No.6

sami624回答回数5245ベストアンサー獲得回数432006/08/01 21:05:02

ポイント20pt

「いらない人間は確かにいる」と考えます。

・国家レベルで見た場合

→昨今話題となっている自己中心というか自国中心的な、超驚異的発想を持った人物は、社会秩序を乱す存在であり、世界平和の維持を考えた場合不要と定義できるでしょう。

・個人レベルで見た場合

→これは感覚の問題であるため、私にとって不要な人間は、都合の悪い物事を隠し、隠し事を正当化するため嘘をつき、嘘がばれないようにするため言い訳をし、…と事実認識を誤らせる行為をする人間は不要と定義します。

・会社レベルでみた場合

→株式会社の定義は、株主への利益還元であり、常に利益計上策を検討し、獲得した利益を株主に還元するのが本来の趣旨であるため、自己の地位名声を維持するため、会社の利益計上を劣後させる行為をとる人間は不要と定義します。

・家庭レベルで見た場合

→家庭内の秩序維持を破壊する人間で、再三の話し合いにも応じず、親族としての信頼関係を維持することが困難な程度自己中心的であり、改善の可能性がない人間と定義する。

・人間関係を総合して見た場合

→先ず当該個人が置かれた現状を理解し、置かれた状況の趣旨が何であり、社会的等によりどのような期待が求められているのかを十分理解した上で、信頼関係・社会秩序を乱し、修復不能な状況に陥れるリスクのある人間と定義します。

id:ElekiBrain

>昨今話題となっている自己中心というか自国中心的な、超驚異的発想を持った人物は、社会秩序を乱す存在であり、世界平和の維持を考えた場合不要と定義できるでしょう。


「北」のことですね? 国家的な観点だけならば確かにそうですね。しかし、やや定義外の話をもりこむならば、国民はどうなってしまうかが気になります。


>株式会社の定義は、株主への利益還元であり、常に利益計上策を検討し、獲得した利益を株主に還元するのが本来の趣旨であるため、自己の地位名声を維持するため、会社の利益計上を劣後させる行為をとる人間は不要と定義します。


なるほど。シビアな意見ですが、会社という組織だけを検討するならば、そういった話になりますね。これは社会貢献をあまりしようとせず、既得権にしがみつく会社全般に言えることですね。


>先ず当該個人が置かれた現状を理解し、置かれた状況の趣旨が何であり、社会的等によりどのような期待が求められているのかを十分理解した上で、信頼関係・社会秩序を乱し、修復不能な状況に陥れるリスクのある人間と定義します。


やはり、人間関係の延長線上に社会が存在するため、切り離して考えることは困難ですね。

ありがとうございました。

2006/08/01 21:23:53
id:m-nisi No.7

m-nisi回答回数159ベストアンサー獲得回数32006/08/01 22:12:29

ポイント14pt

結論としては「いらない人間はいる」です。

いらない生命はありませんが、いらない人間はいます。

生命の価値は不変だと思いますが、

人間の価値は変化があります。

時として誰でも「いらない人間」になってしまう可能性があります。

例として、凶悪犯罪者などが「いらない人間」になります。

逆に、そういう人でも何かのきっかけで「必要な人間」となる

可能性も残されていると思います。

可能性は少ないかもしれませんが。

というのが私の考えです。

id:ElekiBrain

可能性にかけたいところです。

冒頭に述べた犯罪者のような人間を除き、大抵の犯罪者は何らかの家庭事情や社会事情等によるトラウマによって生まれるのだと思います。

「それは、そうならない為の努力が足りないだけだ」

と冷たく言い放つ人もいますが、そういう人は真に苦しんだ経験など無いのでしょう。

少なくとも不可抗力で人生が台無しになる経験を一度でもしてしまうと、そういった冷血な回答はできなくなります。

2006/08/01 22:36:53
id:jyouseki No.8

jyouseki回答回数5251ベストアンサー獲得回数382006/08/01 22:40:25

ポイント14pt

私は基本的には「いらない人間はいない」派です。


今ニートが社会問題になっていますが、そのような人が生じてしまった要因としては、少子化や不況、偏差値教育の弊害など様々な要因が絡んでいて、一概に批判はできないと考えています。


この世からAV女優がもしいなくなったら、性犯罪は確実に増えるでしょう。

ヤクザだって時には人の役にたつこともあります。


ただ、何の理由もなく、或いは自分の欲を満たすために他人を殺すような者はこの世からいなくなって欲しいという気持ちはあります。

それはもはや人間の皮を被った悪魔としか思えないのです。

id:ElekiBrain

確かにヤクザがいなくなれば警察が全てをシノぐ(?)ことは不可能でしょうし、警察もそこそこ検挙率を上げるためにヤクザは必要である、という話を聞いたことがあります(これに関してはあまりいい話ではありませんが)。

快楽犯に関しては全く同感です。極刑に処すべきであると感じます。

2006/08/01 23:03:55
id:gettoblaster No.9

gettoblaster回答回数290ベストアンサー獲得回数142006/08/01 23:53:27

ポイント14pt

いらない人間って誰にとって要らない人間のことなんでしょう?

その共同体の特定の誰かにとってですか?総意ですか?

それって、共同体自体が誰のためにあるか?ってことの答えとニアですよね。

国の主権が国民にあるのなら、国にとって要る、要らないは国民の総意。共産国なら党にとって、中東なら王様にとってということになるのでは?

共産国や王様主権の国ではいらない人がたくさんいるということになってしまうでしょう。

会社であれば、株主が議決権に応じて判断した総意。てことは多分居るはず。家族にとっては家族の総意でしょうか?であればそんなにはいないのかもしれません。

個人の人間関係で見ればたくさんいるでしょうね。一人当たり地球上で30億人はいらないんじゃないでしょうか、たぶんどんな形でも関係していないと思うので。僕ももちろん世界の殆どの人にとっていらない人間でしょう。

でも、地球上に存在する権利は、ほとんどの人にとって不要な僕にだってあると思うんですよ。人に必要とされなければ存在を許されないってことはないでしょう。ひっそり生きていさせて欲しい。よほど社会の敵じゃない限り。

id:ElekiBrain

>いらない人間って誰にとって要らない人間のことなんでしょう?


まあ、だから定義の上って書いたんですけど。伝わらなかったでしょうか?


>でも、地球上に存在する権利は、ほとんどの人にとって不要な僕にだってあると思うんですよ。


いや、私は別に否定しませんよ。質問内容がやや過激であるためにそのような受け取り方をされたのかもしれませんが、私は何も要らない人間を選別してやろう、等とは考えていません。ただ、よく聞く「いらない命なんてない」とか「いらない人間なんていない」という話を聞けば聞くほど、そこに欺瞞を感じたため、今回の質問に踏み切ったわけです。いらない、という判断をするにもどういったレベルなのかによりますし、人によっては全ての人間が必要かもしれませんし……(私は全ての人を愛せるほど器は大きくありませんが)。

あと、「全ての人は平等だ」もちょっと疑問ですね。

本来人間にはどうしようもない差や個性がありますから。

2006/08/02 00:07:14
id:Tedd No.10

Tedd回答回数1ベストアンサー獲得回数02006/08/02 00:06:26

ポイント14pt

 小学4年生です!

暴力団のような人の弱みに付け込んだり、自己の利益の為に良識ある人を平気で殺すような人間に人権を保障してやる必要はないと思います。彼らは細菌以下の存在だと思います。そのような理由で彼らのようにいらない人間というのははいると思います。彼らがいなくなれば社会はもっと良くなると思います。

同じ理由でアメリカという国も世界平和の為に必要ないと思います。

あと右翼団体の連中も何がしたいのかよく分からないので必要ないと思います。彼らは日本の恥だと思います。

id:ElekiBrain

このような難しい質問に回答してくださり、ありがとうございます。あなたの将来が楽しみです。


 さて、先ほども書きましたが、暴力団になる人間の過去も踏まえて、更正の余地があるかどうかによって、真に必要か、不必要かが決まると思います。何事も自分の主張と意見、個人的な思いだけで物事を決めてしまえば、それこそアメリカと同じ思想を共有することになりかねません。

 もうひとつ、殺す人間にも殺す理由があります。あなたはまだ小学生。本気で人を殺したいと思ったことも無いかもしれません。しかし、長い社会経験を重ねると、人は時として恨みと殺意を持つこともあるのです。それは、m-nisiさんも仰ってたように、明日は我が身(明日自分がそうなるかもしれない、という意味です)かも知れないのです。しかし、大抵の人は思いとどまり、今普通の人として暮らしていたりするのです。よって犯罪者だけが特殊な精神構造を持っている、とする昨今のマスコミの報道はやや行過ぎた感が有る点は否めません。

 右翼についてですが、確かに現在の彼らの活動には殆ど社会的には意味を成していません。しかしかつては真に憂国(国を本当に心配して、自分達で国を何とかしよう)という精神を持った方達でした。多少偏った思想体系だったため、社会から遠ざかっていったのだと思います。

 最後に、アメリカについてもうひとつ。アメリカがいま消滅してしまったら、世界のパワーバランスは滅茶苦茶になるでしょう。日本は中国の脅威にダイレクトに晒されますし今アメリカに潰れてもらっては困るという現実もあります。もちろん私もアメリカに良い思いはありません。それにきましては、以下のいわしが参考になります。

http://q.hatena.ne.jp/1154361636

 このいわしで私のアメリカに対する思いの一部(あくまで一部)を書いています。また、同いわしでのTomCatさんの回答は大変参考になるため、是非ごらんになってください。あなたのような賢い子ならば内容は理解できるはずです。

2006/08/02 00:35:22
id:adlib No.11

adlib回答回数2002ベストアンサー獲得回数1292006/08/02 00:25:41

ポイント14pt

 

 弱きものの伝説

 

 大小にかかわらず、いかなる集団にも、役たたずの無用者は存在する。

 遅刻や欠勤の多い者、早合点で失敗の多い者、愚鈍で非力な者など、

入社試験では発見されなかった能力格差が、苦々しくも持続している。

 

── フランス文学の《にんじん》、ロシア文学の《オブローモフ》な

どは愚か者の代名詞であり、日本民話にも一連の“与太郎”伝承がある。

 柳田国男によれば、かつての農耕社会に、こうした怠け者を許容する

精神的風土が存在したという。

 イスラム社会でも、働らかざる者を瞑想の人とみる傾向があるという。

 あるいはまた、ヒンズー仏教圏では求道者であり、乞食や僧侶として、

それなりの階級が与えられるのである。新約聖書《マタイ伝》にもいう、

「空の鳥をみよ、蒔かず、刈らず、倉に収めず」(6-26)。

http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001226

 諸太郎考 ~ Taro & Tom ~

 

 いずれわれわれの“喜怒哀楽”における愛情・勇気・仁義・共感は、

嘲笑・憎悪・憐憫・自惚にとって代わるだろう。強者だけが嫉妬される

競争社会に向かうなら、つぎのような弱者は追放されるだろう。

 

 与太郎 ── 柳田 国男《遠野物語 1910 初版》

 デクノボウ ── 宮沢 賢治《雨ニモマケズ 19311103 記帳》

 プータロー ── 塩倉 裕《引きこもる若者たち 2002 初版》

 

 アウトサイダー ── ウィルソン《アウトサイダー 1955 初版》

 余計者 ── サルトル《嘔吐 1938 初版》

 余計者(眠り男) ── ゴンチャロフ《オブローモフ 1859 初版》

 

 にんじん ── ルナール《にんじん 1894 初版》

 奇跡の人 ── ヘレン・ケラー《わたしの生涯 1903 初版》

 身障者 ── 乙武 洋匡《五体不満足 1998 講談社初版》

 

── 蛭児だったので、葦船に乗せて流した ── 《日本書紀 0720》

http://www.isis.ne.jp/i/694/4.html

 松岡 正剛《千夜千冊“貴種流離譚”》→《旧約聖書》モーセ伝説

 

 弱者をかばう者だけが、みずからを直視できる……。

http://blog.goo.ne.jp/adlibrary/e/b0011d4288f01f9b08196e1038...

 オカンとマンマ ── 中坊 公平《森永砒素ミルク事件》講演

 

id:ElekiBrain

申し訳ありません、どのリンクも参照させて頂いたのですが、いまいちそれらのリンクを記載した意味が把握できませんでした。

ただ、働かない人間をおおらかに見る風土、というものを体験するほど古い年代ではないため、よく分からなかった点もあるのですが、かつての日本がいかに人に対して大らかであったかを知ることができました。その時代の人たちはこの質問自体を不思議に思うかも知れませんね。

2006/08/02 00:45:49
id:bijyou No.12

bijyou回答回数107ベストアンサー獲得回数42006/08/02 00:53:27ここでベストアンサー

ポイント20pt

 人間ということばは仏教用語で、Human worldというのが本義です。江戸初期、Humanという意味が派生しました。 

 エリートを集めるとかならず落ちこぼれが出てきます。逆に落ちこぼれを集めると、必ずその中に優秀な人間が現れます。

 「いらない者」が存在したとして、それを処分しても、「いてもいい者」の一部が「いらない人間」になるだけのように思います。

 人間は脳もDNAも半分しか活用していないとされてきましたが、さいきんでは「いらない」とされていた部分も、人間が快適に暮らすためには必要ではないかと言う論調になってきています。

 人の世は、「いてもいい」ように思える人間と「いらない」ように見える人間で構成されている細胞なのではないかと思います。

 しかし、「いらない(ように見える)人間」を完全に排除するには、人間自体が滅ぶしかない。適切な言い方ではないですけど、人の世という巨視で見た場合、「いらない人間」は必要悪と言えなくもないように思います。「神の見えざる手」で、システム上、なにかの役に立っているのかもしれません。摂理という言葉が浮びます。

id:ElekiBrain

この回答はなんだかすんなり受け入れられます。

結局、あらゆる部品がひとつになることによって、社会は存在しています。そんな中、最近になって個人主義が隆盛を極めました。団塊世代、個人主義世代、どちらも良い側面と悪い側面を持ち合わせているものですが、いよいよその両方を抱合した新たな第三の価値観が生まれるときかも知れません。それはきっと、全てか、無か、という二択ではなく、あらゆる立場から見て矛盾無く全てを内包する価値観かもしれません。浸透するにはずいぶんと時間がかかりそうです。

2006/08/02 01:02:37
id:hnishiki No.13

hnishiki回答回数156ベストアンサー獲得回数42006/08/02 01:03:23

ポイント14pt

回答その一

「いらない人間などいない」

「いらない人間は確かにいる」

>どちらが正解だと思いますか?


どちらも正解とは思えない、というのが素直な気持ちですね。


自分自身としては「いらない人間は確かにいる」と思っているけれど、あらゆるレベルで「いらない人間などいない」方がいいと考えます。


今までの人生で、出会いたくなかった人がいるので、私というレベルでは、いらない人間は確かにいます。ですが、やはり理想としては、いらない人間などいないという風に考えられるほうが、淋しくないですね。


むしろ人間は、いらない人間などいない、と考えられる日がくるよう、辛くても生きていかなければならない存在かな、と思います。


回答その二

個人レベルで見た場合で、「カルネアデスの舟板」の状況に陥ったとしたら、多分相手をいらないと思います。助かってから後悔するとも思いますけれど。

id:ElekiBrain

『カルネアデスの舟板』は結構難しい問題ですね。あの例の場合、いらない人間というよりは、「必要なのはどっちだ」的な解釈になるのかもしれません。これは第三者的な立場で見た場合ですが。

いらない人間などいない、という考えが浸透すれば、今の社会問題の大半も解決するかもしれません。というより解決するでしょう。

2006/08/02 01:12:22
  • id:ElekiBrain
    ElekiBrain 2006/08/02 01:25:13
    大きな勘違いを生んでしまいそうな危険な質問でしたが、さすが「はてな」ユーザーの皆様。ちゃんとカテゴライズして理由を書いてくださいました。bijyouさんご回答は、私にしては珍しく殆ど完全に同意します。いるか賞を贈らせて頂きます。
    あと、詳細に定義付けして書いてくださったTomCatさん、sami624さんにはポイント多めに割り振らせて頂きました。皆様、ありがとうございました。
  • id:bijyou
     はじめているか賞いただきました。妙にうれしいです。ありがとうございます。
     半分に削ってもすっきりしないので明日書こうと思っていたけど、あきらめて、いや、切り上げてよかった(笑)。
     『人間』のうんちくを言いたかっただけなのに結果オーライでした。やはり人間無心がいちばんですね。
     おまけ。漢音(ジンカン)、呉音(ニンゲン)で意味を使い分けるのは、単なる慣習でとくに理由はありません。


     ぼくも含めて、現代人には、なんとなく自分たちが進化の限界にいるように思い込んでいる人が多いように見えます。
     でも、精神面で伸びる余地は十二分にあるように思います。
     時間がいくらかかってもいいから、全肯定と全否定をこの世から減らして、人の世に多様という名の花が咲くといいですね。
  • id:ni-papaltuti
    両方正解

    善悪

    表裏一体

    立場が違えば、どちらにもなりうる

    全ては繋がっている

    真理

    http://plaza.rakuten.co.jp/papaltuti/
  • id:ElekiBrain
    ElekiBrain 2006/08/02 05:57:46
    申し訳ありません。ni-papaltuti さん。
    あなたは拒否リストに追加しているはず。なぜこの質問にコメント投稿できるんですか?
     あなたは精神的な病があるように見せかけながら、多くのユーザー様を欺いてらっしゃる。時にIDを変え、時に巧妙なテクニックを使い、このように回答拒否ユーザーに設定されている内容にも勝手に書き込む始末。
     あなたの回答履歴・質問履歴をを見ても酷いものです。
     あなたは数々の質問や回答で多くのユーザー様に迷惑な意見を撒き散らし、他人のことを一切考えようともしない。今回の質問の内容にのっとって回答するならば「あなたは私とっていらない存在である」といえます。
     汚名を挽回したくば汚い真似はやめて、まっとうな質問者、回答者になってください。幸い「はてな」の皆様は私のように狭量な人間は少数です。再びまともな質問者・回答者になれば暖かく迎えられるでしょう。
     なぜ私が今回の質問を『人力検索』タイプにしたか分かりますでしょうか。活発な議論が好きな私は本来『いわし』タイプが大好きです。しかし、あなたのような方が万が一乱入されては、0ポイントに設定することが不可能であるため、このタイプを採用したのです。あなたがIDを変えようが、不正ログインしようが、今後あなたに支払うポイントは0ポイントです。私の中であなたの印象が覆ることは無いでしょう。自業自得とお思いください。
  • id:kumonoyouni
    締め切られているようですが、長文回答失礼いたします。

    私の答えは結論から申し上げると「いらない人間などいない」です。

    その理由については、私はちょっと見方を変えて、小学校教育で問題となった円周率π(パイ)が「3.14」ではなく「3」だとなぜまずいのか?という話を例にとりながら、この話をさせてもらいたいと思います(笑)
    ※円周率とは~直径と円周の長さの比率の事を指し、円周率はπ(パイ)と呼ばれる事もあります。

    「円周率が3だろうが、3.14だろうがどっちでもいいじゃん!
     0.14なくなったくらいで何が変わるんだよ!」

    確かに。円周率だけ見ると、小数点違ったからといって大きな違いはないように見えますね。
    でもちょっと待ってください、円周率を使って何を求めますか?
    円の長さや円の面積の計算に使われますよね?

    では、円の長さを例にとって見てみましょう。
    円の長さ=2×円周率π(パイ)×半径=直径×円周率π(パイ)
    で求める事ができます。

    そこで仮に直径が1m(メートル)=100cmの円の長さを考えてみます。
    円周率π(パイ)が「3」だった場合、
    円の長さ=100cm×3=300cmです。

    では、今度は円周率π(パイ)が「3.14」だった場合にはどうでしょう?
    円の長さ=100cm×3.14=314cmです。

    あれ?比べてみると「14cm」も違いますよね?
    そうなんです。小数点を切り捨てると、こんなに大きな違いになってしまうんです。
    え?14cmくらい?どうってことない?

    では、円筒形(えんとうけい)の直径50cmの箱があったとします。
    (箱の高さは話が長くなるので、この際省略します)

    あなたはプレゼント用に円の周りにラッピング(包み紙やリボンなどのこと)したいと思いました。
    円を包むためにどれくらいの長さのラッピング用紙を買ってきますか?

    円周率π(パイ)が「3」だった場合、
    円の長さ=50cm×3=最低でも150cm必要。

    円周率π(パイ)が「3.14」だった場合、
    円の長さ=50cm×3.14=最低でも157cm必要。

    見比べてみると7cmも違いますね?
    もし、紙を買ってきて7cmも足りなかったらどうします?
    ショックですよね?
    つまり、そういう事ですd^-^)

    え?まだピンとこない?
    では、もう少しお話しさせてもらいましょう。
    円周率π(パイ)は、実際には「3.14159265358979・・・」と続く割り切れない数字ですが、なぜ「3.14」と覚えておけばよいのでしょうか?
    それは先の話にも繋がり(つながり)ます。

    例えば「3.1415」まで覚えていたとして、直径1mの円の長さを考えた場合、
    円の長さ=100cm×3.14  =314cmです。
    円の長さ=100cm×3.1415=314.15cmです。
    その差0.15cmの違いです。

    では10mの円の長さを考えてみましょう。
    円の長さ=10×100cm×3.14  =3140cmです。
    円の長さ=10×100cm×3.1415=3141.5cmです。
    その差1.5cmの違いです。

    先のプレゼントの話では、直径50cmの箱を包むとしたら、
    円の長さ=50cm×3.14  =最低でも157cm必要です。
    円の長さ=50cm×3.1415=最低でも157.075cm必要です。
    その差0.075cmの違いです。
    それくらいの違いなら、なんとかゴマカシききますよね?(笑)

    つまり、日常生活を営むうえで「3.14」まで覚えておけば、「ほぼ」大丈夫という事です。
    え?話の流れが見えない?
    3.14だってその後の小数点切り捨ててるじゃないかって?

    まさしく、おっしゃる通り、それが答えでもあるのです。
    世の中割り切れるものばかりが全てじゃないし、小さな数字も大きな数字とかけあわせれば大きな違いとなって現れる。
    というの事を知るうえでも、円周率が「3」ではまずいと思うのです。

    生きていくうえで、ゴミ同然と思うものも中にはあるでしょう。
    でもね、ゴミとして捨てられたものでも、リサイクル(再利用)され、気付かぬうちに我々の生活を潤してくれているんです。
    ケニア環境副大臣であるワンガリ・マータイさんは、日本の「MOTTAINAI」=「もったいない」という精神から、ノーベル平和賞を受賞しました。
    捨てることは簡単です。
    でも捨てないで、それをどう生かせばよいのか、私たちは考え、考えるだけなく、行動していかねばなりません。

    人だって同じです。自分の存在意義は何なのか?
    (何のために自分は生きているのだろうか?)

    これだってすぐに答えが見つかるものではないし、一人の生き方が皆に当てはまるわけじゃない。
    失敗もあれば、成功することだってある。
    暴力で傷つけ、傷つけられる事もあれば、言葉の暴力で人を傷つけることだってあるし、こちらの思ってもない所で人の心を傷つけてしまうことだってある。
    それだって相手の気持ちを知らなければ、知ろうとしなければ、何も分からないですよね?

    人生ね、無駄な事なんて何一つないんですよ。
    あなたの失敗した経験が、その辛い想いをした経験が、自分自身の糧(かて)となり、まだ見ぬ自分の子供、そして同じように困っている人達へ「一つの道しるべ」になるんです。

    そういう意味で、この場に限らず、私はこの言葉だけが浮遊する仮想世界の住人でありつづけています。
    私の経験が、そしてあなたの経験が、顔も名も知らない相手へ、その純粋な想いが一つ一つ繋がっていく感覚・・・
    それを考える時、私は一つの映画を思いだします。

    「ペイ・フォワード」2000年・米・ワーナー
    (監督)ミミ・レダー
    (出演)ケビン・スペイシー 、ハーレイ・ジョエル・オスメント、ヘレン・ハント
    http://www.eiga-portal.com/movie/payforward/01.shtml

    私達の力でできることなんて、ほんのチッポケなものかもしれない。
    でもね、一人一人の力がチッポケでも、困った人のために皆で考えば素敵な未来が訪れるでしょう。
    そう信じたいし、実際ここもその一つの場所だと私は思っています(笑)

    では、では

    PS:靖国問題また再燃してたんですね、また折りをみて参加します。
       待っててね、TomCatさん!(笑)
  • id:ElekiBrain
    ElekiBrain 2006/08/02 18:27:07
    >人生ね、無駄な事なんて何一つないんですよ。
    あなたの失敗した経験が、その辛い想いをした経験が、自分自身の糧(かて)となり、まだ見ぬ自分の子供、そして同じように困っている人達へ「一つの道しるべ」になるんです。


    ??……いや、確かにそう思いますが。
     あのですね、私の数々のレスを見ていただければわかるとおり、全てにおいて「いらない」という前提に立って話しているわけではないのです。だからこそ定義分けを必要としたわけで。ただ、先ほどのni-papaltutiさんに関しては、個人的な範囲に限って、いらないな、と率直に感じたまでです。ほかの人はどう感じるかは分かりませんよ?
     あと、数学的な話はややニガテですね。否定するわけではなく、ただ単に私は理数系脳じゃないためで。割り切れることばかりじゃないし、割り切れることもあるし……。簡単に言うとそう仰りたいわけですよね? それがまさに私のダイアリーが止まった(質問参照)理由です。
     ある程度明確にしておきたかったんですよ。要するに。もう一度レスの数々をお読みくださればご理解頂けると思います。
     あともうひとつ、「失敗した」などというみっともない考えはずいぶん昔に捨て去りました。今はそれらのつらい思いは経験として捉えています。
  • id:kumonoyouni
    ElekiBrain 様、早速のお返事ありがとうございました。

    書き方まずかったですね、ごめんなさい。
    私が書いている「あなた」とはあくまでご質問の内容について私の基本的な考え方を書いただけでElekiBrain さんを直接名指ししたものではありません。

    その点、心よりお詫びいたします。
    申し訳ございませんでした。
  • id:ElekiBrain
    ElekiBrain 2006/08/02 19:01:55
    そうでしたか。すみません。私もこの頭に血が上る性格はなんとかしなければならないと思います。
    それはそうと、数学はニガテでも、理解できれば面白いのだろうなぁと思います。
    しかし……。私の場合、学生時代に教科書が睡眠薬になってしまう経験をしていますので、今見ても眠くなるかも。プログラミングは楽しいと感じるので、Flashなんかで3Dの演算ができたらカッチョエーなぁ、なんて思うわけですが。「もし」機会があったら勉強させてもらいます。かなりの意気込みを必要としそうですね……。
  • id:kumonoyouni
    いえいえ、こちらこそ、失礼いたしました。

    最初は普通に書きかけてたんですが、わざわざ小学校の円周率の話をしたのは、Tedd さんの回答みて授業がわりといっては何ですが例として用いてみるか・・・という思惑もあったわけなんですが、話が長くなりかえって分かりずらくなってしまったのは私も否めません(苦笑)


    またどこかでお会いした際にはよろしくお願いいたします。
  • id:takokuro
    生命を生み出す能力の無い人類が、その命の有無のキーマンに地球上で君臨してることの大きな意味を子供の時から、考える習慣を持たせるべきでは?!??

    どんなに技術革新されても、未だに音楽でもアナログが基本で、それで収集された情報をデジタルに置き換えることで大容量を管理しやすく、スピーディーに扱えるそうですが、、デジタルは情報を切り刻む点、、つまりは演繹法で優れているかもしれませんが、トータルで見る帰納法の視点が最近の社会で欠けているのではないか??!

    国民に刹那的な視点しか持たさずに、人間たる所以の考える、判断する機能が停止してるように感じる場面が多くなってきています。

    とても、危険な社会ではないでしょうか?
  • id:ElekiBrain
    ElekiBrain 2006/08/03 12:06:33
    takokuro 様へ

     マスコミや企業が先導しているのでしょう。結局、物質と金意外に価値があることを子供達によく教えていかなければなりません。今回の質問は確かに極めて物質的な質問です。それは私のストレスが溜まっていたこととも関係がありますが、全てに感情を込めることは不可能だという思いもありました。やはり、人間も動物ですから、いやなものは嫌だ、という思いをどこかで捨て去ることはできません。好ましいものを人は選びます
     人間は確かに使い捨てではありません。しかし、人間関係はやや使い捨ての関係が増えてきているような気がしてなりません。以下のURLは有名SNS「ミクシィ」についての心理的分析です。
    http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/21/news061.html
    私がこのサイトについて思ったのは、人間関係の使い捨て化が進行している、ということです。SNSの全てが悪いわけではありませんし、むしろ良い点が目立つのですが、時として人間関係が面倒になってしまう弊害も孕んでいます。このことは私のダイアリー(http://d.hatena.ne.jp/ElekiBrain/20060729)でより詳細に述べています。もしよろしければご参照ください。
  • id:takokuro
    ElekiBrain様。
    お返事ありがとうございます。
    人間関係のサイト、拝見させていただきますね。【マスコミや企業が先導しているのでしょう】
    という点で止まってることに、自分は加担していない、、という潜在意識があるのも感じます。。

    マスコミや企業は利益、顧客が対価を払ってくれるから成立する組織なので、当たり前と言えば当然とも言えるのでは??

    一歩踏み込んで、なぜ、マスコミ、企業はそうするか?
    政治的な力や経済的理由が、一般聴衆者、読者よりも大きいから。。??
    一般読者らは、丸め込むのに容易いけれど、大きな政治権力や経済的(たとえばスポンサー)?金融的圧力に抵抗することの困難さ。。

    やはり、根源は、社会の在りよう、政治に基づいた歪が官僚、企業、マスコミをゆがめ、それによって、国民生活がおかしくなる。。

    政治が一度、過ちを通すと、今度はそれをバレないように画策しなくてはならない。。すると、強い専制、独裁的リーダーシップで押し通すしかない。。
    それに邪魔なものは、大学でも識者でも、企業でも、もちろん!官僚でも、マスコミでも抹殺していく。。

    【郵政民営化】総選挙前後の自民党人事、、本性を現した時ではなかったでしょうか??!
  • id:ElekiBrain
    ElekiBrain 2006/08/05 17:50:44
    >自分は加担していない、、という潜在意識があるのも感じます。。

     自分は加担してない? なんだかずいぶんと失礼な物言いですね。全ての社会にちょっかい出せるわけないでしょう。だからこそ私はダイアリーで人と人とを隔てる壁の有用性を指摘しているのです。残念ですが、全てを自分のこととして捉えていたら、体がいくつあっても足りませんよ。この質問にもそういった側面が一部入っているわけで。
     あなたが仰りたいことは分かります。しかし、本当にそれらを真に考えたいならば、こんなところで書き込んでいる場合ではないはず。政治家や評論家を目指して頑張るべきではないでしょうか。

    >一歩踏み込んで、なぜ、マスコミ、企業はそうするか?
    >政治的な力や経済的理由が、一般聴衆者、読者よりも大きいから。。??

     これも同じですね。それを本気で論ずるのであれば、お金と権力を持つ企業家、もしくは政治家にならなければなりません。私もつい2~3日前位からダイアリーがストップしています。論ずることは現実に直結しなければ意味がない、と、どこかでむなしさを感じるからです。大体今回の質問自体も、関わりたくない人間も確かにいるし、自分にとってはいらない人間もいる、という思いからきているわけで、わざわざ渦中に踏み込みたいならばそうすれば宜しい。ただし、踏み込む以上は必ず意見だけでなく実力を行使できなければ意味は無く、そうでなくては空騒ぎで終わるだけでしょう。

    >政治が一度、過ちを通すと、今度はそれをバレないように画策しなくてはならない。。>すると、強い専制、独裁的リーダーシップで押し通すしかない。。

    何をいっているのでしょうか。ばれないように画策? いつ小泉首相がばれないように画策したのでしょうか? 意味が分かりません。

    >【郵政民営化】総選挙前後の自民党人事、、本性を現した時ではなかったでしょうか??!

    パフォーマンスも政治の一種です。国民の煽動が上手だったというだけです。馬鹿馬鹿しかったので、私は小泉さんには票を入れませんでした。


     もうひとつ、小泉政権には否定的ながらも、私は一定理解を示しています。小泉政権とアメリカについてですが、確かにアメリカは気に食わないし、政権のやり方も問題があったでしょう。しかしふと振り向けばそこに中国がいる、という現在の状況を考えた結果、あえてアメリカを選んだ選択に間違いは無かったと思います。ここで、中国と手を結ぶ方向性もあった等という話はなしです。ありえません。裏で北朝鮮と手を結び、韓国と反日の思想を共有する中国のことです。手を結べば余計に漬け込まれる可能性がある。それは今のアメリカの比ではない。実際、ロシアに移民している中国人の多くが、土地になじもうとはせず、自分達の家族を呼び込んで巨大化し、殆ど中国人の国と化している地域もある、と聞きました。彼らの意識は中国こそ世界の中心、というものです(中華思想)。
     やや掘り下げすぎましたが、そういったわけで、強権を発動するしかなったという点は見逃してはいけません。アメリカに供物を捧げなくてはならない日本のふがいなさには腹が立つものの、今の状況は仕方がないところがあるのです。

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