あなたは裁判員に任命されました。
秋田県藤里町の畠山彩香さん殺害事件を担当します。
被告人、畠山鈴香被告は、
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060808it01.htm
によれば容疑事実を否認しています。
物証はなく、目撃証言と撤回された自白だけが根拠です。
この状況下で、裁判員は被告の有罪を認定できるのでしょうか?
さらに言えば、判決として死刑判決ができるのでしょうか?
私ならば「物証が乏しい以上、疑わしきは被告人の利益に」の原則に則って
無罪の判決を出しますが、他の一般人は「疑わしければ有罪にしちゃえ」と
判断する気がしてならないのです。
「疑わしきは被告人の利益に」の法化教育がなされないままの裁判員制度は
危険だと思いますが。。
論理的思考パタンでは、1つでも疑義がある事実が
提示されれば無罪です。
しかし、裁判員制度において
「全員が論理的思考をしてくれる」というのは
所詮幻想でしかありません。
職業裁判官にも批判はいるいろあると思います。
しかし、彼らは「批判」されるのです。
つまり、「批判」されることにより、
「マトモな判決を出そう」と多少は心がけるのです。
裁判員は、その結果について「批判」されることはありません。
なので、トンデモ判決の出現率は、職業裁判官よりも
高いのでないか、と懸念します。
(まあ、そのための2審・3審なのでしょうが)
たしかに、素人がどこまで的確な判断が下せるかという問題は大きいですが・・・・。ただ、おそらく私は、だからこそ慎重な検討を経て結論を出していく仕組みが考慮されてくると思うんです。「はい、皆さんどう思いますか」ではなく、ひとつひとつの争点について検察側の提示した証拠の妥当性を審議して、それに対する疑義を問うようなやり方で。
そういうやり方なら、おそらく多くの事件について、今よりも疑わしきは被告人の利益にという方向性が強調されてくると思うんですよね。つまり、素人だからこそ、ひとつひとつ重箱の隅を突つくようなやり方でなければ判断が付かないわけで、検察としてはよほどに綿密に論証していかなければ、その壁を突破できなくなる、というわけです。
しかし、実際にそうなってくれるかどうかはまだ未知数ですから、とりあえず国民を参加させておけば司法改革の言い訳が立つ、といったことになってしまうと困りますね。
実際日本人は刑罰を「報復」と考えている人が多いですから、まずはそのへんの考え方から再考していかないといけませんね。
おそらく争点の一つ一つについて意見を求められることになるでしょうから、ひとつでも信頼性を欠く部分があれば、全体に渡る結論は「有罪に出来ない」に落ち着きます。
総論有罪と思われる事件でも、各論で一つでも信頼性を欠く部分があれば、それを無視して総論を結論づけることは出来ませんから、順を追ってきちんと審議していく限り、裁判員の判断は、巷間語られるワイドショー的結論にはならないものと思います。