では、それを受け入れた上で、その人を選んだ理由、決め手となったものとはなんなのでしょうか。
たとえば、もっとあう人がいるかもしれないと考えたり、将来には改善されるかもと考えたりするかと存じます。
逆にすべてがぴったりあっている人もいるのでしょうか。
けんかするほど仲が良いとも申しますが、実際、どうなのでしょうか。
ご意見、体験談などご教授願えますと幸いです。
http://q.hatena.ne.jp/1148732211
アドレスはダミーです。
私事にて失礼します。
決め手は,「こんな自分を選んでくれた」ということです。
自分のことを認めてくれるような,親以外の人は貴重と思います。
けんかは勿論します。
男と女,基本的な造りは全く違いますし,男性は女性を守ってやらねばなりません。
女性はかいがいしく男性に従わなければなりません。
(決して男尊女卑ではなく)
それが出来れば,その夫婦はうまく行くでしょう。
けんかをしたっていいのです,けんかが終わって,仲直りする期間が楽しいんです。
あー,また仲直りできたって。
一つ,けんかと仲直り,の山を越えてゆくたびに,その夫婦の新密度は増してゆくでしょう。
この質問は答えるのが難しいです。
「長年連れ添った夫婦でも、お互いに気になるところがあったり、あわないところがあったりするかと存じます。」
つまり、結婚した後にわかってくること、と読み取れます。
「では、それを受け入れた上で、その人を選んだ理由、決め手となったものとはなんなのでしょうか。」
は、
「『それ(結婚した後にわかってくる短所など)』を受け入れた上で、その人『との結婚生活を続けようと思った』理由、決め手となったもの」
であれば、
惰性もあるでしょうし、離婚が面倒というのもあるでしょうが、私含めてほとんどの方が、「連れの短所は認識していても、それが原因で離婚するほどのことでもない」ということではないかと思います。
あるいは、
「『結婚前にお付き合いを続けている中で、いろいろ気になることはあったけれど』、その人を選んだ理由、決め手となったもの」
であれば、これは非常に個人的なところなので、私の経験から申しますと、大変月並みな言い方になりますが、「一緒にいて安心感があるから」みたいな答えになります。
「もっとあう人がいるかもしれないと考えたり」
たまに考えますね。(ケンカした直後とか)
が、日常は夫婦でとても忙しいので、そのような考えは頭の片隅にも発生しません。(正直、それどころではないです)
結婚は自らの決断ですから、それに対しては責任を持ちたいなあ、という強い思いがあります。
「将来には改善されるかもと考えたりするかと存じます。」
相手の気になるところが、性格に起因するものであれば、おそらく一生改善されません。性格は自分が相手と合う前にすでに形成されてしまっているものです。
「逆にすべてがぴったりあっている人もいるのでしょうか。」
外面はそんな感じの人達もいますが、そのような夫婦は皆無だと思います。(ぴったり合っているということはつまり、「夫婦ケンカをしない」ということですよね)
「けんかするほど仲が良いとも申しますが、実際、どうなのでしょうか。」
「けんかするほど仲が良い」というのは、怒鳴り声が響いてくる他の家を評してのもので、昔から言われていますが、そんなことはありません。「ふだんはとても仲がよさそうだけど、たまにはケンカもするんだねえおとなりさんは。仲のよいことで。。」ということです。つまり、ふだんはふつうに仲がよい、という前提です。年中怒鳴りあっている夫婦は不仲に決まっています。
が、怒鳴り合うのが夫婦のノーマルなコミュニケーションである、という感じの家も昔はありました。が、今はないでしょう。
今の時代は、互いに無視して、冷え切っているのがケンカしている正しい状態ではないでしょうか。
ダミー
長年というほどではありませんが、既婚者です。
気が合わない・気が合うと意識した事は有りません。
「けんかするほど仲が良い」というのも、我家ではあまり関係のない言葉です。
配偶者は「気が合う」と思っているかもしれませんし、時々そういったことを言いますが、私自身、「この人と合わない」と感じたら一緒に居るのが煩わしくなるでしょうし、「この人と合う」と感じたら、一緒に居ることがつまらなく感じると思います。
それに、別の誰かと比べて「合う」「合わない」の尺度を決めだしたら、「もっといい人がいるかもしれない」とか「昔交際した人と会いたい」と、淡い妄想を抱くでしょう。
「合う・合わない」を意識せずいられることが、夫婦でいられる秘訣です(我家限定でしょうが)。
喧嘩はうちでは成立しないものです。
配偶者は喧嘩はしない主義ですし、私は喧嘩に体力を使いたくないと思うほどの面倒臭がりやなので(笑)。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?stype=1&dtype=0&dname=0ss&p=%...
一口に「夫婦」といっても、いろいろな形の結びつき方があると思います。
価値観がぴったり合っている夫婦もあれば、逆に価値観が全く違っていながらお互いを認め合っている夫婦もあります。
共通の趣味を楽しんでいる夫婦もあれば、全く趣味が違っていてお互いそれぞれの時間を有意義に過ごしている夫婦もあります。
見た目は同じように2人で生活しているように見えても、実はそれぞれ事情は全く違っている・・そんなものだと思います。
私の場合は、結婚相手を選んだ理由は、基本的に価値観・道徳観が合っていたからです。それぞれの趣味は違っていて、それぞれに楽しんでいます。時には意見が食い違って言い争うようなこともありますが、生活設計とか子どもの教育に対する考え方とか、根本的な部分の価値観が同じ方向を向いているので、今まで連れ添って来れたのだと思います。
「もっとあう人がいるかもしれない」と思ったことはあります。今のところそんな人にめぐり合っていないですが、そんな人が現れたらどうなるかは、本当のところ自分でもわかりません。
でも「長年連れ添った」という事実が何よりも勝るのかもしれないです。楽しいこともいっぱいあったし、少々のことは妥協しないと・・といったところでしょうか。
夫婦というのは、家族であって、他人なんです。
親子は血縁ですが、夫婦は他人。
ココをしっかり自分で理解すると変わってきます
思いやり
初心を忘れない
スキだというキモチを忘れない
そして、忍耐です
http://www.din.or.jp/~honda/php200503.htm
御参考にどうぞ
バツイチの現既婚者です。
結婚前にはバラ色の夫婦生活を夢想するのが当然のことですが、
毎日一緒に生活していれば、恋人時代のような新鮮さや情熱的な気持ちも薄れてくるものです。
また、以前は見えなかった相手の嫌な部分も見えてきたり、
独身時代には好き放題使えたお金も制限され、自由も無くなります。(これは自分が男だから特に思うのでしょうか)
ですが、その替わりに得るものは余りあるものです。
家に帰ると必ず家族(妻、子供)がいてくれることは、
精神的にも大きな幸福です。
しかし、毎日当たり前に暮らしていると自分が幸福であることを
忘れてしまいます。一時的にはどんな大げんかをしても、相手がいるから自分は幸せなんだと心の中では思っていることが大事だと思います。
そうすることで相手を思いやることができ、長年寄り添えるのです。
最初の結婚ではその気持ちが足りず、お互いにすれ違いを重ねて、
引き返すことが出来なくなってしまいました。
もちろん、どうやっても相性が合わない場合もありますので、
それは縁がなかったと諦めるしかないと思います。
URLはダミーです。
性格は全然違いますね。
嫁は慎重で思慮深く、表面的には人当たりの良い社交的な人だけど実は相手を見る目がするどいけど、自分は何でも真に受けて考えなしに行動するもんで、それで怒られるのはしょっちゅうです。
でも、まあ、自分はそういうのを有り難いと思ってますよ。
親以外で親身に何か言ってくれる存在って貴重ですからね。
結婚の決め手は、嫁がすごいいろんな面を持ってて、「一生違う面を見せ続けるんだろうな」と思ったのと、自分と違う部分を尊敬できたから。
けど、夫婦の形って、人それぞれだとおもいますよ。
うちみたいなトコもあれば、それこそ「性格がぴったりなのがいい」と思う人もいるだろうし。
相思相愛の夫婦といえども別の人格ですから
なかなかぴったり合うということはないのではないかと思います
一緒に暮らしていけそうと思った決め手は
お互いに本音を話せる、話し合いが出来る
ということでした
こちらの言い分を聞き入れてくれると信頼できると同時に
相手の言い分に対して自分が変われる気になれるかということでもあります
せめてケンカでもしないほどコミュニケーションが欠けている状態は
「結婚している」とは言いがたいように思います
ときどきは不満を持つこともあるのですが
結婚した当時の
自分をパートナーとして選んでくれたっていうことへの感謝を思い出して
乗り切っています
「けんかするほど仲が良い」については
「夫婦喧嘩は犬も食わない」というように
傍から見てばからしい原因でケンカしていたと思ったらすぐ仲良くしていたりする状態ではないでしょうか
私事で回答します。
結婚前に付き合っていた彼女(今の妻)とは、途中で一度別れました。しかし、分かれた後2、3年たっても忘れることも無かったため、もう一度飲みに誘ってみたら、なんだかほっとする感情を感じたのです。それから数回交際を重ねてからプロポーズしました。
ですから、結婚の「決め手というのは「一緒にいて自然でいられる」ということです。一度別れているからこそ、結婚してからは、別れるなどということを考えることはありません。
男女の関係をうまくするために自分の(相手の)性格を変えようとか、そんなことを考えては絶対にダメです、なぜなら無理だから。
他人が一緒に暮らせば、必ず喧嘩もします。意見の食い違いは日常茶飯事です。でも、まず冷静になって相手の意見を聞いて考える態度が夫婦には大切だと思います。そして、自分の考え、相手の考えが冷静に判断できるようになれば、自然と事は治まっていきます。
もう一度いいます。夫婦といえども他人同士だから喧嘩はします。ただ、冷静になって相手の言っていることを聞く態度が、全てを解決します。
僕は結婚して幸せにやっている人って見たことないです。自分の両親も不仲で、毎日父親のDVにあっていましたし。
兄夫婦も何度か離婚の危機があったみたいです。
100%合う人間なんかいませんよ。
所詮は他人、と割り切っていつでも自立できる状態にお互いがなっていた方が良いと思います。
どちらかがどちらかに依存しているから、上手く結婚生活を続けられないんじゃないかな?
不仲な夫婦の子供って、毎日親の顔色をびくびくしながら生活をしなければいけないから、心理的にすごいプレッシャーなんです。(自分の事ですけど)。
辛かったなぁ。
いっそ離婚すれば楽になるのにってずっと思っていました。
結婚するときはお互いもう夢中になって勢いでするか、付き合いも長いのでそろそろけじめをつけるのか、子供ができて仕方なくなのか、いろいろあると思います。
が、結婚生活を続けるにあたり私が重要だと思うのは「ケンカはするけど仲直りできる」ということだと思います。
もともと他人なんで意見が違うことがあってあたりまえだし、感情的になってしまうことは誰だってあるわけですから。問題をしこりを残さずに解決できることが一番大事だと思いますね。
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