自分は右翼である、と自覚されている方のみ回答下さい。
靖国問題について。
A級戦犯云々の話は置いておきます。
台湾の戦死者遺族が
「靖国神社が遺族の了承なしに勝手に合祀されて精神的苦痛を受けた」と
訴訟を起こしました。
また以前、キリスト教の自衛官が殉職して、これまた勝手に靖国神社が合祀して、
遺族が訴えた、という事件もありました。
私から見れば、「靖国教」というのは、キリスト教などの他宗教の信者の心に
土足で踏み入って、「合祀するからありがたく思え」と説教しているような
「ゴーマン宗教」「宗教版説教強盗」のように思えるのですが、
ウヨクの方からの合理的な反論をお待ちいたします。
私も含めて。
>「散華」した兵士(徴兵でイヤイヤ従軍した兵士を含む)が
>「全員」靖国に祀られたい、と過信するのは、とんだ思い上がりでは?
じゃあどうすればいいんだ。
誰に聞けば「祀られたい人間と祀られたくない人間」を分けれるの?
「日本軍人として死んだからヤスクニに祀られる」だけの話だよ。
それはそういうものなんだ。
後からごちゃごちゃ理屈を捏ね回すタイプの話じゃないんだ。
どんなに日本人が誠実に論理を展開して議論しようとしても
中国や韓国はただ内政に向かう目を外に向けたいだけだから
話をする必要なし。
神道の起源とか、第二次世界大戦中とそれ以前の神道の扱われ方の違いなんて
彼らは知ろうともしないし、知りたくもない。
ただ海外メディアなどにニュースのねたを売って日本のイメージを悪くしたいだけのように思える。
はじめから喧嘩しに来るつもりの隣人に法を説いても意味がない。
「宗教問題」の間違い
>合祀されている件について、ご遺族の方は、
>靖国神社との間で よく話し合って、
>快くご了承いただきたく思います。
「散華」した兵士(徴兵でイヤイヤ従軍した兵士を含む)が
「全員」靖国に祀られたい、と過信するのは、とんだ思い上がりでは?
>快くご了承いただきたく思います。
「了承」できないんですよね。
少なくとも異民族の王のために死ね、と言われた朝鮮人兵士は、
殆ど了承できないでしょう。
この質問の趣旨は、
「政治問題・軍隊問題」で語られがちな靖国問題は、実は
「週休尾問題じゃないのか?」という問題意識に基づいています。
真の日本人=0.1億人
「日本人の魂」を忘れた無国籍者=1.1億人
べつにこれでいいじゃないですか?
自称「真の日本人」の方々だけで「大日本皇国」をお作りになって、独立して下さい。
我々1.1億人の間で、「本州・四国・九州及び北海道連合国」を作っておきますから。
0.1億人のせいで、「エセ日本人」は、迷惑しています。
頼んでもいないのに、(質問文をろくに読まない回答を)勝手にやってくれちゃってる。
頼んでもいないのに、勝手にやってくれちゃってる。
靖国神社が英霊達を祀る場所と決まっているのですから、
変える必要はないですし、変えることはできないです。
一度祀られた英霊は、とりさげることはできません。
できないと決まっているので できないことでいいと思います。
生きている大部分の日本人の心に歴史の事実が記憶されている限り、
英霊達に無礼なことは許されません。
無宗教の慰霊の施設は 国立であっても作ることはできません。
また歴史の事実を完全に捏造・歪曲・偽造・すり替えされていて、
そのことに気が付こうとしない人はいずれ滅びます。
合祀されている件について、ご遺族の方は、
靖国神社との間で よく話し合って、
快くご了承いただきたく思います。
共産主義者が言ってきているとおりにしてあげたら、
次は どんな要求をしてくると思いますか?
共産主義者の実態を踏まえて 自分の頭でよく考えてみてください。
日本国の英霊達と靖国神社を守ることは、
生きている日本人だけにできることなのです。
日本史の信仰を省みて思うに、rageyさんの意見に賛成です。
・・・あ、まてよ、そもそも保守は右翼か。
(天皇礼賛者や軍国主義者が右翼だという見解が日本ではまかり通っていますが)
宗教について言えば、たぶん日本人(の大部分)と世界が持っている宗教観というのが違うのですよ。
引用されたWikipediaにも記述されているように、神道は古代より日本人の生活概念として溶け込んでいます。
この概念というのはなかなか懐深くて、外国から新たな宗教が入ってきても、日本人は時間をかけて、我が物として受け入れてしまいます。
仏教・キリスト教が日本に入ってきても、本来の概念をかけ離れた形で生活に溶け込んでしまっている(一部の人を除いて)のがその証拠ではないでしょうか。
さらに靖国神社は墓地ではなく、神として祀る場所ですが、これは本来、名誉なことであること。
→生きている人には授与褒章がありますが、それに近いイメージです。
まぁ、日本古来の神の概念は曖昧で緩やかなので、もし祭祀されるのを辞退する場合、他の宗教の神様ならば「この罰当たりめ!」と言われるところを「あらそう、残念ね」くらいしか思われないんじゃないかと。
一つだけrageyさんの意見に指摘させてもらえれば、「菅原道真や平将門や崇徳天皇」は怨霊信仰または御霊信仰から祀られていますね。
生前に強い恨みを残して死んだ人間による祟りを恐れたという理由です。
takokuroさんのポストに対する見解と,わたしの思い描く戦没者慰霊について長々と語らせて下さい.
その前に,上のポストで書いた「自衛官合祀拒否訴訟の最高裁判決全文」を貼っておきます.
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/347A9FD1D4A55C1849256A850...
さて,まず,(1)(2)(3)(5)は見解の相違と言うほかありません.(1)(2)(3)のような事実があっても神道の精神は靖国神社に参拝する人(少なくともわたし)の中には生きています.
(4)の,厚生省が便宜を図った事は確かに政教分離の原則とは反します.しかし当時も,そしてたぶん今も,戦没者を検証する施設の代表が靖国神社であるという既成事実があったという事でしょう.
確かに千鳥ヶ淵も存在していましたが,こういう精神的な場は「伝統」もまた重要なのです.
戦没者,公務災害者を国家が如何に顕彰するか.これは政教分離の原則に於いて歪みを生じるポイントであると考えます.たかだか数十年で,それまでの伝統とは急転回して「政教分離」を完全に達成するなど無理と考えます.
しかし,徐々に千鳥ヶ淵も8月15日の「戦没者慰霊祭」の場所として定着しつつあるのであり,これが新たな伝統となって,「靖国神社=私」「千鳥ヶ淵=公」の棲み分けが100年後くらいには出来ていると良いなと思います.淡い期待ですが.そうなれば,警察官や消防官など,公務に於いて死亡したすべての者を顕彰する場として拡大する事も可能になるのではないか.わたしはそう言う場が必要であると思います.
だがそれが無理であれば靖国が国家の戦没者顕彰の場であり続けるしかないのではないかと思います.
なにを仰りたいのかさっぱりわかりません。
なにを開くと、誰が、どうして、罪人になるのか、そしてその事が台湾戦死者合祀問題や自衛官合祀事件とどう関係するのか具体的に書いてもらえませんか。
一旦開くと、、今、権力の座にある人が罪人になってしまったりするからではないでしょうか?!
①他のすべての神社は神社本庁に加盟して、【神主】の資格がある人が宮司をされてるが、
靖国は神社本庁に加盟もせず、
②神社本庁が指定してる【宮司】の資格や勉強、経験を無い人が、宮司をしている。 元軍人や元政治家、元学者、、
③そもそも、【神社】とか【宮司】や建築形式が神社本庁加盟してる神社の形式を真似て建てているから、混乱が起こっている。。
④神社本庁が認めてきた【神道】とは別個に、ナショナリズムが台頭してきた時期、明治2年6月29日(新暦1869年8月6日)に戊辰戦争での朝廷方戦死者を慰霊するため、東京招魂社として陸軍大村益次郎が創建に奔走した。
西郷隆盛が自殺し西南戦争終わり、大久保利通暗殺され、1879年に「靖国神社」に改称、同時に別格官幣社となった。
戦前までは、神社本庁を管理する内務省ではなく、陸軍省、海軍省で共同管理される特殊な存在で、
しかも国家神道の象徴として捉えられていた。
戦後、GHQの要請で政教分離され、宗教法人となり、政府と切り離される。
1961年、遊就館(当時「宝物遺品館」)に展示するB・C級戦犯の遺書や顔写真の収集について、厚生省が遺族に出品を依頼、神社に便宜を図っていた事が2006年7月に発覚。
⑤設立目的が、神社本庁のように神に対する【信仰】の為ではなく、
近代以降の日本が関係した国内外の事変・戦争で、朝廷側及び日本政府側戦役に付し、戦没した軍人を顕彰・崇敬し、祭【神】としてまつる。。
信教の自由の乱用になってしまいますね.自分の信教の自由を振りかざして,神道を信じる人の信教の自由を冒しています.最高裁の判決文をお読み下さい.信教の自由とは,教会に行ったりするのを妨害されない事,宗教を理由に差別されない事などで,こういった場合の規定はありません.
況や,「他人の信仰が自分たちの信仰に対し精神的苦痛を与えている」などといった理由でやめさせようとするなど,傲慢と言わせて頂きます.
法律だけぢゃないだろと言うかも知れませんが,結局宗教が違う人間同士は価値観がまるっきり違うのだから,こうした齟齬が起きた場合には法律で解決するしかありません.
例えば阪神の選手など,「大明神」とか呼ばれますが,あれも根底にあるのは神道の精神です.そのような場合でも,ファンはいちいちその選手がキリスト教徒なのかどうか調べなくては行けないんですか?
唯一の神を信じる一神教の人たちからすれば、自分や家族が神として扱われることは、自分の信教を冒されることになるんではないですか?
例えば誰かが無断で「itarumurayama神社」を作って勝手にitarumurayamaさんを崇め奉っても良い訳なんですよ.法的にitarumurayamaさんに不利益をもたらさない限り.
Webに例えてみましょうか.
わたしのHPにフレームを作って,itarumurayamaさんの作ったコンテンツをさもわたしのコンテンツのように装ったら,そりゃ問題でしょう.「勝手に信者にする」とはそのような状態です.
しかし,itarumurayamaさんのHPにリンクを張って,「ここは色々勉強になります,ありがとう」とコメントを書いたら?
無断リンク禁止,なんて言うHPは数あれど,誰もそんなもん守っちゃいませんよね.
「一方的に神様として崇め奉る」とはそう言う状態です.
感謝の気持ちを表すのは自由だと思うんですがどうでしょう.
反論になっていないけど、いわしなのでお許しください。
靖国神社の「やりくち」については同様の意見(不満)を持っています。別に右翼だからって靖国神社の遣り方を肯定してはいないのです。彼らは靖国であって右翼ではありません。
そもそも天皇(陛下とはあえてつけません)が参拝できないような状況を作っている靖国神社を支持することはできません。
どうも誤解があるようですが,合祀される人は,合祀される事によって「信者にされてしまう」のではありません.「神様」として一方的に崇め奉られるのです.その時点で本人とはいわば別の,ヴァーチャルな存在が信仰の対象になるので,その人本人の信仰や信条は無関係です.
例えば菅原道真や平将門や崇徳天皇等,日本政府(朝廷)のために非業の死を遂げた人々を祀る神社がたくさん造られましたが,遺族の了解を得ましたか? 本人が仏教徒だから神社を造るのは不当だ,等という声が出ましたか? 神社への寄進を遺族に還元していますか?
祀られる側の意思はまあ,ぶっちゃけて言えば無視です.それを「ありがたく思え」的態度と解釈されるなら,それは個人の思想の自由だし仕方無いですね.
それを何たるか知っている日本人が0.1億人なわけですか。