坂東眞砂子氏のエッセイ「子猫殺し」について。

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http://www.j-cast.com/2006/08/21002622.html

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回答105件)

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反響に対するご本人のご回答が出ましたね… pasosavi2006/08/28 11:58:45ポイント1pt

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2366513/detail?...

以下、ご本人のお言葉のみ抜粋

タヒチ島に住みはじめて8年経ちます。この間、人も動物も含めた意味で『生』ということ、ひいては『死』を深く考えるようになりました。7月から開始した日本経済新聞社紙面、『プロムナード』上での週1回の連載でも、その観点からの主題が自然に出てきました。『子猫殺し』のエッセイは、その線上にあるものです。ことに、ここにおいては、動物にとっては生きるとはなにか、という姿勢から、私の考えを表明しました。それは人間の生、豊穣性にも通じることであり、生きる意味が不明になりつつある現代社会において、大きな問題だと考えているからです。……死から遮断された人々は、死の実感を失ってしまう。…死の実感は生の実感にも通じている。生と死は、互いの色を際立たせる補色のような関係だ。……現代都市生活では獣の死骸はまず見ない。…都市とは、死を排除された空間だ。……渋滞に甘んじる心理は、社会の流れに唯々諾々と従う心理に繋がる。…渋滞は、人が自由に生きたいと思う欲求を無意識に潰す効果を生み出している。……私の男友達は、常々『日本は世界で最高の社会主義国だ』と言っている。個人が国家と融合し、そのため利益のために一丸となって働くということでは、日本人という精神性そのものが社会主義的であるという意味だ。…しかし、これは個人の自由な主張を犠牲にした上で成り立っている美点であることを、私たちは忘れてはいけないのではないだろうか。……日本という国に、日本という社会に精神的にいられなくなってタヒチで暮らすようになった。

#日本が超社会主義、これは同意します。聖徳太子の「和をもって尊となし」から本居宣長を経て国家神道の興隆と衰退を経た今も、日本人は仏教/神道そして儒教によって強化された特有の精神文化のもとにあるようですね… 一方でこの件と子猫殺しとはご本人の精神世界の中では実は全くの別件ではなかろうか(ご本人はこうして煙幕を張っておられますが)、と考えたりもします… 何か訳ありなのでしょう…

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