ケネデイー時代に、アメリカの公立学校でキリスト教を教えなくなったと聞きました。礼拝もしなくなった、とのこと。裁判所での聖書を前にして「誓い」は洋画では見えますが実際はどうなんですか?(この質問は、私がある女性に聞かれたものです。私には答えられなかったので、はてなにお願いすることにしました。宗教に詳しい方、よろしくお願いします。)

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  • 登録:2006/08/29 06:01:58
  • 終了:2006/08/30 20:13:00

回答(4件)

id:aiaina No.1

aiaina回答回数8179ベストアンサー獲得回数1312006/08/29 10:13:06

ポイント15pt

http://www.ogoori.com/usr/local/bin/perl/ezjoho.cgi

アメリカの伝統や文化の大部分はキリスト教の考え方が基盤になっています。

政治や公立学校に宗教的なものを持ち込むべきではないと(法律では)され、学校で行われる「クリスマス・プログラム(発表会)」でさえ、「クリスマス」という言葉は使えず、「冬の発表会」などという言い方が使用されます。歴史の授業でも、BC、AD を教える際、「西暦元年=イエスキリストが生まれた年」とされていますが、「実際にには、西暦元年にはイエス・キリストは3歳だった」という事は、(私は日本の公立学校で、そう学んだことを覚えていますが)アメリカの公立学校では「教えない」のだそうです。息子からこのことを聞いたとき、先生に「何故 そういう事実があることを補足しないのか」と尋ねると、「宗教を教える事になり、問題視されるからだ」という答えが返ってきました。それほど徹底して「宗教の自由」を唱える国でありながら、「自殺は犯罪扱い」(キリスト教では、自殺は禁じられている)だったり、学校の春休みが必ずイースター(復活祭)のシーズンだったり、キリスト教の考えは、特に熱心なキリスト教徒ではない人、無宗教者の中にも残っているのが分かります。

id:ShinRai

ふーん、何か法律でもあるのでしょうか、だから指導が行われているのでしょうか

2006/08/29 20:31:57
id:kyrina No.2

きりな回答回数64ベストアンサー獲得回数32006/08/29 22:43:42

ポイント5pt

政教分離の原則を守ろうとしているからでしょう。

実際に守られているかどうかはまた別の話ですが。

宗教を政治の道具にすると、ろくなことは無いと思ったのではないでしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/kyrina/

id:ShinRai

はあ、なるほど、と

理解できたようなできないような

そもそも政(まつりごと)とは、

本来祀りごと、祭りごとであったはず

宗教と政治は不可分だったんじゃないでしょうか

そんなことよりも、宗教を教えなくなったら、

アメリカ人はどうなったのでしょう

それについてどこかに書いてないでしょうか

英語でもかまいません

2006/08/29 23:57:16
id:adlib No.3

adlib回答回数2000ベストアンサー獲得回数1292006/08/30 03:59:38

ポイント20pt

http://q.hatena.ne.jp/1082978291

 

 人種の坩堝であるアメリカは、四つの宗教に分割されています。

 かりに10人のアメリカ人がいれば、4人がプロテスタント、3人が

カトリック、2人がユダヤ教徒、1人がイスラム教徒でしょう。

 

 それぞれの教義によれば、とくに税金の考え方が違いすぎます。

 プロテスタントが共和党を、カトリックが民主党を支えていましたが、

近年の大統領候補は、宗教的な議論ができないほど行きづまっています。

 

 いまの大統領選挙では、富裕層と貧困層からなる、ユダヤ教徒の票を

取りこまないと勝てなくなり、きわどい接戦が続いています。

(わが国の自民党が、公明党の選挙協力なしに勝てないのと同じです)

 

 われわれが(ハリウッド映画を通じて)イメージするアメリカ人は、

清貧のプロテスタントとか、旧弊なカトリックに限られていましたが、

底辺に貧困層ばかりのイスラム教徒が取り残されているのです。

 

 いまだに、いくつかの州議会で“進化論”論争が続けられています。

 カトリックでは“奇跡”を認めるので“進化論”を仮説としています。

 ユダヤ教やイスラム教にとって“進化論”は許しがたい邪説です。

 

 アメリカ合衆国では、各州ごとに法律が異なり、教育もバラバラです。

 一説に、8割の公立高校で“進化論”を教えないため、多くの大学生

は独学で“進化論”を学ぶらしいのです。

 

 そして、ひとにぎりの政界や財界のエリートたちが信じているのは、

資本主義と市場原理です。古代史を持たない国家において、季節ごとに

豊作を祈ったり、雨乞いをする文化は存在しないのです。

id:ShinRai

わかりやすいですね、ありがとうございました

2006/08/30 20:07:06
id:nofrills No.4

nofrills回答回数874ベストアンサー獲得回数1592006/08/30 07:58:15

ポイント50pt

アメリカについていえば、非常に大まかなところでは、「すべてのアメリカ人がキリスト教徒ではない」ということに尽きるのではないかと思います。例えば、クリスマスから新年の休暇のことは「冬休み(Winter Holiday)」と言いますが、クリスチャンにとっての「クリスマス」の時期は、ユダヤ教徒にとっては「ハヌカ」で、アフリカンにとっては「クワンザ」だったりします。

http://www.waterborolibrary.org/christm.htm


また、同じ「キリスト教」でも宗派によってお祈りの仕方が違うなどしていますから(日本の仏教で宗派によってお経が異なるように)、「すべてのアメリカ人のため」のものである公立学校でカトリックの子が福音派のお祈りを強制されれば、問題になります。ケネディ政権下で公教育における礼拝が行なわれなくなったのは、このような、キリスト教内部での相違点がそもそもの出発点だったと思います。


学校での礼拝などが合衆国憲法上でどうなっているかは下記に書かれています(英語です)。文中に、学校での聖書の扱いについてのthe US Supreme Courtの判断も書かれています。

http://www.religioustolerance.org/ps_pra9.htm#notok

http://www.religioustolerance.org/ps_pra9.htm#land


なお、上記リンク先に

1962: The Supreme Court, in Engel v. Vitale, disallowed a government-composed, nondenominational "Regents" prayer which was recited by students.

1963: In a number of major decisions (Murray v. Curlett; Abington Township School district v. Schempp) mandatory Bible verse recitation was ruled unconstitutional.

とありますが、これがケネディ政権下での出来事ですね(ケネディ暗殺は1963年11月22日なので、正確にはMurray v. Curlettなどの日時を調べなければなりませんが)。


ケネディの時代といえば、アメリカではracial integrationが大きく進められた時期です。また、当時のアメリカではカトリックは差別されていて、ケネディ(カトリック)が大統領になったことで変わった点もあるかもしれません。

http://en.wikipedia.org/wiki/Racial_integration

http://www.lifeintheusa.com/religion/discrimination.htm


アメリカにおける公教育と宗教については、下記にほかにも解説がいくつかあります。

http://www.religioustolerance.org/ps_pray.htm


蛇足ながら、合衆国憲法と宗教(神)については、下記に、歴史的資料を多く引用した解説があります。「政教分離」は合衆国憲法修正第1条(1790年ごろ)ですが、これは「合衆国は国教をもたない」ということです。

http://www.rbvincent.com/usconstitution.htm

id:ShinRai

ありがとうございました。ケネディー時代に意味があったのですね

2006/08/30 20:11:12

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