http://ja.wikipedia.org/wiki/SUPERCAR
ここの来歴を見るのが早いかと。
砂原がプロデュースのYUMEGIWA~が映画ピンポンで売れて、知名度もあがってしまったのでそっち路線にいったままになっちゃったのかな~と思っていました。初期のギターポップな感じとか好きだったので…。
憶測も含めて書きますんで、意向に沿わないようでしたらポイントはゼロで結構です。
スーパーカーは「HIVISION」に至るまでに、「スリーアウトチェンジ」「Jump Up」「OOYeah!!」「OOKeah!!」「Futurama」と、5枚のアルバムを出してますが、デビュー前にかなりの曲のストックを持っていたため、「OOYeah!!」「OOKeah!!」までの4枚は曲のストックを小出しにしながら制作していた、という風に記憶してます。そのため、「OOYeah!!」「OOKeah!!」までと、「Futurama」では、その楽曲を作った時期にだいぶ差があります。
その(「HIVISION」の前作に当たる)「Futurama」ですが、ちょうどバンド・サウンドとエレクトロ・サウンドを融合させた実験作のようなアルバムで、この頃の(たしかロッキンオン・ジャパンの)インタビューでスーパーカーのボーカル/ソングライター・中村弘二がこのアルバムのリードシングル「FAIRWAY」について「ロックバンドが四つ打ちで曲作ってもいいよね」って語っていました。要はこの頃すでにエレクトロ・サウンドへの興味がかなりあったという事だと思います。
そして「HIVISION」、「ANSWER」とエレクトロ・サウンドのアルバムが続いていってスーパーカーは解散してしまうのですが、当時の中村弘二のスーパーカー時代のソロ名義「NYANTORA」や、スーパーカー解散後の現在の名義「iLL」では完全にエレクトロ・サウンドが前面に出ているため、結局はスーパーカーの全作曲を手がけていた彼がこのようなサウンドに興味があったために、バンド全体が「Futurama」の頃からこのような方向にシフトしていったんだと思います。
余談になりますが、ちょうどこの頃のロックシーンってまだUKリヴァイバルなんかも始まる前で、スーパーカーのような「UKロックもUSオルタナティヴもひっくるめたシーン」はRADIOHEADが牽引してた頃だと思うんですよね。そのRADIOHEADの2000年作「KID A」がエレクトロサウンドを全面に出したサウンドだったので、世界のいろんなバンドがこのような方向にシフトしていき、エレクトロ・サウンドを融合させたロックというものが受け入れやすい風潮だったというのも要因のひとつではないでしょうか。よくスーパーカーと同じジャンルにカテゴライズされるくるりのエレクトロ・ポップの代表曲「ワールズエンド・スーパーノヴァ」なんかもこの頃だったように思います。
音色に関してはプロディースを担当した、砂原良徳と益子樹(ROVO)の影響が大きいと思います。
バンドのメンバーがどう思ってこのような方向に進んでいったのか僕はわかりませんが、スーパーカーが’00年にリリースしたFuturamaがスリーアウトチェンジのシューゲイザーと呼ばれるバンドサウンドとHIVISIONのようなロック×エレクトロニカ的楽曲のちょうど中間のようなサウンドなので、レディオヘッド、ビョークなどが、ロックからエレクトロニカへ音楽のスタイルをシフトしていったように、スーパーカー(特に作曲をしていたナカコー)も純粋なロックよりもHIVISION的なエレクトロニカ・サウンドに興味を惹かれたのかもしれません。*あくまでも主観です。
ロックとエレクトロニカをまぜたようなポストロックのことをまとめたページを以前作ったので良かったら読んでみてください!
http://collabospace.sakura.ne.jp/issue/2006/08/post_rock.html
forcutieさんも紹介されているiLLの楽曲はHIVISIONよりもさらに電子音サウンドになっていて、ナカコーがスーパーカーではできなかった音楽を作っていますよ!
こちらも手前味噌ですがiLLの作品の感想を書いています、参考にならないかもしれませんが…
推測部分を私は判断できなくて申し訳ないのですがこういう回答を待っていました。
もともと中村弘二氏がエレクトロサウンドに興味があったということなんですね。