たどっていくと、友人、教師、近所の方などに
私は敬遠されてきたように思うのです。 被害妄想ではなく、よく誰にでも好かれる人気者っていますよね。 私は不人気者だったんだなって思うのです。だからって私は人気者になろうと努力することはしません。 好かれなくても、決っして嫌われてもいないからです。 最近そんなことを時々考えています
人に好かれたいという気持ちは自然だと思います。
人気者には、今からなれないと思うから努力はしないと私は思っています。
各自が持っている性格や、生い立ちで好かれる人、そうでない人がいるという事実。
もって生まれた性格、そして育った環境から生じてくるものなのかな、と思っています。
私の周囲には、とても好感な方っています。 生い立ちなのか,生来持って生まれたものなのか?
なぜ、そんなことを考えるかって、わかりません。 いずれなぜあんなこと考えていたんだろうって
思う日が来るのでしょう。 わたしはPTA会長、町内のお世話もしていますから、他人の付き合いは
しりごみはしていないと思います。 皆さんはこんなこと考えないですか? 自分は他人にどう
思われているかなってことを ……
私はできるだけ好かれたい願望がありますよ。
ただうまくはいかないのですが。。
きっとあなたの親がもたらしたことだと思います。
同じような境遇にいると思います。
ただ、それを気づいていないのか、気づいてもなお、あなたと同じく不満にも思っていないのか・・・
さみしいのは嫌だけど、必要以上に干渉されるのはいやだと思ってしまうので相手からは敬遠されるように感じます。やはり好かれるためには少しは努力しなきゃいけないかもしれませんね。
私も人生50歳を越えたころから色々自分の人生を振り返ることが多くなりました。皆さんもそうではないでしょうか。それまでは多かれ少なかれ、みんな一生懸命だったので回りを気に出来ない場合もあるのではないでしょうか。人生その人によって色々な環境の違いでたまたまあなたの場合はそう感じる?または本当にそうだっただけではないでしょうか。でも今あなたがその様に認識したと言うことは、これからのあなたの人生の参考になると思えばいいと思います。50歳位ですばらしい人生だったと思える人はそれ程多いはず無いと思いますよ。どのような人生を送りたいかは此れからでも考え直せるし、まだまだ人生長いですよ。
周りから好かれるようになればいいんじゃないでしょうか
私もそう思います。特に女性には一所懸命人に好かれようとするあまり、「心理的バリア」を低くしすぎてひっちゃかめっちゃかになる人がいます。誰にでも人気者ということは誰にとっても同じ存在ということで、言い換えれば誰にとってもどうでもいい存在でもあると思われます。それよりは多少人に敬遠されようが、次第に自分の良さをわかってくれて、仲を深めていく方が濃い仲だし、意味のある関係ではないでしょうか。個人的にはそのような人間関係の方が好ましいです。
みんなに常に囲まれている人もいれば、少人数が常にそばにいるという人もいます。私はどちらも幸せだと思います。
誰にも相手にされないわけでもないわけだし。
あと本人が幸せと思えばいいんじゃないんですかね。
人の性格は自分が思っていないことが、伝わったりします。
「そんなこと言っていないし、そんなつもりではない …… 」と
弁解をしたことが何度もあります。 「この前、そう言ったじゃないの」
と妻から言われ「そんなつもりで言っていない」という会話が続く。
気持ちをうまく言い表せない頭の悪さなのか?
これが他人に敬遠されているのかも知れません。 だって「良い人ね、まじめね」
といわれることも多いのですから
私は受け入れるタイプだと思いますが、しっかりと他の方の意見を
聞いていないのかもしれないな、と思うことはあります。
よく、ドラマなどで生涯に亘って影響を与えられる教師にめぐり合う
シーンってありますが、 私にはまったく無かったし、私も教師に何かを
期待したことは無かったように思います。 この気持ちが相手に伝わるのだろうと
思いますね。 団塊の世代で教師が一人ひとりにかかわっていられない時代では
ありませんでしたが、その頃でも、教師に寵愛を受ける子はいました。
私にはそれがなかったというだけの話かもしれません。
私はPTA会長をしたときにトラブルを生じたとき、妻に「あまり好かれるタイプと自分を
思わないことね」という言葉が、ずっと頭にこびりついています。 「これは自分のせいか?」
と自問が続く …… でもこの言葉は妻しか言えない言葉です。 ありがたいと今も思っています。
O型です。 全般的にしっかりとしたまとめ方が出来ず
失敗が多いです。 何か事が寸前で終わろうとするときに
次のことに頭が占有されて、前のことが壊れたり、完成
しなかったり …… でも妻もO型なのに、ゆっくり
だけど、しっかりと終わらせることが出来ます。 訓練なのかも
小さい頃からあなたが友人、教師、近所の方などを
敬遠してきてませんか?
鏡の法則で、あなたが他の人を見ているように、他の人からあなたは見られていますよ。
大切な人をみつけ、その人を家庭を築くということに幸せを感じる人もいれば、多くの友達を持ち、その友人に囲まれてすごすことが幸せという人もいますよね。しかし、人はそれぞれ価値観が違うもの。あなたが今幸せであればそれが一番だと思います。後悔のない、「今」を楽しむことのできるあなたが重要なのではないでしょうか?(根本的に・・・)
人生の中では、何かを得るには何かを失うということがあります。誰からも嫌われてない人生で得た代償は、誰にも本当の自分を理解してもらえなかった人生ではないでしょうか。
B型ですか
きっと50を過ぎるまでは、ひたすら日々の生活、人生を前へ進むことに一生懸命で、自分が周りから好かれているかどうかなんてあまり気にも留めていなかったのでしょうね。嫌われていれば、仕事や生活にいろいろ支障も齟齬も出るかもしれないけど、そういうわけでもないし。高度成長期やバブルを体験された世代ですから、ひたすら仕事さえしていれば毎日困ることはなかった、そんな感じではないでしょうか。
そして、仕事をガンガンしていく年齢も過ぎ、ちょっとホッと一息ついてみて、はじめて自分の来し方や周りの人々に目をやる余裕をもてた、ということなのかしら、と感じます。
こんな感じで、なんとなく質問文を読んで感じたことをコメントすればよろしいでしょうか。
「こういう考え方ってどう思いますか?」を最後につけ忘れたとか。
という前提で回答させてもらういますと、質問者さんに比べて、わたしはまだ30代後半の若造ですが、仕事で人気者とまではいかなくても、いい人という印象をもってもらわないとまずいシュチュエーションになることが結構あり、そういうのが苦手なので非常にしんどいです。質問者さんの言われる「嫌われてない」というレベルでも、私はそう思ってもらえる自信がありません。
努力しなくてもよいならうらやましいですね。
あくまで意訳(?)ですが、何か他人との付き合いに関してしりごみされている印象を与える書き方だな、と感じました。本当は好かれたいんですよね? そもそもコミュニケーションを求めていなければここに独り言を書くことはないでしょうし。
年齢を重ねると、時々人生を振り返りたくなりますよね。
僕は20代半ばまでは、過去を忘れるようにがむしゃらに前進しましたが、30代半ばに差し掛かり、過去を振り返ることが多くなったような気がします。
たまに、こうして過去を振り返るのもいいことです。
でも、未来を見ることもお忘れになりませぬように(^_-)v
皆さんは自分が、他人にどう感じられているのかなって思ったことはありませんか
「人がどうおもっているかなって考えることがおかしい」という意見もあるし、
そんなこと気にしないという方もいらっしゃるでしょうが、これから生きていくうえで
しっかり考えて、自分を変えるのか、変えないのかを考えていくのは大事ですよ。
社会生活では「他人がど考えているかな、なんて考えるだけ無駄という」ことは
力になると思うんです。 今日体育大会で審査委員長をしたのですけれど、我を忘れて
頑張って、皆さんに激励されました。 自分のことを知ることが力になるんだって
実感した日でした。