最近説明するのが時間の無駄でめんどくさいです。
ここでいうあほというのは学力的なものでなく、精神的に未熟な人々で、人に迷惑かけてるのに気づかない人々です。(逆に学歴の高い連中に多いかもしれません。)そして話を聞かない人です。相手にしたくないのでが、一定期間の周期でどこの場面でも現れますが、正直「バカの壁」に疲れました。。
ありがとうございます。おっしゃるとおりです。そういう解釈されてもいたし方ありません。
相対的に違う、というレベルではなく、前述した遅刻などの例のように
たくさんの人に対して再三、迷惑をかけているにもかかわらず、
反省の色なく、ふてぶてしく自己弁護に終始する人です。
何回もそれが続くと、本質はそうでないだろうと信頼していた
方はがっかりしてしまいます。またこのタイプかと。
罰則規定など使わないと直らないというレベルで付き合わないといけないのかと。
自分は往々にして至らない面がありますが、一応それはわかって補うようにしており、それでも迷惑を
かける場合はやはり相手に対して済まないという気持ちをなんとか持つよう努力しようとはしています。
何か点で著しい成功体験を持った人は、そういう意識を持ちにくいものなのかなあと
思い高学歴に多いと書きました。すみません。何か文字だけに捕らわれて話をする傾向が
中途半端に試験勉強した人には多い気がします。本質の学習はそうではないのに。
どちらが正しいという議論でなく、すまない気持ちを表せばそれで済むだけの話で
なんで自分が相手に迷惑をかけて正しいとなるのかが理解できません。
自分の立場が危うくなってはじめて気づくのにも落胆します。
ちゃちゃのような投稿をしてしまった ksh です。
すいませんでした。
コメントさせてください。
>罰則規定など使わないと直らないというレベルで付き合わないといけないのかと。
罰則規定というのは、人を組織に順応させるためにあるのではなく、順応できない人を外す理由に使うものだと思っています。
私はプロジェクトリーダーをやっていますが、規定を守れない人間は相応にして、仕事のアウトプットも悪いことが多いです(逆に出来る人は例外となるよう尽力します)
能力ゆえに同じところに居れない人と同じところにいるのは百害あって一理ありませんし、相手も心の中では居心地の悪さを感じているかもしれません。
あと気になったんですが
>迷惑をかける場合はやはり相手に対して済まないという気持ちをなんとか持つよう努力しようとはしています。
迷惑をかけたとき、相手に対してすまないという気持ちは、自然に出てくるものであって、持つように努力するようなものではないですし、そうでなければ、結局表面的な反省でしかないと思いますが、どうでしょうか。
kuma-ismさんの文章を読んでいると、ちょっと混乱されているような気がしないでもないです。一度落ち着いて考えをまとめられてみてはどうでしょうか。
>罰則規定というのは、人を組織に順応させるためにあるのではなく、順応できない人を外す理由に使うものだと思っています。
これは新しい発見です。ありがとうございます。
お詫びの気持ちは自然に出てきますが、人間ですから、こんなにしてるのに
という気持ちも時折でてくる時があるのだろうと…彼の立場を想定してみて書いて
見ました。あまりそういう事はないけれど、人間だからそういう気持ちがでてくる
こともある。けど、そこは相手の実害を考えて、その気持ちを変えていく努力というものは理性を持ってやっていくべきだという考えのつもりで書きました。
私の質問のタイトルがもう病んでいますので(笑)、誤解は致し方ありません。
>罰則規定など使わないと直らないというレベルで付き合わないといけないのかと。
これはもうしょうがないと言うしかないですね。
自分の権利を主張するがあまり、他人の権利を侵害している事に鈍感な人間というのは少なからず存在しますし、かく言う私も気付いてない部分で他人の権利を侵害している可能性もあるわけです。
まずは、遅刻する事で損害を被っている事を相手に伝えて、それでも再三遅刻するようであれば、罰則や規程で縛るしかありません。
(遅刻は例ですが)
そこまでは同意できるのですが、やはり「高学歴に多い」という所はいまいち説得力が無いと思います。
もちろん、kuma-ism さんの印象という事なので否定はしませんが、それだけで俗に言う「高学歴」の人に対して先見の目をもつと kuma-ism さん自信の視野や社会性も狭くなってしまうと思います。
ただ、「試験勉強」だけが目的で本来の「学ぶ事」を知らない人間というのは居るのかもしれません。
一つ気になったのは、
> 本質はそうでないだろうと信頼していた方はがっかりしてしまいます
> 自分の立場が危うくなってはじめて気づくのにも落胆します。
というのは、過度の期待を相手に強要している可能性もあるのではないか?と感じました。(これは個人的な感想ですが)
勿論、仲のよい相手や仕事のパートナーやチームのメンバーに期待するのは仕方の無い事ですが、そのとおりに従わないからといって、がっかりする事はないと思いますし、事実は事実だと受け止めるほうがよいのではないかと思います。
本当は遅刻しなければならない重大な理由を秘めているのかもしれませんし、ただの寝坊かもしれません。
しかし、我々は他の個人の内面までは判断できず、外面で判断するしかありません。
そういうことです。
相手に過度に期待している点は否めません。
若いころの理想主義というか、すべての人と腹割って話し合えば、一定レベルで、ある程度はわかりあえるはずであるという認識がありました。その名残りでしょう。
些細な失敗で距離を置いて、こういう人間だと決めてかかるのは失礼であるという認識が最初にあるので、失敗も訳があるだろうと許す甘さがあります。
ところが、ある一定の許容範囲を超え、実害が重なってくるとやっぱり、このタイプの人間かと…がっかりしてしまいます。許し方が中途半端なのかもしれません。はじめから間合いを遠くした方がいいのだと思いますし、人間や自分に対する認識も甘いとは感じています。
学歴に関しては「あほ」=頭の回転や記憶力、職務遂行能力がないという勘違いが
なされると思い、質問のような記述にしました。
もちろん受験勉強を続ける中で養われた自己管理能力や、教師に教えを請う過程でしっかり身に着けた礼儀、上には上がいるという高いレベルでの競争で培われた謙虚さと自信を兼ね備えたバランスの取れた人格を持った方もいるということは認識しています。
まぁ、半分冗談ですが、半分本気です。
学歴の高い連中に多いと根拠の無い関連をあげ、公の場で不特定多数を「あほ」呼ばわりし、「私は違うのですが」と棚に上げた質問は、ある意味では「あほ」と他人に思われているのかもしれません。
しかし、言いたい事はわからんでもないので、全てを否定するつもりではありません。
世の中、ソリが合わないというレベルでは語れない人間がいる事でしょう。
なるべくなら、接しないようにしたいものですが、職業上の都合などで仕方なく付き合わねばならない場合は、うまくはぐらかす術を身に付ける必要があるかもしれません。
それも叶わないようなら、その環境から自力で何とかして抜け出す努力をすべきでしょう。
「バカの壁」を嘆くだけなら誰でもできるのですから。
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