できる生徒ができない生徒に教えるという授業スタイルを提唱している人はいるでしょうか?

クラス内の学力の差がある場合に、数学などでは特にできる生徒はすぐに終わってしまいますが、できない生徒はずっとできないままなので、できる生徒にできない生徒を教えるようにするとよいという事例を聞いています。更にこの状況を活用して、できる生徒ができない生徒に教える授業スタイルがあるのかを知りたいのです。

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  • 登録:2006/09/24 01:13:04
  • 終了:2006/10/01 01:15:04

回答(6件)

id:MC2 No.1

MC2回答回数77ベストアンサー獲得回数12006/09/24 01:42:09

ポイント19pt

できる生徒ができない生徒を教えるというコンセプトは賛同します。

アメリカに留学したときには、tutorという制度があって、大学で、4年生が一年生に教えたりします。

ここで、一番キーになるのは、教えられる側の感情だと思います。もちろん同級生なので、教えてもらうことに抵抗がある場合もあると思います。これをうまくどうマネージできるかが先生のうでのみせどころではないでしょうか?お互いが助け合える環境を作ってあげるのが大事だと思います

逆に、最近、平等=みんなとおんなじという考えがはびこっていますが、これっておかしいとおもうんですよ。人間得て不得手があるわけで、ある生徒が算数で助けたら、ほかの生徒は国語で助ける。そういう助け合いをできる方向にもっていければ、非常によいシステムができると思います。

そういう、お互いが傲慢になったり、ぎすぎすするのではなくて、助け合えるシステムを作ることができれば、子供の成長にとっても有意義だと思います。

結局自分が何が得意か知り、苦手なことは助けてもらえる人を知っておくということは、社会で働いてからも非常に重要だとおもいます。

http://q.hatena.ne.jp/answer

id:flowerhill No.2

flowerhill回答回数34ベストアンサー獲得回数32006/09/24 02:00:32

ポイント19pt

http://www.google.co.jp

URLはdummyです。

提唱と言う程の事ではないと思いますが、私が小学生の頃の先生に課題を出した際は「終わった人は終わっていない人に教えなさい」というルールを作っている先生がいました。質問にあるスタイルに近いように思います。


教え方の上手い下手は年齢に関係の無い様な気もします。

その時の先生は解らなかった生徒に何が解らなかったか聞いたり、教え方の上手い生徒の横にいて、その教え方をずっと聞いたりしてました。


授業がずっとそうだったわけでは無く課題、教科書にある問題を解く時だけそうでした。

小学生なのでそれで成績がどうなったという事はよく解りませんが、どちらかと言えば教える側だった人間としては、そのシステムは楽しかったです。

id:ayame2001 No.3

ayame2001回答回数456ベストアンサー獲得回数332006/09/24 02:12:25

ポイント18pt

以前回答させていただいた中学英語の田尻先生がそうでした。

http://q.hatena.ne.jp/1157639389

上記の場合、授業の一部を完全に出来る数人の生徒に任せていました。テレビで見た限りでは4~5人いて、一対一の個別指導の際は黒板を背にして前方に机を並べその前に受けたい生徒が行列を作る。 たしかに生徒によっては(特に男女間)この人に習いたいとかあの人は嫌だと選り好みがあるようで男女それぞれ2~3人ずつの教師役の生徒の前に列をなし(人気の大小がわかる)、小テストやわからないところを教えてもらってました。またある時は、班毎に集まった教室や机間指導。皆のノートを覗き込んだり質問に答えてました。


指導点としての課題は

1)誰をどの様な形で教師役に選ぶか?

上記の場合、田尻先生が単元ごとに希望者に小テストを行い、合格点を取った生徒のみに教師役をさせてました。教師役が嫌な生徒はどうするのか。成績優秀であればそれでも割り当てるのか。本人の意志はどうするか。生徒の人間性をどう伸ばすか教科指導だけでなく、精神面の指導も絡んでくる問題だと思います。

2)適切な指導を行なえているかどうかの確認。 教師役の生徒が間違った事を教えていないかどうか。その状況をどう掴み、フォローするのか。生徒のプライドを傷つける可能性はないか。 この点を防ぐためにはやはり単元ごとに細かく区切って教師役を設定する方がよいかと想像してます。


その他

http://www.nctd.go.jp/O_kyouiku/kyouiku_o1-12_01.html

http://www.urasoe.ed.jp/uranishi-j/eigo15nen.html

http://www.shiramizu.org/~sineiken/activity/reikai/report/2002/s...

id:pasosavi No.4

pasosavi回答回数761ベストアンサー獲得回数282006/09/24 02:33:36

ポイント18pt

中学生が小学生に理科を教えるという試みはあるようです。

http://www.sony-ef.or.jp/science/2001_hyouka/takasu.html

コンピュータ関連授業では生徒が生徒を教える場が作りやすいようです。

例 http://www.kozuki.or.jp/ronbun/2002/hayashi/3.html


数学ですか…可能かもしれませんが…

貴殿が魁となられてその模様をネット上にご報告になると

この分野ももう少し活気が出てくるかもです…


余談:

随分前に塾の講師(数学も含む)をしておりましたが

その時に講師の間で流行っていた教え方に関する本の中に

「子供が分かったというのはすべてを理解したということではない」云々

という一節があったことを思い出しました…

できる生徒であっても理解の程度は当然千差万別で

類似の概念や解法をすぐに関連付けできる生徒(適正がある)もいれば

設問の枠内での解法を辿る術に長けた生徒(要領がいい)もおり

後者の生徒の育成がいわば塾としての努力目標であったわけですが

できない生徒というのは

この枠でこの解法をこう使うという前提自体がよく分からなかったりして

(枠を識別できない/解法そのものが理解できない

下手をすると数学年前の概念の理解を共に遡って確認する

ということをせざるを得ませんでした…

これをできる生徒に任せるのは…どうなんでしょうか…

(親か教師であればせざるを得ないしすべきでしょうが

少し大変過ぎるような気がしないでも


> できる生徒にできない生徒を教えるようにするとよいという事例

できない生徒の半数ぐらいは助けられるでしょうね

問題は残りの半数でしょう…(その中でも恐らく数人は遡りが必要)

> 更にこの状況を活用して

大変興味深いアイデアではあると思います :-)

できる生徒の中でも何人かはこの試験にクリアするかも

自身の理解も増すことになるので一石二鳥でしょう

事例はネット上ではまだ確認できませんが


でもですね…

分かっている人が分からない人の分からなさを理解するというのは

どんな分野でもやはり難儀なことかと

(分からないという経験をしたことのない人は

 分からないという状態になぜ陥っているのかが極めて分かりにくく

 なぜそういう状態に陥っているかを理解できても

 それを超えるためにどんな助けを与えたらいいのか

 自分は簡単に超えているのでやはり極めて分かりにくい

id:isogaya

sony が面白いことやっているんですね。

出来る子が出来ない子に教えるのは 課題はいろいろあるようですね。それを乗り越えるための智恵の共有があるとかなりすごいことになるような気がします。

2006/09/24 10:19:17
id:syuh No.5

syuh回答回数5ベストアンサー獲得回数02006/09/24 09:09:56

ポイント18pt

http://www.hatena.ne.jp/

URLはダミーです。

うちの学校では、少し前に、同級生ですが、英語の出来る生徒が授業をしたことがあります。

他にも、上級生が下級生に教えると言った例は、テレビなどでも比較的多く紹介されています。

が、出来る生徒が授業をする形態は少ないと思われます。

(前述の英語もかなり特殊な状況でした)

id:isogaya

きちんと研究しているケースはないのでしょうか? もう少し回答まちます。

2006/09/24 10:18:18
id:tadatarai No.6

ただたらい回答回数606ベストアンサー獲得回数372006/09/25 13:38:45

ポイント18pt

研究しているケースということで、回答させて頂きます。

ヴィゴツキーらが提唱した「社会的構成主義(=知識は伝達されるものではなく、個々人が持っているものである)」という立場にのっとった教授法があります。

A.ブラウンらが提唱している「相互教授法(reciprocal teaching)」です。

これはもともと、読解能力を高めるために、グループで役割を決め、その役割を変えることにより、さらなる理解を深めるというものです。

詳しくは

http://beatiii.jp/beating/017.html

http://www.greece.k12.ny.us/instruction/ela/6-12/Reading/Reading...(英語)

などをご覧ください。


やはり、日本の教育では、「できる子」「できない子」を決めるのはなかなか難しいと思いますので、こうして役割を回すことによって決めることを回避できると思います。

また、isogayaさんも書かれているように、「智恵」は「できる」「できない」に関わらずあるはずで、それを共有できる仕組みの一つが、「役割分担とその交換」かな、と思いました。

なお、ご存じとは思いますが、やはり教育は教授者が学習者に伝授するものという考えがまだ大多数とは思いますが、一部、このように学習者同士のコミュニケーションや、教授者以外の支援者(地域の人、専門家、他の学校)などとのコラボレーションなども始まっているようですね。

「智恵の共有」に期待したいところです。

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