夕暮れのブランコを押してもらうのは、母がいいですね。
2歳か3歳くらいの頃のうっすらととした記憶しかないので。
昔住んでいた家は、目の前が小さな公園でした。
遊具はブランコと鉄棒だけ。
小さな私はまだ鉄棒に手が届きません。
そもそも鉄棒という概念もありません。
公園といえばブランコ。
広い広い公園に揺れる一基のブランコ。
母との記憶は病院がほとんど。
唯一遊んだ記憶は公園、ブランコ。
二十歳をすぎてからその公園を見つけました。
家はもちろん取り壊されて、知らない人が住んでいます。
公園もものすごく小さかった。
正方形で一編50メートルくらい。
あんなに広かったのに。
ぽつんとブランコは残っていました。
記憶では赤かったのですが、塗り替えられたのか
鮮やかな青色になっていました。
2人の兄です。
昨年相次いで亡くなりました。
私は小さいとき両親と離れて養護施設(孤児院)に入れられていました。
兄弟3人で入っていたので、そんなに淋しくなかったのですが、やはり
小さい頃に両親がいないと夜泣いていた事もありました。
2人の兄がいなければ毎日泣いていたかもしれません。
けんかばかりしていましたが、何かあると3人一緒でした。
そこの施設には小さな広場があって、みんなで野球をしたり鬼ごっこや
缶けりをして遊びました。
ブランコも広場の隅にあって、兄弟3人でブランコを漕いだ記憶があり
ます。 小さな私は兄にブランコを押してもらっていました。
もう30年以上前の話です。
ありがとうございました。
私が小学生のときに他界したひいおばあさんはとても優しくしてくれました。
両親が余りにも厳しかったので、子供のころ実は自分はひいおばあさんの子ではないかと考えていたこともあります。
今となってはあり得ないとわかりますが、当時は本気でした。
そのおばあさんが亡くなったとき私は初めて人の死によって泣きました。
父は「子供が泣いた」という理由だけで暴力を振るう人だったので、勉強しているふりをしながら、とめどなく流れる涙をカーテンで拭きました。
ハンカチは持たされていませんでしたし、服が濡れていたら、それだけで殴られるかもしれなかったからです。
もちろん、そのおばあさんに夕暮れの公園でブランコを押してもらいたいです。
ありがとうございました。
夕暮れのブランコを押してもらうのは、母がいいですね。
2歳か3歳くらいの頃のうっすらととした記憶しかないので。
昔住んでいた家は、目の前が小さな公園でした。
遊具はブランコと鉄棒だけ。
小さな私はまだ鉄棒に手が届きません。
そもそも鉄棒という概念もありません。
公園といえばブランコ。
広い広い公園に揺れる一基のブランコ。
母との記憶は病院がほとんど。
唯一遊んだ記憶は公園、ブランコ。
二十歳をすぎてからその公園を見つけました。
家はもちろん取り壊されて、知らない人が住んでいます。
公園もものすごく小さかった。
正方形で一編50メートルくらい。
あんなに広かったのに。
ぽつんとブランコは残っていました。
記憶では赤かったのですが、塗り替えられたのか
鮮やかな青色になっていました。
ありがとうございました。
きっとほかの人とかぶると思いますが、今は亡き父親です。父はよく私と遊んでくれました。笑顔が素敵な人で、私と遊んでいると、とてもうれしそうな顔をしてくれました。
でも段々大きくなってくると、男の子は親から独立しないとかっこわるいみたいな考え方が生まれてきます。そして私は段々、父との一緒の時間を避けるようになってしまいました。
そう、ぶらんこ、小さな頃、父が押してくれました。あの時に戻りたいです。そして、お父さん大好きだ!!と叫びたいです。もう今は・・・・できません。
もう一人いるとすれば、それは小学校の頃に親友と呼び合っていた友達です。そいつは途中から転校してきたやつで、私とそいつは、いっぺんで気が合いました。そして、その頃すごく親友というものに憧れていたので、お互い親友の契りを結びました。
それから私たちは、親友というのは義兄弟だ、義兄弟というのは兄弟だ、兄弟は同じ物を一緒に食える間柄なんだとか勝手に二人で考えて、いつも一つのパンを半分ずつ食べ合ったり、しまいには一つの飴を交互になめる(ぎゃっ!!)なんていうことまでやっていました。そういう無二の関係というのに憧れていたんです。
今でも思い出します。公園でぼーっとベンチに座りながら眺めた夕日。あの頃、私たちは親友でありながらライバルでもありましたから(親友というのは良きライバルでもあるべきだという思い込み激しき年頃です)、ぶらんこも、どちらがより大きくこげるかを競い合っていました。
今なら、私がやつの背中を押してやりたい。そして自分の背中をやつに押してもらいたいと思います。大人になってからは、まだ一度も再開したことのない友達です。
ありがとうございました。
お父さんです
もう亡くなって10年になります
私の父はいわゆるモーレツサラリーマンでして
家には真夜中に帰ってきて寝るだけでしたから
遊んでもらったような記憶がありません
だからそんな父はどういう人かよくわからず
家族だけど遠い人でした
だけど大人になるにつれて
父は父なりのやりかたで子どもをかわいがっていたということに気づきました
だからもう一度子どもに戻って(身体は大人のままでもね!)
父の愛情を感じてみたいと思います
ありがとうございました。
未だ見ぬ未来の旦那さん に押してもらいたいです。
夕暮れから公園で話しだし、気づいたら夜中まで話し込んでいた
という設定で、空に満天の星が広がっていたら良いですね。
帰りは閉店まぎわのスーパーにちょっと寄って、一緒に買い物して
帰る。想像の中では二人はずっと笑顔です。
....いつか現れるかなあ とぼんやり。
ありがとうございました(^^)
お母さんがいいですね。
ブランコを押してもらった記憶は正直なところないのですが、今の心をもったまま5歳くらいの体になって、お母さんにブランコを押してもらいたいですね。
ありがとうございました。
おじいちゃん
押してもらう機会がありませんでした
母方の祖父祖母と、父方の祖母は私の出生以前に死亡しております。
最後に残った父方の祖父は、私が中学1年のとき亡くなりました。ずっと離れて暮らしており、祖父と親しく会話したことはありません。
ありがとうございました。
ありがとうございました。