個人としての殺人への意識と、国家の制度としての死刑制度(ここでは国による殺人とする)への考えの組み合わせのうち、皆さんの考えに最も近いものはどれでしょうか?
これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について
ログインして回答する
コメント(10件)
死刑存廃国リスト
http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/abolitions&retentions.html
法に従って必要な刑罰を科すということは、国が人を殺すこととイコールではありません。
この質問には大変興味を持ちましたが、私は死刑廃止に代わる有効な刑罰を設定できるまでは、死刑は存続すべきと思いつつも、上記の理由からどの選択肢も選べませんでした。
そもそも個人の殺人観で死刑制度を論じるのは誤りですから、私もどの選択肢も選びません。
「時効」は罪から逃れるという国が与えた理解不能な制度ですが、ようは
「これ以上やっても時間と経費の無駄」という国の機関が仕事を放棄するため
の制度としか考えられません。
多少のニュアンスの違いもあると思いますが、「死刑」は死を持って死という
一瞬の苦痛で罪を洗い流すというとんでもなく「軽い刑」なのではないかと考
えます。
よく「生き地獄」という言葉が使われますが、まったくもって「死刑」なんて
ものよりよっぽど罪を償うのには適していると思います。
遺族からしてみれば、犯人が死んだからといって無念が心底晴れるわけでもな
く、逆に人を殺したという罪悪感に追々気づき悔やむ事でしょう。
私としては、「人権剥奪・無期懲役・無益酷労」という「無期国奴隷の刑」なんてものでも作って畜生と同じ扱いにしちゃってくれた方が遺族側にとって精
神的に救われそうな気がします。
終身刑が必要なんじゃないかな?
私個人の考えとしては、①死刑は廃止し②終身懲役を設ける③懲役の労務を例えば「地雷の撤去等」人間の役に立つ仕事とするって感じだけどな。
なお、終身刑には未成年も対象にして欲しい。
その人は職場で店長をやっていました。
20代に長く服役したようですが、話を聞いただけでは大した反省をしている様子はありませんでした。
それどころかもう1人くらい殺してもおかしくない性格の人でした。
ご参考までに。
以下抜粋
『いかなることがあろうとも人は殺してはならないし、自分が殺すこともないが、国は人を殺してもよい。』
殺人を認めていないのに、国という見えないものが人を殺すことは認める、ということになります。
これっておかしくないですか?
国を形成するのは人です。
確かに、被害者家族の想いもあるでしょう。
でも、加害者にだって家族がいる。
その被害者家族が自殺するケースも多々見受けられます。
冤罪の可能性だってあります。
抑止力を主張する人もいますが、効果の是非は確かではありません。
ryotanakさんのコメントに概ね賛同します。
私は人を殺したいと思っても殺さないし、
殺してほしくもない。
たとえ殺人犯であったとしても、死刑には反対です。
どんな形であれ、人を殺すということがいやです。
その罪の判定をする【判決】の如何が肝心になる。。
間違いの無い【判決】に対してなら、【死刑】はその【罪】の如何によっては致し方ないことと思うけれど、、、
【判決】の信憑性?本当に揺らぎない客観的、理性的根拠があっての判断か?・・・というと、、
正直、、、昨今の日本やアメリカの政治で、すんなりとYES/NOを即答できない。。
フセイン氏の死刑判決にしろ、、オウムの麻原の真相未解明での死刑判決にしろ、、、政治自体が国民を裏切ってる限り、、誠実にこれまでの自ずからの罪(例えば、A級戦犯議論)を懺悔するどころか、、ゴマカす歴史の中で、、、
政府の都合の悪いことは【死刑】で口塞ぎする風潮に流されていかないか、、又、現に流されているのか、、とても懐疑的になっています。。
世界平和にはキリスト教、仏教、イスラム教より、神道が最もすばらしいと思い込んで?ますが・・・
政治家の懺悔に対する国民側の寛容?も含め、、日本には欠けてる点に思います。。
両者の間でここの了解ができれば、、信頼感が増し、政治家は国民の為に汗し、国民も政治家に対して真摯に協力する・・・本当の愛国がそだつのかなぁ・・・と。。。