実は今日、ちょっとしたパソコンのトラブルで、「はてな」にだけうまくアクセスできない状況に陥りました。
そのときの「さびしさ」と言ったら、何とも形容しがたいものでした。特に質問を立てていたので、開封が遅れて非常に申し訳ない気分でいっぱいでした。
あらためて、自分の中における「はてな」の存在の大きさを感じたのですが、そういう経験はありませんか?
ものすごくさびしかったです。あるのがあたりまえみたいなかんじだったので
はてなダイアリの共通アドレスはhttp://d.hatena.ne.jp/***ですので、***部分にその人のIDを入れれば行けますよ。
その人がはてなダイアリを利用していて、プライベートモード(非公開)にしていなければですが。
日記を拝見したいのですが、どうしたらたどりつけるでしょうか。
私はメモがわりに日記を使っているので、思い立ったときにすぐ書けないと、かなりショックを受けます。自分のためだけのメモならとりあえず他に書いておくことはできますが、人にコメントをいただいて返事をお待たせしているときなど、今なら書ける!というわずかな時間につながらなかったりすると、手持ちぶさたでおろおろしてしまいます。
その日記も、はてなの質問やアンテナと連動させたくて他社ブログよりはてなを選んだくらいなので、私もどっぷり「はてな依存」のようです。
>自分の中における「はてな」の存在の大きさ、、、
私はそんなにはてなに依存してませんので、そういう経験はありません。
生活の一部になっているようなので、そう感じたのかもしれないです。
「依存」しているのかな。と、思いました。
はてながTVで取り上げられた日、アクセスが殺到したようで、なかなかつながりませんでした。
「さみしい」「つまらないな~」と感じると同時に、何だか気恥ずかしかったです。
その時は「依存」していることを自覚していなかったので。
ネットをしているとあるサイトにいけないと寂しいと思いますよね。
ネットのコミュニケーションは「こわい」と思ってずっと避けてました。
ただ、近藤さんの本を読んで、「もしかして」と思い参加し始めました。
初めての出会いが「はてな」でよかったな、と思っています。
そうなんですよね。
「はてな」を通じてその向こうに居る人に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
日記も時々読ませていただきますね。
ネットを介在したほかの方とのコミュニケーションは
毎日、毎日交流している内に、自分の精神的な部分の
一部になっている気がします。
ただ、これははてなに限ったことではないです。
ニフティーフォーラムの頃から感じていたことでした。
でも、はてなは独特ですね。
わかります。
私は毎日、ほんの少しだけでも日記を書く事を目標としています。
それが書けないと思った時、まず苛立ちました。
「何でつながんないのー?」
と最初切れ気味。
それが1時間たっても、2時間たっても回復しないとなると、なんだかだんだん悲しくなります。
そして最後には、何も解決にむけて動けない自分がさみしくなってきます。
ネット依存とまでは行かないにしても・・。