先生がなぜわたしを選んだのか、なんとなく想像はついた。
わたしと先生との出会いが、わたし自身の病気によるものだったからだ。
わたしはある日職場で突然倒れて、病院に担ぎ込まれた。
栄養が足りていなかったということで点滴を受けたが、からだが動くようになった後もわたしは復帰することができず、心療内科に廻され、それから神経科に廻され、最終的に精神科に廻された。
入院中でさえ、わたしは自分のことばを押し込めながら他の患者さんの話の聞き役に回ることが多かった。
みずからのことを話し終えた後のすっきりした彼らの表情を見るのは決して悪い気持ちはしなかったが、しかし、そういう気の弱いたちがこの病を招いたのかしらん、と、自嘲気味に笑うわたしの自己認識を、長谷川先生はゆっくりと、しかし確実に肯定的な方向へ導いてくれた。
指定された日時に、その女の子の家に行った。
品のよい日本家屋で、三階建ての大きなお宅だった。
屋根には、つやつやと黒光りする鯱がぴんと反り返って鎮座ましましていた。
わたしを応接間に通したあと、お母様は「娘を呼んでまいりますね」と奥に戻った。
特に特筆すべきところのない、このお宅にふさわしい、上品な中年の女性だ。
うすい桃色の口紅をひいていて、ふんわりとせっけんのコロンの香りがした。セミロングの黒い髪はさっきの鯱のようにつやつやと潤い、お母様が動くのといっしょにやわらかく弾む。萌黄色のニットカーディガンに花柄のフレアスカートが、きれいだな、と思った。
わたしは応接間を見渡した。
床の間に提げられた掛け軸の水墨画もセンスがいいと思ったし、置かれている生け花もきっとあのお母様のご趣味なのだろう。伝統の中にも若々しさを感じさせる、はっと意表を突かれる仕上がりだ。
わたしは緊張していた。
類は友を呼ぶというが、確かにわたしには、買い物依存症だったり、暴力を振るう彼氏と共依存だったり、そういう、こころにやっかいな問題を抱えている友人の割合が多い気はする。
でも、わたしやその友人たちは、辛うじて―しんどかったけれども―学校には通っていた。
不登校という選択を実現した人に会うのは、実は生涯でこれが初めてなのだ。
さらっ、とふすまが開いて、お母様が、急須と湯のみと茶菓子の載ったお盆を持って入ってきた。
あとに続けて入ってきた女の子を見て、わたしはすこし驚いた。
そして、驚くと同時に、先生がわたしを選んだ理由がはっきりと確信をもって理解できたのだった。
中学2年生と聞いていたが、彼女はまるで、少年のような容姿をしていた。
髪の毛は耳にかかるほどのさっぱりしたショートで、ストレートのジーンズにワンポイントの黒いTシャツ。
からだの線はすらりと細く、細すぎて、真っ白い肌が正視できないほどにまぶしかった。
わたしと視線を合わせることはなく、黙って部屋の中に入って、黙って座布団に座った。
あぐらをかいていた。
「りんちゃん、ご挨拶なさい」
母親に促され、形だけ、といった風情で彼女はすっと男らしく頭を下げた。
お茶をいただきながら一通り話が済んだ後、わたしは二階の彼女の部屋に通された。
「掃除をしたいと言っても入れてくれなくて…」
とお母様がさっき話していたが、確かに部屋の中は脱いだままのシャツや雑誌などで雑然としていて、それこそ男の子の部屋のようだった。
りんちゃんは背もたれを抱きしめるかたちで勉強机の前の椅子に股を開いて座り、所在なげにぐるぐると椅子を回している。
本当の男の子みたいだな、と思ってわたしはなんだかおもしろくなってしまった。
おもしろくなるのといっしょに、わたしは彼女にかつての自分を見て、せつなくなった。
母親との、たったあれだけの遣り取りを見ただけで断定できるものか、と人は言うであろう。
けれども、わたしには断定できるのだ。
りんちゃんは母親に、お互いに無意識のうちにものすごく強い抑圧を受けているのだ、と。
「あの」
ぽつりと、りんちゃんがつぶやいた。
「わたしはべつに病気ではないと思うんです」
声は消え入りそうにかすれていて、物憂げで、詩的だった。
「ボランティアの人はもう頼まなくていいって、いつも母に伝えています」
「病気じゃなくてもいいんだよ」
思わず言った。
「わたしは、大丈夫なんだよ」
わたしは、に力を込めた。
直感で、この子が本心から来訪者を疎ましがっているわけではないとわかった。
先回りして遠慮する癖がついているのだ。
それが人とのコミュニケーションの取り方だと、そう思い込んでいる。
わたしは学校へ行き続けることができた。
しかし、幼い間に処理し切れなかったさまざまな葛藤や苦悩は年を経るごとに膨張し、肥大化し、社会に出てから一挙に膿のように噴き出して、わたしは一度壊れてしまった。結婚を約束していた彼氏からは別れを告げられ、家族もわたしのことを理解できなくて持て余していた。人として、うまく機能しなくなっていた。それを助けてくれたのが長谷川先生だ。
今目の前にいるこの細くて真っ白な、男の子のような女の子、彼女の苦悩を正しく理解できるのは、確かにわたしだ、と確信したのだ。
りんちゃんは、口角をくいっと不自然に上げた笑顔をつくってわたしに向けた。
その笑顔で、わたしは一発KOされた。
こんな子どもに、つくり笑いなんかさせたくない、と思った。
その気持ちが、一瞬のうちにわたしの中で決意として不動のものとなった。
これまでここを訪れたボランティアと何があったのかはわからないけれど、わたしには確信があった。
少なくともこの子は、わたしと出会うことで、何かが変わる。
わたしは変えることができる。
次回の訪問日を約束して、わたしはその家を後にした。
きっとわたし、りんちゃんとは仲良くなれると思います。そう伝えると、お母様は、どうもありがとうございま、まで言って声を詰まらせ、とっさに顔を伏せた。
わたしは気づかないふりをして、お邪魔いたしました、と言った。
次の週の休診日、病棟の離れにあるいつもの研究室にいる長谷川先生に会いに行った。
りんちゃんのつくり笑いに心が痛んだ、という話をすると、先生はすこし驚いた様子を見せた。
「あの子が笑ったのかい?」
「つくり笑いですよ、だから」
「それで、母親に促されてお辞儀もしたって?」
「そんなに驚くことなんですか?」
「僕の前では決してしなかったがね、そういうことは」
先生は首をかしげながらも、まんざらでもなさそうに自分の頬を撫でた。うれしいときの癖だ。
「はやくも通い合ったのかな」
先生は、わたしが感じていたことを率直にことばにした。
そうだといい、と思う。
出会った瞬間に、通じ合える、と確信できる人がときどきいる。
彼女とわたしは、きっとそうに違いない、と思うのだ。
「先生って、ひとを見る目がありますね」
わたしが冗談めかして殊更に威張ったような様子で言うと、先生はふっと笑って
「それはそうさ。精神科を選ぶくらいだからね」
と、意味深につぶやいた。
明るくて、いつも元気一杯の私に頼んだ先生。
私は先生の言葉を飲んでその日から、女の子のメンタルフレンドとなった。
沢山の時間を過ごした。
みるみるうちにその女の子は元気になった。
それと同時に自分の心も何だか軽くなっていくのが解った。
そう。。。
その女の子は、10年前の私だったのである。
過去をさかのぼり、自分自身を癒していたのだ。
10年後の自分が元気で明るいのは。。。。今の自分のおかげであったこと。
自分を癒せるのは自分しかいないのです
なるほど。
おもしろい展開ですね。
ありがとうございました。
早速その女の子のところに行ってみた。
その子は家にいてテレビをじっと見ていた。
こっちから話しかけても答えてくれない。
しばらくとなりで一緒にテレビを見ている事にした。
これって意外と正解かもしれません。
正解などないかもしれないのですが。
ありがとうございました。
先生がなぜわたしを選んだのか、なんとなく想像はついた。
わたしと先生との出会いが、わたし自身の病気によるものだったからだ。
わたしはある日職場で突然倒れて、病院に担ぎ込まれた。
栄養が足りていなかったということで点滴を受けたが、からだが動くようになった後もわたしは復帰することができず、心療内科に廻され、それから神経科に廻され、最終的に精神科に廻された。
入院中でさえ、わたしは自分のことばを押し込めながら他の患者さんの話の聞き役に回ることが多かった。
みずからのことを話し終えた後のすっきりした彼らの表情を見るのは決して悪い気持ちはしなかったが、しかし、そういう気の弱いたちがこの病を招いたのかしらん、と、自嘲気味に笑うわたしの自己認識を、長谷川先生はゆっくりと、しかし確実に肯定的な方向へ導いてくれた。
指定された日時に、その女の子の家に行った。
品のよい日本家屋で、三階建ての大きなお宅だった。
屋根には、つやつやと黒光りする鯱がぴんと反り返って鎮座ましましていた。
わたしを応接間に通したあと、お母様は「娘を呼んでまいりますね」と奥に戻った。
特に特筆すべきところのない、このお宅にふさわしい、上品な中年の女性だ。
うすい桃色の口紅をひいていて、ふんわりとせっけんのコロンの香りがした。セミロングの黒い髪はさっきの鯱のようにつやつやと潤い、お母様が動くのといっしょにやわらかく弾む。萌黄色のニットカーディガンに花柄のフレアスカートが、きれいだな、と思った。
わたしは応接間を見渡した。
床の間に提げられた掛け軸の水墨画もセンスがいいと思ったし、置かれている生け花もきっとあのお母様のご趣味なのだろう。伝統の中にも若々しさを感じさせる、はっと意表を突かれる仕上がりだ。
わたしは緊張していた。
類は友を呼ぶというが、確かにわたしには、買い物依存症だったり、暴力を振るう彼氏と共依存だったり、そういう、こころにやっかいな問題を抱えている友人の割合が多い気はする。
でも、わたしやその友人たちは、辛うじて―しんどかったけれども―学校には通っていた。
不登校という選択を実現した人に会うのは、実は生涯でこれが初めてなのだ。
さらっ、とふすまが開いて、お母様が、急須と湯のみと茶菓子の載ったお盆を持って入ってきた。
あとに続けて入ってきた女の子を見て、わたしはすこし驚いた。
そして、驚くと同時に、先生がわたしを選んだ理由がはっきりと確信をもって理解できたのだった。
中学2年生と聞いていたが、彼女はまるで、少年のような容姿をしていた。
髪の毛は耳にかかるほどのさっぱりしたショートで、ストレートのジーンズにワンポイントの黒いTシャツ。
からだの線はすらりと細く、細すぎて、真っ白い肌が正視できないほどにまぶしかった。
わたしと視線を合わせることはなく、黙って部屋の中に入って、黙って座布団に座った。
あぐらをかいていた。
「りんちゃん、ご挨拶なさい」
母親に促され、形だけ、といった風情で彼女はすっと男らしく頭を下げた。
お茶をいただきながら一通り話が済んだ後、わたしは二階の彼女の部屋に通された。
「掃除をしたいと言っても入れてくれなくて…」
とお母様がさっき話していたが、確かに部屋の中は脱いだままのシャツや雑誌などで雑然としていて、それこそ男の子の部屋のようだった。
りんちゃんは背もたれを抱きしめるかたちで勉強机の前の椅子に股を開いて座り、所在なげにぐるぐると椅子を回している。
本当の男の子みたいだな、と思ってわたしはなんだかおもしろくなってしまった。
おもしろくなるのといっしょに、わたしは彼女にかつての自分を見て、せつなくなった。
母親との、たったあれだけの遣り取りを見ただけで断定できるものか、と人は言うであろう。
けれども、わたしには断定できるのだ。
りんちゃんは母親に、お互いに無意識のうちにものすごく強い抑圧を受けているのだ、と。
「あの」
ぽつりと、りんちゃんがつぶやいた。
「わたしはべつに病気ではないと思うんです」
声は消え入りそうにかすれていて、物憂げで、詩的だった。
「ボランティアの人はもう頼まなくていいって、いつも母に伝えています」
「病気じゃなくてもいいんだよ」
思わず言った。
「わたしは、大丈夫なんだよ」
わたしは、に力を込めた。
直感で、この子が本心から来訪者を疎ましがっているわけではないとわかった。
先回りして遠慮する癖がついているのだ。
それが人とのコミュニケーションの取り方だと、そう思い込んでいる。
わたしは学校へ行き続けることができた。
しかし、幼い間に処理し切れなかったさまざまな葛藤や苦悩は年を経るごとに膨張し、肥大化し、社会に出てから一挙に膿のように噴き出して、わたしは一度壊れてしまった。結婚を約束していた彼氏からは別れを告げられ、家族もわたしのことを理解できなくて持て余していた。人として、うまく機能しなくなっていた。それを助けてくれたのが長谷川先生だ。
今目の前にいるこの細くて真っ白な、男の子のような女の子、彼女の苦悩を正しく理解できるのは、確かにわたしだ、と確信したのだ。
りんちゃんは、口角をくいっと不自然に上げた笑顔をつくってわたしに向けた。
その笑顔で、わたしは一発KOされた。
こんな子どもに、つくり笑いなんかさせたくない、と思った。
その気持ちが、一瞬のうちにわたしの中で決意として不動のものとなった。
これまでここを訪れたボランティアと何があったのかはわからないけれど、わたしには確信があった。
少なくともこの子は、わたしと出会うことで、何かが変わる。
わたしは変えることができる。
次回の訪問日を約束して、わたしはその家を後にした。
きっとわたし、りんちゃんとは仲良くなれると思います。そう伝えると、お母様は、どうもありがとうございま、まで言って声を詰まらせ、とっさに顔を伏せた。
わたしは気づかないふりをして、お邪魔いたしました、と言った。
次の週の休診日、病棟の離れにあるいつもの研究室にいる長谷川先生に会いに行った。
りんちゃんのつくり笑いに心が痛んだ、という話をすると、先生はすこし驚いた様子を見せた。
「あの子が笑ったのかい?」
「つくり笑いですよ、だから」
「それで、母親に促されてお辞儀もしたって?」
「そんなに驚くことなんですか?」
「僕の前では決してしなかったがね、そういうことは」
先生は首をかしげながらも、まんざらでもなさそうに自分の頬を撫でた。うれしいときの癖だ。
「はやくも通い合ったのかな」
先生は、わたしが感じていたことを率直にことばにした。
そうだといい、と思う。
出会った瞬間に、通じ合える、と確信できる人がときどきいる。
彼女とわたしは、きっとそうに違いない、と思うのだ。
「先生って、ひとを見る目がありますね」
わたしが冗談めかして殊更に威張ったような様子で言うと、先生はふっと笑って
「それはそうさ。精神科を選ぶくらいだからね」
と、意味深につぶやいた。
あまりたいして、ポイントも差し上げられないのに、貴重なお時間を頂いて、こころから感謝しています。本当にいい話を読ませていただきました。ありがとうございました。
翌日私は、言われるままに病院を訪ねてみた。有名な大学の付属病院である。受付に長谷川先生から託された手紙を渡すと、しばらくして担当だという医師がやってきた。
さっそく病室に案内された・・・・、が、普通の病室ではない。ICU? いや、そこまで大がかりな設備ではないにせよ、ベッドの周りには何種類もの得体の知れない機械が並べられ、少女はそれに埋もれるように横たわっていた。
「こ・・・・これは・・・・」
「長谷川先生からは、何もお聞きになっていらっしゃいませんか」
「は、はあ・・・・」
担当医は今までの経過を説明してくれた。簡単な手術だったらしい。そしてその手術は成功した。なのに、少女は麻酔から覚めることなく、今日まで眠り続けている、というのである。
「で、この私に何をしろと?」
「ただ毎日少しの時間でも、一緒にいてくれればと」
「それだけ?」
「はい」
「何のために?」
「この子の目覚めのプロローグのために」
「は・・・・はあ?」
わけが分からん。いったい何なんだ、これは!!
とにかくその日から、少女の周りを取り囲む機械の間に椅子が一つ用意され、私はそこに座ることになった。私はただ眠ったままの少女を見続けた。初日はそれで終わった。
次の日も、また次の日も、同じような日々が続いた。ただ私は少女の枕元に座り、じっと見守り続けるだけ。
一週間ほどそんな日々が続いたろうか。私はふと病院に行く道すがらに咲く、金木犀の花に目をやった。ああ、この花をあの子に見せてやりたい、と思った。病室には持ち込めないだろうからと、携帯で写真に撮って、そして少女のもとへ急いだ。
その日はいつになく心がワクワクしていた。実は私には、この金木犀に、ちょっとした思い出があるのだ。幼い頃の些細な思い出だが、私はそれを少女に話して聞かせたくてたまらなくなっていた。
私はその日、はじめて少女に「やあ」と声をかけた。今まで、この病室で声を出したことは一度もなかったのだが、今日は知らないうちに、本当に自然に声が出てしまっていた。
椅子に座ると、私はまるで少女が目を覚ましているかのように、
「ほら、金木犀が咲いたよ」
と携帯を彼女の閉じた目の前に差し出した。そして、子供の頃の思い出を色々語った。時には照れて頭を掻きながら。時にはちょっと思い出に引き込まれて涙ぐみながら。
少女は微動だにせず眠ったままだったが、私には「それでどうしたの?」などと身を乗り出して聞いてくれる、そんな少女の姿が想像できた。
いつの間にか、面会時間の終わりが近付いていた。こんなに早く時間が経っていったのは初めてだった。私は眠ったままのこの少女と、深く心がつながれたように思えていた。これが長谷川先生の望まれたメンタルフレンドということなのかな、などと思ったりした。
「おやすみ、眠り姫。また明日」
私はそう声をかけて、家路についた。心なしか少女の口元がほころんだ気がした。
家に帰り着き、コンビニ弁当で夕食を済ませてテレビを見ていると、電話が鳴った。公衆電話からだ。誰だろうと思って出てみると、電話の向こうには、興奮した様子の長谷川先生がいた。
「君、ついにやってくれたな!!」
「な、なんですか、いったい」
「目覚めたんだよ、目覚めたんだよ、ついに!!」
「え、ええ?!」
「とにかくすぐ病院に来てくれないか。金木犀のお兄ちゃんに会いたいと言ってるんだよ!!」
途中、長谷川先生から携帯にメールが入ってきた。彼女は長谷川先生の姪にあたる少女で、私の学部の時の卒論が眠り姫に関する論考だったことから、何かの手がかりを掴んでくれるのではと期待をかけた、とのことだった。そして、何度も何度も、ありがとうの文字列が連続していた。
私の卒論は単に眠り姫とそれに類似する伝承を類型化してまとめただけのものだった。でも、今考えてみると、様々に語り継がれる眠れる少女の物語のどれもが、眠っていても心はちゃんと生き生きと働いているという前提で描かれるものであったように思えてくる。
病室に入ると、「お兄ちゃん!!」という声が聞こえてきた。少女の愛らしい顔に、笑みがこぼれて輝いている。私も言った。
「おはよう、お姫さま!!」
相変わらず素敵な構想ですね。ありがとうございました。
「はい。わかりました。でも先生、どうして私なんですか?」
「それはね、きみがくもりのないまっすぐな眼(まなこ)を持っているからだよ。いいかい。宜しく頼んだよ」
「はい。」
先生の言う意味はよくわからなかったけど、私は次の日から女の子の家を訪ねることにしました。
その日は、あいにくどしゃぶりの雨で、私は傘を差しながら、少し迷って女の子の家に着きました。
(ここかな・・・)
ピンポーン・・・・家は静かなままです。
・・・ピンポーン・・・誰も出てきません。
(誰もいないのかな?どうしよう?もう一回押そうかな・・・?)
そう迷っていると、ふとドアが薄く開いて、女の子が顔を覗かせました。
「(よかった。いた。)こんにちは♪」
「・・・こんにちは」女の子は消え入るような声で答えました。
そして、ドアを大きく開けて私を招き入れてくれました。
「(長谷川先生から聞いていたのかな?)お邪魔します。」
すると、女の子は私を玄関に残したまま、「ちょっと待ってて」と部屋に入って行きました。
戻ってきた女の子の手にはタオルが。「はい。これ。」と私に差し出します。
女の子は私がどしゃぶりの雨で洋服が濡れてしまっていたことに気がついてくれてたんです。
「(優しい子だな)ありがとう」私は洋服を拭きました。
女の子の部屋で二人きりです。家には誰もいないようです。
女の子がいれてくれたココアで冷えた体を温めていると、
つぶやくように女の子がいいました。
「雨の・・・匂い・・・」
「うん。今日はすごい雨だよ。台風が近づいてるから風邪も強くて・・・」
そして、私は道すがら見かけたカタツムリや雨宿りしている鳥達の話をしました。
女の子はずっと黙ってうなづくだけでしたがちょっとだけ嬉しそうでした。
女の子の家を出る頃、少しだけ雨が弱くなっていました。
「明日もまた会いにきてもいいかな?」
「うん・・・」女の子はうつむき加減で答えてくれました。
家に帰りながら、私は気持ちがあたたかくなっているのに気付きました。
(不思議だな・・・。私が話してばっかりだったのに・・・)
次の日は台風一過の青空で雲ひとつ無い、とても気持ちのいい天気です。
女の子の家に向かう坂道で台風の風で折れてしまった枝を拾いました。
花がついています。蕾もついています。なんだか可愛そうだったのです。
ピンポーン
「いらっしゃい」今日は女の子は一回でドアを開けてくれました。
「お邪魔します」今日はタオルは必要ありません。
今日は私が女の子に渡します。
「キレイ・・・」花の枝はどうやらよろこんでもらえたようです。
今日は、台風の後の道の様子や、鳥達が元気に空を飛んでいる様子を話しました。
女の子はちょっとだけ楽しそうに聞いてくれています。
それからというもの、長谷川先生に頼まれて始めたことなのに、私のほうが女の子に会うのが楽しみになっていました。
女の子と会って、話をすると元気になるような気がしたのです。
毎日毎日通いました。
女の子はだんだん、笑顔を見せてくれるようになり、話もしてくれるようになり、最後の方では声をあげて笑うまでになりました。
だけど、私は一つ心配な事がありました。
女の子は学校にはもう来てくれないんだろうか・・・?
学校でも会えたらどんなに楽しいだろう。
いつもそう思っていましたが、私はなんだかそれを言うのは違うような気がして、一度も女の子を学校に誘った事はありませんでした。
ある日の事、いつものように学校が終ってから女の子の家に行った時です。
家に入ると、なにやら、香ばしく、甘い匂いが家中を包んでいます。
そこへ、エプロンをした女の子が出てきました。
「何のにおい?おいしそう。」
「あのね、マドレーヌを作ったの」と笑顔で女の子が言います。
「え?マドレーヌ?何かいいことでもあったの?」
「私、明日から学校に行ってみようと思うの。」
私は飛び上がりそうなくらいに嬉しい気持ちを堪えて、満面の笑顔で言いました。
「そっか。じゃあ明日は学校で会おうね。」
マドレーヌは温かく、とても美味しくて、女の子の気持ちの結晶のようでした。
そして私は長谷川先生の為に、マドレーヌをこっそり一つポケットに忍ばせました。
なるほど、学友という設定ですね。ありがとうございました。
わたしの想定では、長谷川先生=心理学の先生(実は実在します・・)、で「私」=研究室の学生、でした。そして、女の子=中学生くらいの不登校な少女、でした。実は、「メンタルフレンド」というのは実在する制度でした。そこから、ヒントを頂きました。みなさん、お忙しい中、本当にありがとうございました。また、いい作品(質問)を作ります。よろしければ、おつきあい下さい。
あまりたいして、ポイントも差し上げられないのに、貴重なお時間を頂いて、こころから感謝しています。本当にいい話を読ませていただきました。ありがとうございました。