イスラム教に詳しい方に質問です。イスラム教徒の方がよく言う「アラーは偉大なり」って日本人の私はどう解釈すればいいのでしょう?フセインが死刑を言い渡されて言ってましたし、テロリストがテロ行為をする時にも言っています。ハワイでのアロハみたいに何にでも使える便利な言葉なのですか?

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  • 1人2回まで
  • 登録:2006/11/08 23:42:57
  • 終了:2006/11/15 23:45:03

回答(8件)

id:hanatomi No.2

hanatomi回答回数853ベストアンサー獲得回数362006/11/09 00:13:14

ポイント16pt

http://www.isuramu.com/questions/Q2.htm

いのりについて載ってます

id:TomCat No.3

TomCat回答回数5402ベストアンサー獲得回数2152006/11/09 00:09:12

ポイント17pt

イスラーム社会においては、自分は真剣である、本気である、嘘をついていない、といったことを表現する時には、決まり文句のように付される言葉です。

 

完訳 千一夜物語〈1〉 (岩波文庫)

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  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • メディア: 文庫

これは「千一夜物語」などを読んでみるとよく分かります。脚色物ではない完訳を読んでみると、もう、セリフのそこかしこに「アッラーは偉大なり」「アッラーの他に神無し」といった言葉が前置されているのが分かります。

id:s1203052

ありがとうございます。これぐらい短い言葉で教えていただけると頭の足りない自分にもわかりやすいです。愛の告白をする時にも使われるのでしょうかね。

2006/11/09 01:00:18
id:kamisama No.4

kamisama回答回数549ベストアンサー獲得回数112006/11/09 08:29:46

ポイント16pt

アッラーはイスラム教の神様のことです。

で、「アッラーは偉大なり」とい言葉の裏には、「私はアッラーの教えことに反した行為はしていない」と言う意味も含まれます。

で、アッラーの教えはイスラム教の中では良いことですから、「私は良いことをしている」とか、そういう感じの意味になります。

 

フセインが死刑を言い渡されたときは、

「私は間違っていない。悪いのは、死刑判決を下したこいつらだ」

テロリストがテロ行為をする時は、

「なんか人を殺してかわいそうな気がするけど、私は良いことをしているのだ」

みたいな感じ。

id:s1203052

イスラム教徒の方には神様の言うことは影響力大なんですな。それだけのエネルギーを違う事につかえばいいのに、アラーさんが今の現状を見たら嘆きになるでしょうね。

2006/11/09 22:27:34
id:porlanoche No.5

porlanoche回答回数113ベストアンサー獲得回数22006/11/09 08:54:27

ポイント16pt

国旗にも

「アラーのほかに神はなし。ムハンマドはアラーの使徒なり」という意味で、イスラム教に入信する際に口にする信仰告白の文句である。

と書いてあります。

http://www.asahi-net.or.jp/~hh6k-kwbt/saudiarabia.htm


急ぎ栄光と優位を

天の創造主を讃えよ

緑の旗をはためかせよ

光明の印をもたらせ

アラーは偉大なり!

郷に入れば郷に従え・・・でそのまま受け入れるしかないでしょう。


ハワイでのアロハみたいに何にでも使える便利な言葉なのですか?との事。

日本人的な解釈としては、あたらずとも遠からじではないかと思われます。

カルチャーが全然違います。

id:castle No.6

castle回答回数1011ベストアンサー獲得回数122006/11/10 05:44:12

ポイント16pt

アラーは一神教的絶対神であり、この「神」というのが誤訳的ニュアンスを含んでいて、日本人的な神様という理解からかけ離れた強制力を有している存在としてイメージされるのだと、それ系の本で読んだ覚えがあります。

それは、概念的で凡てを決定している絶対的なこの世界そのもののようなニュアンスを持っているらしいそうで。

日本人風に理解するなら、『過去も未来も現在も凡て決定された変えられざる運命(世界)』とでもいったところでしょうか。

このトンデモナイ存在が預言者を通して授けた規約(契約)を守ることで、栄光が約束されるのが原典的なイスラム教だと考えられます。

 

テロ行為に使うときの気持ちとしては、日本だと戦中に玉砕した人たちが特攻や突撃する時なんかに叫んだ「天皇万歳」がニュアンスとして近そうな気がしますけど…ううん、どうだろう。昭和ぐらいなら、天皇万歳もまだ普通に使われてたように思いますし。

id:arakinn No.7

arakinn回答回数22ベストアンサー獲得回数02006/11/10 14:05:38

ポイント16pt

2年間、イスラム教国のインドネシアの首都ジャカルタに住んでいました。

1日に5回ある礼拝の時間には、礼拝を知らせる為に「アッラーフアクバル(神は偉大なり)」と、独特の節回しで4回繰り返してマイクで呼びかけられます。

昼や夕方の「アッラーフアクバル」は仕事中なのであまり気にならないのですが(オフィスは日本人+アメリカ人だったので礼拝する人はいませんでした)、朝の礼拝は午前5時頃というかなり早い時間に始まるので、目覚ましのような感じでした。

イスラム教徒の方々にとっては、非常に神聖な意味を持つ「アッラーフアクバル」ですが、同時に、1日に5回はモスクからのマイク放送で聞く言葉で、日常そのものです。ただ、挨拶で使う人には会ったことはありません。神はとても神聖なものなので、軽々しくアラーの名は口にしないと思います。

Wikipediaに、この礼拝を知らせるためのアザーンの詳細について載っています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%B...

id:mododemonandato No.8

mododemonandato回答回数760ベストアンサー獲得回数772006/11/13 09:37:54

ポイント16pt

 イスラム圏には行った事がないのですが、小説などを読むと、かなり気軽に使われています。

 欧米のOh,My godとは語感が少し違うようです。

 基本的に日常において何か良い事があった時に使ったり、気合を入れる時に出る言葉のようです。

 日本語では「バンザーイ」位の感じでしょうか。

 

http://www.amazon.co.jp/gp/product/400114090X/sr=1-13/qid=116337...

  • id:noboru
    イスラム教に詳しくないのでコメントに書きますが、これって言っている通りの意味なんじゃないの? つまり「神は偉大なり」です(「アラー」は日本語にすると「神」です)。
  • id:Kumappus
    自信ないのでコメントで。

    http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page067.html
    http://www.h4.dion.ne.jp/~jukutabi/newpage41.htm

    けっして単純に挨拶というわけではないようです。挨拶の方は「アッサラーム・アライコム」(あなたに平安あれ)がありますから。

    イスラムの人たちは生活全てとイスラムの教えが切っても切れない関係にあります。だから何をするにしても神様に感謝する、あがめる、お願いする、というのが自然に出ちゃうわけです。また、そうやって信仰していることを明らかにしなさい、という教えなので周りからもどんどんそうしなさい、と言われて育つわけだし。

    「アッラーフ・アクバール」はある意味挨拶以上に
    http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=752171&rev=1
    イスラムの人たちに「なじんだ」言葉なんでしょうね。


  • id:Kumappus
    もうひとつ思い出した。

    インシャラー って言い回しがあって(「アッラーの御心のままに」)
    http://www2.marimo.or.jp/Future/travel/arabic.html
    http://www.netlaputa.ne.jp/~tokyo3/noproblem.html
    本来は先のことを喋るときに「アッラーがお望みだったらほげほげできるんだけど」とアッラーに遠慮する?言い回しなんですが、「運が良けりゃできるよ」ぐらいのニュアンスでいい加減な約束をするのに使われているような印象が強いですね。

    ただ、きっとイスラムの人の信仰の中ではそれも自然なことなんでしょう。
  • id:rikuzai
    日本語で意訳するなら「神かけて誓う」あたりが近いのかな。
  • id:TomCat
    そうそう。古風な言い方なら「天地神明に誓って」みたいな。実際はもっと宗教から離れた「いやマジで」くらいの位置づけで考えた方が当たっているかもしれません。
     
    イスラームというと、なんかみんなすごく宗教に凝っている印象がありますが、実際は日本人が神社に行くのと同じような、普通の生活としての習慣に過ぎないことがほとんどなんですよね。
     
    イスラーム原理主義にしても、あれは宗教というより民族主義に近いもので、日本人が考える信仰心とはずいぶん違ったものがあるようです。
  • id:castle
    回答の補足。
    <B>GODと「神」について</B>
    http://engbib.hp.infoseek.co.jp/god.html
    >>
    フランシスコ・ザビエルが最初に日本で伝道したとき、日本人にわかりやすいようにと、「聖書の神」を「大日」と呼んだ。しかしまもなくザビエルは、このことばが仏を意味する言葉で誤解を招くことに気づき、「ぜうす」と自分たちの発音どおりに変更した。したがって明治以前のキリシタン達は皆「ぜうす」と呼び、決して「神」とは言わなかった。「大日」も「神」も、「天地創造の神」を表すことばとしてはふさわしくないと判断されたのである。
    <<
    >>
    日本人が「神」と呼んでいる限り、正しい「聖書の神」の理解はできない、と主張し、「創主(つくりぬし)」と呼ぶことを推奨している。
    <<
    キリスト教とイスラム教のちがいはありますが、唯一絶対な存在としてアラーとGODは似たような存在だったと記憶しています。
  • id:syw13pisces
    イスラム教徒は神の名前をアッラー(フ)と呼ぶことに拘っているのでは無いです。

    日本人はあまり知らないかもしれないですしキリスト教徒特にアメリカ人で認められない人もいるかもしれませんが
    全能の主、万有の主が唯一であると信じているのならヤハウェでもエホバと言う名前で呼んでも啓典の民と言って同じ神を信じていると認識します。これは数学的論理の帰結ですね。
    阿弥陀如来のみを信仰する浄土真宗なども同じ一神教とみなす余地もあります。実際そう言う説もあるそうです。

    クルアーンは神からの最終的な啓示としてムハンマドに与えられたと信じています。
    イエスはイーサー、モーゼはムーサーと呼ばれアッラーフの預言者です。
    各民族に預言者はいたとなってます。

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