「日本にとって、朝鮮半島とその延長線上にある満州は「国家の生命線」であり、
ここが日本と敵対する国家・勢力によって支配されると言う事は、
取りも直さず「皇国の興廃」国家存亡の危機に直面する緊急事態である。
現に、日本は、かつて高麗を属国化した元(モンゴル)によって、
高麗を拠点に侵攻された経験がある。
だからこそ、日本は、清国の李氏朝鮮に対する干渉を排除する為に「日清戦争」を、
ロシア帝国が満州から朝鮮半島を窺(うかが)うや「日露戦争」を戦った訳です。
清国・ロシア帝国共に当時の「超大国」であり、
「新興国」日本にとっては「侵略戦争」どころか、
それこそ正に「皇国の興廃」を賭けた一大戦争だったのである。」
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/ho...
ソ連軍は日ソ中立条約を破り、戦車5千台・兵員157万人の圧倒的戦力で
当時日本の支配下にあった満州国(現在の中国東北部)に侵攻した。
満州に移住していた100万を超す日本人居留民は戦闘に巻き込まれ、
多くの犠牲を強いられた。
帝政ロシア、ソ連、そして今のロシア、国の体制は変わっても
ロシア人の基本的な性行は変わる事は無い。
http://konn.seesaa.net/article/6247471.html
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2005_08.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog203.html
「真岡はもともと人口2万の町であったが、
16日夕から本土への引き揚げが開始され、
19日夕刻までに6千人が出航していたが、
乗船を待つ避難民がまだ1万5千~8千人いた。
真岡への攻撃は20日早朝に始まった。
数隻の大型軍艦が町中に艦砲射撃を行い、
その後、上陸したソ連兵は山へ逃がれる
人々を背後から機関銃や自動小銃で掃射し、
手榴弾を投げつけた。
引き揚げ船へ向かう女子供たちの上にも、
容赦なく砲弾が降り注いだ。
厚生省資料ではこの時の民間人犠牲者は約千名と
している。」
日本がロシアとの戦争を避けていたとしたら、
白人種の西欧諸国によって主権をうばわれていたか、
滅びていたかもしれない。
アジア・アフリカ諸国は植民地のまま支配され続けたことだろう。
「日本勝利の報は、世界中の人々を感嘆させた。
有色人種が白人種族に勝った始めての戦いであり、
世の中に希望が、感動が、そして勇気が沸き起こる、
一大事件であったのだ。
当時の人々の感動は、様々なところに見ることができる。
日本では、三日三晩の提灯行列と万歳万歳の喜びが津々浦々、
日本列島になりひびいたのだ。
世界の国々でも、特にロシアに占領されたり、
圧迫を受けている国々では喜びの声が沸き上がった。
この勝利を我が事のように喜び、日本と東郷平八郎を賞賛したのだ。
この戦いが人類解放の出発点であり、その集結、完成が
大東亜戦争であった。
日露戦争を抜きにしては民族解放・大東亜戦争の大儀は
語れないのである。」
shuplaさんのホームページ
http://shupla.w-jp.net/datas/theFarEastWar.html