以前、雑誌「ふらんす」で読んだ記事でいまだに?なものがあります。

20世紀のはじめころまで、多くのフランス人が入浴は年に1回か2回しかしなかった、それ以上に入浴すると「おまえ、そんなにお風呂に入ると病気になるよ」といわれたという文献があったというものです。

そこで、疑問に思っていることは、
・入浴はしないけれどシャワーは浴びていたかもしれないのではないか
・入浴はしないけれども、体を拭いたりすることは日常的に行っていたのではないか
ということです。

日本とは逆で、夏は湿度が低く冬は湿度が高いといいますが、足の裏の角質が、長期にわたり入浴しないことで肥厚してひび割れたりはしないのでしょうか。
疑問です。

香水の発展は入浴の習慣がなかったためなどの知識は既知です。

文献の根拠を回答の際にはお示しください。

締め切り予定は19日未明です。

回答の条件
  • 1人2回まで
  • 登録:2006/11/13 23:40:51
  • 終了:2006/11/20 00:46:53

ベストアンサー

id:zumig2 No.4

zumig2回答回数32ベストアンサー獲得回数52006/11/14 11:22:45

ポイント80pt

こちらを見つけました。ご参考になるでしょうか?

http://www.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/nakano(05-1-31)

学生さんのレポートですが、なかなか充実した内容です。


これによると、もともとヨーロッパにおいて入浴は清潔のためでなく単なる娯楽であったため、15-6世紀のペストの流行で「水への恐怖」が生まれたとたんに、庶民レベルに至るまで入浴の習慣が消えたようですね。

その後、「せめて体を拭くくらいはしようよ」と推奨されて日常的に身体を拭いたり水浴をするようなったのは18世紀のことだったようです。

ご質問にある「足の裏の角質が、長期にわたり入浴しないことで肥厚してひび割れたり」について、直接の言及のある文献は見つかりませんでした。

少なくとも、当時の人々の「興味の対象外」であったことは、上記などから十分に推察できそうです。

興味の対象外だったから、文献も残ってないんじゃないかと。

絵画で確認できるかなとも思ったのですが、足の裏の角質の肥厚状態やひびわれがわかるような絵は発見できませんでした。


ところで蛇足ですが、上記のURLに面白い箇所があったので引用しておきます。

16~17世紀には、下着が白くて、上質のものを身につけてさえいれば、服装は華麗でなくても「清潔」であるとされた。

・・・

衣服そのものが身体の汚れを綺麗にしてくれると考えていた人々にとって、香水は重要なものだった。

不快な匂いを隠し、散らしてしまい、心身を強くし、よい刺激を与える効果のあるものだと考えられていた。

香水は、体を綺麗にし、汚れをぬぐい去ってくれるものとまで思われていた。

このように、中世の清潔は現代でいう清潔とはかけ離れたものだった。

・・・「入浴の習慣がなかったから香水が発達した」という順番が、意識の中で逆転しちゃってたんですね。貴族、恐るべし。

id:booboo_002

とても参考になる文献でした。

考えてみれば、日本人も平安時代は月に一度の洗髪だったり、奈良時代にたしか光明皇后だったと記憶していますが、病者用に設置したのは蒸し風呂(サウナ)だったとかを思い出しました。

雪深い北国で、井戸や川から水を汲み、薪で湯を沸かして頻繁に入浴するとは考えにくいことでもあります。

風呂に入らない=不潔

というのは、現代の生活様式にたった考えなのですね。

テムズ川が、ガンジス川並みだったという箇所が私には興味深い箇所でした。

疑問は解決しましたが、19日締め切りと銘打ってしまいましたので、他にも参考になるような記事があったら、回答への書き込みをお願いします。

2006/11/14 12:30:02

その他の回答(3件)

id:hanatomi No.1

hanatomi回答回数853ベストアンサー獲得回数362006/11/13 23:53:37

ポイント10pt

風呂の歴史よりです。

http://www6.ocn.ne.jp/~osaka268/girisha.htm


北欧や東欧においてもキリスト教の普及につれて、風呂を心地よい快楽の方向へとは向かわせなかった。

 しかしキリスト教の影響を受けながらもサウナなどの風呂がとぎれることなく続いていた。

 西欧でもまったく風呂がなくなったわけではなく、大きな桶を用いての入浴ならあったし、

その種の温水の公衆浴場もあった。

 ところが風呂はしばしば売春などの放蕩と結びつき、

また姦通などのスキャンダルの温床となったりして、キリスト教の非難の的となった。

さらには燃料不足や伝染病の蔓延ともあいまって、風呂のイメージは悪くなるばかりであった。

 各地で公衆浴場の閉鎖令が出されるようになり、ついには中世末にはヨーロッパから風呂が消える。

後は桶で顔や手を洗うという程度になってしまう。

特に食事のさいに手を洗うことが重要視されたのは、風呂に入らなかったことがひとつの理由であった。

 こうした庶民とは別に王族達は豪華な風呂を持っていた。

例えば、ナポレオンが使ったというエリゼ宮殿の風呂はシャンデリアまでついている。



★後は桶で顔や手を洗うという程度になってしまう。

と、かかれています。

id:booboo_002

伝染病というのは性病のことなのでしょうね。とはいえ、公衆浴場ではありえますが、一般庶民の入浴はどのように行われていたのか・・・疑問です。またの回答をお待ちします。

19日まで締め切りませんので、お手数とは思いますが、またの回答をお待ちします。

2006/11/14 00:31:34
id:motojam1 No.2

motojam1回答回数153ベストアンサー獲得回数22006/11/13 23:58:15

ポイント5pt

ビデがあるからじゃないですか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%87

id:booboo_002

それは考えましたが、局部だけですよね。手・足の皮膚の老廃化は意外に早く、高齢者の入浴でもかなり念入りにケアされています。風呂に入らないと、かかとなんか、ごわごわになりそうな気がするのですが・・・

またの回答をお待ちします。

2006/11/14 00:25:48
id:midoring No.3

midoring回答回数350ベストアンサー獲得回数42006/11/13 23:58:53

http://woman.excite.co.jp/beauty/cosme/world/paris_005.html

皆さん毎日シャワーは浴びているようでした

id:booboo_002

19日まで締め切りませんので、お手数とは思いますが、またの回答をお待ちします。

2006/11/14 00:32:22
id:zumig2 No.4

zumig2回答回数32ベストアンサー獲得回数52006/11/14 11:22:45ここでベストアンサー

ポイント80pt

こちらを見つけました。ご参考になるでしょうか?

http://www.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/nakano(05-1-31)

学生さんのレポートですが、なかなか充実した内容です。


これによると、もともとヨーロッパにおいて入浴は清潔のためでなく単なる娯楽であったため、15-6世紀のペストの流行で「水への恐怖」が生まれたとたんに、庶民レベルに至るまで入浴の習慣が消えたようですね。

その後、「せめて体を拭くくらいはしようよ」と推奨されて日常的に身体を拭いたり水浴をするようなったのは18世紀のことだったようです。

ご質問にある「足の裏の角質が、長期にわたり入浴しないことで肥厚してひび割れたり」について、直接の言及のある文献は見つかりませんでした。

少なくとも、当時の人々の「興味の対象外」であったことは、上記などから十分に推察できそうです。

興味の対象外だったから、文献も残ってないんじゃないかと。

絵画で確認できるかなとも思ったのですが、足の裏の角質の肥厚状態やひびわれがわかるような絵は発見できませんでした。


ところで蛇足ですが、上記のURLに面白い箇所があったので引用しておきます。

16~17世紀には、下着が白くて、上質のものを身につけてさえいれば、服装は華麗でなくても「清潔」であるとされた。

・・・

衣服そのものが身体の汚れを綺麗にしてくれると考えていた人々にとって、香水は重要なものだった。

不快な匂いを隠し、散らしてしまい、心身を強くし、よい刺激を与える効果のあるものだと考えられていた。

香水は、体を綺麗にし、汚れをぬぐい去ってくれるものとまで思われていた。

このように、中世の清潔は現代でいう清潔とはかけ離れたものだった。

・・・「入浴の習慣がなかったから香水が発達した」という順番が、意識の中で逆転しちゃってたんですね。貴族、恐るべし。

id:booboo_002

とても参考になる文献でした。

考えてみれば、日本人も平安時代は月に一度の洗髪だったり、奈良時代にたしか光明皇后だったと記憶していますが、病者用に設置したのは蒸し風呂(サウナ)だったとかを思い出しました。

雪深い北国で、井戸や川から水を汲み、薪で湯を沸かして頻繁に入浴するとは考えにくいことでもあります。

風呂に入らない=不潔

というのは、現代の生活様式にたった考えなのですね。

テムズ川が、ガンジス川並みだったという箇所が私には興味深い箇所でした。

疑問は解決しましたが、19日締め切りと銘打ってしまいましたので、他にも参考になるような記事があったら、回答への書き込みをお願いします。

2006/11/14 12:30:02
  • id:zumig2
    あ、失礼。URLに括弧が含まれているため自動でリンクができていないようです。
    末尾の「(05-1-31)」まで全部がURLです。
    お手数ですが、そこまで全部をコピーしてご参照ください。
  • id:zumig2
    ご参考になったようで幸いです。〆切までもう少し参考資料を探してみます。

    あの参考文献で興味深かったのはもうひとつ、入浴の習慣を邪魔したのがペスト死への恐怖だったという側面です。
    今でこそ、ペストの伝染の仕組みがわかっていて、したがって清潔がいちばんと簡単に結論づけられるのですが、ペストの原因がわかっていない当時のこと。
    たとえば「同じ共同浴場の常連がいちどきに死んだ」なんて聞くと、浴場がわるい・水に触れるのが悪いということになりますよね。当時は、水が皮膚から体内にどんどんいろんな要素とともにしみこむと信じられていたというのですから、なおさらです。
    「死ぬかもしれないくらいなら、少々臭いくらい平気さ」
    ってことだったんでしょう。

    きっと当時の人々にも、清流に足を浸して気持ちいいとか、水を浴びて汗を洗い流してさっぱりとか、そのような感覚はあったはずです。
    でも、それらの快感は当時の人々にとって、死を覚悟しながらでないと味わえないものだったのかもしれません。
    「死を覚悟して味わう快感」ってどんな感じなんだろう、あんな感じかな、などと、あらぬ想像をしていた今日の昼下がりでした。
  • id:booboo_002
    ベルイマンの映画などで水浴のシーンがあったように記憶しています。レンブラントのサスキアをモデルにした、下半身を水につけている絵は水浴風景だったのでしょうか。この辺から庶民は川などで体を洗っていたと想像しております。川や湖沼での水浴びが、一般的だったにさっぱりする方法だったのでしょう。

    セザンヌの絵などに水浴と題されるものがあり、絵画的な題材だと思っていました。意外に、温かい季節に、あのように川などで体を洗う風習があったのかもしれません。

    それに比べると、ローマの浴場は贅沢、キリスト教のストイシズム浸透以前、そんな感じです。

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