弱気を助け、強きをくじく、
これは、力のある人が出来る事、
強いモノが、弱いものに勝つのは、合理的ではないでしょうか?
競争が序列を生み、弱い人は別の土俵を見つける、
強い人は、もっと強い人との競争に向かう、
平等でないものを、平等であるべきと言って、
誰が救われるのでしょう?
「自由に生きる方法なんて、100通りだってあるさ」、、、と、浜田省吾も歌ったじゃないですか?
助けてプライドを傷つける事もありますし、、、?
どうでしょう?
>助けてプライドを傷つける事もありますし
全くその通りですが、学校でのいじめは含まれません。
>強いモノが、弱いものに勝つのは、合理的ではないでしょうか?
全くその通り。弱いものだけになればフリダシに戻るだけです。
ですが、勝つ方法が問題ですね。強い者と卑怯者は違います。
(手近かな大柄な奴にヘバリつく、但し、威張るな パシリにされるようなら運がなかったと諦めるか、逃げる)
イジメられる奴に一言:
ゴミに期待するな。所詮ゴミだ3年我慢しろ(+学年主任なり、教務主任が味方に付けばクラス編成で考慮して貰える。
根暗が変に友達を作ろうとすると格好の餌食になるから意地を張らんで大人しくシトレ
まぁ、経験談です。
どれだけ強い味方を作れるか、孤独に耐えれるか…逃げれるか
以上
ホント、色々ですよね、
ケースバイケース、
ああいえば、こう言う、って感じで、
苛めも、無視も、
される方も、する方も、進化しますから、、、
まして、この情報化の時代、
何も得るものは無いので、放っておけば、そのうち減るんじゃ、、、?
そもそも、全て、本人の自由ですから、、
その通りですよ。競争原理が正とされる社会である限り、強い者が勝つ。弱い者は負ける。それが当然なんです。ある面において弱い者は、別の土俵を見つけてそこで勝てばよい。それが競争社会における、ごく当然のあり方です。
ただ、今の学校には、その「別の土俵」が無いんですよ。そこが問題なんです。「学校という土俵」で負けたら最後、もうどこにも逃げ場がない。これでは「金網デスマッチ」じゃないですか。
「金網デスマッチ」は、強者だけが戦う世界です。そこに望みもしない者を無理矢理引き込んで、さらにこともあろうに集団で一人を袋だたきにする。今の「イジメ」は、そういう構造です。これはもはや、競争社会で許される力の競い合いではありません。
この、「自由な競争」と「イジメ」の本質的な構造の違いをハッキリとさせていくことが大切です。
助けてプライドを傷つける事もありますし、、、?
どうでしょう?
金網リングの中に置いたまま助けてやるより、金網を開けて、逃げ道はこっちだと呼んでやることを考えたいですね。
不当なイジメの犠牲になって苦しませ続けるくらいなら、学校なんて無理に行かせなくてもいいじゃないですか。まさに生き方は100通り。小学生だって中学生だって、学校に行く以外の生き方があっていいはずです。
未履修科目をレポート提出で履修したことに出来る世の中です。イジメられている子だって、それでいいはずだと思いますが、どんなもんでしょうか。
同感です。
金網の門番は、親だったり?
とにかく、ああしろ、こうしろ、
子供を管理しすぎ、、、
ゆとりだ!受験だ!目指せ金持ち?
気が狂うって、当たり前?
私もTomCatさんのご意見に同感を憶えます。また、その「金網」を構築しているのは確かに他でもない親を含めた大人達でしょう。過剰な平等主義も「みんな同じであるべき」という変な「金網」生み出しているようにおもいます。
金網に「逃げ道」を設けてやることも親や大人の仕事でしょう。時には親がタオルを投げてやっても良いかもしれません。
ただ、いじめというものが生物として、弱いものの上に立とうというある意味本能とでも言うべき精神状態から出てきているものであるならば、弱者の見つけた弱者の集まる土俵の中で、またいじめが発生するでしょう。そうすると、最終的に弱者となったものは、人間以外の生物社会にみられるように、死ぬことしかなくなります。どこかで悪循環を断たなければいけないのです。
人は弱者を助けるという社会的行動を身につけたおかげで、生物学的に優位に立てているのです。
最近は「個人主義」という旗印の下、このような基本的な事柄を人間が見失っているようにおもいます。一つの原因は物質化されすぎた文明に浸っていることでしょう。もう少し、精神的な部分も見直す必要があるのではないかとおもいます。
例えば、「悪いことをしたらバチが当たる」と言う考え。これを心底信じている大人は今や少ないのではないでしょうか。多くの大人が「悪いことをしても見つからなければそれでよい。多少の悪はしなきゃ損。やったもんがち、言ったもんがち。」とでも言った感覚を持っているようにおもいます。
大人がこのような状況であれば、子供に「悪いことはしてはいけない」と教えても、信じるはずがないですよね。完全に信じるとまでは行かなくても、多少、親を含めた大人達がこのような行動基準を示してやらないといけないのでしょう。
いじめは許されざるべきものですが、大人の社会でもいじめがあります。ニュースでも大人のいじめとも言えるような不必要とも思えるバッシングが日々報道されています。これを見た子供達に「いじめはやっちゃいけない」といえるでしょうか。言ったところで、大人に対する不信感を強めるだけにはならないでしょうか。時間はかかるかもしれませんが、今は子供を逃がしてやる方法も考え、大人は子供の手本となるような生き方を目指す。ありきたりですが、これしかないと思います。
人は弱者を助けるという社会的行動を身につけたおかげで、生物学的に優位に立てているのです。
>>>現実、弱者だから、工夫したんでしょうね
原爆を被った、日本の復興に見るように、
敗者が得るものこそ、大きい
釈迦の示した、本当の平等は、
例えば、美人だって、妬まれたり、羨まれたり、大変、
まして満足のレベルが上がって、少々の容姿には、喜びを感じない?とかイロイロ難しい
金持ち、美人、暴力的に、とかよくある強みは、
イロイロありますが、
負けるが勝ちって、いうのもあって、
何処かで、誰かが、言葉を掛けてあげる、
生きる知恵をあげる、、、
亀の甲より、年の功、だから普段から敬って、
話を聞くようにしないと、、、
何しろ、聞く力、待つゆとり
なんにもしないことも、大事なんですし、
なんなら、ちょっと出家でもして、
仏の知恵を勉強するとか、、、
家で少年少女とかも、本能的に、身を守ってるんでしょうし、暴走族集団とかも、唯一の居場所だったりするんだろうなんて、、、そんな気がする、
今日この頃、、
合掌
>平等でないものを、平等であるべきと言って、
誰が救われるのでしょう?
まさに思います
人は平等だなんてきれいごとで片付ける人も居るけれど、実際は平等なんかじゃない。
それは身分、暮らし、生活だけではなくて、生まれてきたそのときから、人はいろいろな人生さえも平等に同じ幸せが与えられているわけではない
いじめがいじめを呼ぶ
戦争と同じです
戦争が、また次の世代に戦争を呼ぶ。
いやな世の中です
誰がこんな世の中を望んだでしょうかhttp://q.hatena.ne.jp/1163698168
それでも、よく見ると、因縁因果っていうのがあって、
ブスは、ブスでも満足出来る、
貧乏なら、塩の利いたおにぎりで満足出来るとか、
苦労して肉体労働する人ほど、健康で飯がうまいとか、
この世は良く出来ている、、、
と思うんです。
ホントの平等ってこれを言うんじゃないかと、、
戦争だって、訳がある、気の済むようにやるしか無い、
まして、文明の利器、ほとんど戦争から生まれてます。
そればかりか、経済戦争、夫婦喧嘩に、兄弟喧嘩、
お客のためだ、良い事だって、人の迷惑顧みず、、、
でもそれで良いと思います。
この世は、平等や因縁因果の働く、
面白い世界のような、、、
私個人的に、おおよそTomCatさんの言われる通りかと、そう思うのですが、ただ当該議論も世情既に、百論出ている項目なので、少し別の切り口からちょっと。。。
私事で恐縮ですが、最近”お国柄”等に関する記事があり、読んで、つい思わず笑ってしまったのですが。。。以下記事。。。
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タイタニック号の惨劇は、乗客数よりもずっと少ない数の救命ボートしか積んでいなかった事に原因があった。そのタイタニック号が沈没する時に、女性と子供と年寄を乗せ、殆どの成人男性は海に飛び込む事に決まった。
沈没時の海域は厳寒の沖海であり、氷山の近くだった。女性子供老人を救命ボートに乗せる為、海に飛び込む事は、すなわち直接的に死を意味した。凍る海を目前にした時に、さすがに成人男性と言えども、死にたくなくなってしまい、躊躇した。
この時にもしも、その成人男性が。。。
イギリス人ならば。。。
「あなたはジェントルマンですか?、ジェントルマンならば潔く飛び込む筈です」と言えば、喜んで海に飛び込む。。。
アメリカ人ならば。。。
「ここで飛び込めばあなたはヒーローになれます」と言えば、力強く海に飛び込む。。。
日本人ならば。。。
「みなさんそうしてらっしゃいます」と言えば、それを聞いた途端あきらめて、ようやく飛び込む。。。
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(以上記事)
確かに日本人においては、集団や組織の中に居る場合において、その組織や集団が個に掛ける圧力等による、個への影響が、極めて大きい風土があると思います。リストラでも何でもそうですね。
このあたりは個人主義の無さと言いましょうか、村社会と言いましょうか。。。所謂前出の良論”金網”の議論も、そうなってくると、システム自体がまさに村社会同様の逃げ場の無いもの、というような事にもなろうかなと思いますし、当然その辺はむしろより近代的で合理的な学校運営の在り方が求められるのでしょうが。。。
ただ、ご存知のように、義務教育等という現場においても、人間性に関する教育においては、このような「集団や組織の勝手な掟が個に及ぼす影響、或いは、村社会的体質と村社会的システム」とは全く逆の部分、
すなわち、個人としてどうあるべきなのか、どう考えるべきなのか、どのような人間であらねばならないのか、ありたいのか、などなどなど、少し例は悪いですが、このような個人としての「人間性」の成長を促す事が、教育者に求められている。。。という事でなかったかと、思います。「やってはいけないことはやってはいけない」とか、「弱い者は守り、強い者を挫く」とか、勇気、正義感、友情、信頼、行動、挑戦、成長。。。などなどですか。
イジメられている子を助けると、助けた子が次のイジメのターゲットになる、等と聞きますが、この点についてですが、ところでまず大人が自分自身の事として上述のジョークをもう少し真剣に受け止めて、その次に子供への教育を考える、、、襟元を正すではないですが、そんな姿勢が、まず教師や親は無論、それ以外の大人においても今求められているのかもしれませんね。。。
例えば、イジメが現に発生したとします。そうするとそれに気づく被害者側の親御さんがいる訳ですね(気づかないケースもありますが気づくケースもある筈で)。次に、担任教師がその被害者側の親御さんから苦情なり話を聞き、校長や教頭や職員会がその話を聞きますし、加害者側の親御さんが居て、さらには学校の上部組織がある訳ですね。
ここで大人はどうするのか?、ではないでしょうか。「みなさんそうしてらっしゃいます」の世界で、所謂社会的圧力や社会的ルールと勝手に考えるものの中に埋没するだけなのか、それとも、正義感の襟元を正して本当の意味での行動を、勇気をもって行うのか、ですね。イジメという行為をした子供達も、現に、その行為に対する大人の反応を現場でリアルタイムに見ている訳ですから。。。
やはりこのあたりにそもそもの社会の病巣があるのかもしれませんね。。。
アメリカからか、どこからか貰ったエセ自由主義、
そしてエセ個人主義、
和の精神を捨てて、
家族も故郷も捨てて、
この代償は大きいと思います。
一昨年、アメリカに行った時の話ですが、
アメリカでさえ、マーケティングの方向は、
Back to Nature
Back to History
Back to Home
古きを尋ねて、新しきを知る、、、
良いチャンスなんでしょうね、、、
追加発言します。
まさに現在の日本にあるのは上っ面だけを輸入した「エセ自由主義」であり、自由主義を偏重した本家の国家が資本競争という点以外ではすでに崩壊しつつあることを目の当たりにしているのですから、いい加減猿まねはやめて、そこからもっと学び取らなければならないのではないでしょうか。
また、aounさんの引用は言い得て妙だと思いました。いい表現ですね。
今は「皆がしている」考えが、「ばれなきゃいい」とか、「言ったもんがち」という考え方になっているのではないかと思うのです。
子供の前で平気で信号無視する、他人を怒鳴る・責めたてる、こういった行動を大人が取っていれば、子供がまねするのは当然でしょう。
正義とか、信頼とか、そう言ったことを教えるのは重要なのですが、子供達は大人から言葉で学ぶのではありません。大人の行動をみて学習するのです。大人が行動で示してやる必要があるのでしょう。
あと、仏の智慧というコメントを頂きましたが、まさにその通りだとおもいます。
今の大人に足りないのは「知足」ですよね。欲が尽きることはありませんしね。
「麦を蒔けば麦が生える」当たり前のことです。悪いことをすればどうなるか。
まさに大人の行動を「因」として子供達の行動に「果」として出てきているようにおもいます。
こういった因縁果をわきまえ、どこで自分の「足るを知」り、幸せと感じるか。
こう言ったことを教えていかなければならないのでしょう。
自分自身もそうなのですが、人を責めることばかりにとらわれないで、もっと謙虚に生きていく必要があると思います。
このままでは確かに、非常に大きなものを失いますよね。
子供悪くない、でも大人も悪くない、、、
ココロあるもの全て、解らない
自然を見てみれば、勝手に生えて、勝手に散る、
山は荒れ果て、虫がわき、
動物は、食い合い、垂れ流し、、
それを食うバクテリア、
それを肥料に育つ、木や草、
何しろ、ココロに柵は立てられない、
善も悪も解らない、
だから、少しでも解ると美しい、
人の和、友の和、家族の和、
外れてまた楽し、
人の幸せ、ココロの平安、
法律や、学校、先生や家族にだって、頼れませんよ
まして政治家や警察無力です
先生たちの苦労と喜び、、
筆舌に尽くしがたし、、、
最近は大人も子供も自己中になりすぎていると思います。
人間は元々は自己中な生き物ですが、少し前の日本人は・・・
お父さんは家族や会社のために頑張り、母親はそんなお父さんや子供たちのために家事を頑張り、子供たちはそんな両親を喜ばせたくて勉強や運動に精を出した。
そんな家族が結構いたはずです。しかし今となっては・・・
お父さんは家に帰りたくないから仕事をして、母親は夫に文句を言われない程度に家事をして、子供はお小遣いをもらうために親に媚を売る。
というような状況が少なく無くなってきています。
前フリが長くなってしましましたが、つまりは日本人全体の心の問題だという事です。
親がこどもを甘やかしすぎるために学校側は子供を叱る事ができず、そのせいで子供がいじめられれば平気で学校のせいにし、学校は学校で『叱る事のできない教育環境が悪い』といって逃げます。
子供はといえば、
いじめる側は、いじめて楽しければ相手は誰だって良いし、ほとんどの子はいじめられたくは無いのでいじめる側につきます。
いじめられる側は、大概いじめられる理由は自分にあるのに、それを親や他人や周囲の環境のせいにしていじけるので余計にいじめられます。理由も無くいじめられる子も元々はいじめる側に入っていたため、たまたま目を付けられいじめられるケースがほとんどです。
正直この事を解決する事は無理だと思います。教育などで長期的に意識改革を行うとしても今の子供が大人になったらその子供に対して余計に悪化しそうな気がします。
手っ取り早く改革するには自衛隊や警察などの厳しい訓練所に入れて根性を叩き直すしかないかも・・・でもそしたらまた体罰などの問題が出てくるかも
確かにそうですね、
それししても、優しくしたほうが、好かれるし、得だと思うんだけど、
苛めるって言うのは、なんか腹の立つこと、気に触ることがあるんでしょうね
世の中、矛盾に満ちていますから、
家庭も、近所も、、、
何しろ下らない情報が多い、
お笑いが流行るのも、どうしようもない
現実の鏡?
柔軟かつ、前向きに、
人間関係を勉強していくしかないですね
あいまいな日本語に現れているように、
単一民族、単一言語、農耕社会で、
適当に、上手く行っていたんでしょうね、、、
格差、国際競争、情報化、
何かと騒々しくなりますが、
対処していかないと、、
みんな色々あるみたいだし、
羨ましいとか、妬ましいとか、不満が、、、
イジメというのは、一般的に複数の者がひとりの人をイジメる。
ということですよね?
その場合、強者、弱者は関係ありません。
多くの人が複数対1で勝てるはずがありません。
1対1のケンカなら、本人同士で勝手にすればいいと思いますが
複数対1なら、その時点で強者ではなく、ただの卑怯者です。
だから、当然周りの人は、助けるべきです。
人の能力は、皆違うし、〇〇が劣っていても××が優れている
というものです。単純な比較はできません。
そういう意味で、全く平等ではないですが、
だからと言って、力が強いから偉い、頭がいいから偉いと
いう訳でありません。
平等じゃないのに、平等であるべき。という意味を少し
誤解してると思います。
単純に、どんな人も、自分の人生を十分生きて人に迷惑をかけない範囲で楽しむ権利があるというだけの話です。
学校ってどう違うのでしょうか?
勝つ方法なんてどうでもいいでしょうけど、
いじめる人は、他で苛められてるとか、
無視されてるとか、”つまんない”って、感情があったり、理不尽なもの親や社会からから押し付けられてるんでしょうね、、、
卑怯者って、見てみぬふり?
卑屈で怯えてる、、、
悪いことしないでしょう、、、こういう人は?