映画見に行きましたが、傑作とまでは行かないまでも、面白く良い作品だと思いました。
んーこれを傑作というのでしょうか?
真実かもしれない、こういう世界も本当に現実にあるかもしれない。と、思わせてくれる、とても良い作品でした。
最近原作を読んで、まあまあ面白かったので。
>傑作とまでは行かないまでも、面白く良い作品
率直な感想をありがとうございます。
原作は傑作です。しかし、映画は失敗作です。尺の関係で話を省略しすぎで原作のファンには悲しいできになってます。
原作を読んだ後に映画を見るとよくあることですね。
映画を見逃しているので…
DVDはまず借りることにします。
エンターテイメントとして、とても面白かったです。
本も数年前からずっと売れているし、多くの人がそう思っていると思います。
配役もよいし、見たいと思うのですが、本の楽しみ方がいまいち、読んでいる最中は一気読みだったのですが。
興行成績もさることながら、リピート率が高いのが傑作なのではと思うのですが、いかがなものでしょう?
サスペンスとしては面白かったかな。
マスコミがあおるほどには「ダ・ヴィンチが仕掛けた謎解き」が面白くない。
回答ありがとうございます。率直なご意見、参考になりました。
傑作です。
なかなか奥の深い作品で面白かったです。
これを傑作と言わずして何を傑作と言う
回答ありがとうございます。
初めての言い切りご意見、原作・映画のどちらも傑作とお考えでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/rikuzai/20060603/p1
↑は映画を見た後の感想です。
中でも言っていますが可もなく不可もなくといった印象です。
小説原作に関しては、こういった系統の小説好きには実はちょっと物足りないのではと思います。
いやもう、もっと薀蓄あってもいいよ!みたいな。
どちらかと言うと同じ作者なら「天使と悪魔」の方がお薦めです。
以上から「傑作か?」という問いに対しては「傑作、と言うほどではない」と回答します。
日記読みました。小説を読んで配役を見たところでだいたい同じような感じをもってます。小説の展開にスピード感はあるけれど、読み終わってからもう少し薀蓄をたれてほしかったなと思いました。
『薔薇の名前』は読みそびれていたけれど、この機会に読んでみようと思っています。
回答をありがとうございました。
小説は傑作であったと思います。
謎に迫る描写や「ファンタジーとして」キリスト教に関わる要素を
魅力的に散りばめられたことが特にすばらしいです。
映画は原作を忠実になぞろうとしすぎ、
キーワードになるさまざまな要素を記号的に消費してしまい、
要素そのものの魅力を感じさせられなかったこと、
ストーリーも急ぎすぎ、詰め込みすぎになってしまったことから、
小説の豪華な挿絵にしかならなかった点で失敗だったと考えます。
「映画として楽しもう」ではなく、
「原作を読んでいるからストーリーはいいや。映像でみてみたい」
という気分でいれば悪い体験ではないと思います。
個人的にはむしろ原作を読みそれを映像で補足するためには、
映画公開時にやたらと放送された「ダヴィンチ・コード」特集のほうが
実際の歴史的遺物やキリストの歴史に触れることができ、有意義でした。
>原作を読んでいるからストーリーはいいや。映像でみてみたい
そういう気分でいます。
映画公開時にやたらと放送された「ダヴィンチ・コード」特集のほうが
>実際の歴史的遺物やキリストの歴史に触れることができ、有意義でした
話題になっていたので、おっしゃるとおりではないかと思います。
私事で、見ている時間がとれず、いまさらの質問です。
回答をありがとうございます。
一時のブームで、結局はよく分からないまま終ってしまった感じがあります。
DVDなどはあまりはやらなかったですから。。
>DVDなどはあまりはやらなかったですから。
セブン・イレブンなどで、9月ごろからポスターを見かけたけれど、それほどの売り上げではないということですね。
回答ありがとうございます。
映画は見てないので書籍のほうだけですが、サスペンスとして面白くてぐいぐい引き込まれて読みました。同時に、トンデモ本だなあという雰囲気も感じてました。
「読めない文字列」のイラストを見たとき、椅子からずっこけそうになりました。だってあれ、誰が見たって○○○(ネタバレなので自粛)! それなのにその話題を引っ張る引っ張る。
あと、どう優しく考えても「いつそんな動作をする余裕があったん?」って思う箇所もあり…。
おまぬけで底が浅くても、読んでて楽しかったからいいのですけどね。
映画のほうは、トムハンクス主演なので更にトンデモ感が増していたのではないかと想像します。
トンデモ本、そうとも言えるなと、楽しく読みました。
回答ありがとうございました。
こんばんは。本も映画もみたものです。
これは本を読んでから映画を見るか、映画をみてから本を読むかによってだいぶ印象が違うでしょう。ぼくは後者でした。
例えば、映画にジャン・レノが出演していますが、本に「ファーシュ警部は怒れる牡牛のごとく、広い肩をそびやかし、あごを胸もとまで強く引いていた。」と読むと、映画と印象がたぶって、本のなかでジャン・レノが演技しているイメージになります。
映画そのものの全体では、時間の制約で細かなエピソードが省かれ、ゆっくり思索する印象が損なわれていると感じました。つまり、本だともっと謎解きに悩んでいた感じでしたが、映画だとあっというまにひらめいて解いてしまう印象です。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4760114432
がダ・ヴィンチ コードのネタ本の1つだといわれますが、昔からある伝説を現代にマッチさせることに成功しているか?という意味では成功しているのではないでしょうか。また、翻訳がよいのか、表現を最小限におさえていてスピード感よく読ませてくれる文体かなと思いました。
>映画だとあっというまにひらめいて解いてしまう印象です。
それだけ映画に引き寄せられているというようにも考えられますね。
ジャン・レノは今のところ一番好きな男優なので・・・イメージが変わるかもと思いました。
原作しか読んでいませんが,エンターテイメントとしては非常に読みやすく,スピーディで面白い作品(傑作)だと思います。
ただ,個人的には様々な薀蓄や謎解きがもっと深いほうが好みかなぁ...と思っております。そうなると読みにくくなるので,一般的でなくなりますけどね。
同じような感想ですね、やはりベストセラーになるものは万人向けで分かりやすいというのが大事な要素なのでしょうか。
私ももうちょっとと思いました。
とはいえ話題になったから読んだわけで、万人向けでなかったら出会いのチャンスはなかったのかも知れません。
原作を未読で映画を見ましたが、評価以前の問題で単体の映画としては成立していないと感じました。メディアミックス作品としての評価はともかく、映画として傑作ということはありえないと思います。個人的には映画としてあえて評価を下すなら次のような理由で駄作としかいいようがありません。
最大の難点は展開の不自然さと拙速さでしょう。本来、文化的、宗教的な背景知識を有していたとしても難解と思われる話ですから、観客が物語の筋を理解しやすいように展開の見せ方には十分、配慮をすべき種類の映画であったと思うのです。が、この映画ではそういう配慮をする努力があったようには思えません。むしろ、わざと分かりにくくして映画の中味の薄さを誤魔化そうとしているかのようにすら思えます。
かようにストーリー的には引きつけるもの、新しいものは何もないわけですが、かといって登場人物の心理描写におもしろさを見出せるわけでもありません。全ての登場人物は心理過程が理解できない「ただの変な人」として表れ、あたかもストーリー上仕方なくそこに置かれたただの駒のようです。映画の大きな醍醐味である、生きた人物がスクリーンから浮かび上がってくるかのような感動は期待するべくもありません。
結局、キリスト教正統教義を公然と否定するというスキャンダラスな衝撃ただ一点に頼るだけの映画でしかないわけですが、その「衝撃」もキリスト教文化圏ではない日本においては何の意味も持たないため、はっきり言って日本においては何ら見るべき点のない映画だったのではないか、という感想を私は持ちました。
おっ、初めての辛らつな意見、
>展開の不自然さと拙速
最初の殺人現場の不自然さには言及が既にありますが、興味深い意見です。
かなり映画を見たい気がましてきました(現場検証的に、という意味で)
面白いと思いましたが。
すばらしいとは思いませんでした。
キリスト教生成期の歴史を知らないと楽しめないのじゃないのかなと言う気がすると
やはりマグダラのマリアがキリストの奥さんだと言われると(へーっ)と言う感じで違和感があります。
教徒じゃないので、腹は立ちませんが。
そんのに深く読んでいる訳ではないけど
所々は聖書も読んでますから
レディ・ファーストは男尊女卑的な考えに基づくという説もあり、それがカトリック教会によって植えつけられた思想であり習慣だったのだと思いました。
確かに神父・牧師は男性ばかりです。聖書の成立過程で異端として退けられた資料がたくさん存在した、と解説本で読みました。中世の魔女裁判などの迷妄の原因が理解しやすくなり、マグダラのマリア観も少し変化しました。
この本に触発されて、修道院や十字軍について調べてみたくなっています。
回答、ありがとうございました。
男女平等の問題ではなくて
「マグダラのマリア」は、娼婦と言う事になっていると思います。娼婦の人を差別するつもりはないのですが。やはり少しは差別心も残っているかも知れません。キリスト教徒の人が聞くとびっくりすると思いますよ。
日本のお坊さんやインドの仏陀の弟子の中にも教化する前は人殺しだったりする人も居たはずで。教化される前に何をしていたかはどうでも良いことだとは思いますが。
ダン・バースタイン著「ダ・ヴィンチ・コードの真実」(竹書房)によれば、マグダラのマリアは娼婦ではなく、イエスの妻であった可能性もありうる事を示唆しています。
初期キリスト教の成立の過程で、カトリック教会の都合が良いように、イブと対を成す存在として娼婦とされたといった研究があるそうです。
聖書の完成は4世紀頃だそうで、その間に新約聖書にとりいれられなかった多くの文書が異端として抹殺されています。20世紀に入って見つかった文書には、マグダラのマリアによる福音書も含まれていたというような記述もあったと思います。
といったわけで、マグダラのマリアの復権(すなわち女性の立場の復権)が映画のテーマのひとつです。それが、ヨハネパウロ2世に至っても男性優位のキリスト教に対して、波紋を投げかけているということです。
sadajo さんのご意見はいかがですか?