地球外生命の存在数は、ドレイクの方程式による理論値ではN>>1であり、理論上は地球人以外にも生命が存在すると考えられています。
http://symy.jp/?fmy
しかし、現在の観測値はN<<1(宇宙には我々人類しか観測されていない)であり、理論値と観測値が矛盾していることは、フェルミのパラドックスとして知られていることであり、このことがご質問のような疑問を生じさせる動機になっていると思われます。
しかし、フェルミのパラドックスで指摘される不確定要素は「不確定要素が何であるか」という問題点がわかっているので、ハビタブルゾーンの解明など、今後の科学的研究における不確定要素の解明により、宇宙人はいるのかという疑問は解消されていくものと思われます。
http://symy.jp/?zEk
地球外生命の存在可能性は、ハビタブルゾーンと呼ばれる生命可能領域がどの程度存在するかによって左右されると考えられています。ハビタブルゾーンは、大別して銀河系のハビタブルゾーンと惑星系のハビタブルゾーンの二種類があるとされています。
惑星系のハビタブルゾーンについては天体観測と学問的研究の進歩により解明がある程度進んでいますが、銀河系のハビタブルゾーンについては現時点では解明困難な未知の要素があり、今後の観測と研究により解明されるのは時間の問題であると思われます。
http://symy.jp/?2fl
http://symy.jp/?1v1
以上が科学的な地球外生命が存在する“可能性があるかどうか”という議論です。
宇宙人がどこにいて、どんな存在なのかはわかりません。しかし、地球人以外に存在する“可能性”はある。そういう科学的認識が重要であり、存在が観測されていなくても、存在する可能性があるという前提のもとで、様々な宇宙探索計画が作られ、実施されてきました。
大事なことは存在の可能性であって実在証明ではない。その流れは、今後も当分は続くでしょう。
では、可能性の問題ではなく、事実性の問題として宇宙人が“観測”された場合にどういう事態になるのか。そうなってみなければわからないという回答が回答として正確かもしれません。
地球外生命は、科学的に可能性として存在し得ると理解が広まっている状況では、存在の発見とその発表は、科学的には「理論上想定内の出来事」として認識されるでしょう。ぶっちゃけ、おおくの人は「やっぱりいたか」で終わってしまうことになるかもしれません。
想定される事態としては、まず、その事実を受け容れたくない動機を持つ人たちを中心に、発表に対する“懐疑”が起こると思われます。ほんとうにそれは地球外生命なのか、地球人が作ったモノではないのか、という懐疑が。
そして、その後に、事実確認が様々な人たちの手によって行われることになるでしょう。その発表は本当に事実なのか、と。
そして、その過程において、地球外生命の存在が確定することで利益を得る人と、既得権益を失う人の間で、対立が発生する可能性があります。
地球こそ宇宙唯一の存在であり宇宙の中心であり、われわれは特別の存在であると信じることによって利益を得ている集団は、地動説を教義としていた人たちの特権が科学の進歩とともに失われていったように、事実の発表によりこの世界での利益を失うことになるでしょう。そして、そうならないために彼らは地球外生命の存在の確認をあらゆる方法で妨害しようとするかもしれません。
しかし、賢人が述べているように、人は知ることを欲する存在ですので、最終的には人々は真実を知り、その真実を受け容れて生きていくことになるでしょう。そうなるまでの期間が10年なのか、1000年なのかは、私にはわかりません。
「いると仮定して発表しない理由」ですが、いろんなケースが考えられそうです。
おそらく一番高い理由は、発表しないでいる動機が観測者にある場合。
発表するからには、事実を証明し、第三者に追証させるための証拠が必要です。証拠湮滅や契約上の秘匿義務など、なんらかの事情で確保できない場合、事実がわかっていても発表できない可能性があります。
たとえば警察官が犯罪捜査によってある人物が犯罪者であると知っていても「あいつは犯罪者である」と個人的に発表することができない場合があるように、地球外生命の探査においても知っていても知らせないということは可能性としてありえることだと思われます。
地球外生命の存在数は、ドレイクの方程式による理論値ではN>>1であり、理論上は地球人以外にも生命が存在すると考えられています。
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しかし、現在の観測値はN<<1(宇宙には我々人類しか観測されていない)であり、理論値と観測値が矛盾していることは、フェルミのパラドックスとして知られていることであり、このことがご質問のような疑問を生じさせる動機になっていると思われます。
しかし、フェルミのパラドックスで指摘される不確定要素は「不確定要素が何であるか」という問題点がわかっているので、ハビタブルゾーンの解明など、今後の科学的研究における不確定要素の解明により、宇宙人はいるのかという疑問は解消されていくものと思われます。
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地球外生命の存在可能性は、ハビタブルゾーンと呼ばれる生命可能領域がどの程度存在するかによって左右されると考えられています。ハビタブルゾーンは、大別して銀河系のハビタブルゾーンと惑星系のハビタブルゾーンの二種類があるとされています。
惑星系のハビタブルゾーンについては天体観測と学問的研究の進歩により解明がある程度進んでいますが、銀河系のハビタブルゾーンについては現時点では解明困難な未知の要素があり、今後の観測と研究により解明されるのは時間の問題であると思われます。
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以上が科学的な地球外生命が存在する“可能性があるかどうか”という議論です。
宇宙人がどこにいて、どんな存在なのかはわかりません。しかし、地球人以外に存在する“可能性”はある。そういう科学的認識が重要であり、存在が観測されていなくても、存在する可能性があるという前提のもとで、様々な宇宙探索計画が作られ、実施されてきました。
大事なことは存在の可能性であって実在証明ではない。その流れは、今後も当分は続くでしょう。
では、可能性の問題ではなく、事実性の問題として宇宙人が“観測”された場合にどういう事態になるのか。そうなってみなければわからないという回答が回答として正確かもしれません。
地球外生命は、科学的に可能性として存在し得ると理解が広まっている状況では、存在の発見とその発表は、科学的には「理論上想定内の出来事」として認識されるでしょう。ぶっちゃけ、おおくの人は「やっぱりいたか」で終わってしまうことになるかもしれません。
想定される事態としては、まず、その事実を受け容れたくない動機を持つ人たちを中心に、発表に対する“懐疑”が起こると思われます。ほんとうにそれは地球外生命なのか、地球人が作ったモノではないのか、という懐疑が。
そして、その後に、事実確認が様々な人たちの手によって行われることになるでしょう。その発表は本当に事実なのか、と。
そして、その過程において、地球外生命の存在が確定することで利益を得る人と、既得権益を失う人の間で、対立が発生する可能性があります。
地球こそ宇宙唯一の存在であり宇宙の中心であり、われわれは特別の存在であると信じることによって利益を得ている集団は、地動説を教義としていた人たちの特権が科学の進歩とともに失われていったように、事実の発表によりこの世界での利益を失うことになるでしょう。そして、そうならないために彼らは地球外生命の存在の確認をあらゆる方法で妨害しようとするかもしれません。
しかし、賢人が述べているように、人は知ることを欲する存在ですので、最終的には人々は真実を知り、その真実を受け容れて生きていくことになるでしょう。そうなるまでの期間が10年なのか、1000年なのかは、私にはわかりません。
「いると仮定して発表しない理由」ですが、いろんなケースが考えられそうです。
おそらく一番高い理由は、発表しないでいる動機が観測者にある場合。
発表するからには、事実を証明し、第三者に追証させるための証拠が必要です。証拠湮滅や契約上の秘匿義務など、なんらかの事情で確保できない場合、事実がわかっていても発表できない可能性があります。
たとえば警察官が犯罪捜査によってある人物が犯罪者であると知っていても「あいつは犯罪者である」と個人的に発表することができない場合があるように、地球外生命の探査においても知っていても知らせないということは可能性としてありえることだと思われます。