日本国の共同責任の代表者たちが 東京裁判で真実をはっきり述べたことは
とても大切なことでした
「 断じて日本国は侵略戦争をしたのではなく、自衛戦争をしたのである 」
終戦直後、日本国民は米国の政策によりすっかり洗脳されてしまいました
昭和20年時において、二十歳以上の青年で時代背景や過去の歴史をわかっておれば
洗脳プログラムに対抗しうる気力があったであろうけれども、
昭和20年時に、6~19歳前後の青少年であった人たちは、
食べるものがなく、飢餓状態の生活のなかで、ラジオや新聞によって
繰り返し洗脳されたため、自分で真偽を確かめる術もなく、ひとたまりもなく、
洗脳されてしまったのです。
表向き日本国を責めるようなことを発言しないとしても、
内心では日本国の過去の指導者たちに不信の念を抱くようになってしまったのです
米国の検閲により、正当な日本人と少数の公正な外国人の主張は消されてしまい、
主権回復した後でさえも、日本国の指導者たちは、
米国から押し付けられた「 歴史認識 」を修正しようとせず、
大東亜戦争の正しい事由を、自国民に 明確に伝えようとしてこなかったのです
その結果、共産主義者や 危険な洗脳教育を受けた隣国の民から、
捏造された歴史や、歪曲されたいわれのない事件について、非難を受けても、
一人一人の日本人が、毅然として言い返すことができない状態となり、
何とも憂慮すべき状況に陥ってしまったのです
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「 日本は欧米列強諸国の支配する奪い合いの世界に一人立ち向かい、
その後、ある光を遺して、敗れました。
思いおこせばこの数百年、奪うものが奪われるものを支配する力学が
罷り通っていた時代でありました。
そのような世を悲しまれ、
四方の海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ
そう明治大帝がお詠みになられたことが御座いました。
その大御心を一心に引き継がれようとされました昭和天皇を戴いて、
わが先達はこの百年の激動を駆け抜け、そしてついに、
歴史の流れを、かえたのであります。
欧米の世界制覇が進行するこの時代、我が国は自国のみならぬ
亜細亜の独立と安定を守る為、日清戦争では大韓帝国の独立を確保し、
日露戦争においては満州と朝鮮半島を狙う世界最強国ロシアを排撃しました。
第一次世界大戦が幕を閉じたパリ講和会議においては、
先人はこの時代を支配していたいかなる列強諸国も考えていなかった
ある提言を、堂々と行ないました。
大国列強の集うこの国際会議において、世にも人にも先駆けて我が国は、
隷従と酷使を強制する列強国を前に人種差別の廃絶を訴えたのであります。
神武建国の御時より今に至るまで、先達は天皇陛下と心を一にして、
この「 八紘一宇 」の精神を顕そうとされてきました。
しかし、我が国のこの存在は植民地を縛り上げることにより
権勢と富を貪ってきた列強諸国を揺さぶることとなり、
失うことの不安とそれ以上の憎悪とに苛まれた欧米諸国は、
対日戦略を立案し、強行的な圧力と挑発を繰り返すように
なったのでありました。 」
http://www.melma.com/backnumber_256_1360762/
http://www.melma.com/backnumber_256_1360463/
「 大正十年のワシントン会議で、日英同盟は、当事者では
ないアメリカにより破棄せられるところとなり、また、
移民の歓迎を国是とするはずのアメリカは、日本人移民のみを
締め出す排日移民法を、その感情の赴くままに制定し、
アメリカに帰化していた日本人の国籍まで奪いました。
この締め付けの果てに、我が国と欧米列強との関係は悪化の一
途をたどることとなりましたが、ひたすらに平和を願われます
昭和天皇の大御心に導かれまして、我が国はあくまで外交にも
とづく時局の打開に臨みました。しかし、アメリカがそれまで
の日米交渉の経過を一切無視するハル・ノートをつきつけるに
至って、神代より連なるこの国の生命の断絶を予感した我が国
は、昭和十六年十二月八日、ついに、米英との戦端をやむなく
開いたのでありました。
大東亜戦争において我が先達は、二千六百年もの連なりを
なしているその悠久を守るため、また列強による侵略の
苦痛より喘ぐ東亜の同胞を解放したい思いを胸に熱くして、
陸に海に空に、そして本土である沖縄に、力戦奮闘をたび重ね、
一つとしりながらもその尊き命を、この悠久に捧げられたのであります。
守るべきを守り抜いたこの奮戦を経て我が国は、
国民(くにたみ)の身を深くお憂いにならせられました
昭和天皇の御聖断を畏くも奉戴するをもちまして、
この御戦を閉じることとなりました。 」
1945年12月9日から1948年1月まで約3年間
毎週日曜の午後8時から30分間、米国占領軍のラジオによる洗脳番組が
NHKラジオ第一・第二で、同時放送された
さらに毎週月曜午後12時30分、木曜午前11時、夕方5時に再放送されたのである
番組名は「 眞相はこうだ 」「 眞相はこうだ・質問箱 」「 眞相箱 」「 質問箱 」
日本人の大人が、太郎という少年に戦争中の話を聞かせる形式だった
米国が全部正しかった 米国による原爆投下は当然の報い
日本は原爆を落とされても当たり前だ という
米国の一方的な論で、終戦直後の日本人を「 洗脳 」していったのである
1952年(昭和27年)4月28日の講和条約発効の日を迎えたあと、
日本国の共同責任の代表者たち全員が、赦免・釈放されていたとしたならば
「 眞相箱 」を構成する物の見方は、
決して日本人のなかに定着するようなことはなかっただろう
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