靖国参拝もせず、A級戦犯に憤ったという事をみても、戦争には反対の立場をとっていました。
マッカーサーに「私は八つ裂きにされても日本は分割されないでくれ」
といったそうです。昭和天皇には罪はありませんよ。
日本国においては 大東亜戦争の開戦に関して
国民全体の 共同責任の代表者たちは居ましたが
犯罪者は 一人も居ませんでした
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog116.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog168.html
戦争指導方針を確定する御前会議に天皇が臨席していた事実により、天皇には開戦責任があったと考えられます。
攻撃命令を出したのは政府だから天皇には責任が無いというロジックは、言葉の詐術でしょう。政府が攻撃命令を出しえる戦争方針を決定した事実をもって開戦責任があると認められるべきです。
民間の契約でもそうですよね。契約書にハンコを捺したら、その契約書にハンコを捺した人に契約履行の責任があります。天皇は戦争指導方針に御璽を捺し、天皇の方針だということで国民は命令に従って侵略行為を為したのですから、天皇に関係無いという理屈は通じません。
尚、ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を暗号解読により知っていたから責任が無いという主張は、開戦時期を知っていたからといって侵略戦争に同意したことにはならないわけですから、「平和に対する罪」の違法性阻却理由にはなりません。
百歩譲って開戦責任が無いと仮定しても、天皇を含めた戦争指導者には侵略戦争を止める権能を持ちながら止めなかったという不作為を行った事実に対する“開戦後の”戦争責任は存在します。
日本国においては大東亜戦争の開戦に関して
国民全員の共同責任の代表者たちはいましたが
犯罪者は一切いなかったのであります
繰り返して 全く同一のことを 申し上げておきます
当初より 一貫して 主張は変えておりません
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9...
東條の処刑の一番の大きな問題は、天皇の戦争責任と帝国臣民の戦争協力責任の解明が(政治的な意味で)困難になったということです。
なにもかも東條一人に責任を負わせて処刑してしまったがために、昭和天皇の戦争責任や、あのメチャクチャな戦争に協力して「天皇万歳」を叫んでいた一般国民の戦争責任を問うことが困難になってしまいました。そのことが、日本の戦後史に大きな影を落としていると思います。
もし東條が生きていて、そのことになにか言及していたら、国民総懺悔=国民の戦争責任の無回避といういまのような事態にはなっていなかったかもしれません。
そして、連合国に日本国が占領されたとき、政府や“国体護持”を絶対擁護を目した旧軍人たちが東條の処刑に賛成して天皇の戦争責任を問えなくしてしまったあたりの眞相。その歴史事実が、東條が死んでしまったことによって証言する人がいなくなってしまいました。
まさに死人に口無しです。
もし東條が終身刑になり、そこら辺の“国体護持派”の連中の売国的政治が歴史解明の中で明るみになっていたら、売国的な“国体護持派”の系列に属する政治家が政界を牛耳るようなことは無かったかもしれません。
大日本帝国のアジア侵略は、天皇自身の意思であり命令であり、戦争責任は天皇と天皇の命令に服した帝国臣民ひとりひとりに存在していました。
戦争責任は東條ひとりにあるのではありません。
東條が生きていれば、その事実を明らかにすることができたかもしれません。
それができなくなったことで、戦後の日本は戦争の総括が困難になったという側面もあります。
私とは思想も主張も異なる方ですが、富岡幸一郎氏が戦争責任は戦犯だけではないと主張しています。その主張に私は同感です。