極東裁判で東條英機が死刑とならず終身刑となっていたら彼へのインタビューなど,今も評価の定まらない太平洋戦争の問題がいくらか解決していると思います.今まで続いているどのような問題が解決していると考えますか?

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天皇と国民の戦争責任の解明、戦争の総括 ラージアイ・イレブン2007/01/03 16:31:53ポイント5pt

東條の処刑の一番の大きな問題は、天皇の戦争責任と帝国臣民の戦争協力責任の解明が(政治的な意味で)困難になったということです。

なにもかも東條一人に責任を負わせて処刑してしまったがために、昭和天皇の戦争責任や、あのメチャクチャな戦争に協力して「天皇万歳」を叫んでいた一般国民の戦争責任を問うことが困難になってしまいました。そのことが、日本の戦後史に大きな影を落としていると思います。

もし東條が生きていて、そのことになにか言及していたら、国民総懺悔=国民の戦争責任の無回避といういまのような事態にはなっていなかったかもしれません。

 

そして、連合国に日本国が占領されたとき、政府や“国体護持”を絶対擁護を目した旧軍人たちが東條の処刑に賛成して天皇の戦争責任を問えなくしてしまったあたりの眞相。その歴史事実が、東條が死んでしまったことによって証言する人がいなくなってしまいました。

まさに死人に口無しです。

もし東條が終身刑になり、そこら辺の“国体護持派”の連中の売国的政治が歴史解明の中で明るみになっていたら、売国的な“国体護持派”の系列に属する政治家が政界を牛耳るようなことは無かったかもしれません。

 

大日本帝国のアジア侵略は、天皇自身の意思であり命令であり、戦争責任は天皇と天皇の命令に服した帝国臣民ひとりひとりに存在していました。

戦争責任は東條ひとりにあるのではありません。

東條が生きていれば、その事実を明らかにすることができたかもしれません。

それができなくなったことで、戦後の日本は戦争の総括が困難になったという側面もあります。

 

私とは思想も主張も異なる方ですが、富岡幸一郎氏が戦争責任は戦犯だけではないと主張しています。その主張に私は同感です。

 

富岡幸一郎「日本文化批評」 第8回「天皇論の可能性(4)」

http://web.chokugen.jp/tomioka/2006/08/post_5142.html

「A級戦犯」の問題について改めて言及しておけば、当然のことながらこれは東京裁判をどう捉え直すかという戦後史の問題となる。そして中国が「A級戦犯」が合祀された靖国への首相参拝に執拗に反対しているのは、1972年の国交正常化の際の賠償放棄とともに、「戦争はA級戦犯に責任があり、一般国民に責任があるわけではない」という論理を組み立てたからである。これは中国政府の論理であるが、実は戦後の日本人は、東京裁判を通じて、あの「戦争の責任は政治家や軍人などの指導にあったのであり、普通の国民は無理矢理に戦争へとかりたてられた犠牲者であった」という論理によって、今日までやってきたのである。

 つまり、戦争責任は「戦犯」といわれる人々に転嫁してきたわけである。それは取りも直さず、日本人自身が主体的に「あの戦争」を受けとめ、歴史のなかで総括することをしてこなかったことを意味する。

 もちろん、戦争指導者の責任は問われなければならない(なぜ戦争をはじめ、そして敗北に至ったのかという)が、戦前の政治家の蒙昧(もうまい)や軍閥の暴走から無謀な戦争に突入したということばかりが強調されてきたことによって、日本人は自らの「戦争」の意味について思考を停止してきたのである。

 昭和天皇は、軍事と政治の大権(統帥権と統治権)を付与された君主として、大東亜戦争に関与された。東京裁判において、しかし天皇の戦争責任は問われることはなかった。天皇を戦争犯罪人として告発することは、占領政策にとってプラスにはならないとのマッカーサー司令部の判断が働いたがためである。東条英機らのいわゆる「A級戦犯」は、その点では昭和天皇の戦争責任論と深く関わっていることはいうまでもない。

昭和天皇はあの戦争には賛成していません rthuk2007/01/05 07:59:40ポイント3pt

靖国参拝もせず、A級戦犯に憤ったという事をみても、戦争には反対の立場をとっていました。

マッカーサーに「私は八つ裂きにされても日本は分割されないでくれ」

といったそうです。昭和天皇には罪はありませんよ。

天皇は御前会議に出席していました ラージアイ・イレブン2007/01/06 17:16:28ポイント2pt

いわゆる「御前会議」で戦争方針が確定したことは、日本国政府も認める客観事実であると思われます。

 日本国においては 大東亜戦争の開戦に関して 犯罪者は一切居ません  FireBird2007/01/04 13:29:04ポイント2pt

 

日本国においては 大東亜戦争の開戦に関して

国民全体の 共同責任の代表者たちは居ましたが

犯罪者は 一人も居ませんでした

 

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog116.html

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog168.html

 

違います ラージアイ・イレブン2007/01/06 17:32:05ポイント2pt

戦争指導方針を確定する御前会議に天皇が臨席していた事実により、天皇には開戦責任があったと考えられます。

攻撃命令を出したのは政府だから天皇には責任が無いというロジックは、言葉の詐術でしょう。政府が攻撃命令を出しえる戦争方針を決定した事実をもって開戦責任があると認められるべきです。

民間の契約でもそうですよね。契約書にハンコを捺したら、その契約書にハンコを捺した人に契約履行の責任があります。天皇は戦争指導方針に御璽を捺し、天皇の方針だということで国民は命令に従って侵略行為を為したのですから、天皇に関係無いという理屈は通じません。

尚、ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を暗号解読により知っていたから責任が無いという主張は、開戦時期を知っていたからといって侵略戦争に同意したことにはならないわけですから、「平和に対する罪」の違法性阻却理由にはなりません。

百歩譲って開戦責任が無いと仮定しても、天皇を含めた戦争指導者には侵略戦争を止める権能を持ちながら止めなかったという不作為を行った事実に対する“開戦後の”戦争責任は存在します。

 日本国においては大東亜戦争の開戦に関して 国民全員の共同責任の代表者たちはいましたが 犯罪者は一切いなかった  FireBird2007/01/06 18:18:04ポイント1pt

 

日本国においては大東亜戦争の開戦に関して

国民全員の共同責任の代表者たちはいましたが

犯罪者は一切いなかったのであります

 

繰り返して 全く同一のことを 申し上げておきます

当初より 一貫して 主張は変えておりません

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9...

 

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