尤もらしい説明があれば,出典とともに教えていただけると嬉しいです.学術的でない回答はご遠慮ください.
人類が移動したのではなく、大陸が移動しただけなのでは?
url先にあるようにカタツムリにしても、太平洋を横断したとは考えられません。
同じような環境ならば、それぞれの大陸で同じように進化したのではないですかね。
人類の移動はここ数万年のことですから,プレートテクトニクスとは関係ありません.
マンモスの肉のせいだそうです。
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0275282006
http://www.1101.com/nakazawa/2005-09-20.html
http://www.fujitv.co.jp/jp/kumorepo/g_journey/info_gj.html
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31117650
http://www.jst.go.jp/kisoken/seika/zensen/12niikawa/index.html
国際的にどう評価されているのか分かりませんが面白い説ですね.目から鱗です.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%82%B...
陸路という意味では、モンゴロイドの一部が氷河期に北極圏を徒歩で渡り、ユーラシア大陸から北米大陸、南米へと拡散して行ったという事実は確かにあると思います。
ただ、南半球の大洋においてもポリネシア人がカヌーを用いて長距離移動を行っていますので、ベーリング海を渡った者も『あった』という事だけに過ぎないと考えます。
移動・拡散の事実を問うているのではなく,その動機に関する質問でした.でもご指摘の通り,船で移動した人達もいるんですよね.マンモス説だと,これは説明できませんよね.もっと他の回答もお待ちしています.
科学的真偽のほどはともかくとして、一つのおもしろい仮説として、「白人アルピノ説」というのがあります。
「アルピノ」とは体中の色素が生成されなくなる突然変異で「先天性白皮(はくひ)症」ともいわれます。黒人の中からある日、アルピノが生まれたとします。彼は体の色が違い、差別の対象となり得ることは容易に想像がつきます。そのため、集団から外れて行動することを強いられた結果、より遠くの地域へ移住したと考えられます。
また、色素が少ないため、赤道直下の強い日差しの元では生活しにくいので、緯度の高い地域へ移動していったと考えられます。
通常、皮膚の色の違いは住環境によって移住後にもたらされたと考えられていますが、この説を用いれば、エスキモーなどは現在でも白人ではないことを説明することが出来ます。
http://www.asyura.com/2002/bd20/msg/563.html
http://joumontn.com/mori&hito/031.html
このように、単なる食料とか言うだけの問題ではなく、集団から孤立させられた小集団などがやむを得ず寒い地域に移住していったと言う理由も考えられています。しかし、それ以外にも大航海時代に人類が行ったように、移動できると言うことが分かれば人類というのは多少の危険をおかしてでも自分たちの未知の世界へ足を踏み込んでいこうとするものなのかもしれません。実際、現代でも特に必要がないにもかかわらず、月や火星を探索していますから。もしかして2万年くらい先の人類は「なぜ危険をおかしてまで宇宙へ出ようと思ったのか」なんて考えているかもしれません。もちろん、人類が存続して入れば、の話ですが・・・。
ちなみに、人類が移動した1万から3万年前の頃には海面が低かったため、ベーリング海峡をはじめ、沖縄諸島もですが、陸続きが多かったようです。ですから、特に海峡を渡るという危険な行為をおかさずとも別大陸に移住できることもあったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B...
いろいろ興味深いご意見ありがとうございます.リンク先も読ませていただきましたが,(白人とアルビノの違いはさておき)アルビノ説はやはりトンデモ説かなと思います.
それとご指摘の冒険心・好奇心という動機,私もそう思います.が,現代と違って昔は生きていくのが精一杯で,そのような余裕はなかったのではないか,とも思います.
4で回答したものです。
補足と言いますか、一言追加したいと思います。
アルピノ説、確かにトンデモ的でありますので、すべてがそうではないと思いますが、そう言った側面も多少はあるのではないかと考えています。黒色は紫外線を吸収してくれるのですが、色素量の少ない人は紫外線から体を守れないために、低緯度地域では発ガン率が高いとも考えられますし、古代人は経験的に強い日差しを避けるように移動したのかもしれません。
また、冒険心という点ですが、冒険心というとちょっと語弊があったかと思いますが、狩猟生活が中心であったことに加え、生きるのに必死だからこそ、より住環境のよい新天地を求めて移動したのではないかなと思っています。
そのため、住みよい中緯度地域では中間色の人種が多くなり、暑さ寒さの厳しい地域にはどちらかの人種が住み着いたのかもしれません。
あるいは、全人類に共通の潜在意識、いわゆる集合無意識とか、シンクロニシティーとか言われるもののように、全人類的に「新天地を求めたい」というような考えが起こっていたのかもしれません。といっても数万年という時間を経てのことのようですけどね。悠久な時代では同時性も悠久なのでしょうか。
いずれにせよ、考えるときりがない、壮大なロマンですね。
色々と考えるいい機会になりました。ありがとうございます。
みなさん,ご回答ありがとうございました.
陸路にしろ海路にしろ,アフリカに誕生した人類が基本的に東へ東へと移動したように見えるけれども,それに特別な意味があるのか,という疑問からこの質問をさせていただきました.古代の宗教心や冒険心から,太陽の上る方角を目指したのではないか,と考えたのですが,アフリカやヨーロッパから西を目指すには,大西洋は広すぎた,ということに過ぎないかもしれません.
まとめると,移動の動機としては,食料(e.g.マンモス)や住環境(e.g.紫外線照射量)あるいは言われ得ぬ冒険心というのが妥当なのでしょう.
国際的にどう評価されているのか分かりませんが面白い説ですね.目から鱗です.