ニクソン・ショックについてのサイトを読みました。・アメリカが当時直面した問題とは何なのか? ・その解決法がどうして変動相場制への移行なのか? 教えてくださいませ。
掲載のURL中にもコメントされているとおり、
「財政赤字とインフレと貿易赤字」が拡大するなかで
「ベトナム戦争と国内雇用維持のために財政支出を必要」としていた、
というのが、「アメリカが当時直面した問題」ですよね。
これは極めて政治的な問題です。
純粋に経済学的な正解は「財政赤字の削減」なのに、政治的判断で雇用維持と戦争出費を止められないから、
何か他にテはないのか? ということだったわけです。
通貨安は短期的には貿易赤字を拡大させてしまいますが、中長期的には
輸出競争力が高まり、貿易赤字を縮小(黒字化)させることが期待できます。
(いわゆる「Jカーブ効果」)
貿易黒字が定着すれば、いずれ通貨は強くなり、国内景気・雇用にも
好影響が出るので、一見すると通貨の切り下げは妙案のように見えます。
しかしこれはあくまでも、「通貨が弱くなれば海外での販売価格が下がって輸出競争力が増す」という仮設があってこそ成立する話。
現実にはそうはなりませんでした。
日本の工業製品が輸出市場を席巻したからです。
ドルが安くなっても、品質の悪いアメリカ製品は誰にも買ってもらえなくなってしまいました。
この結果、製鉄や自動車、家電などの分野では米国内企業の大リストラが進み、雇用情勢が悪化するとともに、
1980年代には、日米・日独などでの「貿易不均衡問題」として噴出しました。
こちらのページには、ニクソンショック以後の国際通貨協定についての推移も説明されているので、何かヒントになるかも知れません。
http://wp.cao.go.jp/zenbun/sekai/wp-we71/wp-we71-000a1.html
アメリカが直面した問題ということで言えば、直接的にはアメリカの対外債務が金準備を上回って増加したことです。当時の通貨体制はWikipediaにもあるように、ドルの価値を金によって保証し、かつ各国通貨の価値を対ドル固定相場制を採用することによって保証する仕組みで、「ブレトンウッズ体制」と呼ばれていました。この体制ではドルと金がいつでも交換可能である必要があります。
1971年夏の時点で米国以外のドル保有高は、米国の金保有高の3倍に達しており、もし一斉にドルと金との交換請求がされれば米国はたちまち支払不能に陥ってしまう状況にありました。実際にフランスは、アメリカに有利なドル中心の国際通貨体制に反対し、たびたび巨額のドルを金に交換するよう要求していました。
金の価値でドルの価値を保証する金本位制では、金の準備高に合わせて金融を引き締める必要がありますが、アメリカは上記回答に指摘されている通り、政治的理由から引き締めをしませんでした。財政出費の最大の要因はベトナム戦争でしたが、それ以前にも戦災復興支援でドイツや日本に大量のドルをばらまいています。
そこで、ドルと金の交換停止が宣言されたわけです。金による裏づけが断ち切られてしまったので、通貨の価値は全て相対的なものになって、資本の移動によって常に変動することを受け入れざるをえなくなったわけです。
ちなみに、アメリカ製品が国際競争力を失うのは石油ショック以降、70年代後半以降ですのでニクソンショックの原因としてあげるのは不適切でしょう。
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