太平洋戦争が、よく言われるように無謀な(=勝ち目のない)戦争であったかどうかを調べてみようと思っています。

無謀であったかどうかは「勝った!」と見なすラインをどこに引くかによって変わってきます。
例えば日露戦争は戦線を注意深く限定し、早くから講和の算段をしていたので、ロシアという大国相手であっても「無謀な戦争」にはなりませんでした。
そこで質問です。
太平洋戦争の開戦にあたって、日本の戦争指導部は「何が、どのような状態になったら勝利」と考えていたのでしょうか。
例:「米本土に陸軍が上陸して、アメリカ全土を占領したら勝利」

例えば開戦直前、昭和天皇に「絶対に勝てるか」と問われた杉山参謀総長が、絶対とは言えないが見込みはありますと回答したそうですが、このとき杉山参謀総長は(あるいは昭和天皇は)勝利ということを「何がどうなること」とイメージしていたのかが知りたいのです。
できれば、何々を読めば書いてあるよ、という情報が欲しい。
よろしくお願いします。

回答の条件
  • 1人2回まで
  • 登録:2007/02/06 19:50:00
  • 終了:2007/02/13 19:50:02

回答(17件)

id:flying_baobab No.1

flying_baobab回答回数377ベストアンサー獲得回数72007/02/06 20:04:04

ポイント13pt

失敗の本質 日本軍の組織論的研究 という本のご一読をおすすめします。

組織が未熟で、当事者全員が思い思いの勝敗ラインを勝手に引いていたのが敗因ではないか。

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/18472494

id:tgk

ありがとうございます。読んでみます。

> 当事者全員が思い思いの勝敗ラインを勝手に引いていた

これがその通りだとしたら、こんな状態で戦争した国って歴史上他にあるのだろうか。

ゴールが決まっていなかったら、兵力の配置・開発する兵器・次の作戦対象・その他もろもろ何も決められないような気がしますが...

2007/02/07 13:10:59
id:hanjukudoctor No.2

hanjuku回答回数7ベストアンサー獲得回数02007/02/06 20:53:54

ポイント13pt

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569645305/hatena-q-22/re...

「マクロ経営学から見た太平洋戦争」もおすすめです。

マクロ経営学から見た太平洋戦争 (PHP新書)

マクロ経営学から見た太平洋戦争 (PHP新書)

  • 作者: 森本 忠夫
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • メディア: 新書

戦力パリティに関する考察や日本軍の戦費は、1938年頃にピークに達し、太平洋戦争開戦当時には、すでに漸減傾向(つまり、明らかに疲弊していた)であったことなどは、「勝ち目のなさ」を示していると思います。

 参謀本部が勝利条件をどのように捉えていたのかは、今となっては誰にもわからないかもしれません。

 アメリカ国民は惰弱ゆえに、緒戦突破すれば講和するという目算であり、長期化したときの見通しは、レトロスペクティブにみる限り、無かったとしか判断しようがありません。

id:tgk

ありがとうございます。森本氏は「魔性の歴史」というのを読んだことがあります。

おおざっぱに言うと「日中戦争でいっぱいいっぱいなのにアメリカと戦争したのは無茶だ」という話でした。

普通に考えればそういう理解になりますが、それ以外に当時の日本の行動を理解する方法はないのかなーと思ったものです。

2007/02/07 13:13:44
id:sdkfz No.3

すだこふつ回答回数992ベストアンサー獲得回数482007/02/06 20:59:40

ポイント13pt

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B...

戦史叢書。

65、68、69、70、76巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯1~5

100、101巻 大本営海軍部 大東亜戦争開戦経緯1、2

軍が何を考えていたのかお知りになりたいのならこれがお勧めですね。

入手は困難ですが大きめの図書館には大概置いてありますので借りてみてください。


詳しい話は紹介した本を読んでいただくとして、簡単に言うとこんな感じ。

戦争目的:大東亜共栄圏樹立。東アジア一帯を日本の植民地もしくは属国にすること。

勝利条件:大東亜共栄圏をアメリカに認めさせ講和する。

その為の手段:ドイツに欧州で勝ってもらう。アメリカも孤立すればこっちのいうことを聞くだろう、それまで適当に暴れてよう。

id:tgk

ありがとうございます。これはよさそうな資料ですね。探してみます。

2007/02/07 13:20:47
id:koujirou2007 No.4

koujirou2007回答回数61ベストアンサー獲得回数22007/02/06 21:02:09

ポイント13pt

当時の日本政府首脳部の課題は、1)満州国の承認と2)石油禁輸の解禁が最大の目標だった。その目標でアメリカと対米交渉を行ってきたが、アメリカの態度は煮えきらず、態度を明らかにしなかった。一方、国内経済が一向によくならない日本は、戦争に踏み切れば米国の譲歩が引き出せるかもしれないと考え、開戦に踏み切ったという理解です。

従って、この2つをアメリカが認めさえすれば勝利と考えていたと思います。杉山参謀長も天皇もそう理解していたはずです。昭和天皇は、米国で日系人移民が人種差別を受けて苦しい生活を余儀なくされていることに憤慨されていた、とのエピソードもあります。

ソースは小島襄氏の「天皇」。リンクは後で見つかればもう一度答えます。

id:tgk

ありがとうございます。こちらの本ですね。

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%88%E7%AC%AC1%E5...

アメリカをどこまで叩けば、満州国承認と石禁輸解除を勝ち取れるという判断があったのだろう?

2007/02/07 20:48:42
id:pasosavi No.5

pasosavi回答回数761ベストアンサー獲得回数282007/02/06 21:10:37

ポイント13pt

こちらに似たもの質問があって

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=...

saiphys氏の回答が、

小生が海自(海上自衛隊)の幹部学校で戦史を教えていた父親から聞かされていた、

現代の自衛隊の視点から見た一般論にかなり近いように思いました。

勝敗ラインの引き方は陸海で一致せず混乱していたものの

ミッドウェーですべての方向が決まってしまった、というものです。

それまで緒戦で勝ち続けていた精鋭と装備とがこの時に大きな打撃を受けたため

相手に一矢報いる術がなくなってしまったそうです…

(少数精鋭が多数非精鋭へと転換した


こちらが詳しいですね…

http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/gendai/56-dainiji4.html

この資料も父親から聞かされていた話と一致しています。

つまり、明確なラインが開戦前に設定されていたというよりも、

真珠湾への奇襲で米国の太平洋艦隊を壊滅させることに成功したので

あとは数ヶ月で大東亜共栄圏内での物資の確保の確立に努めるのみ

英米はヨーロッパでの戦争もあるので恐れるに足りず

ということだったようです…

最終的に日米が一騎打ちで消耗戦などという構図は開戦時にはなかったはず

id:tgk

回答ありがとうございます。

ミッドウェーで敗北したのが致命傷になった、という話はよく聞きますが、ミッドウェーの作戦てハワイ攻略のためのステップだったんですよね。

ソースは忘れたけど。

ミッドウェー・ハワイを落とすことに成功していたら、その後日本はどこまで行くつもりだったのか。

どこまで行くかはミッドウェーを狙った時点で決まっていたはず。なのにそれが書いてある本がなかなかない。不思議だと思っています。

2007/02/07 21:19:41
id:pasosavi No.6

pasosavi回答回数761ベストアンサー獲得回数282007/02/06 21:19:44

ポイント13pt

ととと… あったありました…

http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/sovereignty/hayashis...

 この背景には、強く開戦を主張した陸軍の強硬論があった。この陸軍が立てていた作戦的な見通しはつぎのようなものであった。

 杉山参謀総長は十六年十一月五日、マレー、フィリピン、蘭印、ビルマの連合国正規軍は兵力二二万余、航空機六一〇機であり、わが陸軍はこの方面に一一個師団二一万と約七百機、海軍は連合艦隊と約千七百機をそれぞれ動員できる、したがって、陸上兵力でほぼ同等、航空兵力で四倍であるうえ、土人兵の多い連合国兵に比べ、装備・素質にすぐれているわが陸海軍が、集中的に先制攻撃することができると、自信にあふれた説明をしている。

 一方、海軍は、「開戦二年間は必勝の確信」をもっているが、三年目以降は見通しが立たないとの考えを抱き、それだけに、山本五十六連合艦隊司令長官の航空機によるハワイ奇襲構想を強行せざるをえない状況だった。しかも、陸海軍とも、戦争の長期見通しとしては、

 一、南方拠点と資源確保による自給で戦争を継続するうちに

 一、インド洋を制圧して、英国を資源不足にすれば、やがてドイツが英本土へ上陸するだろうから、英国は脱落し米国も戦意を喪失するようになるだろう

 一、そこで、中立国を通じて、有利な戦争終結を工作しよう

といったていどの希望的観測しかもっていなかった。

 にもかかわらず、このような主観的な見込みが開戦の決定にあたって、よりどころとされたのである。複雑な諸要素を個別に検討したうえで総合的に判断することが要求される近代総力戦において、もっとも大事な「決断」がこのていどの見込みで決められたところに、戦争遂行にともなう非合理性の根源がひそんでいた。

有利な戦争終結を工作できれば勝利、ということで


#そういえばこれもたしか父親から聞いた覚えがあります…

 だんだんと思い出してきました… 再回答をお許しあれ…

id:notapachi No.7

notapachi回答回数213ベストアンサー獲得回数182007/02/06 23:45:02

ポイント13pt

>何々を読めば書いてあるよ、という情報が欲しい。

●お勧めは「大東亜戦争収拾の真相(松谷誠)」という本です。

 (出版元)

 http://www.fuyoshobo.co.jp/outoforder.php

 (Googleでの検索結果>オークションなどでも流通しているようです)

 http://www.google.com/search?client=safari&rls=ja-jp&q=大東亜戦争収拾の真相&ie=UTF-8&oe=UTF-8

 

 筆者の松谷誠さんは参謀本部に属し、原典のあるものは資料名が明記されているので、二次資料としての価値は非常に高いと思います。

 

>太平洋戦争の開戦にあたって、日本の戦争指導部は「何が、どのような状態になったら勝利」と考えていたのでしょうか。

●開戦前については、先の本の中には次のように書かれています。

「昭和十六年、大東亜戦争開戦前における日本の大本営、政府は、諸般の事情から、戦争収拾に関する研究準備を十分実施しないまま開戦に踏み切った次第である」

 この「戦争収拾に関する研究準備を十分実施していないまま開戦に踏み切った」ということは、「究極の勝利」がどのようなものかは「具体的でなかった」のではないでしょうか。

 

●開戦後については、次のように書かれています。

「極東に於ける米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立すると共に、さらに依り蒋政権の屈服を促進し〜」

 これは「昭和16年11月15日の大本営政府連絡会議において決定されたものの腹案の域を脱しないもの」と、書かれているので絶対的なものではありませんが、「開戦後における戦争の目的」として、あるいは現在における「戦争の目的」の一般的なイメージなのではないでしょうか。

id:tgk

回答ありがとうございます。

> 日本の大本営、政府は、諸般の事情から、戦争収拾に関する研究準備を十分実施しないまま開戦に踏み切った

ものすごい証言ですね。この本は読んでみようと思います。

2007/02/07 21:27:07
id:macbeth No.8

macbeth回答回数25ベストアンサー獲得回数12007/02/06 23:59:50

ポイント13pt

http://mltr.e-city.tv/faq08h15.html#02384

に述べられているように、

>結局,アメリカ打倒の決め手もなく,ドイツがイギリスに

>遠からず勝利するであろう,という

という希望的観測の上で、

>自力でアメリカを降伏させることが不可能なことを認めた上で,

>イギリスの脱落に伴うアメリカ国内の非戦論高揚に期待していた.

つまり、アメリカが向こうから白旗を掲げてくれることを勝手に願望していたのです。

これが当時の「勝利のイメージ」だったわけですから、彼らはどうかしていたと言われても仕方ないですね。

id:tgk

リンク先によれば、「戦争の集結を予想することは甚だ困難にして,特に米国の屈伏を求むるは先つ不可能と判断せらるるも云々」と御前会議資料におもいっきり書いてあった、とのこと。

勝てないと分かっているのに、それでも戦わねばならないと決断したのだとすれば、勝利のイメージが非現実的になるのもやむなし、ですね。

2007/02/07 21:04:17
id:kosibe No.9

kosibe回答回数3ベストアンサー獲得回数02007/02/07 01:42:29

ポイント13pt

書籍の紹介はできませんが、雑誌「歴史群像」で以前、「太平洋戦争前に総力戦の研究をしたら、何度やっても勝てないという結論が出た」というのが載っていました。

ようするに、勝つ可能性があるといっても、がっぷり4つに組んで勝つと言うことでなくて、南方の石油を確保して、最初の戦闘で勝てば、アメリカが戦意をなくしてくれるだろうという希望的観測だということです。

日清、日露までは、帝国主義国同士、あるいは帝国主義国と封建主義国との植民地のとりあい、または一方的な侵略だったので、総力戦にならずに、適当なところでお手討ちとなったわけですが、それ以降は総力戦の時代に入ったそうです。民主主義の発達と、技術の発達で総力戦の時代になるということだと思います。

日本軍はすでに、日中戦争で勝ってないですよね。個々の戦闘ではいくら勝っても、相手はいつまでも抵抗するので泥沼化したんですね。

 

id:tgk

ありがとうございます。ご回答にある総力戦の研究の話について、猪瀬直樹が本を書いているのを思い出しました。

これです。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4093942382/ref=olp_product_de...

猪瀬直樹が嫌いなので(何かいばってるから)読んでなかったのですが、読まねば。

2007/02/07 21:11:15
id:mc-taichi No.10

mc-taichi回答回数7ベストアンサー獲得回数22007/02/07 03:59:07

ポイント13pt

私は「あの戦争になぜ負けたのか」(文春新書)を読みました。

そのなかで書かれているのは、日本の指導部は開戦直前に「いかに戦争を終結するか」について議論し、次の4つを考えたそうです。

  1. 初期作戦が成功し自給の道を確保し長期戦の目処が立ったとき
  2. 蒋介石が屈服した時
  3. 独ソ戦がドイツの勝利で終わった時
  4. ドイツがイギリス上陸に成功してイギリスが講和を乞うたとき

これらによってアメリカが戦う意思を失い、日本にとって有利な条件で講和に持ち込む、というシナリオだったようです。

ただ、この案を起草した将校自身が「あまりにも不確定要素が多い」と考えていたのに、大本営政府連絡会議ではそのまま認められ内心驚いたそうです。

つまり、日本の指導部は日中戦争からの流れで大したビジョンもないまま、他力本願(ドイツが勝つ)に基づいて対米開戦になだれ込んでしまったということでしょう。

id:tgk

回答ありがとうございます。

1から4にアメリカが出てこないのがすごいですね。

当時の日本の苦しい決断を理解したいという気持ちはありますが、これでは...

2007/02/07 21:32:02
id:kuma0358 No.11

kuma0358回答回数37ベストアンサー獲得回数02007/02/08 00:36:44

ポイント13pt

山本五十六が最前線にいて指揮をとっていたら。

真珠湾攻撃で第三次攻撃をしていれば、アメリカの機動艦隊は太平洋を動き回ることができなかった。

http://www.sunra-pub.co.jp/bnumber/0202/0202_kiji2.htm

第二次攻撃で十分と感じた南雲中将が判断を間違った。

第三次攻撃で石油プラントと修理ドックを叩く事ができたら、それ以後のミッドウエイ海戦も本土空爆もアメリカはできなっかた。

id:tgk

回答ありがとうございます。

リンク先の、渡辺昇一の考え方はどうなんだろう。

「ハワイを簡単に占領」したら、その先には米本土しかない。

ハワイで打ち止めにして講和を探ったのか。それとも西海岸に上陸していたのか。

上陸するとしたら、必要な装備は持っていたのか。

太平洋を横断する補給線を維持する輸送能力はあったのか(絶対ないよな...)。

どこに上陸するという計画はあったのか。

こういう情報は機密だから、計画があっても表に出てこないことは十分ありえる。でも、上陸

の計画が本当にあったのなら、だれかが証言しててもいいよなと思います。そういう話を聞いてみたい。

2007/02/08 12:43:30
id:haru_and_haru No.12

haru_and_haru回答回数20ベストアンサー獲得回数12007/02/08 05:19:45

ポイント13pt

開戦外交史の決定版といえば日本国際政治学会による「太平洋戦争への道」(朝日新聞社)です。絶版ですが、図書館などにはあるかもしれません。ただこれは本当に膨大な資料をまとめたものですので、とっかかりとしては

真珠湾への道―開戦・避戦9つの選択肢

真珠湾への道―開戦・避戦9つの選択肢

  • 作者: 大杉 一雄
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • メディア: 単行本

がよいかもしれません。


戦争指導部といいましても、陸軍、海軍、そして政府。バラバラでしたので一概にいうのは難しいかと。

id:tgk

> 開戦外交史の決定版といえば日本国際政治学会による「太平洋戦争への道」(朝日新聞社)です。

ありがとうございます。決定版ですか。探してみます。

2007/02/08 12:44:22
id:flying_baobab No.13

flying_baobab回答回数377ベストアンサー獲得回数72007/02/08 18:24:47

ポイント13pt

2~12の回答をみると、みんな勝手に自分に都合のよい「おとしどころ」を作っていたことがよく分かるのではないでしょうか?

「阿吽の呼吸」「以心伝心」という「文字になっていない(記録になっていない)」ところに当事者の数だけ真実がある。

id:guffignited No.14

guffignited回答回数361ベストアンサー獲得回数142007/02/09 16:15:09

ポイント13pt

「中国との講和を結んで資源を確保したとき」

「三国同盟が破棄されてヨーロッパとの直接の関係がなくなって別個の戦争になったとき」

大体の戦争は首都、もしくは重要拠点(クリミア戦争におけるセヴァストーポリのような)を陥落させればあとは必ず講和の話になるものだから、日中戦争があれほどまでに長引くものと考えていなかった。別のところに首都を移して戦い続けるなんて、当時の軍部の予想になかった、というところからそれまで戦争に対して算段していた人たちの意図が崩れたと考えられる。

また、三国同盟が破棄されればヨーロッパはアジアにかまっていられなくなる。そうなった場合戦後処理のほうをアメリカは優先するだろう、と考えていたかもしれません。

国家と戦争

http://books.yahoo.co.jp/book_search/book?target=2&os=1&...

id:mc-taichi No.15

mc-taichi回答回数7ベストアンサー獲得回数22007/02/10 04:27:16

ポイント13pt

昨日のNHKスペシャル「日中戦争」を見ていて感じたのですが、日本軍の「行き当たりばったり作戦」は盧溝橋事件、いや満州事変の時からですね。

参謀本部の命令を無視して、現場の軍が勝手に進軍してしまうが、軍中枢部はそれを咎めるどころか結局追認してしまう。

これは多分、部下の命令違反を認めると、その上司が管理者責任を追及されてしまうので、それを回避し逆に手柄にしてしまうためだと思います。

こういうことを繰り返している間に引っ込みがつかなくなり、戦線がますます拡大。そして、その最終ステージが対米開戦だったのだと思います。

つまり、ビジョンや大戦略が無いまま、指導者達の責任逃れのため軌道修正されることもなく、明らかに無茶な方向に突き進んでしまったということでしょう。

余談ですが、このような組織の在り方は、昨今の企業不祥事などを見ていると、今日でも脈々と受け継がれているんだと感じます。

id:takokuro No.16

takokuro回答回数262ベストアンサー獲得回数32007/02/10 14:08:19

ポイント13pt

昨日、国会答弁で石破 茂元防衛長官が、

「憲法改正の前に、

 戦争がどうして始められたのか、その真相を解明すべき」と言われるときに、

これまでは機密事項とされていたことで、

実は、日露戦争も、太平洋戦争も全て、

研究チーム?(御免なさい。。名前忘れてしまいました。

どなたか覚えてられる方、教えてください)で

検討され、

その結果、『日露戦争も、最初の不意打ちの一撃は勝つであろうが、

その後は、以下の理由で敗戦することは

開戦するまでに結論付けられていたが、

にも関わらず、(松岡外相=元通訳≒元弁士?。元安倍氏の祖父・岸氏の叔父)に依存する)近衛内閣が

会議の結論を押し切って開戦したとのことだったと思います

資源物資がないというのは、昔から聞いていたことですが、

興味深かったのは、

当時の日本では、

近海でさえ、軍部が、民間の輸送手段(貨物船)の護衛艦をつけるなどと憚られた格式を重んじ、

その為に、不穏な当時の海で、

多くの貨物船が(英米海賊?)により沈没させられていた・・??

小室直樹さんは大英帝国やアメリカ合衆国という国家公認の英米海賊が中国や朝鮮半島を荒らしまわって、

侵略の機会を狙っていたことを書かれています。。

日本だけは、別格で、特別にペリーという外交官が開国の書状を持参してきて、

正式な国家手続きを取っている、、と彼は書いています。。

つまり、、

英米は、日本の輸送船を沈没させることで、

日本に戦争以外に資源を得る手立てをなくしていた・・

ユダヤ政商の手の込んだ侵略のシナリオを楽しむ伝統がある民族・・

目先の見えて聞こえてることは、

彼らにより、演出され、報道されてる情報でありえることを

考えなくては、

20世紀の大戦と同じ轍を踏むこととなりかねません。。??(要注意!)

アメリカは中東への本格的決戦を仕組んでいる伏しを感じます。

そういう状況の中で、

今日、沖縄に、パックスリーとF22というアメリカ最新兵器を持ち込まれ、

沖縄の人たちはそれに反対しています。。

これらの兵器があることは、

あること自体だけで、

アメリカを敵とする相手からの攻撃を受ける可能性が強いからです。。

沖縄を二度、生贄にしてはならない

小渕首相が沖縄でサミットをした布石が昨今の

米軍基地強化に繋がっています。。

もちろん、沖縄の人も目先のサミットでの収益でそれを受け入れたのですが、

大平首相亡き後は、、

ユダヤ政商らにしたい放題翻弄されるがままの状態を

国民に危機として知らせない安倍渡辺公明党政権が

国民益視点を利用することはあっても、

自分たちがそこに立って、

帝国主義侵略政策に立ちはだかって戦うスタンスでないことを悲しく思います・・・??!

又、勝利の決め手ですが、

小室さんを読む限りにおいては・・・

まず、その国家が物資等輸出入する港を占拠した時点で、

例えば、原爆を落としたり、

東京空襲をして住民を焼き払わなくても、

『勝利』=勝負は決まったとされています。。

今で言うと、、空路海路が封鎖されると、

島国日本では国内しかありません。。

つまり持久戦しかないわけで、

一般住民を巻き込むことになります。。

また、「杉山元メモ」による対米開戦をめぐる昭和天皇とのやりとりですが、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E5%85%83で見る限り、

確りとした、確証あっての開戦ではないようです。

又、世界情勢からの当時の日本の立場と言う視点が掛けてはいると思いますが、

太平洋戦争終戦当時に日米交渉関係ファイルは焼却されたそうですが、

残存してるものだけの公文書はhttp://www.jacar.go.jp/nichibei/negotiation/index4.htmlにあります。

が、当時出征した方たちの証言にはあり、

又、世界でアウシュビッツと並んで証されてる石井四郎&内藤了一らの細菌戦部隊関東軍七三一の実態が抜け落ちてる点は、

GHQが戦後行なった日本近代史編集の一つとされます。

アメリカ本国から3人もの細菌学者らに審問させ、

なお、無かったこととして全資料を没収し、

かつ、石井だけを処刑し、

他はそのまま厚生省やミドリ十字の創設者にしてエイズ血液を日本に輸入させたり、大学の医学教授としたり、

広島原爆直後も、治療する医療品を搬入するので無く、ただ、医師や周りの看護師たちに

検体をとらせ、観察結果をとらせるだけで、しかもそのカルテはGHQが原爆人体実験のデータとして取り上げ、

医療関係者らはただ、、おろおろと、看守るだけしかなかった・・

その悔しさをこれら開戦の結果としてGHQが隠してる・・・

中国や韓国が遠まわしに、靖国問題を持ち出す理由は、このA級戦犯の判決が

イエスが大泥棒や殺人犯と一緒に十字架にかけられたのと同じように

実は、開戦直前、開戦回避の為に尽くした人々、開戦反対した軍人をA級戦犯としてユダヤ教での生贄(スケープゴート)にすることで、口封じをし、

(今、どうして戦中派の方たちが長らくの間、戦争のことを語られなかった不思議の一部が溶けました)

実質犯罪者を生きながらえさせることで、

GHQ撤退後も、日本の経世財学界の要人にして、

日本の政治を牛耳っていたということ・・・??

ヒットラー、スターリンと三国同盟を結んできた松岡外相に対しては、

戦後政治のキーマン岸氏の姻戚としてGHQが詳細証拠を焼いてしまってる可能性が強い・・??

ただ・・昭和天皇陛下の富岡メモの形にその断片を偲ばれるだけである。。

15世紀頃からずっと、侵略戦争を企ててきた帝国侵略主義のプロとして、慣れたもので、綿密なシナリオがある。。

が、、911にせよ、、ブッシュ時代に大分ボロを出してきている。。

ラムズフェルド解任の時に、

彼への感謝の言葉とともに、ご自身が長年してきたライフワークの薬剤関係の仕事で活躍して下さい。。とね・・

ブッシュにせよ、、傀儡させられて、中東戦争はかれに義務付けられてる(柳原大臣のように?)

黒幕はどこか?誰か?ってことに目を向けないと、いつまでたっても振り回されっぱなしではないだろうか・・?

森村誠一作家が、青木冨貴子さんの731部隊の闇に伏された部分の検証を挙げられている。

http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/373205.html

● 石井の住居、“若松荘”がGHQ高官専用の売春宿であったこと・・

(石井四郎が戦後暮らしていた東京・若松町商店街の、石井本人や家族も通っていた理髪店主や、

出前の蕎麦屋の店主らの証言)

● 石井四郎の戦後最大の謎とされる鎌倉会議「九か条の密約」の紹介は、本書の白眉である。

 一、英米担当者と石井自身が同じ席について話し合いをした。

 二、サンダースの送別パーティー。

 三、石井自身は出席しなかった。亀井貫一郎なる政治家(フィクサー)主宰。

 の三つが骨子だったようである。

 フェル・リポートの報告者、フェル博士が「有力な日本人政治家」と呼ぶ(亀井貫一郎のこと)にクローズアップされている。 

●  亀井は七三一部隊の戦後処理をめぐる鎌倉会議の仕掛人と推測されているが、本書第十章において、亀井と鎌倉会議、および石井四郎の関係にスポットライトが向けられている。

 これまで石井は、自分自身と幹部の保身延命のために、アメリカと取り引きしたと考えられていたが、

石井の娘・春海が、「一人残らず戦犯にならない。部下たちを全部助けるというのが条件(鎌倉会議の密約)だったんだよと言っていました」と証言しているように、

ソ満国境の支所で逃げ後れ、ソ連の捕虜になった者を除いては、一人として東京裁判において戦犯に問われなかった。

このことは皮肉にも亀井の大いなる功績であったとしているのも、新しい視点である。

● さらに、メモ「1945年12月4日」、元部下の首切代(退職金)をマッカーサーに交渉した文言は、

失脚後にも変わらぬ石井の人物像が伺えるし、

煙草の買い出し、牛乳の配給、「3/11の配給食の献立及びカロリーの立案をなす」などの文言は、

戦中から戦後にかけて、日米ソ台風の目となったような人物が食物に困窮している場面を表わしている。

これも戦争のもたらしたひとつの悲劇ではあろう。

●  石井四郎は1959年10月9日、縁(えにし)の深い国立東京第一病院で咽喉癌で死ぬ。享年六十七歳。

葬儀委員長は第二代七三一部隊長・北野政次が務めたという。

* 石井四郎はどのような裁判の被告席にも立たず、東京で平和に暮らし、

遺骨は東京の多摩霊園にある七三一部隊の記念碑「精魂塔」の下に埋められている。

石井が靖国神社に祀られたかどうか本書は言及していないが、たぶん祀られているであろう。

本書は「石井家の崩壊」を燃料にして、戦後史の闇に光を当てた一大ドキュメントである。』とある・・

★GHQから派遣された最近学者フェルのあと、

同業ヒルとヴィクターは、

其々、人体実験についてのさらなる詳細な情報の収集をした。

「細菌戦研究施設から日本に送られた、人間から得た病理標本の調査」

の結語は・・

「今回の調査で集められた事実はこの分野におけるこれまでの見通しを大いに補い

また増強するものである。

このデータは日本人科学者たちが巨額の費用と長い年月をかけて得たものである。

情報は、人間について各病原体毎の感染に必要な各細菌の量に関するものである。

こうした情報は人体実験に対するためらいがあり、我々の研究室で得ることはできない。

これらデータを入手するのに今日までに要した費用は総額25万円で、

これはこれら研究の実際の価値と比べれば取るに足らない額である。

さらに、集められた病理標本はこれら実験の内容を示す唯一の物的証拠となっている。

これら情報を自由意志によって提供してくれた人々がこのことで困ることのないよう、

またこの情報が他に漏れることのないようあらゆる努力を払うよう望む。」

神奈川大学教授:常石敬一ホームページより


●「帝銀事件の全貌と平沢貞道」http://ntamura2.exblog.jp/

  平沢氏は画家だそうで、怪しい事件が多発した1955年、死刑判決されている。

『なぜ、帝銀事件の被告人平沢貞道が無罪なのに死刑判決を受けてから数十年岩窟王のように

80歳を超えて刑務所にいるのか。

遠藤弁護士は平沢に会うまでに独自の調査で平沢の無実を確信していた。

真犯人の犯行手口などと平沢画伯の当時の生活事情などとを比較すれば

帝銀の行員数名に信用させて毒物を自ら飲ませる周到な手口は平沢にはできないと確信していたのである』

この辺にも、戦後GHQが絡んだ事件があるようです。

安倍政権になるまでは、

ロックフェラーの経済的世界戦略に関係すること以外で、

日本の政治家か日本国民をひどい目にあわせることは無かったのですが。。。

安倍渡辺公明党政権では、、一気に溢れ出しているのを思います。。

又、石井四郎氏が生物実権研究所を企画する前に、

2年間英米留学をしていますが、、

その時の詳細はかなり調べてるのですが、、出てきていません。。

彼は、英米の指示の元に、あらかじめ何らかの資料をもらって開設したのではないか?と言う点も、検証すべきに思えます。。

それで無ければ、一介の医師に人体実験場として効率よく建築設計されてる研究所は出来るわけがないように思えます。。

又、こういう生物細菌の流行が発生してる国と時期が、

アメリカの外交政策にキー国になる国で起こってることも、、私は疑わしい。。

日本に狂犬病が持ち込まれたのも、

長崎から、、

欧州ののペスト事件といい、、

ユダヤ政商が使ってきたツールの一つではないのか?

『ユダヤ人骨標本コレクション

 親衛隊大佐W. ジーフェルスは1942年2月、R. ブラントを通じてヒムラー元帥に、ユダヤ人種の頭蓋骨標本を作る学術的必要性を訴え、そのためにユダヤ人共産党員の捕虜を用いるよう要請しました。ヒムラーは東部戦線の捕虜ではなくアウシュヴィッツ強制収容所の囚人を用いるよう伝えました。その結果、112人のユダヤ人が選ばれ、写真を撮られ、人体各部分を計測された後に殺害されました。』

数年前にも二度目の、大阪では大々的に海外の大解剖展が長期にわたり、梅田の一等地で展示され、

チラシを見るだけで、人体を医師にとっては研究対象物、一般人にとっては、肉体と言う精神の衣類のように細かに造形的対象として見られる危険性を感じた。。

以前、、中国の鍼灸の為の同様な解剖の本を見たことがあるが、

それとは比べ物にならないほど、

突き放した、『対象物』として人体を扱ってるのを感じ、

それを美しいという昨今の東大の教授の運動は、

青少年にどういう影響を与えるのか、、

映画『どろろ』でさえ、

手塚原作に描かれていた、大自然が謳っている、人間だけでなくあらゆる生命への賛歌、

この世の人為的な悪事、大きな罪が、殆どが人為的で、

天災でもたらされた荒廃には、人々は復興を遂げる意思をもつが、

人災に対しては根本的な回復できない歪を残す・・

仏陀やキリストやマホメッドを描いてるが、『どろろ』は、手塚治虫がユダヤ政商らの人災を象徴して、

それに立ち向かう本来なら人間として当然与えられてるはずのものが全て与えられていない、

若者二人が世の悪に立ち向かい、克服?勝つことで、人間として普通の体と縁を得ていくというストーリーが、

アメリカが手を加えると、

こういうこの世の地獄をリアルに描いている。。??

これが世界へ放映されると、、

日本国の歴史文化や認識に外国人から何と、残虐でオドロオドロしい民族であると思わざるを得ない。。

俳優で若者の入場者数を狙ってるのだろうが、、

この映画の不気味さに接する前に、原作を確りと読んでからにして頂きたい。。

ちなみに、、秋田書店・・・ここも平成前後から、子供に対し、どうかと思うマンガを扱いだしている。。

経営者か実権者が変わったのを思います。

長崎県島原市生まれの西口司郎氏の挿絵が手塚作品に使われてることも、

手塚作品とのギャップを感じないではおれない。。

幼い子供には見せて、脳に焼きつくことがないようにしたい作品に思う。。

これと同じことが、、

京都御所の襖絵にも時代による変遷で現れてることに先日驚いた。

江戸幕末、グラバーが薩長通じ、天皇にまで近づくと、画風が一変している。。

それまでの画風は、

どの作品のテーマも

民の幸せを願う、中国の伝承になってる賢王は、美酒や贅沢などを遠ざけるという絵や

水の中に泳ぐ魚、蛙でさえ、愛おしく描かれてる、植物にせよ、風景になってる岩や山、川、池さえ

命で輝いてるその調和を描かれてる・・

ところが、、恐らく当時の日本人は無自覚でしょうが、

グラバーらユダヤ政商らのリアリズムの画風を取り入れ、

竹内栖鳳など大家が描いてるのですが、、

その襖絵に囲まれてると、、

魚屋さんに陳列されてる魚が生前の姿をしてるのを思わせ、(多分、死体を観察して写生したのではないでしょうか?)

鳥さえもどういう訳か、冷徹な理性で描いてるのを感じ、

生臭さを感じさえ、不気味な空間となっています。。

玉堂の描く、農家の東屋には、

狭い段々畑に精を出し、

民の貧しい日々の生活を慈しむ眼差しで描かれて、、

これが平和なのかな・・・ってしみじみ感じました。。

しかし、欧米のと権力者らが略奪者であるのに対し、

日本中国の皇室にせよ、将軍にせよとても民の統治者としての自分の器量をしっかりと旬尺する視点を持っていたことが、

ユダヤ政商らに煽られて個人主義化してしまった欧米文化との違いを感じます。。

安楽死を契約?する協会ができていますが、、

これも学会関連の方たちの導きで主に資産が有る60歳以上に子供への相談も無く入会させると聞きます。

私も、安楽死は権利の一部ではあると思うのですが、、

現政権の方針を見ていて、、

どのようなことを企んでるかと思うと、、なまじっか賛同するわけにも行かなくなる。。

1939年9月から1945年4月まで、ドイツおよび占領地各地で、障害者・高齢者・末期患者・奇形児など政府経済のお荷物とされる立場の人たちの大量殺害をしている、、

それに関わった、従事者が、病院や養老施設で、ガスや注射で安楽死という殺害をされ、

遺族には自然死や病死と伝えられたそうです。これに従事した医師たちはやがて東部の占領地域に送られて、

ユダヤ人の抹殺に従事する・・

なお、ロシアが

* 1969年末、アメリカのニクソン傀儡大統領(ラムズフェルド機会均等局長、アグニュー副大統領、キッシンジャー国務長官=ロックフェラーの私的外交顧問、シュルツ財務長官、ギルパトリック国防副長官=ロックフェラー兄弟基金理事、等々)が、

一方的に、アメリカの生物戦プログラムを終結させたとされている。

1944年から二十五年にわたる細菌戦プロジェクトを、実験が成功し、即戦力となり得るところまで行ったまさに絶頂期に、

突然取りやめる理由について、ニクソンはこう説明した。

「生物兵器は大規模で予測できない、おそらくは収拾のつかない結果をもたらす。世界規模の伝染病を生み、未来の世代の心の健やかさを損なわないか心配になってしまう。。。

それともう一つ安倍政権になってから気になってることは、

NHK大阪のアナウンサーの様子がヘンな事です。。

大変にゲストに対し大柄な、しかもドスのある日本語の浸入社員でない年頃の方が、アナウンサーやキャスター役をしたり、

今朝は、いつもの天気予報士の方ではなく、

その方が天気予報をしてられました。。

それだけでなく、いつもの

早朝番組で女性アナウンサーが遠田佳子さんではなく、

違う方で、

NHK女性アナウンサーにしては文きり調で

やはり女性ながら圧しの効いた発声です。。

しかも天気予報は、以前、この番組を一時?担当していた方がされています。。

それと、、いつもの木村さんの声が上ずって

苦しげだったのも、、

何か恐ろしい状態がスタジオで起こっていたのではと思います。。。

考えてみれば・・・大阪NHKの一昨年新築された豪華で華美な建物といい、、

NHK徴収問題となってる時に、、

おかしなことだと思っていましたが・・・

ハイジャックされたのでしょうか?・・?

id:kurukuru-neko No.17

kurukuru-neko回答回数1844ベストアンサー獲得回数1552007/02/12 00:52:03

ポイント12pt

一度靖国神社の横の「遊就館」に入って見学

するのがよいと思います。

長期戦になった段階で負け

短期に停戦・終戦したら勝ち

http://kobe.cool.ne.jp/borikun/g_pas.htm

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/6597/eco-pwar.html

http://homepage2.nifty.com/shinchi/ajia-6.htm

  • id:seble
    そもそも日露戦争だって、ロシアに革命が起こり、最果てのシベリアのさらに先の極東の日本との戦争なんてどうでもよくなったからだと思いますが、、、
    当時も今も、日本は国際政治には非常に疎いと思います。
    島国、鎖国、さらに極東という、他国との紛争があまりない恵まれた地理的条件が大きいかと、、
  • id:hujikojp
    ロシア革命が起こったのは、WWIのころで、日露戦争の10年ぐらいあとのはず..
    また、ほかのアジアの国が植民地になっている中、明治維新を起こし自発的に政体を変え、西洋に伍していけるようになった日本はむちゃくちゃ国際政治的に成功したと思います。
    太平洋戦争は、なんかほかのやり方はなかったのかなあ、と思いますが
  • id:kosibe
    05年、ロシアの革命騒ぎは確かにありました。敗退していますが。
    組織論では、「飢死した英霊たち」藤原彰、青木書店というのがあります。陸軍幼年学校をつくり、13,4歳から一般社会と隔離し、軍事エリートを作ったことによって、日本の道を誤らせたとしています。軍事によってなんでも解決できるように思うこと、強烈なエリート意識で強引にものごとをすすめる、現実社会を知らない等々。
    思うに、1920年代の世界恐慌までは、日本の支配層は比較的合理的な思考をしていたように思います。20年代は社会不安が広がりました。米騒動に始まり、資本主義が発達して労働者が増え、その労働者が恐慌によりストを頻発する、貧しい人による無産政党ができる、共産党ができる等々。
    それに対する青年将校らの解決策が、天皇をより絶対化し、権力を集中して、それにより経済改革をすることや、満州をつくって経済力を強化することだったわけですが、自分自身の頭も硬直化してしまって、行くところまで行ったということでしょう。
  • id:koujirou2007
    小島襄さんの本はアマゾンでも文芸春秋の検索でも出ていないですね。10年以上前に読んだのですが、面白く書きすぎて歴史家としての右からも、左からも評判が良くないのかもしれません。基本的に右の人です。
    ただし、グーグルでみたら↓のヤフオクに1974年刊で全5巻の古本が出ていましたから本があるのは事実です。私も1冊(第1巻)を持ってました。初版が1974年というのも私の記憶にあっています。

    http://page13.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r33318204
  • id:sdkfz
    小島じゃなくて児島ですよ。
  • id:macbeth
    上に書いたおいらの解答ですけど
    引用してあるサイトのURLが
    http://mltr.free100.tv/faq08h15.html#02384
    に変わってました。

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