あなたは、ニセ科学(似非科学、疑似科学)と、科学をどのように区別しますか?また、なぜそれで区別できると考えていますか?

回答の条件
  • 1人3回まで
  • 登録:2007/02/18 10:42:38
  • 終了:2007/02/25 10:45:03

回答(13件)

id:menbo_a No.1

menbo_a回答回数371ベストアンサー獲得回数82007/02/18 10:55:51

ポイント14pt

一人の教授が提言していることは信じません。

嘘ばかりついているし、犯罪者が多いから。

id:katsumushi

信じるかどうかではなく、どのように区別するかという問題で考えていただけませんか?

2007/02/18 11:35:36
id:sadajo No.2

sadajo回答回数4919ベストアンサー獲得回数492007/02/18 11:15:19

id:katsumushi

あなたは、どう考えてますか?また、それはなぜですか?

2007/02/18 11:35:41
id:adlib No.3

adlib回答回数2002ベストアンサー獲得回数1292007/02/18 11:51:40

ポイント14pt

 

 たとえば、9×9=81 の数値を疑うことは、日常生活を煩雑にし、

きわめて不能率なので、すべての国民に“九々”を教えます。

 もしも例外が発見されたら、教科書のほうを書きかえるでしょう。

 

 教科書に掲載されていることで、証明できるかどうかで区別できます。

 血液型も、占星術も、歴史も、教科書にもとづいて論証できなければ、

これらを科学として認められないでしょう。

 

 いかに信仰の自由を尊重しても、つぎのような前提は譲れないのです。

「すべての生物には親がいる(Spallanzani, Lazzaro)」

 したがって、前世・霊魂・奇跡などは、存在しない……。

 

(↓=私案)全国高校入試で、毎年出題すべき、五大設問。

http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050130

 中学生諸君! ~ 与太郎の教材 ~

 

id:katsumushi

う〜ん。数学という形式上の手続きの問題ではなくて、ここでの科学というのは、自然科学ということで再考願います。

追記:

コメント欄より~そうですね、数学も自然科学です。ただ、論理となると人文科学かなと思っていたもので。

それでは、「なぜ論理は基準を与えるか?それだけしか基準を与えることはできないのか?」ということについてadlibさんの考えをよかったら聞かせてください。

2007/02/18 12:39:32
id:quintia No.4

quintia回答回数562ベストアンサー獲得回数712007/02/18 13:12:19

ポイント14pt

第三者が追認できること。あるいは反証が――間違っているということの追認――が可能であること。

これがまず大前提としてあって、そしてそのような追認が数多くされることで、正しいらしいという認識が高まっていく。

それを「科学的な」プロセスとか「科学的な」手続きであると私は認識しています。

テレビなどでよく使われる言い回しの「科学的に説明がつくのでしょうか?」というときの「科学的」とは別であることに注意してください。

「科学的」と私がここで言っているのは「何かが正しい/間違っているという認識にいたるプロセスまたは手続き」です。


で。

そのプロセス、手続きを経て正しいとされたもの、正しいとされているものが今の科学。

そのプロセス、手続きを全く経ていないものが非科学(霊魂は存在するか? とか)。

いま正にその様なプロセスの真っ最中なものが「科学の最先端」。

そのプロセス、手続きを避けて通ろうとするもの。そしてそれでいてなお正しいと主張したがるもの。それがニセ科学や似非科学や疑似科学。

id:katsumushi

「第三者が追認できること」というのは、反証可能性と言われる考え方と捉えていいでしょうか。僕はもうひとつ聞きたいのです。なぜ、反証可能性を区別する基準としてあなたが採用しているのですか?ということなのです。反証可能性に限界はないのか?このあたりは、答えていただく方々の哲学が出てくると思っています。それも聞いてみたいというのが、本質問の意図なのです。

2007/02/18 14:31:26
id:chintama No.5

chintama回答回数28ベストアンサー獲得回数02007/02/18 16:36:49

ポイント14pt

その事象に再現性、普遍性があり、自己が信じることができるものが科学です。当然妥当性を有する反証があるものは信じません。。怪しいが再現性、普遍性があり反証がないのであれば少なくとも頭ごなしに否定はできないと思います。よってニセ科学というのは反証が示されたものだと考えております。

でも結局直感です。所詮なにかに導かれて科学というものが起きたのではなく、人の直感の連続で科学が成されてきたのだという考えが、私の根幹にあるのだと思います。

id:katsumushi

つまり、再現性、普遍性を人間の直観が担保していると。ですが、そもそも反証が示せないというのが、ニセ科学の逃げ道になりませんか?

2007/02/18 16:42:14
id:duck75 No.6

duck75回答回数78ベストアンサー獲得回数152007/02/18 17:40:40

ポイント14pt

「99・9%は仮説」っていう本がありましたけど、私は「科学」というものは「永遠の仮説」のようなものだと思っています(もしかしたらこれが「反証可能性」ということ?)。


なので、逆に、これぞ揺るぎなき「絶対的な真理」である、セントラルドグマである、みたいに言い張る人がいたらその人の説は科学じゃないな、ニセ科学だな、と思います。


>なぜそれで区別できると考えていますか?


ということを答えるのはちょっと難しいのですが、例えば「自由」や「進歩」というようなことを考えてみた場合、前者、すなわち「永遠の仮説」であるからこそそれは可能なのであって、そうじゃない世界、たとえば、中世のキリスト教世界みたいなところでは「絶対的な真理」があるのでそこらはみだす自由も進歩もないわけです。


で、ここからが問題になるのですが、それでは今度は、「自由や進歩」を「絶対的な真理」にしているのではないか、という疑問が生まれるのですが、そもそも「絶対的な真理」ではないものを「自由」と呼び、そこからはみ出る運動を「進歩」と呼ぶのであれば、問題はクリアされるのではないかと考えています。

id:katsumushi

>なので、逆に、これぞ揺るぎなき「絶対的な真理」である、セントラルドグマである、みたいに言い張る人がいたらその人の説は科学じゃないな、ニセ科学だな、と思います。

そうなんですよね。まともで尊敬できるなと思う科学者というのは、何かを主張していても、「これはこのように得られたデータから判断する限り、このように考えられます」という謙虚さというものが感じられるんですよね。謙虚であらざるを得ないというのが、科学の限界なのでしょうか。

逆に、おっしゃるように、自由を可能にすることができるのが、科学のいいところなのでしょうかね。

2007/02/18 17:51:35
id:snaruseyahoo No.7

snaruseyahoo回答回数491ベストアンサー獲得回数42007/02/18 18:56:40

ポイント14pt

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_n...

例えば、血液型占いなどのように、論理的・統計的な裏付けのないものをニセ科学というのでは、ないでしょか。

id:katsumushi

論理的、統計的裏付けのないものが、なぜニセなのですか。こっちのほうが、むしろ聞きたいのですが、質問の仕方が悪かったのでしょうか。。。

2007/02/18 21:38:10
id:retorin No.8

retorin回答回数307ベストアンサー獲得回数92007/02/18 22:06:10

ポイント14pt

ニセ科学の見分け方は、根拠を説明するかしないか。

例えば、マイナスイオンや酸素水などはよく健康に良いと売り文句で謳っているけれど、なぜ良いのか?というのを説明しない。

id:katsumushi

この、「根拠」に関する説明が欲しいです。そして、なぜそう考えたのかも。

2007/02/18 22:11:08
id:hogepi No.9

ほげぴ回答回数4ベストアンサー獲得回数12007/02/18 22:26:57

ポイント14pt

一般人にとって、科学とニセ科学を区別することに意味はありません。duck75さんが「永遠の仮説」と言っていますが、まさにその通りだと思います。時代が変われば科学も変わります。現在、科学だとされているものがニセ科学になることもありますし、その逆もあり得ます。


そこでどうやって科学と接していくかですが、一般人については自分の経験から信用できるかどうかで判断するべきだと思います。


どこで信用するかしないかというと、例えば、電子レンジなどの家電は実際に使ってみて効果があるので信用できます。また、ちまたで「これは健康にいい」などと食材やサプリメントについて言われることがありますが、栄養については判断しにくいことが多いので、栄養士を信用するか、そういった効果のわかりにくいものは全く信用しないかのどちらかとなります(これは非現実的なので、栄養士が言っている程度のことは信用すべきだと思います)。


経験から判断するといっても、実際にそれを使うきっかけとなるものが必要となります。それについては、結局のところ、その時代において多数の科学者が正しいと言っていることを信用する形になると思います。反証不可能性がニセ科学の逃げ道のように書かれていますが、これもうわさ程度の科学であれば信用しないだけの話です。


一般人が科学・ニセ科学を区別する必要はありません。ただ、それを信用するかしないかです。一般人からすると最先端科学もニセ科学も区別ができませんが、それを信用するのはその科学が常識になってからでも遅くはないでしょう。同じように、世間で評判であっても疑いましょう。一般人の科学との接し方はこれでいいとます。



しかし、科学者は科学とニセ科学を区別する必要があるのかもしれません。また、区別するために必要な「ものさし」を自分で用意しなければなりません。このものさしは科学的方法 - Wikipediaによって正しいとされるデータです。といっても、科学それ自体が仮説である以上、真の意味で区別することは不可能でしょう。そこで科学者ができることといえば、現在の知識・技術で得られた正しいとされるデータを並べて、他人(学会、世間)に信用されることだと思います。


そして、世の中にあふれる(自分の判断による)ニセ科学を排除したいと考えるのなら、それこそそういう信用される立場になる必要があります。一般人にとっては、「正しいとされるデータ」よりも「信用できる人の発言」の方が納得しやすいと思うので。多くの場合、説得に必要なものは論理ではなく情であって、これはあなたがコメントで紹介している菊池先生も言っていることだと思います。



質問の答え

・一般人の場合:区別する必要はありません。信用するかしないかです。どこで信用するかというと、自分の経験や複数の(または信用できる)科学者が正しいとしているかどうかです。


・科学者の場合:科学は仮説であるので真の意味で区別はできませんが、個人の範囲では科学的方法で得られたデータによって区別します。なぜそれが区別の基準になるかは、自分が正しいとする方法で自分が調べたことだからです(自分を信用できないのなら、科学者になるべきではありません)。また、(自分の判断による)ニセ科学を排除したいと考えるのなら、他人から信用される人間になる必要があります。そうすれば、世間から見て、その人自身が科学とニセ科学を区別する基準となります。

id:katsumushi

人間の信用度が基準になると。そして、科学では、実は限界があると。そして、ニセ科学に対する僕の持つ気持ち悪さは、専門外であると、僕自身も一般人になるときに、生じるんですね。一般論では、区別は不可能で、グレーゾーンがある。個別には、信用するか、しないか、説を唱える人のレトリック(ロゴス、エトス、パトス、それぞれでの説得性)によると。

2007/02/18 22:56:40
id:ncnr No.10

ncnr回答回数12ベストアンサー獲得回数02007/02/19 12:07:11

ポイント14pt

偽科学と科学とは区別できないものだと考える。

偽科学と断定するための根拠が不明ならば偽科学だとはいえない。

現時点で偽科学でも、将来的には科学に変化するものも歴史的に見ればある。ただし、現段階でアヤシイとか少しヘンだと思うものが将来的には偽科学にはなるのかもしれない。

id:katsumushi

僕は、今言われているニセ科学は、科学にはならないと思います。ニセ科学は「科学のフリ」をしたベツモノだから、科学で対抗しようとしても不毛かもしれないという罠もあるんですよね。ベツモノの正体が詐欺的商売であったり、政治的アピールだったり、いろいろなわけですが、そもそも科学の土台に乗ってないものは、科学としてはどうにもできないんですよね。だから、そのベツモノの正体を暴くリストが必要で、かつ、リストに一般性のある基準があれば、それを体系化して参照しやすくする、などの努力が必要だと思っているのです。

2007/02/19 14:02:48
id:tot-main No.11

tot-main回答回数7ベストアンサー獲得回数02007/02/20 10:53:43

ポイント14pt

一般的な分別法でその科学を知らなくても出来る方法として次のことが上げられると思います。

まず、論文として発表されていること。

そして、「査読」を経ている認知度の比較的高い機関の雑誌に掲載されている必要があると思います。

査読を受けると言うことは「あらかじめ同じ分野で仕事をしている他の研究者による評価」を受けると言うことですから、専門性のない人でもある程度の指針となると思います。

世の似非科学、疑似科学は論文はあっても査読を経てないものが多いですからこの切り分けは重要ではないかと思います。


次に、再現性と反証可能性、普遍性、論理的妥当性が上げられます。

この辺りは、他の方も言及しているので割愛します。

id:katsumushi

「研究者のネットワークのふるいにかかっているかどうか」ですね。これなら、研究者以外の人にも可能な判断方法かもしれません。でも、難しい。なんだか、「食の安全性」の話に近い話だなと、ふと思いました。それほど科学は消費されていないのですが。

2007/02/20 11:25:59
id:yuushanooka No.12

yuushanooka回答回数45ベストアンサー獲得回数12007/02/20 18:21:41

ポイント13pt

私は科学の専門家ではありませんが、こういう事では?

1、 論理的に検証してみて矛盾がないかどうか確かめる。但し、自分の主観は交えてはいけない。

2、偽科学ではないと断定可能な過去の科学資料データを物差しにしてそれに照らして検証してみる。但し、偽資料は使えない。

3、実際に実験してみて、同じ結果が出るかどうか確かめる。


これでは納得出来ませんか?


偽科学と科学の見分け方が難しいのはわかります。科学の99%は仮説なのですから。思うに、科学のそれが偽かそうでないかは長い歴史が立って消えていくのは偽で、数千年たっても変わらないのであれば偽ではありません。

もっとも、喩え偽科学であったとしても、それが結果として社会や生活になんらかの有益な利益をもたらしているのであれば、それでいいと思います。嘘も方便で良い意味で騙されたということです。

科学はそれそのものに価値があるのではなく、それを実社会に応用していく所に価値が生まれるのです。

実社会に使えない科学ならあっても無くてもいいじゃないですか?

こんな回答ですいません。

id:katsumushi

ご回答ありがとうございます。「自分で確かめなくても分かる」ことが科学のいいところでもあります。もちろん、どうしてもその「科学を語るモノ」が気になれば、自分で検証すればよいのは、確かです。そこは、納得できます。でも、科学者も「どんな問題を科学的に問うか」ということになれば、好き嫌い、好奇心、趣味の問題になります。

あと、ここの質問は、「こういう問題を考えてみませんか」というつもりでしました。僕も自分で考えるだけでなくて、他の人がどう考えるかな?と思ったので質問したわけです。なので、「僕を納得させてくださいという質問ではない」ので、何か考えのある方は、どうぞ、答えてください!

あ、あと、基準として「時の試練」を挙げられてますね。これもありますが、やっぱり、おかしいことはできるだけ早くおかしいと気づきたいのが人情であります。

2007/02/20 19:20:15
id:suicadayo No.13

suicadayo回答回数39ベストアンサー獲得回数12007/02/25 01:25:23

ポイント13pt

普通の回答から。

仮説生成→検証というプロセスを踏むものが科学の絶対要件であると考えます。従って、科学には仮説の反証可能性が担保されていることが必要です。

霊や前世、スピリチュアル、といった反証不可能なものは擬似科学でしょう。

逆に、「良い言葉は水の結晶の形を変化させる」、「マイナスイオンは体に良い」、「クラシックは植物の糖度を高める」と言ったいわゆる”エセ科学”と呼ばれるものは、仮説自体は反証可能なので仮説設定が間違っているだけであり、科学の範疇に入ると思います。

自分なりの回答。

科学の守備範囲は、世界の事象のごく一部であると考える姿勢も大切だと思います。特に心理学、マーケティングなどの自然科学以外の人文系の分野は、科学的な思考プロセスが全てを担保するとは思えません。

科学史哲学者のクーンが「パラダイムシフト」という概念を主張しましたが(後にクーンも立場を変えていますが)、人間の知的な営みは「世界の姿を、その当時の支配的な考え方に基づいて、一側面を切り出す」という作業の繰り返しであるという捉え方も可能です。

つまり、元々リンゴは落ちていたし、地球は変わらず太陽の周りを回っていたわけなのに、当時はパラダイムが違ったがために「科学的」ではなかったわけですね。

資本主義、民主主義、そして科学的思考プロセスが“現在のパラダイム”であるということを認識した上で、自分なりに科学との距離感を設定することが重要だと思います。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B...

id:katsumushi

>科学の守備範囲は、世界の事象のごく一部であると考える姿勢も大切だと思います。

同意です。科学でないほうがうまくいくことはいっぱいありますものね。時代によっても、場所によっても、受け入れられて機能するかどうか違うわけですね。

2007/02/25 02:45:48
  • id:hokuraku
    面白そうな質問ですね。あとでちょびっとですがのっかり送っておきます。
    今回は「文学と科学の区別は?」ではなく「ニセ科学と科学の区別は?」なので回答される方は
    ・自分は○○がニセ科学だと思う(定義)
    ・ニセ科学と科学の区別は△△で行う(区分法)
    の2つを併せて書かれると良いのではないでしょうか。

    きっとmenbo_aさんは
    ・自分には信じがたい学説がニセ科学だと思う
    ・複数の学者から支持されているわけではない学説は信じがたいのでニセ科学だ
    とおっしゃりたかったのでしょう。
  • id:katsumushi
    のっかり、ありがとうございます。質問の意図は、おっしゃる通りです。僕は、科学者として生きていこうと思っているので、悩んでいます。たぶん、ずっと悩むんだと思います。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%91%E4%BC%BC%E7%A7%91%E5%AD%A6
    より、これが境界設定問題と言われることは、分かっています。はてなのみなさんの知性による深い考察を望みます。
  • id:menbo_a
    hokuraku殿、フォローありがとうございます。
    >複数の学者から支持されているわけではない学説は信じがたいのでニセ科学だ
    その通り!いいこと仰る。
    なので、ポイント送信させて頂きます。
  • id:katsumushi
    ただ、一人の学者が言うことでも科学であり得ると思うし、逆に多数の学者がいうことでも、ニセ科学であり得ると思うんですよね。
  • id:menbo_a
    まあ、よく考えたら
    一人の優れている教授、学者の意見を無視したらとんでもないですな。
    私の中でのイメージ、教授=キチガイ、犯罪者
    が出来つつある現状での安直な回答であったかもしれません。
    科学だけでなく学説なども、推測を事実の如く言い切っている者が沸いていますから。
    本当の教授、学者の姿を見失っておりました、反省。
  • id:adlib
    >数学という形式上の手続きの問題ではなく/自然科学ということで<
     科学を、人文科学と自然科学に分けると、数学は後者ですね。
     論理的公理の比喩として“九々”をあげたつもりですが……。
     
    >複数の学者から支持されているわけではない学説は信じがたい<
     たしかに、地動説や進化論を、いまでも認めない人たちもいます。
     その割合から推して、黙認している学者のほうが多いのでしょうか。
  • id:Beirii
    明確な区分じゃないですけど、たとえば、その学説に特定・固定の支持団体が存在している場合は怪しいと見ていいのではないかなと。
  • id:katsumushi
    つまり、「論理が正しく適用されているかどうか」は、似非科学と科学との区別をする基準になりますね。では、上のコメントにもさらに追記させていただきますが、「なぜ論理は基準を与えるか?それだけしか基準を与えることはできないのか?」ということについてadlibさんの考えをよかったら聞かせてください。
  • id:hokuraku
    menbo_aさん、ポイントありがとうございます。
    でも、なんか私が受け取るのも変なのでやはりお返ししておきますね。
    もしなんでしたら質問者様にのっかりとでもしておいてくださいませ。

    katsumushiさん、wikipediaのご紹介ありがとうございました。一通り拝見しましたが面白いですね。さすが集合知。こちらに帰ってくるのが遅くなってしまいました。


    回答欄に書くほどでもないのでこちらに書くとしますが、私のイメージでは以下のような分類かなぁ、と。
    ・全ての学説は仮説にしか過ぎない
    ・学説の中で多くの方から支持されているものが「通説」となる
    ・多くの方から支持されるためには、その学説に十分な「信頼性」が必要である
    ・「信頼性」は「再現性があること」および「他の「通説」から論理的に導き出せること」の両方を満たせる場合に得られる

    で、残りの「十分な信頼性のない学説」のうち、「再現性」と「論理性」の片方しかない場合は「発展途上のまだ不十分な学説」であり、両方ない場合は「ニセ学説(ニセ科学)」になるのかな、と。
    ついでにニセ科学のうち提唱者に悪意または特定の意図がある場合は「エセ科学」、知識の不足により単に間違っている場合は「トンデモ科学」になるのではないかと。

    以上、昔は分類屋(の端くれのさらに末席)だった人間からの意見でした。
  • id:menbo_a
    hokuraku殿、了解!
    そう、悪意ある学説が蔓延っております。
    それを支持する者、Beirii殿のコメントが大変参考になります。
    しかー-し!私は別に困りません。
    悪意を発している者たちの子孫は将来、悪意によって生まれた社会で生きる羽目になるであります。
  • id:Kumappus
    アメリカ合衆国にとっては温室効果ガスによる温暖化がニセ科学だったりします(ま、確かにまだ100%の関連性を立証できてないのは事実ですが…データを持ち寄るたびに関連の度合が高まっている段階)。
    政治がからむとニセ科学が大手を振って歩き出すというのは歴史的に見てもよくあります。
    例えば旧ソ連のルイセンコ論争とか…。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B3%E8%AB%96%E4%BA%89
  • id:katsumushi
    そうなんです。提唱者の悪意または特定の意図を叩き出すことは、科学では無理なのか?今僕は、無理だな~という感覚に囚われています。科学は、似非科学を科学的に排除することはできないのか?科学者は、どちらかというと自分の科学の問題を解くことで精一杯なので、スルーするしかないなという感覚を持ってしまっている気がします。科学は思想運動なのだと割り切って、戦うとしても、区別する方法がなければ、何もできません。科学に原理的に無理な話なら、他に説得力のある方法はないの?ということなのです。
  • id:katsumushi
    こういうリストを見つけました。
    http://133.65.184.185/wwatch/appendix/fringescience.html
    これらについての批判検討という議論の方向もありですね。
  • id:katsumushi
    >http://dole.moe-nifty.com/etc/2006/10/post_0876.html>
    一年に一度、4月1日のエイプリルフールの日。国中の科学者が、いかにもニセ科学の研究成果を発表するのです。

    各学会誌は、4月1日付けの号外を出版しましょう。そこには、普段は真面目な研究者の名前で、血液型性格判断の分子生物学的なウソ解説やら、マイナスイオンの効能を肯定するねつ造実験結果の論文がならぶわけです。マスコミの協力も必要で、新聞の家庭面では「水からの伝言」が取り上げられ、TVのバラエティでは危ない地質学者が「日本は沈没するんだぁ」と言いながら暴れます。

    これで、国民に対してニセ科学への免疫をつけることができます。疑う心を育てることができます。
    <<
  • id:katsumushi
    引用記法は使えないのでした。。
    http://blog.goo.ne.jp/hokudai-liaison/e/458a841c4520798ba3ca1d222ce7c49b
    -----
    こういうモノの全てがニセ科学とは言えませんが、"ニセ"と考えられるモノを信じ込んでいる方に、真実を伝えることはなかなか容易ではありません。菊池先生もそう言う場合には、次のような対話を勧めていらっしゃいました。

      ●論理的に追い詰めてはいけない、逃げ場を作ってやらねばならない。
      ●挙げ足をとらない。
      ●動機を否定してはいけない。
      ●個人的な体験を否定してはいけない。
      ●科学の不完全さは認めねばならない。
    -----
    良いか、悪いかの価値判断はとりあえず、不問にして、どうやったら区別できるか?で、ここでは考えることにしたいです。
  • id:retorin
    ではマイナスイオン例に根拠を説明します。
    一般的にマイナスイオンは癒し効果で健康に良いと認知されています。が、実際は人間の体は弱酸性で、そのバランスを崩す事は逆に悪影響を及ぼします。それ以前にマイナスイオンがそれほどの影響を及ぼす事は実証されていません。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3
    その事を棚に上げて『健康に良い』とだけ宣伝しているのはまさにエセ科学です。だいがいのエセ健康関連商品はそれっぽく説明してごまかすか、説明自体をのらりくらりと避けるかのどちらかです。
    下記のFlash作品はまさに良い点を突いてます。
    http://www.new-akiba.com/archives/2007/02/flash_47.html
    歌詞にもありますが、
    「数字と機械で それっぽく着飾って」
    「科学っぽいから みんな信じる」
    まさにこれです。
  • id:katsumushi
    一般論で言うと、どうも、説得力が問題で、
    http://www.hicat.ne.jp/home/mickmar/contents/ethos/ethos1.html
    のような、三要素、ロゴス、エトス、パトスで考え、これは「どのくらい似非っぽいか」のような判断をすべし、この辺が落としどころですかね。この質問自体、似非か否かという判定手段を迫っていて、ナンセンスだったかもしれません。でも、個人では、みなさんどうやって判断されているかが、気になって、参考意見を伺いたかったのです。ひきつづき、議論があれば、お願いします。
  • id:hokuraku
    っていうか、
    >>
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    科学で裏付された水素水www.nd-aqua.co.jp
    真(本物)の水素水。酸化還元電位 -600mV、水素溶存量1.6ppm、pH7
    <<
    ってどうやねん。
  • id:katsumushi
    メタファーですかね(笑)
  • id:katsumushi
    あ、個別の「こんなニセ科学あったぞ」という報告もありだと思います。あと、なぜそれがニセなのかをつけてもらえれば。有名でないもので、手口が巧妙だと、面白いかもしれません。
  • id:retorin
    ニセ科学一覧をどうぞ
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%BB%E7%A7%91%E5%AD%A6
  • id:katsumushi
    やっぱり、wikipediaはまとまってますね。
    疑問は、はてなの方々(各方面の方々がいると思いますが)がどうやってニセ判定しているのかな?ということです。
    「あらゆる情報とリテラシーをもって判定」という身もフタもないのは避けてほしいところですが。
  • id:buyobuyo
    Wikipedia の疑似科学の項目にも問題が多いので鵜呑みは禁物。

    特に、「擬似科学と「正しい」科学の境界線」と題された、境界設定問題がらみの記述は鵜呑みにしたらいかんです。
  • id:retorin
    『病は気から』といいます。
    ニセ科学は、それを信じている人にとっては心理的にプラスの影響を与えるので必ずしも効果が無いわけではない。
  • id:katsumushi
    でも、例えば、その心理的なプラスと引き換えにマイナスイオンドライヤーを買っているわけでないと、思いますが。
  • id:retorin
    効果を信じて買う人が「心理的プラスと引き換えに・・・」なんて考えるわけがありません。盲目に信じるからこそ効果が出るのです。
  • id:katsumushi
    たしかに、信じることの効果はあるでしょう。ですが、どこまでも信じつづけられるほどには、ニセ科学はよくできていないから、問題なのではないでしょうか。
  • id:retorin
    それは確かにそうだけど、
    疑い続けるよりも騙され続けるほうが幸せ
  • id:katsumushi
    こんなこと思いつきました。
    「ニセ科学は、科学者以外を騙そうとしている」
    詭弁かもしれませんが。
  • id:kuro-yo
    この質問は、科学をどう定義するかで、随分中身が違ってくるような気がしますが…。
    例えば私は数学と論理を人生の伴侶と思っていますので、数学的手続きや論理的手続きに、恣意が入り込んでいるようなものは、忌避しています。それをニセ科学と言うならば、私はそのような方法で、ニセ科学を認識しているのだと言えます。ただし、これはニセ科学を認識する手段であって、科学を認識する手段ではない、というところです。
    (というのは、矛盾のある理論ではどんな命題も証明できる、という事と、無限の要素を概念として持つ理論の完全性と無矛盾性を同時に証明する事ができない、という有名な定理がありますが、この事から、ある理論が無矛盾かつ完全なものかどうかを判断する事は、数学的にはほとんど不可能だからです)
    足らないところは、私は私の良心に従うだけですね。
  • id:katsumushi
    そうですね、でも、科学の定義というか、答えられる範囲を考えてみようかな、と思い、質問しました。そろそろ、自動終了します。
  • id:katsumushi
    id:sivadさんが、アメリカでの科学教育について紹介されています。
    http://d.hatena.ne.jp/sivad/20070224#p1
  • id:bluesy-k
    普通の人がどう考えているのかを知りたいのではなく専門家として確固たる基準を作りたいというのでしたら科学哲学の本を読んだりした上で専門的知識を持った人と議論するべきではないでしょうか。
  • id:katsumushi
    なにか、オススメはありますか?
  • id:katsumushi
    http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20070330/1175226823
    より、ニセ科学と科学を区別する方法論として、「それが正しいとして、どれだけの前提が崩れてしまうかを考える」ということが考えられると思います。
    普通の人だからどうとか、専門家だからどうとか、そういう区別は、この質問では考えていませんので、とにかく、「どう考えるとよいか、逆に考えなくてもいいことは何か」を考える手立てはないものかなと。
  • id:katsumushi
    http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20070426/1177549698
  • id:katsumushi
    いまさらなんですけど。
    http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20070315/p5

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