今日をちょっと楽しく、ちょっと特別にすることって何だろう?家で過ごすいつもの時間を素敵に変える小さな魔法のサプリがあったら…。“リブ・ラブ・サプリ”とは、いうならば日々のプチハッピー。今日、少し幸せになる、幸運を呼ぶ、少し贅沢をする、少し豊かな気持ちになる、少しイエを素敵にするコト…。家でするコトなら何でもアリ。季節のこと、食のこと、洋服のこと、健康やリラックスのこと、雑貨・インテリアのこと、家事のこと、日本文化のこと、外国文化のこと、おまじない…などなど。
*サプリフレーズと、それに込めた思いや由来などのメッセージを添えて下さいね。
#014 THEME:「手作りドリンク」「マイ・リラックス法」「ペットとともに」
上のテーマ以外のことでも何でもOKです。思いついたこと何でもご投稿下さい!
サプリ例はコチラ
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20070221
※今回の「いわし」ご投稿は2月26日(月)正午で終了とさせて頂きます。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦」はサンスクリットで「智慧よ 智慧よ 完全なる智慧よ」と呼びかける言葉だと聞いたことがあります。
戦争はこの世で最低の短絡的思考がもたらす愚かな行い。完成された完全なる智慧をもって全ての武力を無くす世界を作りたいですね。
平和を祈る写経を私もやってみたくなりました。
宗教的には写経することで数々の功徳があると言われていますが、最近の大脳生理学によると、書き写しは前頭葉、特に前頭前野という情緒や人間らしさをつかさどる部分が強く働くそうです。前頭前野はヒトで大きく発達している大脳の部分で、ヒトが人間らしく生きるために最も重要な部分とも言われています。
ちなみに、もう一つの功徳である「読経」、すなわち音読も同様の効果があることが確認されているようです。
昔の人たちはこれを知っていたのでしょうか、ちょっと不思議です。
私も最近ちょっとしたご縁があって写経したのですが、思いの外集中できることにびっくりしました。
毛筆で字を書くなんて小学校以来で、肩はこるわ、背中は痛むわで大変でしたが、
ちょっとした達成感がありましたし、あれほど集中したことは最近なかったように思います。
繰り返せば確かにぼけ予防や集中力の増強に役立ちそうですね。
それが悟りを開くということなのかもしれませんね。
人間性喪失の現代。殺伐が好まれる異常な時代。
写経で前頭前野の働きをよみがえらせれば、
それこそ平和を願う心もよみがえりそうですね。
悟りというのは恐らくそう言うことだと思います。
自分のことばかり考えて欲望のままに生きることを弘法大師は「牡羊のような生き方」と言っています。
このような生き方ではなく、人として生きると言うことは、他人のことを敬い、他人のために生きること。
皆がそれを実践すれば、自然と、自分も敬われ、人から尽くされることになる。
これが羊と違い、人と人の間に生きる、「人間」の生き方であるのではないか、仏教ではそんな風に考えているのかな、と最近思うようになってきました。
こうなると当然、戦争なんてなくなりますよね。
レスはないと思っていたのにびっくり!
それに、写経ってこんな大事な働きがあったのですね。
母は昔から般若心経を唱える人だったので、ちょうどよいかと思い、プレゼントしたのですが、今はプレゼントしてほんとによかったと思っています。
昔の人はホントにすばらしいですね。
書いているときに、一字一字祈りをこめながら書いているのですが、少しでも思いが届くといいな~♪って思います。
写経はただの宗教の行ではなかったのですね。心の支えにもなるし、脳が活性化するし、人間らしさが蘇るしといいことだらけですね。私もやってみたくなりました。
戦争のない世界を願いながら写経するブームが起きたら、日本は変わりませんか?最近日本の伝統を悪い方に使って戦争に傾斜する世論を作ろうとされていますが、写経で平和を祈るという最高に美しい日本人の心を蘇らせたら、そんな悪だくみなんか吹き飛ぶと思います。
般若心経は平和の呪文だと思います。皆が般若心経に書かれているような心持ちをすれば、日本どころか、世界が変わりますよ。
弘法大師は般若心経について
「一字一句を読む声と書き写す文字には語り尽くせないほどの意味が含まれており、ここに書かれている内容はあらゆる仏も極め尽くすことが出来ないほど」
であると「般若心経秘鍵」に書いています。一字一字、正しい祈りを込めれば、きっと願いは届くはずだとおもいます。
また、Oreganoさん、仏教は縁というものを大切にします。ここでこのツリーを見て気持ちが動いたのも何かの縁です。
是非ともやってみてください。なにか新しいものが見えてくると思いますよ。
心が洗われるって方もおられます。
私はあまり仏教には詳しくありませんが、般若心経はまずはじめに万象の真実の姿が何であるかを教えているように読めます。
その概念はとても難しく私には掴み切れませんが、おそらく五感で感知出来る世界を超えて、はるか上から見渡せば、全ての相反するものは合一していると。
たとえば生まれることと死ぬこと。清いことと汚れたこと。そうした絶対に相容れない対極にあるものすら、本当は一体なのだと。そう教えてくれているように思います。
万象は合一。相反もなく対立もない。それを社会にうつす時、一見対立する国同士の国益も実は対立せず、皆がただ同じ願いに向かって違う道から歩いてくるだけなのだと分かります。
それを政策の基とした時、国は悟りの境地に達し、人々を本当の幸せに導いていく力を持つに至るのだと。政治の世界に般若心経の教えをうつしていくならば、そういうことなのではないかと思います。
般若心経はそこに至る道筋を、
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
つまりtoughさんがおっしゃるように、まさに「智慧よ智慧よ完全なる智慧よ」とひたすら真実の智慧を追い求めていくことで歩んでいけと。そう教えてくれているのだと思います。
今、ニュースを聞くと、もう毎日毎日、政府要人が発言する「対立」「相反」の認識で一杯です。何々の件でどこそこの国を非難する認識を示した。そんなニュースで一杯です。これは「五感」で感じるだけのところから見た世界。
しかし、真実の智慧をもって見ていくと、全く違った世界が見えてくる。価値観の異なる国があるからこそ、お互いがお互いを補い合っていける。そうであってこそ、完成された完全な世界へと歩を進めていける。今まで怒りを感じていた相手が、このうえなく素晴らしい地球の同朋に見えてくる。
そこに至る智慧を求めなさいと。怒り、対立は五感の感ずる所。そう感じればこそ、なおさらひたすら智慧を求めなさいと。おそらくそう教えてくれているのだろうと思います。
般若心経は、ひたすらこれを唱える。唱えて唱えて、もう言葉による認識すらも消えていくほどに唱える。写経もまた同じ。写して写して、もう文字による認識すらも消え失せるほどにひたすら写し続ける。その時「空」の本質が分かる。そこから真実の智慧への扉が開かれると。そういう経典だと聞きました。
平和に至る智慧を求め、ひたすら写経する運動。これはまさに、世界を変える新しい平和運動になるかもしれません。平和を祈る写経。美しい日本の心が、暴力も戦争もない世界を作り出す。これは心の世界だけでなく、実社会を動かしそうです。
すいません。少し飲んでます。今夜はこのへんで(^-^;
すごい。
僕飲んでたら、こんな回答を即座に出せません。(まあ年がら年中飲んでますが)
以前、「マザー・テレサ」の生き方に影響を受けた、というような回答をしていたのをお見受けしました。
彼女の武勇伝(給士は自分たちがするから飛行機代をただにしてくれ、その分貧しい国の子供達にお金は廻す、とキャビンアテンダントさんに頼み込んだとか)って、曽野綾子さんのエッセイで知りました。
いつ実現するか分からないけど地道な努力を続けるしか、世界中が平和にならないですもんね。
写経など特別な人がやる事と思っていましたが、そうではないようですね。平和を祈りながら写経をするというのは、幅広い世代の共感を呼びそうです。一人一巻、一千万人で一千巻の般若心経をどこかに納めて平和を祈念するなんていうことができたらすごいでしょうね。
私も特に詳しいというわけではないのですが、TomCatさんの仰る
「五感で感知出来る世界を超えて、はるか上から見渡せば、全ての相反するものは合一している」
これが「色即是空」ではないかと思っています。
また、同時に「空即是色」も必要なんです。
そうすると、それこそ五感を超えた、善とか悪とか言う概念をも超えた、悟りの「智慧」が得られるのかな、なんて思っています。こういう普遍的な概念があれば、果てしない復讐の連続や、他者の批判ばかりの政治も無くなるのではないでしょうか。これこそ、これからのグローバルな社会に必要な物だと思っています。
ichthyostegaさん、ありがとうございます。五感を超えた、さらに善悪も超えた智慧。究極の、あるがままの世界に眼が開かれていく智慧、という感じでしょうか。
とかく私達は「善」に至ろうと努力を重ねますが、善とはあくまで悪の対比ですよね。本当のあるがままの実相の半分でしかない。いや、私達のとらえようとする善の姿というのは、その善の姿同士でも衝突します。ある人にとっての善は別の人にとっての善とぶつかりあう。ある世界での善は、別の世界の善と対立する。本当に狭い狭い視野でしかものごとを考えられないんですよね。
ある意味、戦争はそういう「善」同士の戦い。だから無くせない。そういうことなのかもしれないな、と思ったりするわけです。日本が今行おうとしている改憲と再軍備も、日本とその同盟国だけの国益を重視する人達にとっては善の主張です。
でも、そんな善悪をも超えたあるがままの世界があると。たとえそれを観るに至れなくとも、そこに至ってみたいという願いが世界中のそこかしこから湧き上がってきたら、それだけで世界は変われるという予感がします。
その初めの一歩が写経。私もやってみたくなってきました。そろそろこのいわしも終盤ですが、また機会がありましたら色々教えてください。とりあえず何も分からなくても、まず書いてみる所から始めてみてもいいのでしょうか。
>haru-takaさん
いえいえ、私は全く仏教というのは分からないんです。どちらかというと宗教的にはウエストミンスター信仰告白に基づくプロテスタントの教えが私のベースでして。
ただ、マザー・テレサがカトリックの修道女でありながらヒンドゥ教の寺院に乗り込んで、そこであらゆる思想信条の違いを超えて人々の苦痛の救済に挺身された。そこに感動したんです。すごいことですよね。全く違う世界が、人道の前では手を結び合っちゃうんです。
で、私は思いました。あらゆる宗教は本質的に対立しないと。みんなそれぞれの教えに従ってその中心に向かって手をさしのべたら、どの宗教から伸びてきた手も、みんな同じ所に届いていると。あとはそれぞれが、それぞれの手を取り合い、握り合うだけ。そう思うようになったんです。
平和。作りたいですね。作っても作っても、すぐ壊されちゃう。それでも世の中、平和を願う人の方が圧倒的に主流派です。ただみんな手をつなぎ合えていないだけ。そう思います。手がつなぎ合えたら、そこから流れは変わります。
宗教の違いも思想の違いも信条の違いも、持ち場の違いも立場の違いも超えて、個々の利害も超えて、ただ人間がその意に反して殺されないという当たり前の世の中を目指したいという願いだけで一致して手を結び合えばいい。私はそう思います。
瀬戸内寂聴さんのエッセイ読んでて、一度写経っていうのしてみたいなあ、なんて前から考えてました。
僕の奥さんは般若心経を暗唱することが出来ます。
尊敬しました。
考えてみれば、何故か僕の知り合いには般若心経を知ってる人が多いんですよね。
不思議ですが。
御詠歌が趣味の母に、ぼけ予防(ってまだそんな年ではないですが)のために母の日に写経の練習帳をプレゼントしました。
でも写経って私も実は興味があったんです。平安時代の物語などに、お籠りをして写経したなんてのを見つけて、一回やってみたかったんです。
それに筆の字をうまく書けるようにしたかったですし。
ってことで、あとから私も買っちゃいました。
別に熱心な仏教徒というわけではないですw
般若心経は短いとはいえ、ひととおり書き終わるには時間がかかります。なので専ら休みの日に書くことになりますが、これを書いていると不思議と心が落ち着ついて静かな気持ちになれるんです。
平安の頃は修行目的や病気平癒、大願成就などを祈りながら書いていたそうですが、これからは自分だけではなく、世界平和などを祈りながら写経しようと思っています。
ちゃんと母も写経してくれています♪
そして自信がついたら、母と二人でお寺に行って実際に写経してみるのが夢です。
お寺でする写経は家でやるときとはまた違った気分でできそうですしね♪