本を出すとなぜ「先生」と呼ばれるほどの信頼度を得てしまうのでしょうか。教祖のようにまで信頼されることも多くありますが、そうなってしまう原理や心理的な仕組みはいったいなんなのか、教えてください。

回答の条件
  • 1人2回まで
  • 登録:2007/02/26 01:41:39
  • 終了:2007/03/01 01:20:34

回答(10件)

id:hirohiro3 No.1

くまさん回答回数800ベストアンサー獲得回数152007/02/26 01:47:17

ポイント6pt

単純に、自分が同じ本を執筆「できない」からだとおもいます。

http://www.amazon.co.jp/

id:koji22

ありがとうございます。

2007/02/26 02:17:46
id:shimazuyosi30 No.2

shimazuyosi30回答回数1608ベストアンサー獲得回数222007/02/26 02:08:02

ポイント4pt

出版社が儲けられるように「先生」「先生」ともちあげて、それが「サクラ」の役目を果たして浸透していくんじゃない?

id:koji22

ありがとうございます。もう少し論理的、心理的な仕組みが知りたいです。

2007/02/26 02:19:08
id:bigorange No.3

bigorange回答回数46ベストアンサー獲得回数12007/02/26 02:35:45

ポイント100pt

ハロー効果(ハローエフェクト)っていう認知バイアスがかかるからだそうです。


http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/halo.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%BC%E5%8A%B...

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E8%A8%BC%E3%83%90%E3%82%A...


一般に人は本を出す機会なんて無いでしょうから"本を出す人→社会的な権威のある人(社会的な実績がある人)"っていうある種の思い込みがあるから意味も無く相手が偉い人,信用できる人だと誤解してしまうらしいです。

id:koji22

おお、すばらしい。ありがとうございます。こういう回答を待っていました!!大変参考になりました。感謝です!!

2007/02/26 03:16:45
id:you_10 No.4

you_10回答回数22ベストアンサー獲得回数12007/02/26 02:50:15

ポイント5pt

ある本を読んで、そこから新たな知識・価値観を得たと感じた方々には、

教えてもらったことに対して「先生」や「信頼できる」という心理が生まれてくるのではないでしょうか。

id:koji22

ありがとうございました。もう少し論理的、心理的な背景を教えていただきたい。

2007/02/26 03:17:18
id:castiron No.5

castiron回答回数418ベストアンサー獲得回数302007/02/26 03:59:55

ポイント5pt

人間は誰でも自分に関することなら1冊は本を書けるそうです。

なぜなら自分の人生を文章におこすだけだからです。

ではなぜベストセラー作家と呼ばれる人は何冊もおもしろい本を書けるのでしょうか?

それはその作家の方の経験、取材力、テクニック等が優れている事に起因していると私は考えます。

次に、北村薫さんの後書きに書かれてあったことなのですが(何かの引用なのかもしれませんが私は知りません)

小説を読むことで他の人の人生を体験することが出来るそうです。

(正確じゃない気がするけどそのようなこと)

また、私は職業以外で「先生」と呼べるのは尊敬できる人だけだと思います。

この意味においてさらに、前述した二つの事柄を踏まえて作家の方を尊敬してそのような呼び方をすると言うことが起きるのではないでしょうか?


また、本の個人に与える影響というのは計り知れない物があると私自身は感じます。

インターネット上にある情報は所詮表面的、部分的な内容にすぎないと私は思います。

一方本では内容は別にして通読する(読み切れる)ことの出来る本というのは主題についてまとめられた物だと私は思います。

別の言い方をすれば本はある情報に対して体系的に表現されているメディアだと思います。

これを示す端的な身近な例だとレポートなんかを書くときにインターネットの情報をコピペしたようなレポートと

1冊本を読んでレポートを書いたのでは明らかに後者の方ができがいいです。

(勿論両者を活用し情報を取捨選択することでよりよいレポートが書けると思いますが)

それだけ本が個人の知識、価値観に与える影響が大きいことを示していると思います。

このような理由により本という媒体により過剰な信頼を寄せるという事を起こりうるのではないでしょうか?


暇つぶしに書いているので長くなってしまいましたが最後にさらに私見を述べたいと思います。

本を読むと言うことの意味は娯楽、知識を身につけると言うこと以外に多面的な物の見方を身につけると言うことがあると思います。

そのため過剰な信頼を寄せる人という人はまだその本に対する読み込みが足りないのではないかと思います。

これは勿論あら探しをしなければならないという意味ではなく検証を刷る必要があるということです。

id:koji22

ありがとうございまいた。

2007/02/26 04:09:35
id:tadatarai No.6

ただたらい回答回数606ベストアンサー獲得回数372007/02/26 04:05:48

ポイント7pt

◆「先生」とは「学ぶ人に教える人」というのが、ウィキペディアにあり、教育学的には「『学習者』に対して知識を伝達する『教授者』」となると思います。

いわゆる学校の先生は、児童・生徒に、知識を教えるので「先生」と呼ばれるわけです。

よって、手段は違えども、作家や芸術家も、芸や制作物をもってして、広く大衆に、世の中の真実や知識を学ばせるという点では「先生」に値すると思います。

医者や弁護士など、いわゆる専門職も、その専門知識で、大衆と一線を画し、救済しているので、「先生」と呼ばれます。


◆しかし、いろいろ考えると、どうも「先生から大衆へ」、言い換えると「上から下へ」という、「知識」の流れがあるように思います。

また、「教祖」とまで思われる「先生」は、この「芸」がすばらしい、「有り難い」と大衆が信じている、もしくは信じてしまう、もしくは信じさせられてしまうからではないでしょうか。

ところで、いわゆる学校の先生でも、教える技術やノウハウがすばらしい人のところには、先生方やマスコミが集まってきたります。


◆しかし、最初に述べた「教育の枠組み」もだんだん変わってきていて、「先生から児童・生徒に知識を伝達するのが教育」というのは古くなってきているように思います。これは、社会に対する考え方、学校や先生に対する考え方、知識の構成そのものに対する考え方などが変わってきているからと言えます。

となると、koji22様がおっしゃるとおり、「本を出したから先生」という枠組みもそろそろ崩壊するのではないでしょうか。


◆最近は、自費出版、ネット出版など、いわゆる「大衆」でも「本が出せる」時代ですし。

そうなると、大衆から見た「有り難い本」ではない本もあふれるわけで、でも、大衆上がりの「作家さん」は、「先生」と呼ばれることで、「大衆から抜け出した」と勘違いするのではないでしょうか。

でも、そもそも、最初の枠組みにおける「先生」も最初から「先生」ではなく「大衆」だったはずなんですけどね。

この辺の誤解は、まだまだ、残っているようです。

たとえば、「教壇に乗って怒られた」とか「黒板に落書きをして怒られた」という経験はありませんか?もしくは、そんなことを聞いたことはありませんか?古い意味での「先生」がその権威を死守するあまりの行動でしょう。



◆話しが長くなりましたが、やはり「先生」という言葉のもつ意味が旧泰然としていることに、起因するのかもしれません。

id:koji22

ありがとうございます。主観的ではなく、客観的な回答がほしいです。

2007/02/26 04:10:49
id:noguj No.7

noguj回答回数365ベストアンサー獲得回数182007/02/26 04:14:56

ポイント6pt

ナルシズムの肥大

大学や宗教界のように、仲間内で「先生、先生」とか「猊下、猊下」と呼び合う思い上がった阿呆どものギルドでは、あたりまえの風景です。

http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20060618

難しいことはわかりませんけど、出版業界も当てはまるのではないでしょうか

id:NAPORIN No.8

なぽりん回答回数4719ベストアンサー獲得回数8712007/02/26 09:25:40

ポイント8pt

最近信頼というものについて考えてたのですが、

結論から先に言うと

信頼とは「情報を与えくれそうな期待」です。

本は情報のカタマリですし、本だけでは表層的な知識で、

書いた人はもっと奥深い知識をもってそうですから、

1冊書いた人は別の本も書く可能性も高いです。



「金をたくさんやろう」という人より、

「自分が金をどのくらいもっているか、それをどうやって稼いだかを全部教えてあげよう」という人の方が信頼できます。


勉強がよくできる人より、

「勉強をおしえてあげよう」というひとの方が信頼できます。


お金を貸してくれる銀行でも、「いついつまでに、

これだけの利子で返してください」という銀行のほうが

「いつまででも借りてくれていいです、

利子はこちらで計算してさし引いて置きます」という銀行より

信頼できます。


親子の信頼も情報の伝達に基づきます。

人気のある作家はいろいろな情報をいろいろな角度で伝えます。

逆に、今後新たな情報が全く期待できなくなったときには

信頼は終わります。

それは、情報をうけとる人が受け取れなくなった(満腹した、飽きた、情報が嘘だと思い始めた)場合も含みます。

id:koji22

いやはや、すばらしい回答、ありがとうございました!

2007/02/28 01:27:33
id:adlib No.9

adlib回答回数1986ベストアンサー獲得回数1232007/02/26 15:15:03

ポイント8pt

 

 先生への道

 

 歌舞伎町を歩く男は、たいがい「社長」とか「先生」と呼ばれます。

 本を出す前から「先生」と呼ばせることもあります。

 つぎの実話から数年後に、本を出した音楽評論家のケースです。

 

── そこで与太郎は、彼を励まして、こう教えた。

「いまから君は“センセイ”と呼ばれたとき以外は、返事するな」

http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040228

 自作自演 ~ デーやんの処女稿 ~

 

 もう一つのケースは、作家の藤本義一自身が語っています。

「直木賞を取れば先生と呼ばれるらしい。そんなら小説を書いてみよう」

 そう考えて原稿用紙に向い、まず“受賞の言葉”を書きはじめました。

 

 かつて1960年代の相場では、一字あたりの印刷費用は約2円でした。

 400字詰め200枚の文章を印刷すると、約16万円かかります。

 大卒初任給8000円として、新入社員の年収を上回ったのです。

 

 かたや原稿料は、一枚一万円(一字25円)から800円(約2円)、

でした。かくて出版社は、一冊200万円(現在は約十倍)を投資する

対象を“センセイ”と呼んでいたのです。

 

id:koji22

ありがとうございました。

2007/02/28 01:30:24
id:takeship No.10

takeship回答回数33ベストアンサー獲得回数12007/02/26 17:53:50

ポイント9pt

http://www.occ.or.jp

●;ご質問はいろいろ考えさせられる。「本」(または書物)に対する「物神性」が、中世~現在に至るまで存在するが第一の前提。その「物神性」が何から生まれているかといえば、<書いた人>が制度(=権力)の側にいると(見られる)からだ。そう「見る側」は「センセ」と呼ぶ(敬意、軽侮も含めて)。国会議員同士が「○○先生」と呼び合うのも同じ権力の枠内にいることを確認のサインだが、「本」を書く人=知識人(あまり使われないが)とみなしてしまうのは、「知識人」「エリート」が職能としてあるのではなく、「書く場」に入り込んで人が体系的に集めて纏めたものが「本」とすれば、体制側であれ、反体制側であれ「権力者」として機能する。「権力者」に対する畏れの表現が「先生」である。

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