思い出に残っている当時のインターネットに関する出来事をお教え下さい。
出来事の大小は問いません。また個人的なものでも構いません。
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大変ご反響を頂きましたので、再度実施させて頂きます。
また先日、20代未満の方々を対象に、
古いインターネット用語の認知度調査を実施させて頂きましたので、
それに対するご感想も合わせてお寄せ頂けたら、と思います。
参考:【10代限定】以下の中から知っている単語をご選択下さい。
http://q.hatena.ne.jp/1173630206
これまでアナログダイアルアップでしたが、ISDNにしてとても早くなり東風荘も快適でした!
自分で部屋に電話回線を分配し、ターミナルアダプタも購入しましたが、まもなくADSLに切り替えると、悲しいことにせっかく買ったターミナルアダプタが無駄になってしまいました(><)
96年頃、infowebに入っていました。
infowebに入っている人はみんな仲間みたいな雰囲気がありました。
いきなりメールを送ったり送られたりとか普通にありました。
今では考えられないことですね。
あの音好きでした。
http://www.google.co.jp/search?q=%EF%BC%A2%EF%BC%A2%EF%BC%B3%E9%...
ISBN:978-4-88554-814-7
Σ|D<これとかですかね。結構。グレーの公衆電話機に携帯端末を繋いで。当時利用はPC-9801LT,PC-9801NS/Tあたり。モデムも相性があって、AIWAのモデムとかOMRONのモデムが良かったですね。その他、インターネットに関してはネットスケープが当時性能よかったですね。パソ通では技術評論社のCCT-IIIが最強。まぁみんなフリーのK-TERMとか使ってました。オフ会なんかも結構~頻繁で、電話回線ではNiftyのCB-シュミレータのオフ会なんかに出たこともあります。ポケットコンピュータPC-E500(SHARP)関連では結構な数のオフ会に参加しました~って話です。
93年か94年頃、年末にNiftyのFUNIXというフォーラムのオフ会がアキバであって。
ちょうど来日中だったLinusさん(言わずと知れたLinuxのLinusさんです)が
そのオフ会に参加したことがありました。今じゃ考えられないよね。
仕事で行けなかったのがスッゲー悔しかったのを覚えてる。
あの頃のテレホタイムは、とんでもなく遅い回線速度で
**KBの画像でさえ開くのに苦労しました。
でも、その遅ささえも楽しかったと、今では思えます。
まだ定額のAirHも存在してなくて
H”というシステムで通信をしていたら
月に8万円以上になった事を思い出します。
しかも安定していなくて頻繁にとぎれていました。
今はあの頃に比べるとすごくいい環境です。
2ちゃんも頻繁にサバ落ちしていました。
エロゲ板などは数ヶ月サバ落ちのまま放置されていた事も
2ちゃんも有名になりましたね。
当時は画期的な料金プランだと思ってました。
インターネット使い始めのころは私もDREAM★NETに入って、NIFTYと使い分けてました。
その後DREAM★NETは何回も他のプロバイダと合併されたりして、今はNTT PC系だったかな。
全然使ってないけどアカウントは残ってままになってる。どうやって解約するかな。
IDもかなり探さないと分からんし。
ここには無料のえっち画像が多く掲載されていました。
繋がる速度が遅くて苦労しましたが、長時間かけて多数の画像をダウンロードしていた記憶があります。もう10年以上前になりますかねえ。
NIFTYにも加入していましたが、当初は従量制課金だったので、インターネット接続のためにDREAM★NETにも加入していました。
確か月額定額でネットに接続し放題のコースがあったと記憶しています。いくらだったかなあ・・・
プロバイダが定額になっても電話代が従量制なので、毎月の電話代はやはり相当なものでした。
確か、中南米の会社に展示パネルの制作を頼んでいて、急遽そのチェックをするために、現地に出張しなければならなくなったとき、その画像をメールで送ってもらって、日本でチェックできたので、海外出張しなくてすみました。すごいと感動しました。でも、中南米だったせいか、送ったという電話が入ってから、日本に着くのに、半日以上かかっていました。遠いから仕方がないのかなと皆で話していましたっけ。
最初にネットを始めたとき、当時はパソ通でしたが、家の電話はまだ黒電話でした。
もちろんモジュラージャックなんてありません。
なんで「音響カプラー」を使ってモデム繋いでました。
インターネットになってもしばらくの間、「音響カプラー」でダイヤルアップしてました。
大量にローカルに保存してました。
大卒の就職活動ですが、2個上とかの先輩で1997年くらいまでの人は応募はがき何百枚書いたとか電話しまくったとかだったのに、1998年あたりからWEB上のエントリーシートとかが当たり前になったのが印象的でした。
PCが使用できるできないが就職活動の有利不利につながるということで、PCを持ってない人はそのために授業がなくても大学に来ていたのをよく見たものです。
地元のパソコン通信のサーバーにモデムでアクセスしていました(その当時は1200bps)
オフラインミーティングが盛んでネットで知り合った人と毎月飲んでいました。
「はてな」でいうグループみたいな活動をしていましたね。
って気持ちでテレホ時間前に繋いでついつい11時まで繋ぎっぱなしとかやっちゃいましたね
そんな日が何日かあると電話代に愕然としたり・・・
当時実家住な学生だったので親に怒られた記憶があります
をを懐かしい。
jokesとか、某mohta氏のテロ活動とか参加しましたな。
あのころは、ネット活動の主体は、UNIXユーザだったと思う。
なんであんな音がしていたんでしょうね。
なんか、働いてる、繋いでいるという感じはしましたが。