【織田信長】の【茶器】に関するエピソードを教えて下さい。

※家来に褒美として渡した…みたいな感じで政治によった話であればベストです。

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  • 登録:2007/04/05 15:52:26
  • 終了:2007/04/12 15:55:02

回答(5件)

id:TNIOP No.1

TNIOP回答回数2344ベストアンサー獲得回数582007/04/05 16:01:22

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http://www.oyakatasama.com/oda/age.htm

だから信長は、土地の変わりに 茶器をあたえ、土地と同様の価値をつけたのである。

そのいい例として、有名なのは滝川一益である。彼はのちに、関東官領(正確には『関東八州の御警固』及び『東国の儀御取次』)になったが、そのとき本当は関東官領の地位より茶器がほしかったのだ。

 それでは本題に戻るが、信長はどんな茶器をあげたのか、一つ例を挙げてみると、織田家筆頭柴田勝家には 「天猫姥口釜」というのを送っている。名物茶器だったが、後秀吉の所有物となった。

id:markII No.2

markII回答回数744ベストアンサー獲得回数232007/04/05 16:03:06

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http://www.weblio.jp/content/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B...

当時流行した茶の湯を家臣団掌握の手段など、政治的に活用し、一国に値する程の価値があった『名器と称される茶道具』を領地、金銭に代わる恩賞として与えたりもした。恩賞と領地加増の関係については、どの大名にとっても多かれ少なかれ頭の痛い問題であったのだが、信長はそれをうまく改善してのけたと言える。甲斐攻略で戦功を上げた滝川一益が信長に対し、珠光小茄子という茶器を恩賞として希望したが、与えられたのは関東管領の称号と上野一国の加増でガッカリしたという逸話さえある。信長が茶の湯に対する権威付けを以前からしっかり行っていたからこそ、家臣もそれに高い価値を見出す事ができたのである。

id:abura-uribou No.4

abura-uribou回答回数18ベストアンサー獲得回数02007/04/05 16:28:34

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下のURLのページによると、当時恩賞は知行が普通だったのに信長の時代くらいから茶器も恩賞として与えられるようになった、とあります。またこんな話も……

織田家の重臣 「滝川 一益」 は、ある日 信長から 「この合戦で手柄を立てたら 「珠光小茄子」 という大名物の茶器をやる」 と言われて発奮、活躍を見せたのですが、実際には珠光小茄子は与えられず、かわりに 「上野」 の国(知行)と、「関東管領」 という幕府の役職を与えられました。

この 「関東管領」 は 上杉謙信 が与えられ、泣いて喜んだと言う公式の官職なのですが、滝川一益 は 珠光小茄子 がもらえなかったのでガックリだったそうです。

いかに当時、高価な茶器に大きな価値があったかがわかりますね。


そのときの茶の湯の加熱振りがよく分かる話です。


http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tigyou.htm

id:itoyou No.5

itoyou回答回数241ベストアンサー獲得回数12007/04/05 16:41:41

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http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=478421318X

織田信長による名物茶器をしつらえた茶会の場を、従来のようにわび茶の史的変遷の一齣として見ていくのではなく、室町殿中の座敷飾りが段階的に発展した「大名茶湯」として捉えて、中世史の中に位置付け

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