衣川の戦いにおける源義家と安倍貞任との和歌による歌問答についてその内容、歌などを詳しく教えてください。

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  • 1人2回まで
  • 登録:2007/04/06 10:23:52
  • 終了:2007/04/06 16:30:48

回答(3件)

id:torisugari No.1

torisugari回答回数62ベストアンサー獲得回数52007/04/06 10:51:10

ポイント40pt

http://oak.zero.ad.jp/teru/gakusyu/kokontyo/kinu/index.html

義家・衣のたてはほころびにけり

貞任・年を経し糸の乱れの苦しさに

id:axwgt

端々を忘れ始めていました。これでよくわかりました。ありがとうございます。

2007/04/06 16:10:12
id:Baku7770 No.2

Baku7770回答回数2832ベストアンサー獲得回数1812007/04/06 11:30:24

ポイント20pt

日本の城大全・東山道・衣川柵

 義家が衣川の館(たち)と衣類の縦糸をかけて「衣のたちはほころびにけり」と詠んだところ、貞任は裏切りを知っていたため、「年を経し糸の乱れの苦しさに」と詠み返した。と言われています。

 貞任の歌の解釈は、衣を何年も着ていると糸がほつれて、組織も何年か経つと統率が乱れてと解釈されます。

id:axwgt

ありがとうございます。いろいろとわかりました。

2007/04/06 16:13:10
id:TNIOP No.3

TNIOP回答回数2344ベストアンサー獲得回数582007/04/06 12:44:18

ポイント20pt

http://www003.upp.so-net.ne.jp/s-waichi/gosannnenn.htm

前九年の役で、義家が活躍しはじめる。この時期辺境の砦は「柵」と呼ばれたが、義家は次々と破った。

ある時「衣川柵」(岩手県・平泉町附近)も落した。その衣川に安倍貞任がいた。敗走する貞任を、義家

が馬で追った。追いながら  「衣のたて(館)はほころびにけり」  と歌の下の句を貞任に投げつけた。

と貞任は振り返り、にっこり笑い    「年を経し糸の乱れの苦しさに」     と上の句を返してきた。

義家は唖然・感動した。無知で卑しいとされる辺境の武人が、都の人間以上に「雅心」をもっていたとは。

義家は、この時追跡をやめたという。いわゆる「名場面」は義家と貞任の歌問答として知られる。

id:axwgt

いろいろと解説もいただきありがとうございました。

2007/04/06 16:28:38
  • id:yokikotokiku
    3番の回答についてなのですが、
    源義家は、子供の頃(安倍一族と闘うために)陸奥の守となった父親の源頼義とともに子供の頃都から奥州にやってきて、
    以降12年間奥州に生まれ育ちます。
    なので奥州の文化レベルの高さを義家はよく知っていたと思われます。
    安倍一族は頼義に対して懐柔策を取ったので、表面上は彼らはけっこう仲がよく、貞任、宗任兄弟と義家は知り合いだった可能性が高いです。
    歌を読みかければ返ってくることは当然予測できていたのです。
    というわけで、3番さんの回答にあるような「都から来た貴族が、奥州の荒武者の思いの外の優雅さに驚いた」
    というのは、ありがちなイメージに沿って後世に脚色された部分のようにも思います。

    いやどうでもいいことですが(笑)。すみません。

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