■リーキーの縄張り(337)

1891年、ジャワ島のソロ川の河岸のトリニールでオランダ人のウジェーヌ・デュボアはピテカントロプス・エレクトゥスを発見したが、旧弊な学会をこれをなかなか認めなかった。1924年オーストラリア出身のレイモンンド・ダートは南アフリカのタウングで最古の人類アウテトラピテクス(タウング・ベイビー)を発見。このときも学会の権威者は反論した。1959年にルイス・ルーキーがタンザニアのオルドヴァイでジジャントロプス(アウストラピテクス・ボルセイ)を発見した頃になると、ダートもリーキーもスターとして扱われた。リーキー一族は、ケニヤとタンザニアでの独占的調査を行い、だれもリーキーの許可なく、同地域での研究を行うことができなかった。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/page-ri.htm


さて、このリーキー一族ですが、もしかしたら、日本考古学会における藤村新一のように捏造ではないかという噂を耳にしたのですが、誰かその真偽について、証拠や意見を提示していないでしょうか。

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回答2件)

id:TNIOP No.1

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ポイント35pt

http://www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/zen.html

こちらで少し触れています。

やがて、ジャワ島からのジャワ原人、ペキン周口店から発見された北京原人の発見などで人類の起源がアジアに傾いた時期もあった。しかし、レイモンドダートによる南アフリカでもアウストラロピテクスの発見、さらにルイス・リーキーやその家族やドン・ジョハンソンなどが次々にアフリカから最古の人骨を堀あて、その年代を次々に更新してゆき、今日ではアフリカ起源説が不動のものになっている。

 しかし、化石は掘ってみなければ発見できない。縄文時代の遺跡なら、宅地開発や道路工事でいきなり出現して工事が中断したりして困ったことになるが、最古の人類化石ということになればそうそう至る所で出てくるわけではない。偶然鉱山開発などで発見されるのを除けば、ほとんどは化石ハンターがこの辺なら出るだろうと当りをつけて発掘調査をする。それもアフリカあたりまで行って長期の発掘調査となれば、それなりにお金もかかる。それにはスポンサーをつけなければならない。そのスポンサーを納得させるには、そこがいかに有望なところか、そして化石が出た暁にはそれを博物館に貸し出したりして十分な収入がえられるかを力説する必要があるだろう。そうなれば、あまり飛んでもない意表をついた場所の調査はできない。大体世間での定説に従って選ばれる。ここまで言えばアフリカ起源説のからくりもわかってくるだろう。つまり、アフリカが有望だと言われれば、化石ハンターはアフリカに集中する、そこでたまたま人骨が出る、それでアフリカ起源説は証明されたことになる。それ以外の地ではほとんど偶然の発掘を待つしかない。だから、将来どこかから突然最古の人類の骨が出現して、情勢が一瞬にして変るという可能性がないわけではない。

id:ShinRai

一般論として参考になります。ありがとうございました。ただ、ダートの発見は、化石ハンターとは違いますね

2007/04/25 14:04:35

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