やる・くれる・もらう=giveの使い分け
13.a.John gave me a book.
b.ジョンは私に本をくれた。
14.a.I gave John a book.
b.わたしはジョンに本をやった。
どこに視点があるのか?
15.a.私は太郎に本をやった。
b.太郎は私に本をやった。
c.太郎はジョンに本をやった。
上2つは私とほかの人、一番下は他人同士
b.がおかしい理由
どんな状況で使えてどんな状況で使えないか?
giveはあくまで主語→目的語の「与える」という動作ですが,
「やった」という日本語が「(近くから遠くへ=自分から相手へ)やる(=与える)」,
という意味になるということを理解すれば合点がいくと思います.
>>15b.太郎は私に本をやった。
この文章はあまりみない日本語です.
だから
13.a.John gave me a book.はジョンが私に本をくれた,とか私はジョンに本をもらった(こちらはやや誤訳),とか訳して,
やる(=遣る)はつかわないわけです.
14aはまさにやるという日本語の語義に合致するのでやると訳せます.「やった」でなく「あげた」でもかまいません.
15aは14aと同様ですし,15cは3人称同士のやり取りなので太郎を主体ジョンを客体とみてやったといえるわけです.
英語giveの問題ではなくて、日本語の構造的な問題に由来している「違和感」だと考えます。
日本語の場合、もともと「私=I、場合によってはme」を文中でつかわなくても意味がわかるようにつくられています。そのために、他人あるいは私が、同等以下の人に何かをgiveした場合は「やった」、誰かが自分にgiveした場合は「くれた」と異なる動詞を用いています。
日本語では動詞「くれる」を使う場合、会話の中では、「私に」という言葉を入れなくても、「彼が、お祝いをくれるんだって」と言っても、意味は通じます。彼と私について、第三者に話している状況であれば、「私に」を省略しても、私にくれることは間違いないとわかるので。
一方、英語では、giveは、そこにいる関係者や状況に左右されず、客観的に、ある人が何かを誰かに「与える」という動作のみを示しています。
というわけで、
14.aとbは、日本語では、私が主語になるか、目的語になるかの違いで、動詞「やる」「くれる」が使い分けられているが、英語ではgive一語で使い分ける必要がない、という主旨かと思います。
15.bの文は、上記同様、「私」が目的語になっているので「やった」では、日本語としては「おかしい」と感じるが、英語giveでは、状況による使い分けの必要がないので、使ってかまわないということを、示しているのではないでしょうか。
論点が日本語の方になってしまったので、ご質問者の意図に沿ってなければ、すみません。。。
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