公の機関では、毎日のように贈賄や収賄、横領、談合などの不祥事が報道されています。
正直やりすぎ?と思うのですが、どうしてあんなに多いのでしょう?むかしはチェックが甘かったのでしょうか?給料が低いのですか?倫理観が欠如している人が多いのですか?先人たちが悪いことができる体質に作り上げてきたのですか?犯罪行為をしないと成り立たない組織になってしまったのでしょうか?
ご意見お聞かせください。
東大を卒業し、官僚になり、次官やその他の公的役職につくのが「理想的なキャリアパス」だった時代ではなくなったということ。
官であることが重荷になってきた。民の知識・能力が、官に追いついてきたともいえる。グローバル化、アメリカ化の時代の流れでしょう。
昔は地元のカタギを守ってくれ、共存していたけど、
国会議員はいまや当選することが目的で、私腹を肥やすことが最大の目標になっている。
あわよくば、テレビにもたくさん出たいと。
今なら世論は文句言わないだろうし、でももっと取り締まるべき非合法な
ことばかりやっている組織には全然手をつけないのは、、逆に、、、、、。
それに即応し切れない世代ってことだと思いますよ。
騙されたことに、ボチボチ気づけよ国民たち。
守ろうとする人間が誰もいないんです。
利益誘導や縁故採用がいけないというのは結構最近の文化では。
私達は現在それを「悪」とする枠組み(文化・法律)に生きていますが、ずっとそうではなかったと思いますよ。
人間80年は生きるわけで、善悪の社会的な基準が変わったとしても、人の納得が得られるまでには何世代かかかるんじゃないでしょうか。
日本の常識が、動いているだけ
いくらあっても足りないのがお金なのです。
贈賄してる人は贈賄分以上の稼ぎを得ることになってるだろうし。
日本の政治というのは、昔から政治家は票田としての業界を取り込み、業界は自分たちに利益をもたらしてくれる政治家を「センセイ」と祭り上げていく。そういう持ちつ持たれつの関係で成り立ってきました。
たとえば今度の参院選なんかでも、東京都選挙区は定員一増になって、自民党はそこに現職と新人の二人を立てることになりましたが、ここで現職がえらく怒ってるんですね。何を怒っているのかというと、自分が取り込んでいる業界に、新人候補が挨拶回りに行くことについてなんです。
新人は浮動票の取れる候補として選挙に出る、自分の票田は荒らさないという約束だったではないかと怒っているわけです。そのくらい、政治家にとって、業界というのは重要な基盤なんですよね。
そして、政治家は票と資金を業界からもらう、政治家はその見返りにその業界に有利になるように立ち振る舞うと。そういう「利益誘導」の仕組みで、政治というものは動いているわけです。
もうこの構造が贈収賄そのものですよね。ただ、業界団体が政治団体という形式をとっていたり、政治資金規正法の枠内で行われる企業献金として金を出していたりするから罪には問われない、というだけの話です。
しかしそれは法のグレーゾーンぎりぎりのところでやっていることですから、ちょっと逸脱すると、それはもう立派な贈収賄事件になってしまうと。そういうことなんですよね。
こうした方の定めを逸脱した利益誘導を官界と業界でやればそれが談合。官界と官界OBの法人でやれば官製談合ということになってきます。横領は、そのための裏金作りということでしょうね。
で、こうした利益誘導政治が業界にもたらすものは、もちろん金銭的利益であったりもしますが、それ以上に、たとえば行政に手を回して許認可など様々な部分でで便宜を図ってもらうとか、業界に都合の良い法整備を実現してもらうとか、本来なら必要のない官僚OB天下り団体を存続させる後ろ盾になってもらうとかといった「業界全体」への御利益の方が大きいのではないかと思います。
「センセイ」方の方はというと、金はさらに「上」への資金源となって閣僚ポスト獲得などの実弾になったり、自分の子分としての県議や市町村議員への資金として回されていったりして、自分の「天下取り」の足場固めに使われていったりするわけです。
都合ですか?
の都合です
そもそも贈収賄汚職談合はアジアの文化です。
汚職文化が先で、汚職のない文化に今、向かう途中というだけの事です。
そもそも贈収賄は、江戸時代当たり前のことで、享保、寛政、天保の改革のの時も、巧みに利用されたようです。
しかし、西洋からの価値観で贈収賄がだめだと言われるようになったわけではなく、当時から「まずい」と感じながら利用していたようです。
また、公共工事(土木)の建設業は昔、役人が頭(そのむらの長)を雇いました。頭はむらの人夫を雇用し工事の仕事につかせ、その陣頭を行いました。そういう団体を「組」と言っていたようです。組が建設業の名前に付いているのはそういう伝統があるためです。
考えても見てください。企業になぜ、公共工事の営業部門が必要なのでしょう? 彼らは自分たちのことを自虐的に「だんごう屋」と呼んでいます。マスコミは、視聴者のわかりやすい悪をワーワー言うと、視聴率も上がるので、どこかで贈収賄が見つかると「またこんなことが」と言いますが、そもそも社会的構造が昔からそのようになっているので、明日から急に無くなるような事にはならないでしょう。(マスコミもかなり悪ですが・・・)
役人と組の繋がりは、江戸時代からの伝統です。しかし、最近は、自らをだんごう屋と呼ぶくらい自分たちの仕事を卑下しているほどです。公共工事も激減し、地方や小規模の工事では、この伝統も2~3年まえから崩壊し始めています。
少しずつ、良くなりますよ。