街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!“イエ・ルポ”とは、実際に見たり聞いたりしたイエの話、またはご自分の家の暮らしの中で生まれたユニークな工夫やアイデア、習慣や出来事をミニルポ感覚で書き込んでもらう“イエ・ルポタージュ”コーナーです。
*〈今週のお題〉に沿った、みなさんが知っている面白いイエの話を教えて下さい。
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イエ・ルポ #027 THEME「名場面をもう一度!心に残るファミリードラマ・映画」を教えて下さい
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http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20070625
※今回の「いわし」ご投稿は6月28日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※参考にさせていただいた「いわしへのコメント」には、【いわしポイント×20pt】を差し上げます。
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まだアニメを作っている最中は結末がわからない状態だったんですね。前半はお父さん、自分で煉瓦を作ったり、ろうそくを作ったり、何でもできて何でも知っていて、行動力もあってすごく頼もしいお父さんだったのに、途中から弱いお父さんになってしまって、あれれーと思っていたんですが、スタッフの人もあわてたんですね。
でも最後には自分の土地が手に入って、希望を再び取り戻してめでたしめでたし。私はアデレードという町を、このアニメで初めて知りました。
どっちがどっちだったか時々わからなくなることがあるのですが、開拓がルーシーで無人島がフローネですね。調べてみたらフローネとルーシーはずいぶん放映時期に開きがあったようですが、私はどちらも再放送でしか見ていないので、時期的に近い時に見ていたのだろうと思います。
ルーシーとお姉さんの掛け合いが、なんか漫才みたいで面白かった印象があります。私は兄弟がいないので、妙な所が印象深かったみたいです。
私もフローネを思い出して、「♪わすーれないわー」とか鼻歌歌ってたりします。なんで全く違う作品なのに混ざるんでしょうね。
作品としては、最初の構想はまさにオーストラリア版大草原の小さな家という位置づけで始まったものだったと思います。ところが回を重ねるにつれて、何て名前でしたっけ、執拗に嫌がらせをしてくる何とか家。あの存在がやたら陰湿だったり、お父さんがどんどん酒に溺れていったりと、だんだん暗いイメージが漂い始めてきましたよね。
開拓が舞台の話は、大草原の小さな家にしても、ルーシーにしても、ある意味北の国からもそうですけど、親の都合で子供の人生を思いっきり犠牲にしている部分があるわけですよね。だから、何としてもお父さんは、ここに移住してきて本当に良かったと子供に思わせるカリスマ性が必要なんです。それが崩れてしまいそうになった。スタッフは、本当に慌てたと思います。かといって原作から大きく外れるわけにもいかないですしね。
でも、実際には、大草原の小さな家の方も、ドラマには出てきませんが、インガルス一家は一度農業に失敗して、失意のまま都会に移住して、そこでホテルの手伝いとかをして食っていた時期があるんですよね。本当はそういう不本意で苦渋に満ちた時期があって当たり前。それが人生というものです。
その意味で、南の虹のルーシーは、話数が少なく描ききれなかった部分は多々あったにせよ、家族のドラマとしてとてもリアリティのある秀作だったと私も思います。やまがたすみこさんの歌もよかったですね。
おそらく皆さんご存じだろうと思いますが、
オーストラリア版大草原の小さな家といった感じの「名作劇場」の一作品です。
原作はフィリス・ピディングトンの「南の虹」。
舞台は開拓時代のオーストラリア。
イギリスから一家でアデレードへ移住してきたポップル一家。
オーストラリアでの開拓生活はとても豊かとはいえませんが、
でも、ここには大きな夢と広大な大地があります。
物語は最初は明るく希望に満ちてスタートしていきました。
でもこのアニメは、日本で放映している最中も、
まだ原作が完結していなかったのです。
物語が進むにつれて困難に見舞われるポップル一家。
前半は大草原の小さな家のようによき父ぶりを発揮していたお父さんも、
なかなか土地が手に入らないことから希望を無くして、
徐々に酒に溺れていくようになってしまいます。
これにはアニメの制作スタッフもずいぶん戸惑ったそうですが、
家族には常に山あり谷あり。
この予想外の展開が、かえってこの作品にリアリティを与えています。