もしくは、一番大事にしている[法則|考え方]は何ですか?
「自分という存在は、果てしなく広大な宇宙空間の中にある小さな星の一つの、小さな島国の上にいる、宇宙から見れば埃の一粒よりも小さなものであり、自分が生きている何十年かの人生は、いつから始まりいつ終わるかわからない宇宙の歴史から見れば、ほんの一瞬にもすぎない」ということに気づいたとき、自分の生き方についての考え方が変わりました。
一言で言えば、「片意地張らずに生きていけばいいんだ」と思えるようになりました。
小さなことに腹を立てたり、イライラしたり、くよくよしたりするのは馬鹿らしいということに気づき、少し大らかな気持ちで生きていけるようになったような気がします。
・「ありえないなんてありえない。」
すべての可能性に0%はなく、また100%もない。簡単に言うと「世の中何が起こっても不思議ではないから驚いてはならない。」ということ。
・「すべての事柄に偶然はなく必然から成り立っている。」
ありとあらゆる事象は何らかの意味を持っており、起こるべくして起こった事。運命のようなものではなく自分の行いに対する結果のようなもので、p314さんがこの質問をして私がそれに答えているのにも何か意味があるのかもしれない。
・「等価交換」
物質に限らず精神のような無形なものもすべては等価に交換される。例えるならボランティア、無償の奉仕といわれているが、実際は精神的満足感を得ることができるので無償とはいえない。
結局のところこういった概念や法則は、自分が生きてきた道筋の中から悟りを開くようなものだから、他人がどうこう言おうと理解して共感を得ることは難しいと思う。
>「あり得ないなんてあり得ない」
世の中何が起こっても不思議ではない→驚かない
確率が低いことが起こったとき、私は驚きます
>「すべて~必然から成り立っている」
過去についてはそうだと思いますが、未来は分からないような・・
>「等価交換」
等価はイコールとして考えてよいのでしょうか?
すると精神的満足はボランティアのみに交換可能?
追記:等価交換 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%89%E4%BE%A1%E4%BA%A4%E6%8F%9...
wikipediaにて調べました、訳の分からないことを言いまして、申し訳ありませんでした。
利己的遺伝子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B7%B1%E7%9A%84%E9%81%B...
生命体、生き物が生きる理由についての一つの理論ですが、
「自分達が生きている意味=次世代に何かを残すため」
という解釈をして、自分自身のライフスタイルがはっきりしました。
すっかり家庭的な人生となってしまいました。
私も、家庭にしろものにしろ何か作りたいと強く思います。
残るかどうかはわかりませんが・・
18の頃「世界の変え方」というワークショップに参加しました。
「世界なんて一個人が変えられるわけないじゃん!」と思って参加しました。
そのワークショップで体感したこと。
それは、
「自分が変われば、世界は簡単に変わる」
ものの感じ方、人との接し方、情報の捉え方、
生き方のすべてが変わりました。そして、世界が変わりました。
厳密にいうと、あなたの頭の中の世界が変わった、ということでしょうか。
生きること自体に価値などない。人という生き物が生きたいという衝動を本能的に持っているに過ぎない。
命の大切さが叫ばれるこの昨今において、暗い考え方だと思うかもしれませんが。人が一番強くなるのは自分の死を直視したときが一つあると思います。
>生きている自体に価値などない
せめて生きている間は自分の人生に意味をみいだしたいと思う
>人という生き物が~過ぎない。
生きているから生きようとするのでしょうか、慣性がはたらいているのかなぁ・・生命誕生のころから?
>人が一番~一つあると思います。
ここでいう強さというのは、認めたくない現実を受け入れることでしょうか・・
私の敬愛する物語の言葉です。
『大きなものを手にしようとする者は、それだけ人より多く、何かに耐えているのだ』
回答2の「等価交換」と同じような考え方ですね
無駄なものには耐えないよう気を付けます。判断が難しいですが・・
好きな言葉や自分を勇気付ける言葉は捜してみると沢山あります。
例えば私の好きなゲーテの言葉で
人は多くを願うが、彼に必要なものはごくわずかなのである。
人生は短く、人間の運命には限りがあるのだから。
まだまだ未熟ながら私が今までの人生で痛感してるのは、当たり前のことですが、人は誰もが主人公で生きていると言う事です。だから、人の事に一々腹を立てたり、思い通りにならなくて気に病んだりしないように心がけています。そんな中で大切なのはやはり自分であり、自分の良心であると思っています。心の置き所に常に気をつけて、他人の行動など自分のコントロールし難いものに心を決して置かないように気を付けています。あくまで、自分が主体であり自分の良心を信じて良いと思うことはできる限り行動しようと心がけています。
あと、否定的な言葉は心で思っていても極力口に出さないことを心がけています。言葉は言霊ともいい、すごい力を持っていると本で知りました。
最後に、坂本竜馬の言葉で「寿命は天にある。人間はそれを天にあずけっぱなしにして、仕事に熱中してゆくだけでいい」、自分を信じて後は天に丸投げして”どうにでもしやがれ”と開き直った心境でいたいと思っています。
しかし、自分の人生に大きな逆境が無ければ今の心境にはなれていないと断言できます。
>人は多くを願うが、彼に必要なものはごくわずかなのである。
>人生は短く、人間の運命には限りがあるのだから。
自分が本当に必要なものは何なのか、この問いはいいですね。考えます。
>「寿命は天にある。人間はそれを天にあずけっぱなしにして、仕事に熱中してゆくだけでいい」
方向が大事になってきますね、目指す方向と実際の方向とのズレがすごく気になる。
いろいろとアドバイスありがとうございました。
スタンフォード大は「失敗は進んでするもの」と教えています。
結果にとらわれすぎてはならないという趣旨だとみています。
好きな事で、結果の見えないことを考えるとワクワクします。
この気持ちは大切にしようと思います。
「人生は一冊の問題集」
人間はこの世である期間肉体を持つが、真には、永遠の魂を持って転生輪廻し、魂の修行を繰り返す。生まれた境遇や能力は様々であるが、そのような環境の中でどれだけ努力するかによって魂の成長が違ってくる。その成長度合いによって、次回生まれ変わったときの人生の課題が違ってくる。成長がない場合は、再び同じような環境の下に生まれれ、再チャレンジすることになる。成長がある場合は、次回は別な課題を持つことになる。
従って、貧乏な家庭に生まれたとか能力が低かったとか、障害を持って生まれたとかで嘆くことなく、真面目に課題を解くことに務めることが大切であり、周囲も温かい目でそれを支援しなければならない。
神・仏は、その人に解けない課題は与えない。即ち、「人生は一冊の問題集」である。
明るく、元気に問題を解く人生であることを祈ります。
輪廻とかは話がややこしくなるのでイヤです。
問題を解くことに主眼をおくのはイヤです。
問いを作るのは自分です。
話に乗っかるのであれば、その問題集は白紙のはずデス。
「人間は、動物の一種に過ぎない。パンダとコアラは比較できるが、動物とヒト、という比較の仕方はナンセンス」
動物行動学の本で読みました。動物好きなので、とても納得しました。
動物と人間では、共有している項がほとんどなのかなぁ、後は程度の問題で・・
パンダとコアラを比較する時ってどんなときなんだろう?まぁ、例えなんだろうけど。
神様は平等とは限らない
「平等」という概念はいつ頃できたのだろう。宗教によって広められたのかなぁ。
当時はインパクトあっただろうなと思う。
対象から部分を取り出して、それを違う対象の部分と比較する。
一致する所は多々あると思う。
部分と全体、私という人格は全体である。
物質としての部分、遺伝情報としての部分、記憶としての部分、もろもろの部分が集まって今の人格を形作っているんだよなぁ・・
「理由もわからずに押し付けられたものをおとなしく受け取って、理由もわからず生きてゆくのがわれわれ生き物のさだめだ。」
中島敦「山月記」の一節が考え方、法則など度外視して生物としてとりあえず生きてみるかと思わせてくれます。とはいえ苦しいことの多い時、
「苦難に直面しているときは人のこころが鍛えられているときである。」
と念仏のように唱えることにしています。
>「理由もわからずに押し付けられたものをおとなしく受け取って、理由もわからず生きてゆくのがわれわれ生き物のさだめだ。」
あまり理屈っぽく考えるよりも、素直に世界を感じて生きたいとも思いました。
「山月記」読みます。
ありがとうございました。
「自分という存在は~ほんの一瞬にすぎない」
私はこの言葉から、はかないものを感じました。ほんの一瞬で燃え尽きてその後に何がのこるのだろう・・