子供の頃からの疑問です。

どうして「0」を割ることはできるのに、「0」で割ることはできないのでしょうか。
基本的に「0」は無だから、存在しないもので割ることはできない、という説明をされてきました。
しかしそれだと、存在しないもの“を”割ることもできないと言う理屈になるのではないかと釈然としません。
当方、完全文系頭ですので、証明などによる説明ではなく、小学生の子供でも判りやすい説明をいただければと思います。
(例えば、6÷3を「6つのリンゴがあります。これを3人で同じ数だけ分けると2個ずつになりますね」と具体的に説明する感じ)

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ベストアンサー

id:GEN111 No.6

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ポイント25pt

例えば 1リットルの水が入った桶から 200ミリリットル入るコップで汲み出したら何回で空にできますか (コップの形による隙間とか厚さとかは考えない)。

5回ですね。

では、容量がゼロ = 水が入らない = 底の抜けたコップでは何回汲み出したら空にできますか。

何回やっても空にはできませんね (現実的にはそのうち蒸発するでしょうが、汲み出して空にしたわけではないので)。

空にすることはできない = 割ることはできない ということです。


ではゼロを割るということはどういうことか。

まず 1リットルの水を5人で分けることを考えます。一人当たり200ミリリットルずつ公平に分けることができます。割り算は「公平に」分ける術なのです。

ゼロリットルの水を5人で分ける。一人当たりはもちろんゼロです。分け隔てなく公平に全員ゼロです。

公平さが保たれているということは割り算が成立しているということなのです。

id:moony_crescent

判りやすい具体例をありがとうございます。

一瞬、「あれ?“空にすることはできない”ということは、そもそも何回もできないと言うことで、それってすなわち“0”ということでは?」と思ってしまいました。

が、それだと確かに最初に出された条件、「水をくみ出す」という前提がまったくクリアされていないことになるのですね。

おお、なるほど……!!

判ってきたような気がしました!!

(すいません、「気がしました」程度の返信で。でも具体例としては、今まで教えてきてもらった中でももっとも判りやすい例えでした)

2007/06/27 21:32:13

その他の回答9件)

id:ai_ueoka No.1

回答回数69ベストアンサー獲得回数5

ポイント15pt

ゼロ除算 - Wikipedia

ゼロ除算(ぜろじょざん、division by zero)とは、数学において、除数がゼロである除算を言う。

このような除算は正式には \frac{a}{0} と記述され、aが被除数となる。 この式が意味のあるものとなるかは、解釈によって異なる。これは、1/0=xとするとき、0x=1になり、矛盾を生むからである。


詳しくはこんなページを見てみてくださいね。

「0」の使用上の注意

教えて!goo 分母が0

id:moony_crescent

ご回答、ありがとうございます。

Wikipediaの回答はちょっと文系頭の自分には判りづらかったのですが、要はあとのURLで判りやすく書かれているように「矛盾してしまうから」ということなんですね。

その「矛盾する」ということが、判りやすく説明されて頭では判ったつもりでも、心がついて行かないのですねえ。

2007/06/27 20:52:36
id:NAPORIN No.2

回答回数4892ベストアンサー獲得回数909

ポイント15pt

ゼロ個のりんごを3人で分けてもゼロ個。貧乏は悲しいなあ。貧乏を何人で分けあっても心があったまっても体がひもじいという事実はかわりませんね。

じゃあ3個のりんごをゼロ人に分けたら?

答えは常識なら「どうでもいい」ですよね。だれの割り当てでもない、宙ぶらりんなものなんだからスキに腐らせてもボール投げして遊んでもどうでもいいよってことです。小学校で「答え、ゼロアマリ3」なんていうときもこれに近いかな。

高校の数学的には、

1人に分ければ3個の林檎を、もっと小さい人に与えるとすると0.5人に3個を与えると考えれば1人あたまにもどすと6個もらえるはずで、と少しずつ分ける対象を小さくすることを考えていくのです。

3つの林檎を分けあたえる対象を人ではなく蟻、ノミ、酵母、ウィルスくらいに小さいものにすれば、人一人にたとえれば十分、一生分以上の食料になる量であり、ゼロの存在に対して分けあたえようとするなら自動的に無限大となるわけです。

さらに、こういう話も高校ででてきます↓

ゼロは同じ種類のゼロでなら「通分する」ことができるのです。

林檎が限りなく小さくなり、しかしそれを分けようとする存在も限りなく小さくなり、その縮小の速度が同じとき、

通分して1となります。(まあ、象にとっても酵母にとっても一食分は一食分だよって感じですが、通分することによって、ゼロにまどわされずに本質を取り出せます)

もちろん割る数と割られる数の両方にゼロが存在するからといって、通分でゼロを消しきれない式も沢山あります。結局最高に通分しおわってもゼロが割る数に残った場合、解が「無限大」になり、「発散」するといいます。「無限大」の方は、上で説明した、分けようとする存在がウィルスよりもさらに小さくなる点から考えていったときの言い方、「発散」はそもそも存在しないんだからどうでもいいよに近い考え方の言い方ですが、実際、答えが無いとして扱われることは同じです(高校レベル)。

キレイに通分できたときも、通分する前の式を見れば、ゼロを割ることも、ゼロで割ることも、一応達成したうえで、本質を取り出したのだということになります。

ごまかしと感じられるでしょうか?では逆に、ゼロで割るというのはその、無限大だか発散だかわけのわからない状態を名づけるための式として作り出されたのだと思ってもわかりやすいかもしれません。

id:moony_crescent

詳細なご説明、しかも判りやすく噛み砕いてのご説明をありがとうございます。

しかし高校生レベルでのご説明になると、とたんに頭の悪さが露呈してしまい、とたんにこんがらがってしまいました。

(何だか哲学的なレベルに行ってしまっていると感じたのはやはり頭の悪さからでしょうか)

うーん、どうしてもごまかされていると感じるのですよね……と思ったら最後にちゃんとフォローしてくださっていましたね。

「無限大だか発散だかわけのわからない状態を名づけるための式として作り出された」

どうなるか判りませんが、高校生レベルでは少なくとも理解できるよう、また何度も読み返させていただきます。

2007/06/27 20:59:13
id:dungeon-master No.3

回答回数571ベストアンサー獲得回数40

ポイント15pt

N/0=? (Nは0でない)の計算は、見方を変えると、

0*?=N となる?を求めようとしているといえます。

0は何を掛けても0ですので、0でないNになるような数の

?は存在しない(不能)ということになります。


また、Nが0である場合は 0*?=0 となる?を求めるわけで、

これは?がどんな数でも成立(0にはどんな数を掛けても0)し、

?が定まりません(不定)。


ということで、どちらも解が無いのでそういう計算はしない

約束になっているのです。

id:moony_crescent

ご回答とコメントをありがとうございます。

そうなんです。何が納得できないかというと、「そんな計算をしてはいけない」いうお約束がある、ということ自体が気持ち悪いのですね。

数学レベルになると、「お約束」もたくさん出てくると思いますが、算数レベルでは他に禁止事項というものを習った覚えがないのですね。

それだけに、算数の時間に先生からこの「0で割ってはいけない」という禁止事項を学校で習ったので、ずっと「おかしいよなあ」と思っていたのです。

今回、「小学生レベルで」とお願いしたのは、要はそこから算数に対する成長が止まってしまった自分の総決算をしたかったから……ということで勝手なお願いをしました。

2007/06/27 21:05:02
id:Sag_Chicken No.4

回答回数211ベストアンサー獲得回数4

ポイント15pt

数学的に困ったことになるので割れないことになっています。

1÷0は分数で1/0これだとどうやって計算していいかわからないですよね。

そこで0を0に近い数字にしてみます。

1/0≒1/0.1=10

もっと0に近づけます

1/0≒1/0.01=100

・・・・・

1/0≒1/0.0000000001=10000000000

ずーと小数を小さくしていっても0にならないのですが

1/0はどんどん大きくなって

1/0は無限大になってしまいます。

=は同じものなので 1/0は同じものが無い。

0では割れないって事になっちゃいました。

id:moony_crescent

ご回答をありがとうございます。

実は、次に機会があれば訊いてみたかったことが「無限大のその先」なんです。

無限大だからその先はない、と言われるのですが、例えば単純な反比例のグラフでも、「ずっとその先はどうなっているのか」が気になって仕方ありませんでした。

「平行ではない。でも決して交わらない」というのが、現実世界ではあり得ないだけに子供心に気持ち悪かったのです。

そもそも、反比例のグラフも机上計算だけで、本当のその先は誰も見たことがないじゃん、と思っていたのですね。

だったら「そんな誰も見たことがないのに、どうして「平行にはならない」「でも交わらない」なんて言い切れるんだ」と思っていました。

結局は「0」で割ってはいけないの疑問と、「反比例のその先が見たい」と思っていたことは、同じコトだったのですね。

せっかくの回答をいただいたのに、全然的外れなコトを思いついてしまった頑固な頭で申し訳ありません。

2007/06/27 21:14:15
id:SALINGER No.5

回答回数3454ベストアンサー獲得回数969

ポイント15pt

すごくわかりやすい解説をしているところがあったのでそのまま引用です。

5÷0の答えはなんだと思う?
  「わからない」「0」「?」
じゃあさ,15÷3の答えは?
  「5」
そうだよね.どうして?
  「15個のものを3人で分ければ5個ずつだから」
え,いつもそうやって割り算してるの?
  「・・・」
15÷3の答え5を出すとき,何してる?
  「三五十五」
お!掛け算の九九だね.えらい,よく知ってる! おれさぁ,いまだに7の段の後半が苦手でさ.しちろく四十八とか言っちゃう時がある.
それはともかく, 15÷3の答えが5なのは,15=3×5 だからなんだよね.
じゃあ,5÷0 の答えを □ とするよ.すると 5=0×□ じゃなきゃだめだよね.
0倍したらどうなる?
  「みんな0」
だよねー.0倍して5になるような数は?
  「全然ない」
そう,OK! ,5÷0 の答えは『全然ない』んだよ.

次にさ,0÷0 の答えを □ とするよ.すると 0=0×□ じゃなきゃだめだよね.
□ は 0倍して0になる数が入るよ.
それはどんな数?
  「なんでも」「全部」
正解!みんな良くわかるなぁ.
0で割ると『全然ない』か『全部』になっちゃうから,意味ないでしょ.だから数学では,そんな無意味なことは考えないことにしているんだ.

http://www.uja.jp/contents/math/divbyzero.html


本質的には割り算というのは「分けること」が本質ではなく「1あたりを求める」こと。

そして掛け算は「1あたりがいくつぶんあるか求める」ことです.したがって数学的には 割り算は掛け算の逆算 になるということです。

id:moony_crescent

ご回答ありがとうございます。

そうなんです、実際に人に訊いたときでも、よく引用先のような説明をされました。

ただ、この説明は言葉がものすごく悪いのですが、どこか騙されているような気がしてならないのですね。

よくあるクイズの類で、いつの間にか論点をすり替えていて、最終的にはおかしなことになってしまうという類の、あんな感じを受けてしまうのです。

「0」で割ってはいけない理由のために、突然に0を掛けると何の数字にもなってしまうんだ、おかしいよね、とすり替えたうえに無理矢理納得しないと行けないんだぞ、と脅迫されているような気がして仕方ありません。

確かに「割り算は掛け算の逆算」というのは、ルールです。そのルールに外れているから「やってはダメだ」というお約束なのは頭で判っているのですが……。

やはり「リンゴ6個を3人で同じ数だけになるように分けました」レベルの説明では難しいと言うことなのでしょうか。

2007/06/27 21:23:51
id:GEN111 No.6

回答回数472ベストアンサー獲得回数58ここでベストアンサー

ポイント25pt

例えば 1リットルの水が入った桶から 200ミリリットル入るコップで汲み出したら何回で空にできますか (コップの形による隙間とか厚さとかは考えない)。

5回ですね。

では、容量がゼロ = 水が入らない = 底の抜けたコップでは何回汲み出したら空にできますか。

何回やっても空にはできませんね (現実的にはそのうち蒸発するでしょうが、汲み出して空にしたわけではないので)。

空にすることはできない = 割ることはできない ということです。


ではゼロを割るということはどういうことか。

まず 1リットルの水を5人で分けることを考えます。一人当たり200ミリリットルずつ公平に分けることができます。割り算は「公平に」分ける術なのです。

ゼロリットルの水を5人で分ける。一人当たりはもちろんゼロです。分け隔てなく公平に全員ゼロです。

公平さが保たれているということは割り算が成立しているということなのです。

id:moony_crescent

判りやすい具体例をありがとうございます。

一瞬、「あれ?“空にすることはできない”ということは、そもそも何回もできないと言うことで、それってすなわち“0”ということでは?」と思ってしまいました。

が、それだと確かに最初に出された条件、「水をくみ出す」という前提がまったくクリアされていないことになるのですね。

おお、なるほど……!!

判ってきたような気がしました!!

(すいません、「気がしました」程度の返信で。でも具体例としては、今まで教えてきてもらった中でももっとも判りやすい例えでした)

2007/06/27 21:32:13
id:filinion No.7

回答回数141ベストアンサー獲得回数13

ポイント15pt

「割り算」と一口に言っても、生活の中で使う場面では「等分除」と「包含除」があります。

http://www.shinko-keirin.co.jp/sansu/WebHelp/html/page/31/31_04....

 

等分除は、

「~~個のものを~~人で分けると、一人分は何個かな」

という形式。

包含徐は、

「~~個のものを、一人に~~個ずつ分けると、何人にわけられるかな」

という形式です。

 

前者、「0人で分ける」だと想像しづらいので、後者の包含徐で考えてみましょう。

 

まず助走問題から。

 

問1「6個のりんごを、1人2個づつわけます。何人に分けられるでしょう」

 

簡単ですね。

式:6÷2 答え:3人

 

続いて数字を変えて、

 

問2「6個のりんごを、1人1個づつわけます。何人に分けられるでしょう」

 

より一層簡単ですね。

式:6÷1 答え:6人

 

では、

 

問3「6個のりんごを、1人0個づつわけます。何人に分けられるでしょう」

 

式:6÷0 答え:………?

 

「0個づつ分ける」ということは、つまり分けてないわけで、「何人に分けられるか」という質問は無意味になります。

 

単に渡したふりだけしてるわけですね。

 

ある意味では、私もあなたも「りんごを0個」受け取っているわけですから、

「無限大の人数に分けられる」

と答えることもできます。

「答え:∞人」

でしょうか?

(数学に詳しい人からは、「無限大は数じゃない」って怒られそうでもありますね)

 

では、上の3つの問題について、検算をしてみましょう。

 

割り算の検算は、

「割る数×答え+あまり=割られる数」

となるかどうかを確かめれば良いのです。

(今回はあまりはないですが)

 

問1。

「2×3=6」

合っています。

 

問2。

「1×6=6」

これも合っています。

 

問3。

「0×∞=………?」

 

検算が不可能になります。

 

こういった問題には、おそらく高等数学では回答があるのでしょうが、残念ながらこれは小学生には手に余ります。(私の手にも余ります)

このため、ゼロ除算はしないことになっているのです。

(実際生活で必要にならない、ということもあります)

 

だから、

「存在しない数で割ることはできない」

……というのは、間違いではないけれど、はっきり正しくもない気がしますね。

たぶん、「存在しない答えが出てしまうから」という方が正しいんじゃないでしょうか?

(「∞は存在する!」とか怒られそうですが)

 

これが、割られる数が0、というのであれば、

「0個のりんごを1人2個ずつ配ると何人に分けられますか」

という問題になります。

 

式:0÷2=0

 

要するに、箱を開けてみたら中身は空っぽ、という状況ですから、「誰にも分けられない=0人」ということになります。

 

検算をすると、

「0×2=0」

ですから、正しい答えだということになります。

 

いかがでしょうか?

id:moony_crescent

ちょうど下のコメント欄を書いている間に、まさに「小学校の先生からの回答があれば教えていただきたいな」と思っていたところでした。

出だしで「等分除」と「包含除」ときたので、身構えてしまったのですが、そのあとの例題としては判りやすく書いてくださり、ありがとうございます。

ただ、やはりこの石頭が詰まってしまうところは、問3の答えを「∞でいいんじゃないの」と思うところと、検算のところで「どうも話がすり替えられているんじゃないかなあ」と構えてしまうところなのですね。

頭では理解しているのですが、「騙されないぞ、騙されないぞ」と心がついていっていない状態なのですね。

例えが悪いのですが、悪徳商法のセールスマンの話を聞いている状態とでも言えばいいのでしょうか。

ただ、やはり下のコメント欄でも書かせていただいたように、この「0で割ってはいけない」という理由を説明するのは算数レベルでは難しいということなんですね。

だから小学校のときも、先生は「ダメなものはダメ」とルールを無理矢理押しつけざるを得なかったのでしょうね。

何だか算数界の尾崎豊のような気持ちになってきました。

2007/06/27 22:33:21
id:VEZ07077 No.8

回答回数156ベストアンサー獲得回数6

ポイント15pt

6個のりんごを3枚のお皿に分けると1枚のお皿に2個のりんごが乗ります。

では、6個のりんごを0枚のお皿に分けることにしましょう。

「無いお皿に乗せることはできない。」

ですから、答えはできないということです。

0個のりんごを3枚のお皿に分ける場合は、1枚のお皿にりんごが乗ってはいないけれど、

確かにお皿はあってそこにりんごが無いということなので、答えは0個となります。


と私は考えるのですが、どうでしょう?

id:moony_crescent

ご回答をありがとうございます。

きっとこの質問を出す前であれば、「それだったらリンゴを分けられていないのだから“0”でしょう」と言っていそうですが、皆さんからの回答を見ているうちに気が付きました。

「リンゴを分ける」という前提条件がクリアされていないじゃないか。と

要は前提条件がクリアされないから、答えは「0ではいけない」と言うことになるのですね。

……あれ?

そうするとやっぱり頑固石頭が戻ってきてしまいました。

「じゃあ、0個のリンゴを分けるという話も、リンゴは0個で分けられていないから(=存在していないから)、“リンゴを分ける”という前提条件をクリアしてないじゃないか」と思えるようになってきました……!

やっぱり堂々巡りしてしまっています。

2007/06/27 22:33:44
id:dungeon-master No.9

回答回数571ベストアンサー獲得回数40

ポイント15pt

>「リンゴを分ける」という前提条件がクリアされていないじゃないか。

「手元(分ける前)のリンゴを、何回の配る操作(取り去る操作・まね可)

によって無くせるか」を考えてみては。

手元から無くせることが、前提条件。


3個のリンゴを0個ずつ配ろうとしても、手元からなくならない。

→幾らやってもクリアならず。(不能)


0個のリンゴを0個ずつ配るとすると、既に手元には無いのだが、

何度でも配る(まねが)できる。

→前提クリアしたけど、回数は一意に求まらず。(不定)

id:moony_crescent

ご回答ありがとうございます。

なるほど! 確かに「配る動作(マネ)」として考えると、「0回」と言うことはおかしな考え方になってしまいますね。

逆にリンゴがない状態で3回配るマネをしようと、5回配るマネをしようと、100回配るマネをしようと、これは「もとからリンゴは存在していないので」リンゴの数は0個であると。

さらには0÷0の説明もありがとうございます。

「手元からなくす」という大きな前提条件があると言うことで考えるということですね。

よく算数(数学)って「解はひとつで美しい」と聞くのですが、結局は色々と前提条件に縛られていたうえでの解なのですね。

何となく自分にあわない訳が判ってきたような気がします。

2007/06/27 22:58:39
id:ymlab No.10

回答回数508ベストアンサー獲得回数34

ポイント15pt

私は数学を専攻していませんが・・。

□÷0という式を使ってはいけない理由は、

割り算として定義されていないからです。

割り算[割り切れる場合]の定義とは、

整数 m と n に対して、m = qn を満たす整数 q が唯一つ定まるとき、m ÷ n = q, q = m / n などと表して、m は n で整除(せいじょ)される、割り切れる(わりきれる、divisible)あるいは n は m を整除する、割り切るなどと言う。

つまり m= 12, n = 4とすると、12=q×4を満たす整数qは、

q=3と唯一つ定まり、m÷n=q(12÷4=3)と書くことができます。

逆に言えば、12=q×4のqが唯一つに定められない場合は、

そもそも12÷4=ということは定義されていないため、

使ってはいけません。

0で割ることは、これにあたります。

12=q×0のqを唯一つに定めることができません。

割り切れない場合も式変形をすればよいので同様です。

定義されていないことを数学で勝手に使うことは許されていません。

小学校の2年生の図形で[言葉までは説明しませんが、定義と定理の違いの初歩の初歩を学びます]三角形の定義について学びます。

三角形とは

・三本

・囲まれている

・直線

[水を入れたときにあふれないとかそういう指導をすることがあります。]

と学びます。[内角の和などは高学年]

この定義を元に、三本の曲線で囲まれた図形は三角形ではないと、

子ども達に判断させていくのです。[三角形の定義に当てはまらないから、これは三角形ではない。と。日常的には三角形で通用するくらいの図形なのですけどね。]

すなわち定義は証明できません。[定理は証明できます。]

今回の場合、0で除算することは、除算すること自体が

定義されていません。つまり割り算でさえありません。

個人的な気持ちでは、掛け算と割り算は対等の関係ではなく、

掛け算⊃割り算

だと思っています。

例を挙げると曲がった線を指差して、なんでこれは直線ではないのですか?なんで曲がっていたら直線といってはだめなんですか?と聞くようなものです。

[また0で割っても無限大にはなりません。限りなく近い0に近い0でない数で割ると無限大になります。]

子どもに聞かれたら、「どうしてだと思う?」と、

まずは自分で考えさせます。

その後、4÷0になる答を求めさせると答がみつからないことが

わかります。

解なし。

次に、[解なし]ってよいと思うかを聞きます。

ほぼ確実に[だめ]だと答えると思います。

[解なし は、中3まで習いません。これも虚数解が高校まで習わないからですが。]

だめなことはしてはいけないよね。

とこちらからいえば、ある程度は納得できると思うのですが・・。

教育的に、間違った知識を教えることはある程度ジレンマが

ありますが、子どもの発達段階を考えると、無用な混乱で、

他の問題まで解けなくなってしまうデメリットを考えると、

ダメなものはダメでよいような気がします。

[例えば小学生一年生に図工とかで半分ずつにきっていくことをさせたとき、一番小さい粒は、[目に見えないような粒粒]じゃなくて[分子]でもなくて[原子]でもなくて、あっ原子は中性子と陽子と電子があって、その陽子と中性子はπ中間子をキャッチボールしながら、アップクォークという素粒子とダウンクォークが変身し合っているんだよー。でも実はクォークの中にもなんかいるみたいだけど、まだよくわかっていないんだー、重さ0なら光子ってのもあるよ。]

と本質を答えても引くだけだと思います。実際に授業後の雑談で質問されて、1年生に答えたら、口をぽかんと開けられました。

id:moony_crescent

丁寧なご回答ありがとうございます。

出だしはちょっと身構えてしまいましたが、本当にymlabさんがおっしゃりたいことは後半にあったのですね。

そもそも「定理」と「定義」の言葉自体、すっかり忘れ果てていました。

なるほど、「定理」は証明できるが、「定義」は「定義」としてすでに「そこにある」ものである、以上。

乱暴ですが、こう考えればよいということですよね。

で、「0で割ることは定義されていないことである、すなわち“存在しないものである”」と。

ただし、確かにおっしゃるように子供としてみれば「算数」とは答えが必ずあるものであり、「解なし」と言われると、「どうして? 話が違うよ」となってしまうと思うのですね。

だからといって、ymlabさんが体験されたように、急に高度な数学の話になっても訳が判らなくなってしまい、余計に「ごまかされた」という気持ちになってしまいますからね。

難しいところです。

しかし、その点をいかに納得させながら(大人のイヤラシイ言葉で言うとごまかしながら)、うまく「なるほど、だから0で割ってはいけないのか(割れないのか)」と思わせられれば、大人側の勝ちになるのではないのかな、思いました。

いや、勝ち負けの問題ではないのですが。

2007/06/28 00:59:50
  • id:dungeon-master
    小学生レベルでもという点を見落として回答してしまいました。
    ちょっと単語が難しいかも。
  • id:SALINGER
    0/0=1じゃないですよ。
  • id:filinion
    ふふふ、小学校教師の私が来ましたよ。
     
    ……不適格教員だと宣伝することにならなきゃいいですが。
  • id:moony_crescent
    質問者です。
    皆さん、ご丁寧な回答をありがとうございます。
    皆さんからの回答を読んでいて気が付いたのは、どうしてこの問題がずっと気になっていたかということですね。
    小学校の時に習った算数の中で、唯一の禁止事項として教えられ、「理由もなくやってはいけないとはどういうことだ」と憤りを感じたからなんだと思いました。
    きっと先生としても理由は「ダメだから、ダメ」程度しか教えてくれなかったので、まるで理不尽な校則を押しつけられたかのような気になっていたのだと思います。
    今、こうして皆さんからのご回答を読むと、確かに小学生レベルではきちんと理由を説明することが難しいけれど、でも「ダメなものはダメ」と教えなければいけない先生のジレンマが判ったような気がします。
    でもやっぱり、ちゃんと理由付けもなく「ダメ」と言われると反発したくなるのですが(笑)。
  • id:filinion
    「どうしてもダメだ!」
    というのではなく。
     
    たぶん、「答え=∞」でもいいんじゃないでしょうか。
    ただ、「∞」というのは、いわゆる「数」ではないので、奇妙な振る舞いをします。
     
    「∞÷2=∞」とか。
    「∞+5=∞」とか。
     
    「0.00001÷0=∞」
    「1000000÷0=∞」
    とか。
     
    無限そのものにもいろいろな種類があるそうですし。
    その辺の詳しい説明は、やっぱり手に余るんですが……。
     
    無限、というものをどう扱うかは、実は数学者の間でも意見の分かれるところだそうで。(実無限と可能無限、とか)
    ゼロ除算を扱わないのは、その辺りの問題を小学校に持ち込むと収拾がつかなくなるから……でしょうね。
     
    とはいえ、
    「やらない決まりになっています」
    という説明に誰も疑問を抱かないクラスはむしろ困ったもので。
    「なんで? 先生、なんで?」
    と、疑問を抱く人がいるのは、とてもいいことだと思います。
  • id:moony_crescent
    filinionさん、コメントをありがとうございます。
    なるほど、小学校の先生が授業中に「答えは∞でもいいよ」とは言いづらいですよね。
    でも、ここでそう言っていただけて、助かった児童(元、ですが)がここにいました。
    いやあ、filinionさんのクラスはとてもステキなクラスなんでしょうね。
    ぜひとも子供たちが好奇心旺盛になるように授業をなさってください。

    しかし、数学者の間でも∞の扱いが分かれているというのは面白い話だと思いました。
  • id:SALINGER
    なんで?って思うことが大事なんでしょうね。
    その疑問は実は数学は公理や定義という狭い世界の学問だという本質を理解することにつながると思うので。
    十九世紀のはじめまで数学の教科書として使われたユークリッド幾何学は、その公理はつきつめていくと証明できないことが分かりました。平行線は交わらないとかです。
    ユークリッド幾何学の公理は点はこういうもの、直線はこういうものということから出発して、三角形の内角の和は180度とか、公理の上に全てなりたつ数学です。
    実はユークリッド幾何学は狭い世界の学問だったわけです。
    でもそのことで、数学者ヒルベルトは数学を自然科学から開放します。
    数学は、現象世界の真理性を追究するものではなく、仮定から矛盾なく結論を導き出すことである。いろいろな仮定があればいろいろな数学が成り立つという数学の転換だったのです。
    0では数字を割れないというのは一つの証明できない公理かもしれませんが、公理から導き出されることこそ数学の本質なんです。
    そして仮定に縛られなくてもいいということが数学のすばらしさなんです。
  • id:moony_crescent
    SALINGERさん、ご丁寧な解説をありがとうございます。
    今回の質問は、単に割り算であるからの簡単な算数の問題だと思っていたのですが、意外と数学そのものをあらわす奥が深い問題でもあるように思えてきました。
    数学は「仮定から矛盾なく結論を導き出すこと」とのことですが、つまりそれは、仮定から矛盾が発生してしまった場合(今回の「0で割る」のように)、その仮定はおかしいと言うことになり「やってはいけない」と言うことになるのですね。
    しかし今回の質問で求めていたことは、「じゃあ、その矛盾するということを矛盾なく結論づけてよ」と言っているということでしょうか。
    あるいは、よく言われる「あるものを“ある”と証明することは簡単だが、ないものを“ない”と証明することは難しい」と言うことと似ているのでしょうか。
    いずれにせよ、好奇心をもたせるのも大事だけど、それに答えなければならない小学校の先生も大変なんだなあと言うこともよく判りました。
  • id:SALINGER
    0というのはもともとインドの位取り記数法に起源があります。
    アラビア数字が無いものを書かないことで表したのに対し、インドでは十を10、百を100というように書きますが、0を書かなければ十も百も1になりますので、ないものを0と書いて表したのが0の発見に深くかかわりがあると言われています。
    0はないということがあると言うことです。
    これはりんごを分ける人がいないのではなくて、0人いると考えることが0という数の正しい考え方ということです。
    0人で分けるというのは想像できないし、しかも0人で分けることはできないというのは更に想像できないかもしれませんね。
    数学はりんごとか現実の現象から離れパズルのようになっていくことで子供たちは興味を失っていくんでしょう。
    ただ、自然科学から開放されなければ今の数学の成功もなかったことでしょう。
    ヒルベルトさんは「公理公準はなんら真理である必要はなく、単なる仮定で十分」と言っています。
    もしも0で割ることができるという仮定を真とするならば、そこに違う数学ができるということでしょう。
  • id:airplant
    0で割ると、∞になってしまい、数が決められない(=不定)からと思いました。

    何人かの方が書いているように、割る数をどんどん0に近づけていくという説明で子供は理解できるかも。

    ちなみに、同じ0で割るでも、次の式はちゃんとした値になると思いました。私の誤解だったら、失礼しました。

    lim x/x = 1
    x→0
  • id:moony_crescent
    SALINGERさん:
    まさに「0」という概念は「(物理的には)ない」ものを「(数字として)ある」として扱うところから、何となく変な方向に考え方が曲がって行ってしまったのかもしれません。
    現実的に「あるものがある」「ないものがない」としてしか考えられなかった石頭でしたので、きっと数学になると一気に訳が判らなくなっていたのかもしれませんね。
    実際問題として、高校で習う数学自体がまさに「リンゴがいくつ」の世界から、「パズル」のなかの仮想世界に移行していったようで「数学ワールドの中でしかあり得ない物語」のように思えてしまったことが、理解不能なものになっていったのかもしれません。
    しかし長時間のお付き合いをいただきましてありがとうございました。

    airplantさん:
    コメントをありがとうございます。
    確かに「割る数を0に近づけていく」という考え方があるかと思いますが、そんなときは反比例のグラフで考えて、「このグラフの先は平行ではない、ということはいつかくっつくんだろうなあ。でもそれは人間が見ることができない遠い遠い果ての世界かもしれない。そんな無限大の先なんて見た人がいないはずなのに、どうして“平行ではない、でも0の軸とは交差しない(=0で割ることはできない)”って言い切れるのだろう」と子供心に思っていました。

    最後に書いていただいた数式、……すみません、すっかり数学の世界からは遠ざかっているので、関数はすっかり忘れてしまいました。
    (関数というと、Excel?と思ってしまうほどの忘れっぷりです)
  • id:m_yanagisawa
    ワシは携帯を使いこなせないおやぢなのだが、若者に「携帯の計算機で1/0を計算してみ」というとその結果に驚かれることが多い。

    SALINGER氏が解説されるように0/0とx/0(x≠0)とで、意味合いが異なると思う。前者は「不定」であり後者は「不適」であると。

    >airplantさん

    lim x/x では「分子、分母の比を1に保ちながらxを0に近づける」の意味で1になるのは当然です。

    lim x/y としてxとyを独立に0に近づけると値は決まらない。逆にx=ayの関係を保ちながら「0に近づける」とaになる。つまり無理矢理任意の値aにすることもできる。結局は「不定」ということですね。
  • id:airplant
    >moony_crescentさん

    そういえば、0で割れないということはなかったかも知れません。
    無限大が答えとして良ければ、ちゃんと割れます。笑

     x/0 = ∞(x≠0)
     0/0 = 不定

    なお、「lim」は、数学用語の極限(limit)の略で、関数とは違うと思います。x→0でxを0に近づけて行くという意味になります。
    ∞は、宇宙のかなたの更に先・・・。概念的な値かな。

    >m_yanagisawaさん

    詳細な解説ありがとうございました。
    私が書いた不定は間違いでした。0/0のときが不定でしたね。
  • id:a1b2c3-d4e5
    5÷0で説明しますね。
    たとえば・・・
    5÷5=1
    5÷4=1.25
    5÷3=約1.7
    5÷2=2.5
    5÷1=5
    5÷0.1=0.5
    5÷0.00000000001=0.00000000005
    5÷0.000000000000000000001=0.000000000000000000005
    ・・・と、きたら
    5÷0=∞
    なのでは?
    と考えました。

    まあ、でも確かめの式に当てはめたら、
    ∞×0=5
    にならないといけないのですが、ならないんですよねw
    数学の先生は、
    「こういう問題がもしも出たら答えは"無い"って書く・・・」
    とかなんとかいってた気がします←
    まあ、そんなこと知らなくても生きていけますよ((
  • id:ssaitoh
    再生核研究所声明202(2015.2.2)ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待

    ゼロ除算の発見、経過、解説などについては、結構な文献に記録されてきた:

    再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
    再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
    再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
    再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
    再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
    再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
    再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
    再生核研究所声明176(2014.8.9)ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
    Announcement 179 (2014.8.25) Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
    Announcement 185: The importance of the division by zero $z/0=0$
    再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
    再生核研究所声明190(2014.12.24)
    再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
    夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
    ― 再生核研究所声明193(2015.1.1 ― 
    再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
    再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
    再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
    再生核研究所声明199(2015.1.15)世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0

    ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念日に当たり、概観して共同研究者と共に夢を明るく 楽しく描きたい。まずは、ゼロ除算の意義を復習しておこう:

    1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 ゼロで   何でも割れば ゼロ  z/0=0  である をもたらしたこと。
    2)ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。
    3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に 非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
    4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
    5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
    6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。
    7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な結果は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる という定理 である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
    8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
    9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
    基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
    10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。

    11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:

    現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。しかしながら、出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかという未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。

    12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。
    次を参照:

    再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
    再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界

    ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として表していることである。

    ゼロ除算は 既に数学的に確定され、その意義も既に明らかであると考えられるが、声明199にも述べられているように、ゼロ除算が不可能であるとの世の常識、学術書、数学は 数学者の勝手な解釈による歴史的な間違いに当たる ことをしっかりと理解させ、世の教育書、学術書の変更を求めていきたい。― 誰が、真実を知って、偽りを教え、言い続けられるだろうか。― 教育に於ける除算、乗算の演算の意味を 道脇方式で回復させ、新しい結果 ゼロ除算を世に知らしめ、世の常識とさせたい。それは ちょうど天動説が地動説に変わったように 世界史の確かな進化と言えるだろう。
    ゼロ除算の研究の進展は、数学的には 佐藤超関数の理論からの展開、発展、 物理学的には ゼロ除算の物理法則の解釈や、衝突現象における山根の面白い解釈の究明 などに興味が持たれる。しかしながら、ゼロ除算の本質的な解明とは、Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の自然な現象として受け入れられることである。数学では、その強力な不連続性を自然なものとして説明され、解明されることが求められる。

    以 上
  • id:ssaitoh
    再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?

    (2014.7.11小柴誠一、山根正巳氏との会合で、道脇裕氏の 割り算と掛け算は別であり、ゼロ除算100/0=0は自明であるとの考えを分析して得た考えを纏めたものである。)

    ゼロ除算100/0=0は2014.2.2 偶然に論文出筆中に 原稿の中で発見したものである。チコノフ正則化法の応用として、自然に分数、割り算を拡張して得られたものであるが、歴史上不可能であるとされていること、結果がゼロであると言う意味で、驚嘆すべきことであること、さらに、高校生から小学生にも分る内容であると言う意味で、極めて面白い歴史的な事件と言える。そればかりか、物理学など世界の理解に大きな影響を与えることも注目される。詳しい経過などは 一連の声明を参照:



    再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
    再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方

    再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?

    再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究

    再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案

    再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観



    しかるに いろいろな人たちと広く議論しているところであるが、世界の指導的な数学者でさえ、高校生でも理解できる発表済みの論文 その後の結果について、現代数学の常識を変えるものであり、受け入れられない、と言ってきている。まことに不思議なことであり、如何に驚くべき結果であるかを示していると言える。

    多くの数学者は、内容を理解せず、100/0=0 は100=0 x 0 =0 で矛盾であると即断している。しかるに論文は 100/0 は 割り算の意味を自然に拡張するとゼロの結果を得るのであって、ゼロ除算の結果は 100=0 x 0 =0を意味しないと説明している。 逆に、無限大、無限遠点は数と言えるかと問うている。

    ところが面白いことに 既に3月18日付文書で、道脇裕氏は 掛け算と割り算は別であり、ゼロ除算100/0は 自明であると述べていた。しかし、その文書は、一見すると

    矛盾や間違いに満ちていたので、詳しく分析してこなかった。しかるに上記7月11日の会合で、詳しい状況を聞いて、道脇氏の文書を解読して、始めて道脇氏の偉大な考えに気づいた。結論は、ゼロ除算100/0は分数、割り算の固有の意味から、自明であると言うことである。これはチコノフ正則化法や一般逆とは関係なく、分数、割り算の意味から、自明であるというのであるから、驚嘆すべき結果である。千年を越えて、未明であった真実を明らかにした意味で、極めて面白い知見である。またそれは、割り算が掛け算の逆であり、ゼロ除算は不可能であるという長い囚われた考えから、解放した考えであると評価できる。


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