2007年当時の自分の家族のはてなダイアリーやmixi日記を発見てしまいました。
おじいちゃん、おばあちゃんのBlogやSNSの『個人データ』です。
『オンライン』で100年も前のデータ残っているんですね!!
将来こんながことが現実的になると思います。
何十年先における、過去何十年分の『オンライン上での家族の個人データ』はどのように扱われていると思いますか?
自由に意見を聞かせてください。
<条件・設定>
○家族のようなごく身近に実在するおorしていた人物の個人データ(赤の他人ではない)
○その時点で生きているor生きていた当時のことを直接知っている人がいる
○データの存続性は仮定する(はてなのサービスの存続性は別の議論で)
○各個人PC上のデータではなく、あくまでオンライン上のデータ
わたしも自分用に1冊の本にしたいです。
誰かに見せるわけでも、売るためでもなく。
Emi-GOさんはこれから何年もブログをつけていくおつもりですか?
(もしくは何年続きそうですか??)
>紙の日記は続かなかった私がブログは続いているので
わたしも全く同じです。
紙だと日記帳買って終わり・・・というのが常。
これから先、何十年間も毎日かかさずブログをつけていけば、
どんな内容であっても貴重な日記になるでしょうね。
100年200年先、goodwell日記として歴史に残るのも夢ではないかもしれませんね!
>まったくもって個人的なデータだと言う前提条件でも、
>オンライン上で何十年も残しておきたい/あったらいいなと思いますか?
少なくとも私が生きている内は残しておきたいですね。恥ずかしくもありますが、紙の日記は続かなかった私がブログは続いているので、自分が老人となった時に読み返したくなると思います。
死後も残しておくほどの価値は無いと思いますが、子や孫が何らかの価値を見出して残しておきたいと思い、それが可能ならば任せたいです。
まったく個人的な日記であっても、土佐日記や更級日記のように古典文学となるまでは長い年月が必要ですが、数十年前の記録でも特殊な立場・職業(例:宮内侍従や政治家・企業家)ならば貴重な史料となります。
今のブログは膨大な量となりますので、ジャンル別にデータベース化され、図書館のように閲覧したい人が目的別に検索が可能となるように整備されれば、数十~百年前の社会・風俗を知る史料の一種として見られる可能性は高いでしょうね。
お父様のご年齢とID名から65歳前後の方かと見受けられます。
nanairokamenさんがお生まれになった時代、まだフルカラーでの記録はなかったかと思います。nanairokamenさんが生まれてときの写真や動画が鮮明に残っていたら見てみたいと思いませんか?自分の子供のことですから、お父様も強く印象に残っているかと思いますが、それは鮮明な記憶でしょうか?そのときのことを手帳にでも書き綴っていなければ、記憶の中に埋もれてしまっている出来事もあるでしょう。それがふとした出来事であればあるほどです。
コンピュータの中での01の繰り返しなど人間の生の記憶に比べれば味気のないものであるとか、100年など長い歴史の中ではほんの一瞬にしか過ぎないとかお思いであるのは、nanairokamenさんの主観ですから否定はできません。
わたしが気になっているのは、今まで『記憶』や『記録』でしか残っていなかったもの・遺せなかったものが、デジタルかつオンラインに存在することで別の価値を生むのではないかと思うんです。生まれて間もない頃は記憶には残せませんし、何十年も経ってしまえば記憶は曖昧になっていきます。それは、望む望まざると問わず誰もが同じことでした。しかし、それが文章や画像や動画など何かしらの情報で残っていた場合、時間=記憶というのものの価値が変わるはずです。
"たいしたことはない"のは残念ですね。わたし自身は二十数年の人生でもまったくもって同感できません。
○小生の父は現在94才です。
父を見ていると
100年という期間が如何に短時間であるか?が実感として受け取れます。
100年前のデータがどれほどのものでありましょう?
はっきり言ってあまりたいしたことはないように思います。
○良くも悪くも骨董のデータとして尊重されるでしょう。
2007年現在100歳の方の場合、幼少時の情報(=テキスト,画像,動画)というのは、紙に書かれた情報か白黒写真しかありません。情報の劣化も激しく、当時のまま残っていることは稀です。
ところが、2107年における100歳の方の場合、生まれた瞬間(むしろ胎児の期間)からデジタルデータを残こすことも技術的に可能です。HDで撮影をすれば非常に鮮明な情報(動画)を残せるでしょう。
これを仮に100年分オンラインに載せる人(親子)がいて、その人がオンラインに随時情報公開して100年分の情報を溜めたとすると、2007年に100歳の人とは別次元の情報量&質になります。
この色あせることのない長期間蓄積された個人データは、それが個人で気であったとしても、『オンライン上にあることで、将来どのような価値を生むのか』という点で面白いご意見を伺えたらと思います。
わたしも100年、200年とデータは残ると思います。
今までの紙媒体orアナログデータは『情報の劣化』と『情報の閲覧』という二つの視点では、オンライン上のデジタルデータとは全く違う価値をもっています。ニュースなどはこれからの将来永遠に残るデータであり、多くの人にとって非常に有用であるということに変わりないと思います。
しかし、他人にはまったくもって価値のない、どうでもいい個人的なデータを将来に残すことも可能です。きっとオンライン上にも残せるでしょう。これを将来の老いた自分や、自分を知る家族にとっては何かまったく別の価値を生むのではないかと思うんです。
プラスの価値(付加価値)なのかマイナスの価値(弊害)なのかわかりませんが、何十年間と残せるデジタルデータがもつ、今までとは別の価値についてご意見が聞けたらと思います。
まったくもって個人的なデータだと言う前提条件でも、
オンライン上で何十年も残しておきたい/あったらいいなと思いますか?
また、データのバックアップ以外にどうような価値をもつと思いますか?数年という短いスパンでは、いわゆる日記としての価値がほとんどだと思いますが。これがデジタルのまま、かつオンラインで誰もが閲覧可能な状態で、何十年と"データを寝かせた"とき今とはまったく別の価値が生まれるのでしょうか・・・。ペーパー上の情報と違って、オンライン上のデジタルデータは劣化しないまま閲覧フリーですから、従来の史料とは違った価値をもつと思うんです。
○100年後200年後ぐらいのデータ-は蓄積されるでしょう。
自身のダイアリーで娘のことなど書いていると、たまに「これを大人になった娘が見たら、どう感じるかな~」と思うと複雑な気もしますね。
プライベートな日記ではなく、誰でも閲覧可能ですから(無論、個人を特定しにくいような配慮はしていますが)。
自分の家系に興味ある人たちならば、今まででもあったような○○家史料として大事に保存するのが自然な気がします。かたちとしてペーパーレスになるだけで。
昔は戦災や自然災害などで散逸して限られた写真や史料しか残らなかったのに比べて便利になりますね。(その代わりにバックアップが肝心になるか)
ただ、興味を抱く人ばかりとはいえないので、誰にも閲覧されずに見捨てられたデータも多そうです。
内容が面白かったり、貴重な情報が書かれていたりしたら、本にするかも知れません。紙文化がそのときも残っていれば、の話ですが。
ハンドル名が本名とかじゃないとなかなか見つけられないかもしれませんが。
たまたま、自分のルーツを探って(?)すでに亡き自分の祖先の生活を垣間見れたら面白いですね。亡くなってなくても、お父さんの若いときの日記発見!見たいな感じ??
ブログとかだと、個人データでも確証を取っているわけではないので、本人以外がいくら近親者でもそれの扱いをどうこう言うことはできないでしょうね。
関連質問等
http://q.hatena.ne.jp/1142842145
作者が死亡したとき、そのHP/ブログはどう扱われるべきか?
http://itaru-m.hp.infoseek.co.jp/web/17.htm
価値あるHPには、子や孫が「相続税」を払うことになる。
http://itaru-m.hp.infoseek.co.jp/web/88.htm
幼少時に書いたブログの内容が、成人して問題となる。
のサービスが100年後にもあれば、生き残っていると思います。
今、私のおじいちゃんのおじいちゃんよ といわれても それは誰やねん
って状態だと思います。
へー こんな人だったのかーぐらいでしょうねぇ。
もし自分のデータだったら、自分の子どもや孫に昔話をして一通り懐かしんだあと、即削除申請。
100年でも20年でも構いません。
ただ2~3年というごく近い将来ではなく、一世代・二世代先の将来という設定です。
確かに企業の継続という観点では問題もいろいろありますので、
条件欄にも明記した通り、今回はデータが残っているという設定でお願いします。
公式・非公式、有料・無料を問わず、
誰かがサービスをしていない限りデータが残ることはないは承知です。
ただし、今回はその議論が中心ではなく、どんな形であれ
『おじいちゃんのデータが残っていたよ!』
という設定でお願いします。
つまり「それは誰?」状態は今回は考えていません。
(傍から見れば、確かにどうでもいいデータですが。)
もちろん何十年も放置状態のデータだと思われますが、
それが残っていて、誰でもアクセスできる状態にある!
という設定でお願いします。
今でこそ、自分の祖先の情報など家系図くらいしか残っていません(むしろ残せない)が、100年200年先の人類にとって数世代前の祖先達の情報を見ることは容易でしょうね。しかも家系図やテキスト情報だけでなく、今まさに生きているかのような映像を見ることも可能なはずです。
これは、(非常に個人的な)歴史に対する大きな価値の変化を生むと思うんです。
デジタル化の進む2007年現在においても100年200年前の情報を当時と同じ状態で見ることは困難ですが、これから100年200年先はそうではありません。
自分の祖先を手に取るように何年も遡って情報を得ることが可能になるでしょう。
夏休みの宿題で『ぼくの先祖300年間の歴史』みたいなw