全国の地図というのは「行基図」が最古と言われているようですが、これ以前にも絶対に“地図”という概念はあったはずです。
壁画に集落の様子が書かれていたり、必要な道筋だけを記したものがあったり、遣唐使・遣隋使など相当古くから使者というものはあったので、その人に持たせる用の何かはあったと思います。
そういったものが分かれば嬉しいです。
宜しくお願いします。
うんうん、やはりこれが出てきますよね。
やはり確認されているものではこれが最古なのでしょうか。
ありがとうございます。
うんうん、開田図ですね。
ありがとうございます。
ここの(渡来人研究会の掲示板)一番下に縄文人や古代人が
測量した図のことが書かれています。
これを地図と呼ぶなら相当、大昔の地図ということになります。
http://8628.teacup.com/toraijin/bbs
>魏志倭人伝」に「その道里を計るに、当に会稽の東冶(今の浙江省から江蘇省のあたり)の
東にあるべし」というくだりがあるためである。
ただ何故このような間違いをおかしたかについては、これまで判然としなかった。
しかしその間違いは、太陽を基準にして三角測量を用いた山当て法により地図を作った者達がいたためと考えればつじつまが合う。
さらにそれは「魏志倭人伝」が作成される以前であったことは確かである。
つまり、卑弥呼以前にこのような地図を作れた者達がいたと考えるべきであろう。
ん~、難しい・・・。
よく分かりません。
落ち着いたときゆっくり読んでみます。
ありがとうございます。
http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/archives/3188891.html
4000年前に作られた万座環状列石が地図であるという説もあります……。異端の説ですが。
再び失礼します。
前の質問のときに書いた本からの引用です。
大化2年(646)に、地方の支配を進めるために、農地の地図を作れという命令が朝廷から出ている。そのような地図は奈良時代に「班田図」と呼ばれた。それとは別に、貴族や大寺社が新たに開いた田地を記録した「墾田図」や「開田図」もつくられた。
奈良の正倉院には、天平勝宝3年(751)の近江国水沼村墾田図など17点の、そのような地図が残っている。そして、現在の地形図との比較から、それらの精度の高さが分かる。限られた形の地図ならば、古代の技術でも十分把握できたのだ。
また
古代人も地図作りを試みている。彼らは目印のついた縄で距離を測った。そして、一定の長さの棒を立てて、日の出と日没のその影の先をつなぐと正確な東西の線をつかめる。それに直交する線が、南北の線になる。
このような素朴な方法で地図作りがなされたが、でこぼこのある土地では縄の測量に誤差が生じる。
といった記述が直前にありますが、この古代人が751年を指すのか、それ以前の時代を指すのかは分かりません。
リンクはダミー
うんうん、確かにおっしゃる通りですね。
ありがとうございます。
あれま・・・。
単純にそういうことなんでしょうか・・。とても残念です。
ありがとうございます。