現存するものの中で最古の“日本地図”は「行基図」であるといわれており、その原因は当時貴重であった紙に書かれたものは紙が漉き直され残っていない(行基図は布に書かれたものが残っている)というものらしいですが、


では、日本で“紙”に地図を書きそれが普通に残るほど紙が貴重でなくなったのはいつごろでしょうか?
活版術が伝来した時期ということになるのかもしれませんが、そうであってもそれ以外でも教えて下さい。
宜しくお願いします。

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  • 登録:2007/08/05 23:01:13
  • 終了:2007/08/06 00:53:04

回答(2件)

id:KUROX No.1

KUROX回答回数3542ベストアンサー獲得回数1402007/08/05 23:18:34

ポイント200pt

■紙・日本へ

http://www7.wind.ne.jp/hiraide/basic/history2.html

■印刷と版画の歴史

http://www.lian.com/TANAKA/comhosei/print/PP.html

■活版印刷

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%BB%E7%89%88%E5%8D%B0%E5%88%B...

中国で11世紀ぐらいにはあったようですね。

■土佐和紙

http://iroha-japan.net/iroha/C05_paper/07_tosa.html

平安時代からありますね。

------------------------------------------

平安時代には、貴族階級なら紙は普通につかえたと思えま

すが・・。

遣隋使を派遣するのに、地図も何もなくは無理そうですけど

どうやって行ったのかは、今のところ見つからないですね。

id:ryota11

ありがとうございます。

印刷術自体は平安時代からあるのですね。

その印刷術が本格的に普及したのは明治に入ってからかもしくは入る直前のようです。

つまり紙がそれほど貴重でなくなったのも明治あたりからということなのでしょうか。

2007/08/05 23:55:47
id:pikupiku No.2

pikupiku回答回数3043ベストアンサー獲得回数732007/08/06 00:10:46

ポイント150pt

紙が貴重でなくなったのは江戸時代に入ってからではないでしょうか。

庶民も本を読むようになって出版部数が増えるに従い紙の生産も増えたはずですので。



「江戸時代の初めでは井原西鶴の『好色一代男』や近松門左衛門の『曽根崎心中』などがその一例でした。

江戸時代の中・後期になると出版部数が数千部に達するものもみられ、柳亭種彦(1783~1842)の『偐紫田舎源氏にせむらさきいなかげんじ』 にいたっては刊行された38編それぞれが一万部以上も売れたといいます。」


江戸時代の ベストセラー

http://www.city.nagaokakyo.kyoto.jp/Files/1/12100001/html/tenji/...

id:ryota11

あぁ、確かにそうですよね・・・。

木製パルプの印刷術が伝わったのは明治に入ってからとのことですが、それ以前にどうやってそんなに大量に印刷していたんでしょう・・・。

謎です・・。

2007/08/06 00:31:09
  • id:KUROX
    活版印刷の話ですが、中国は以下の感じです。
    日本まで伝わったかは不明です。木製です。

    平安時代では、ほしければ書き写すのが普通です。

    |木活字3万余字を作り、これらを彼の設計による回転活字
    |台に韻によって並べたこと、それを用いて印刷したことが記
    |されてる

    一般的には
    |ドイツのグーテンベルクが活版印刷の発明者
    多分、金属製です。

    明治時代に入ったのは、この印刷技術でしょう。
  • id:KUROX
    活版印刷と版画は別物ですから(たぶん)。
    江戸時代は、美人画とかありますからね。

  • id:ryota11
    お、もしかして、pikupikuさんがお答えくださったように、江戸時代に大量(何千単位で)に書籍が印刷されたというのは、版画でのことなのでしょうか?
    ありがとうございます。
  • id:ARAYOTTO
    終わってた。ここでもいいや。



    江戸時代の本の印刷は「1枚の板に文字や絵を彫った版で印刷する木版印刷」ですね。

    明治時代になるまで主流だったそうです。

    版画ですね。

    http://www.jagat.or.jp/story_memo_view.asp?StoryID=3320
    「江戸時代に出版の大衆化が進み,絵入本が多くなったため,文字と絵を1枚の板に彫る木版印刷のほうが,活版印刷よりも手間を要しなかったからである。さらに日本では,平仮名の文字は草書で書かれることが多く,続き文字で表記されるため,活字のように,1字1字を独立させることが困難であった。このことも,木版印刷重視の要因となった。」
  • id:nofrills
    こんにちは。「紙は貴重ではなかったのか」との点、江戸時代に日本に来た欧米人が、日本では紙をばかすか使っている(浮世絵なども含めて)ことに驚いたと書き残している、というのを読んだ記憶があったのでちょっと検索してみました。

    http://www.ruralnet.jp/syokunou/200511/11_2.html
    >>
    江戸時代の日本が「紙使用大国」だったことは、江戸時代後期に日本へ来た西洋人の記録に、日本人が紙をたくさん使うことに驚く場面がしばしばあるのでわかる。

    ……

    今では和紙と呼んでいる伝統的な紙は、原料として楮、三叉、鴈皮など成長の早い植物の樹皮を使ったが、紙の大部分、八〇~九〇%ぐらいは、楮が原料だった。楮は桑科の低木できわめて成長が早く、春に発芽した芽は初冬までに一メートル以上に育つ。その若い枝を切って皮を紙の原料にするのだ。楮の木そのものは畠に植えたままであり、翌年にはまた発芽して枝が成長するから、基本的には一年単位で成長と収穫を繰り返す一種の農業によって原料を供給できるのが、大きな特長だった。
    <<
    「楮」は「こうぞ」、「三叉(三椏)」は「みつまた」、「鴈皮」は「がんぴ」です。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E7%B4%99%E3%81%AE%E5%8E%9F%E6%96%99
    から調べられます。今でも紙幣は「みつまた」の紙なんですね。


    紙の貴重さについては
    http://www.city.mino.gifu.jp/minogami/
    に問い合わせれば少しはわかるかもしれません。美濃の紙は徳川幕府御用の紙です。

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