そこで不安に思うことがあります。
それは日本人の人格、倫理性の低下についてです。
悪い意味で動物的というか、基本が攻撃的で思慮の浅い人間があまりに多く目につきます。
90年代後半あたりから急激にひどくなったように感じます。
人混みを歩くのも不快感が増しました。
こんなことでは近い未来、また戦争が始まるんじゃないか?という不安です。
そこで皆様にお聞きします。
今、日本人の倫理性は向上中なのか?それとも低下中なのか?
どう思われますか?
また、40歳以上の方には是非聞いておきたいことがあります。
80年代、90年代、そして現代のうち、最も人々の心の温もりが感じられたのはいつですか?
具体的な根拠を添えてお答え下さい。
私が住む町のあるアパートで孤独死事件が発生(統計では市内だけで年間90人以上孤独死が発生しているらしい)し、大きな問題になったことをきっかけに、その地域の町内会で、みんなで一人暮らしの人に声をかける運動がはじまりました。
呼びかけたのは67歳の一人暮らしのおじさん(共産党員)ですが、参加しているのは20代の女性から80歳のお婆ちゃんまでいろいろです。政治的立場は関係なく公明党や自民党の支持者にも加わっています。参加者はどちらかというと女性が多いようです。
みんなお金については大なり小なり困っているので、貧しい人にお金を援助するといったことはできませんが、毎日声をかけたり、水道を止められている人に水を差し入れたり、窓口で断られる生活保護の申請をみんなで付き添って受け取りに行ったり、病気で働けず保険料を滞納して国民健康保険証をとりあげられたため治療を受けることができない無保険者のために役所に行って短期保険証を出してもらうということもやっています。
お金が無く、仕事が無く、病気で体が痛くて痛くて身動きできない人に向かって、「仕事しろ」とか「早く病院に行け」とか「保険料払え」とか、理不尽なことを言う人たちがいますが、一方、なんとかして自立してみんなで幸せに生きようとがんばっている人もいます。
そういう人たちの姿を見ると、人の心の温もりを強く感じます。
被ゆとり教育世代が、社会にでてきましたが
という前提は事実と異なります。。
勘違いしている方が時々いらっしゃるのですが、ゆとり教育を受けた世代は、実はまだほとんど社会に出ていません。
http://q.hatena.ne.jp/1183546328#c94028
「ゆとり教育」と呼ばれている「総合的な学習の時間」の本格実施は、小・中学校においては平成14年度、高等学校においては平成15年度が開始時期。中学校の週5日制の完全実施も総合的な学習の時間の実施と同時平行で実施されており、平成14年度(2002年度)からです。
平成15年に「総合的な学習」を履修した高校生が卒業後進学せず社会人になるとすると、最初にゆとり教育を体験する社会人が出てくる時期は平成19年4月。中卒社会人にはゆとり教育を体験した社会人はいますが極めて少数。平成15年に総合的な学習を履修した高校生が卒業後進学せず社会人になるとすると、最初にゆとり教育を体験する社会人が出てくる時期は平成19年4月です。大卒社会人で「ゆとり教育」経験者はまだいません。
実際にはゆとり教育を受けた社会人はほとんどいないのに、あたかも大量にいるかのように勝手に現実を捏造して、その人たちにあらゆる不平不満をおしつける人がいるという意味では、その人に関しては「日本人の人格、倫理性の低下」を指摘せざるを得ないと思われます。
kanopiさんと その賛同者は、
kanopiさんが書いた言葉を
繰り返し、声にだして読みなさい。
貴方がここに書いた文章を自分で繰り返して読みなさい。
教育勅語(現代語訳)
俺(天皇)思うんだけどさ、俺様の先祖ってすげー偉いんだ。いつまでも天皇家がお前ら下民共を支配できるようなシステムを構築したんだよね。
で、天皇家の先祖達はお前ら下民共を生かさぬように殺さぬように上手く支配してきたわけだ。
お前ら下民共の犬のような忠誠心は俺様にとってすごく都合がいいんだよね。
だからこれからも俺様の為にせいぜい汗水垂らして働いてくれ。
俺? 俺は支配者だから関係ないよ。お前ら下民共は放置しておくとロクな行いをしないから、取り敢えずオヤジオフクロの言うことを良く聞いてだな、夫婦で揉め事を起こすなんてもっての他、フェミニストは死ね。
俺様を尊敬することを片時も忘れずに、俺様の帝国をグレートにするために、せいぜい勉強してすすんで俺様の帝国のために奉仕し、俺様の決めた法律は 絶対破るんじゃねーぞ。
もしも一大事があったら進んで俺様の手駒として死ね。身も心も俺様に捧げ るつもりで死ね。そうして俺様の帝国をもっともっとグレートにするんだ。
お前ら下民共は先祖代々、俺様達天皇家の奴隷だったのだから、これからも 忠実な犬の何倍も奴隷根性を発揮して働くんだぞ。
もちろんこのシステムは世界中に当てはめても間違いではない。つまり世界征服も視野に入ってるって事だ。
すげえだろ? お前ら下民は俺様のグレートな帝国の下僕で有る事を有り難 いと思って、俺様の命令に従え。
明治二十三年十月三十日 世界に冠たる明治天皇
なかなか深いですねー。
長々とありがとうございました!
ごめんなさい、最初に断っておきます。ドラマを見てなかったので詳しいことは分かりません。文章から察してと、お断りします。まず倫理と戦争にあまりつながりはないと思っています。
なぜなら戦争は合理化を推し進めた結果、始まってしまう側面がよく見えます。
まず、歴史的に軍事は外交上における取り引きや外交上の互いの主張の隔たりがあるときに打たれる、外交カードの一つ として使用されることが多々あります。軍事というカードを持っているほうが国の運営としてはいろいろやりやすい、、というのが現実ですね。
当時、日本は世界のビック3に数えられていました。戦艦の保有数イコール外交パワーの象徴でした。
ただし、日本における軍事費は国の総収入の約46%、今現在の防衛費5%に比べ大変多いです。それだけの支出に耐え、海軍の軍艦長門の乗員や陸軍の多くの師団の人員をささえていたのです。軍事費をこれ以上削られれば、多くの人員を支えられなくなってしまう、また、国としてもイギリス、アメリカに差をつけられてしまうということが分かっているため、簡単には削るわけにはいかない、2.26事件はその渦中に起きたわけです、多少反れますが、当時の宰相、高橋是清が殺害されたのは軍事費の削減を提言していたためです。
当時の民衆は苦しんでました、自分の子が奴隷として売り買いされていた時代でした。丁稚として。 小作農民の親はそこまでして、自分たちの生活を切り売りしてたのが現実です。なので当時の皇道派の若い陸軍将校予備生は我慢ならなかった、自分たちの兄弟姉妹が売られている現実に。だから決起したわけです。自分たちが社会を変えると信じて。難しいものです。社会を良い方向に向かわせようとした結果、起こる惨劇です。より天皇を中心とした国家建設こそ日本のためである信じて。
話は戻りますが、財閥としても軍事行動を起こしたほうが、非常に都合が良かった。なぜなら満州や国内にそれだけ多くの不良債権を抱えており、戦争は一切それをチャラにできる特効薬なわけです。経済界としても多くの支出を自分たちの債権によって支えている現実があり、新たな可能性がある戦争を起こしてくれたほうが都合が良いのです。
またこれは余談ですが、軍隊の構成人員はほとんどが20代から30代前半の男性によって構成されます。赤紙召集がかかるのは基本的にこの年代のみです。つまり、士官クラスでも非常に若い、若い人間によって軍隊は組織されていると言うことをまず知らなければなりません。ここを映画やドラマにおいてキチンと描いて欲しいと思うところです。戦後何故、生めや育てやになったかの理由の一つに、若い男性が極端に少なかったんですね戦後当時、統計的に言うと。余談でした。
当時、日本が連合国に戦争を始めることになったのはアジアに圧政をしく連合国家からのアジアの主権を取り戻すという、大義があったからです。当時、日本は日中戦争を行い、同じアジア人に圧制をしく立場にありました。なので日本としては大義が欲しかった。 自分たちが強国からアジアを開放する 我に正義あり、というための。恐らく、社会的地位の高い立場にある人であればみなそう思っていたはずです。
大義をもって戦争ははじまり、人道をもって戦争は終わる という言葉を聞いたことがあります。
倫理観が人道という言葉と同義ならば、戦争を終わらせるのは倫理かもしれません。
何故合理化イコール戦争であるのか? いまだ自分も確証は得てません。ただ行き過ぎた合理主義が生み出す惨劇であると言える、その入り口に自分は立っておると思う次第であります。 非常に長い文でした、申し訳ありません。 駄文ではありますが参考になればと思っております。
戦後教育の間違っていた部分を直して、
正しい道徳教育をおこなうことにより、
国際社会に通用する日本人がさらに多くなると思います。
http://www.sakuranohana.jp/book_suteki.html
http://www.melma.com/backnumber_115_1126677/
http://www.kamatatokyo.com/home.html
倫理観は時代や場所によっても大きく変わりますし、個人レベルでもそれぞれ違うので、客観的には向上中とも低下中とも言えない気がします。結局、それぞれの倫理観における判断になるのではないでしょうか。
ただ、倫理や道徳ということについて殆ど考えない人が増えているのであれば、価値観が多様化している今の世の中では多少問題があると思います。
…価値観の多様化ということを考えるとamoralistには問題があると言えるのか気になるところでもあります。
ただ戦中は20代に限らず全世代が狂っていた時代だと思います。
では、今の60歳以上が20代だった頃と今の20代を比較すると、凶暴度でいえば戦争を起こした60歳以上が20代だったころのほうが圧倒的に凶暴だ。
というのがあなたの主張でよろしいですか?
あなたの主張によれば、20代だったころの凶暴度で並べると、上と同じく「60歳以上>今の若者>今の中年」になるかと思いますが、いかがでしょうか。
老人はあらゆる面で衰えがあるため、本質が攻撃的でもわかりにくいものだと思っています。
それに普通は年齢が上がるにつれて丸くなるというのもありますし、今その老人たちが戦時中の時のままなのかはいまいちよくわかりません。
原爆などを反面教師として考えを改めた人だって多いだろうと思います。
ただ思うのは今の30代あたりから下の世代は正直とても心配です。
あなたの話を整理すると、戦争した人間は凶暴ですから、現在生きている日本国民については、
・60歳以上の日本国民は凶暴極まりない
・戦後世代は全員穏やか
・徐々に凶暴になっている
という理解で正しいですか?
現在生きている日本国民を凶暴度で並べると、「60歳以上>若者>中年」で正しいですか?
常識的に考えてそうでしょう。
このまえの某戦争ドラマ(実話です。)の中で、勇気を持って戦争に反対した人の方が理不尽にも周囲から白い目で見られて「非国民」呼ばわりまでされる場面がありました。
凶暴というか「国のためなら人の命を絶っても構わない!」という歪んだ思想の人間が日本中にあふれていたのはまぎれもない事実です。
だからこそ再び↑こんな状況に逆戻りしてはならないのです。
今の日本では正直不安です。
逆戻りしつつあるような気がしなくもありません。
攻撃的な人格が多いのもさることながら、
戦争を経験してその恐ろしさが身に染みている人もどんどん減ってるでしょうし、
若い世代ほど「戦争は絶対駄目だ!」と思っている人が少ないのではないでしょうか。
>戦争につながるのは、なんだかんだ言って攻撃的な人格の人間の増加だと思います!
千年も昔ならともかく、いま、そう結びつくものでしょうか?
たとえばアメリカは年中無休であちこちで戦争をしているわけですが、政治家たちの
思惑と、兵器商との利権がからんでいたり、世界のパワーバランスを調節しようと
いう欲望だったりが動機なわけですよね。
性格や人格よりも、むしろ理性的な冷静な部分で戦争はおこされています。
数年前のイラク戦争のときも、日本の経済評論家たちは
「戦争に加担すれば、日本の経済は上向きになります!」
などと、くちを揃えて囀っていました。
今となっては、ソレはまったくの大嘘もしくは大ハズレだったわけですが。
最近の例でいえば、原発を平気で活断層の上に建設するような連中は、同じように
目先の利益で簡単に戦争へと話を持っていこうとすると思いますよ。
都合が悪いデータにはみんな目をつぶってね。
人格的なことでいえば、恐いのは
「空気読めよ!」
と他人に強要する人たちでしょうか。
自分がおかしいと思っても、恐くても、イヤでも、「みんながやってるから」
「空気を壊したくないから」と、逆らわない人が増えてるような気はします。
いちど戦争になったら、周囲が言うがままに、世間の雰囲気にあわせて、
まっしぐらに加担するのでしょうねぇ。
>戦争につながるのは、なんだかんだ言って攻撃的な人格の人間の増加だと思います!
戦前が最も攻撃的な人間が多く、戦後は基本的に穏やか、ということですよね。
今の60歳以上の日本人は「凶暴極まりない」ということになりますか。
昔、といってもそれこそ前の戦争のちょっと前のあたりまでは、村八分になれば文字通り「石もて追われる」羽目になったそうです。それも家族や一族ぐるみで。そうならないために倫理的で道理を大切にする社会ができていたんだとおもいます。いまは刑事事件になったとしても石までなげませんよね。昨今は、そのころ生まれて戦争経験してきた人でも、隣人の家にいやがらせしたりすることがニュースになりますから、特に若い人に限ったことではないとおもいます。
今の日本人は、かなり単純な経済論理というか、経済的価値で特か損かを唯一の(そしてか細い)よりどころとしているように思えます。最低限生きていはいるけど、それだけになってしまっています。生きることは、ただ生存する以上のことがあると、私たちは教えられてきました。そういう意味では、戦時下の緊張の中で、生きることの意味を鮮明に意識していた人のほうが、充実感があったとさえ言えるのではないでしょうか。
教育勅語
私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが
国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、
そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。
我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、
世々にわたってその美をなしてきましたが、
これこそ我が国体の誉れであり、
教育の根本もまたその中にあります。
あなた方臣民は、父母に孝行し、兄弟仲良くし、
夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、
慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、
学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を
磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、
いつも憲法を重んじ法律に従い、
もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、
このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に
尽くしていきなさい。
これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であると
いうだけのことではなく、あなた方の祖先の遺した
良き伝統を反映していくことでもあります。
このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺しになった
教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、
昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても
間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを
心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を
歩んでいくことを希(こいねが)っています。
明治二十三年十月三十日
御名御璽
kanopiさんはどこの人間ですか?
外国人になりたかったら
隣国に行けば いいじゃないですか。
日本にいなくてもいいんですよ。
あなたみたいな人間が数人いなくても
日本はまったく困りません。