街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!“イエ・ルポ”とは、実際に見たり聞いたりしたイエの話、またはご自分の家の暮らしの中で生まれたユニークな工夫やアイデア、習慣や出来事をミニルポ感覚で書き込んでもらう“イエ・ルポタージュ”コーナーです。
*〈今週のお題〉に沿った、みなさんが知っている面白いイエの話を教えて下さい。
*〈今週のお題〉以外の話題のイエ・ルポも常時自由に投稿して下さいね!
イエ・ルポ #035 THEME「心ポカポカ!おじいちゃん、おばあちゃんの思い出」を教えて下さい
→ルポ例はコチラ
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20070820
※今回の「いわし」ご投稿はは8月23日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※参考にさせていただいた「いわしへのコメント」には、【いわしポイント×20pt】を差し上げます。
※お願い
モラルのない一行投稿などはご参加者の皆様に大変ご迷惑となりますので、ご遠慮下さい。
またそのようなご投稿にはポイントの送信を控えさせて頂きますのでご了承下さい。
私もハザマさんと同じく、生まれたときには母方のおばあちゃんだけでした。
うちは私が幼稚園の頃より両親が働いていましたので、おばあちゃんが私達兄弟の子守担当でした。
母は6人兄弟でしたが、歩いても30分の距離のところにおばあちゃんのイエがあり、一番イエが近かったのでいつも通ってきてくれました。
そういう意味でいえば、数ある従兄弟たちの中で一番おばあちゃん子でした。
今では珍しいですが、おばあちゃんは腰が曲がっていたので、歩くときには必ず籐でできた乳母車をひいていました。
どこへいくにでも乳母車をひいています。近所の買い物でも。
歩けるにもかかわらずおばあちゃんの乳母車に乗せてもらうのが楽しかったです。
今考えると重いのにひどいことをしたなぁ・・って思います。
おばあちゃんが使っていないときに乳母車で何度遊んだことか・・。
田植えをしているときは、いつもお昼どきになると乳母車の中におにぎりと水筒をいれて差し入れてくれていました。
私は遊んでいるだけでしたが、おばあちゃんにありがとう♪といいながら、おにぎりをほおばっていました。
おばあちゃんのおにぎり・・いつも梅干しかはいっていなかったんだけど、おいしかったのです。
おばあちゃんが亡くなったとき、ぽつんと乳母車が置いてありました。
それを見て号泣した覚えがあります。今はもうありませんが・・。