*以下の文章を読んで、どう思われますか。感想をお寄せ下さい。
環境問題がこれだけ深刻化しているこの時期になっても、シミュレーションで問題を解決しようと考える人は後を絶たない。目先のシミュレーションで行われた事が、長期的にはマイナスになった例はいくらでもある。シミュレーションは、常に部分的にしか成り立たない。シミュレーションの発想から逃れられないのは、「予防」と「放置」の経済効果を、意識的には計算できないためだろうと思う。経済活動とはまさに「活動」だから、そのためには必ずなにかを「する」ことになる。「起こった事」を好む人間の性癖とあいまって、おかげで「なにかをしよう」という癖がついてしまう。それを「積極性が高い」などと褒めるから、ますます悪い。性行動に積極性が高い人を、「スケベ」という。経済性を考えると称して、余計な事をするのである。「公共事業をすれば経済が活性化する」というのも、シミュレーション信仰の表れである。「要りもしない」工事をすることの、どこが経済的か。せっかく作った側溝を取り外す事の方が、経済的かもしれないのである。(養老孟司)
シミュレーションで計りきれない部分があまりにも多いのは事実だが、しかしだからといってシミュレーションそのものを批判するのは極論すぎる。
目先のシミュレーションで行われた事が長期的にマイナスになった例はいくらでもあるが、目先のシミュレーションで行われたことが長期的に見てプラスになった例も少なからずあるのだから。
反対するならシミュレーションをせずにどうしたら良いかという具体的な事をもっと描くべきだろう。
常にそうですが、部分的にしろ真理を突いていると思いますよ。養老さんらしいです。
なお、この場合はシミュレーションというのが一般にいう試算ではなく試行のほうですね。
たとえば核実験とかはやんなくてもできるってわかってるのに各国どうしてもやりたがる。
そこまで大きな話でなくとも、ここで批判されているような事態は、高等教育機関ではよく起こるようです。
「教育」とはある意味「洗脳」「演出」も含むので、「教育のための実験をぜひやらしてほしいので予算を」なんていう口車にいちいち乗っていたら不要な実験が増えて増えてもう大変ですね。
養老孟司さんかぁ、と先に著者を読んでしまったのは失敗でした(大嫌いだから)。
環境問題がこれだけ深刻化しているこの時期になっても、シミュレーションで問題を解決しようと考える人は後を絶たない。目先のシミュレーションで行われた事が、長期的にはマイナスになった例はいくらでもある。
この部分ですが、「あなたの想定するシュミレーションがその程度の精度なだけでは?」と思いました。
後の分は読む価値がない(前提となっている部分が変だから)と思いつつ読み進めましたが、その先は話が飛び飛びでちぐはぐな印象を受けました。
はっきり言って論旨が不明です。自分が興味があって読んでる資料にこの文章が出たら、もっと率直に物を言えないのかと腹が立つでしょう。
全体を通しての感想は「じゃあ結局どうすればいいんだ?」って感じです。
後半の文が意味不明です。シュミレーションの話から前振りも無しにいきなり「性癖」「スケベ」の話に切り替わっている何が主張したいのかわからなくなりました。
内容についての感想としては、
シュミレーションはあくまで予測であって、予測を参考にする人はいてそれだけで問題をどうこうしようという人はいません。妄想だけでは金持ちになれないのと一緒です。
「予防」と「放置」の経済効果、「起こった事」を好む人間の性癖などは説明不足で結局は何が主張したいのかよく分かりません。
『「要りもしない」工事をすることの、どこが経済的か。』と言っておきながら『せっかく作った側溝を取り外す事の方が、経済的かもしれないのである。』というのは矛盾じゃないだろうか?常識的に考えてせっかく作ったものをわざわざ取り外すのは「要りもしない」事だと思うのですが・・・
ついでに言えば、「要りもしない」工事といえど工事は工事、経済活動の一環です。
http://www.milestone-art.com/MILESTONES/issue66/htm/p7.html
大賛成、人間には欲があるから、自分にもうからないことはしない。
何かをやればやるほど、環境は実は悪くなる。
野生動物の気持になって、何もしないかわりに、自然を破壊してきたことを反省し、謝罪して、そのまま滅びていくしかないんじゃないのかな
こんばんは。
雑感でいいのかな??
この文章の主張は「シミュレーション信仰」の打破にあると思いましたが、
実は私にはその内容がよくわかりませんでした(汗)。
何かの状況を擬似的に再現してその結果を分析するコトで、
現実の状況の先行きを予知する、というような意味で
私はシミュレーションを捉えていましたが、どうやら違うみたいo
これを読むと、(何もしないのではなくて)何かをするというコトが
シミュレーションと呼ばれているみたいですので。
でも基本的に私は養老孟司の考え方をあまり理解できないタイプの人間だと思うので、
これ以上詳しく知りたいとは特に思わないです(^_^;)o
「公共事業をすれば経済が活性化する」というのも、シミュレーション信仰の表れである。
ホントかな? 天下りとか政界と業界の癒着による無駄遣いシステムの体裁を取り繕うためのお題目に過ぎないんじゃないの? 誰かがそう言うシミュレーション結果を発表したの?
で、環境問題の解決にはどうしたらいいんですか?
・日本語おかしい
・文章の組み立てもいまいち
・論理体系も根拠もない、感想文ですか(苦笑)
「経済的かもしれないのである。」
経済的かもしれないし、そうでないかもしれないという意味
ですよね。占い師ですか(^^;
結局なにも主張できてないと思うのですが、
勘違いでしょうか
「シミュレーション」の語義を根幹的に間違えている。
模擬実験や試算はあくまで試験であり、
>経済活動とはまさに「活動」だから、そのためには必ずなにかを「する」ことになる。
という言葉の内容と全く結びつかない。
>性行動に積極性が高い人を、「スケベ」という。
などと言っているが、例えば、痴漢行為を行う人間は別に性交のシミュレーションなどはしていない。
「シミュレーション」「ふりをすること」でないからこそ、現実に行った行動である。
行動は行動として処罰される。
言葉の意味を理解して後、論述する事は大前提と考えます。
過剰に行動する前に考え思考、試考=「シミュレーション」することこそ必要で、赴くままに行動する事は決して「シミュレーション」といわない。
「せっかく作った側溝を取り外す事の方が、経済的かもしれないのである」とのことですが、、、
側溝を取り外す工事も、国や自治体が税金を使って行えば、立派な「公共事業」ですよね。それはそれで、側溝のある地域ならどこでも可能な工事であり、かつ、もっぱら人海戦術が有効な工事なので、地域(地方)の雇用創出には、即効性があります。
側溝取り外し工事の総延長は、かなりな距離になるので、全国でやれば、トータルはニューディール政策並みの公共工事になるかも。。。
養老先生が言いたい「何もしない」には、地域を「現状のまま」にして報知しておくという「見て見ぬフリ」する態度をとらなくては、なりません。
それでいいっていうんなら、いいんですけど。
養老孟司さん
私も大嫌いです。
視点は良いものもあるのですが、思ったことをそのまま書いている様な文章なので、読んでいると気分が悪くなります。
この文章が表す性格の方なら5分と一緒に居られないと思います。
この記事では「何かする前にちゃんと考えろ」と言いたいのだと思います。確かに、大義名分が先行して不十分な調査で大きなお金を使うことは多々あると思います。
ですが、それを
『起こった事」を好む人間の性癖とあいまって、おかげで「なにかをしよう」という癖がついてしまう。それを「積極性が高い」などと褒めるから、ますます悪い。』
と公言されると視野の狭い方だと思ってしまいます。
もっと具体的な例を調査されてから書かないと説得力がありません。
なにより、最初に「環境問題」と予測が難しい題材を持ち出して「確実な結果」を求める様に読める書き出しなので、この時点で無責任な野次馬的文章に見えてしまいます。
記事の内容よりも記事そのものの感想になってしまいましたがよろしかったでしょうか。
養老先生らしい誤解されやすい主張です。
「シュミレーションは悪用され易い」というのが骨子でしょう。
ここで「でしょう」と書いた事に気付いた方もおられると思います。そう、シュミレーションしてみればそうなる筈だが、そうならない可能性もあるのです。
本文の最後の「かもしれないのである。」や中程の「だろうと思う。」がこれにあたります。全体を語りたいのに細部が不明確で、それでも主張したいことがある。だから、彼はあえて誤解を招く表現さえ用いて「シュミレーションの弊害」を指摘したの「でしょう」。
実際、予算の獲得の言い訳に片手落ちのシュミレーションを用いるのは役人「など」の常套手段です。某発電所の地盤調査とかが、これに該当する「でしょう」。全体を見れば自分の給料を削って当たり前。予算どころか課や部の存在意義さえ本格的にシュミレーションしてしまえば危うくなる・・・となればデータを隠したくなる気持ちも充分に理解できます。また、今となってはデータ集めの予算さえ乏しい。まあ、皆さん生活が掛かっていますから、仕方ないの「でしょう」。
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