きのう安倍総理の謝罪会見がありましたが、その姿を見ていてとても気の毒に思いました。1年前の就任以来、政治と金の問題で過去の政治家の悪行や社会保険庁の年金問題の責任など、過去の政治家が見て見ぬふりをしてきた問題の責任まででも追求され、在任中のこの1年は本来の総理としての仕事さえできなかったのに、1年前は自民党の顔になる人材とか言ってまわりで思いっきり持ち上げておいて、健康を害し、体力の限界を理由に辞任すると今度は手のひらを返したように批判の応酬です。確かにタイミングは良くなかったかも知れませんが、ぎりぎりまで頑張ろうとしていたのではないでしょうか。寄ってたかって大勢でひとりを攻撃する、これこそ「いじめ」に他ならないと思います。まさに今の日本の社会を象徴しているように思えてなりません。みなさんどう思われますか?

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  • 登録:2007/09/25 02:53:15
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回答(15件)

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戦争に負けるとエリートが潰される ShinRai2007/09/25 10:24:52ポイント1pt

日本が戦争に負けた昭和20年に、アメリカが最初に手がけた改革は、教育制度の改革でした。バンカラで、思索的・哲学的・非世俗的・エリート的な旧制高校を潰したほか、漢字改革を行って、戦前の日本が植民地住民に押し付けようとしていた二流国民用の言語が戦後の日本人に押し付けられたのです。

保田與重郎が、「近代の終焉」初収の「国語の普及運動について」(昭和15年)の中で批判している「話しことば」がそれである。

「新しい日本の勢力と一帯となる範囲の民衆に対して、国語を普及させるために、話しことばという考え方が、実行されるらしくなった。」

「 はなしことばの習得によって、彼らは日常の用を足すであろう。ある程度生活の安定をもち又文明生活の向上にも資しうると思う。しかし彼らの学んだことばが、それ以上の精神へのみちを完全に閉ざされているということは、私には一つの悲惨と思われる。彼らの学んだ文章は、日本語の範囲で知識人の文章でなく、官吏の文章でない。又神のことばでもない。つまり日本の文章の中枢と隔離された特殊なものである。そのことばは日本の文化をひらく鍵とならない。」

この言葉が、戦後は日本に住む日本人に押し付けられたのが戦後の漢字改革である。

このような被占領国のエリート潰し、国民からの歴史略奪の結果が、安倍総理になったのだと思います。

だから、誰がなっても、同じだったのでは。

福田さんには、頑張っていただきたいけど、あまり大きな期待はしていません。

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