なぜ、秋葉原はオタクの街となったのか、その理由と歴史を調べています。

ちなみに、第二次ベビーブームとも関係がありますか?

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  • 登録:2007/10/23 21:45:26
  • 終了:2007/10/30 21:50:04

回答(7件)

id:KUROX No.1

KUROX回答回数3542ベストアンサー獲得回数1402007/10/23 21:59:25

ポイント19pt

パソコンがまだマイコンとかよばれてた時代からじゃ

ないかなと思います。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1662377.html

第二次ベビーブームは1971年から1974年なので、

関係ないと言えば関係ないと思います。

1990年としても20歳未満なので微妙じゃないでしょうか?

宮崎事件があった頃には、オタクの聖地とは行かないけど

それらしい雰囲気はあったはずなので・・。

id:kanan5100 No.2

kanan5100回答回数1469ベストアンサー獲得回数2752007/10/23 23:13:56

ポイント19pt

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ

  • 作者: 森川 嘉一郎
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • メディア: 単行本

それなら、とりあえずまずこの本を読んで基礎知識を身につけましょう。

必読です。

id:Kumappus No.3

くまっぷす回答回数3784ベストアンサー獲得回数1852007/10/23 23:25:36

ポイント18pt

http://homepage1.nifty.com/straylight/main/cmfntxt_.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%9...

http://ja.wikipedia.org/wiki/Microsoft_Windows_95

秋葉原はもともと(今でもそうですが)電気街でした。つまり主なものは白物家電。そして戦後の闇市から発展したパーツショップやジャンクショップ、それと青果市場があるだけ、そういう街だったのです。飯食うところも少なかったですしね。

ところが1982~84年に第一次パソコンブーム(NEC PC8000シリーズ発売)、1995~96年に第二次パソコンブーム(Windows 95の発売)が訪れ、秋葉原は「パソコンの街」へと変化してしまいます。

またその間の昭和60年代にはビデオデッキなどのAV機器の爆発的普及もありました。

つまりそれまでハードウェア主流だった秋葉原(もちろんレコードショップなどはありましたが)にソフトウェアを扱う店がどっと増えたわけです。

で、いつの世もそうですが、ソフトの普及はエロから(笑)。

PCではエロゲー、ビデオではアダルトものが数多く取り扱われるようになりました。ビデオ(レーザーディスク、DVD)の方はオリジナルアニメやなつかしアニメの方にニッチではあるが広範囲な展開も見せました。

そして21世紀。

そういう下地から発展して秋葉原はオタクの街になってしまったと言えます。

第二次ベビーブーム(1971~74生まれ)ですが、ちょうどそれら団塊ジュニアが30代に突入し始め、可処分所得が増えて、趣味性の高いものを買い始めたことも秋葉原がオタクの街になったことに影響しているかもしれません。

他に考えられる理由は

・西にやはり古い形のソフトの宝庫である神田古書店街が控えていて、そっち方面からもエロな流れがやってきた(芳賀書店ブームなんてのもありましたからね)

・やはり近くが学生街である。したがってそういうオタなものに走る素養がある年代の人間が常に潤沢に供給され続けてきた。

・リアルな風俗店がたくさんある新宿や渋谷と異なり、ある意味オタなものが純粋培養されやすい環境にあった。

ただ、実際に今の秋葉原を歩いてみると再開発が進んだことやつくばエクスプレス開通などもあって、決してオタクだけの街ではないことがわかります。20年前に比べて女性やサラリーマン風の人の姿が確実に増加しています。

id:Nunocky No.4

Nunocky回答回数16ベストアンサー獲得回数12007/10/23 23:31:03

ポイント18pt

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F

歴史的な背景はよく知らないんですが、個人的な見方だと

戦後のジャンクパーツ市

アマチュア無線などハードウェアマニアの街

マイコンのブーム

PC自作ブーム

PCマニアとアニメオタクが何故か重なっていた

アニメ関連のマーケットが拡大

という流れになっている気がします。ベビーブームとはあまり関連がないんじゃないかと思います。

id:mikagekawase No.6

かわせみかげ回答回数152ベストアンサー獲得回数42007/10/24 12:49:20

ポイント18pt

URLはあくまで参考です。

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Knight/1407/famicomhistory.h...

参照資料として様々な本が出ていますが、それが余り指摘していない点を上げます。

1・まず、パソコンの街・無線の街が現在のような姿になった影響として、ファミコンブーム(大体1984年~1987年頃)が挙げられます。

およそこの時代は現在の下地を作るための布石の時期で、任天堂のファミリーコンピューターのブームで爆発的増加にコンピューターゲームに興味を持った人間が、

不足する供給の枯渇を補う為、コンピューターの街・家電の街として存在していた秋葉原に足を運んだ事が挙げられます。

この時に価格はパソコンに比べてはるか低価格であるがユーザー人工のパイが多いファミコンの需要に目をつけた販売店側が、積極的に供給側に動いた事が、現在の下地を作る要因です。

ファミコンのゲームソフトはキャラクターを使用したものが多く、ユーザーの低年齢層である点を含め、並行してキャラクター物のアニメーションビデオを今まで以上に積極的に扱うと言う発想を販売店に植え付けます。

このアニメーションビデオの販売とゲームの販売が密着したスタイルは、当時のゲーム扱いのスタンダードである家電量販店・ゲームショップではあまり見られなかった部分で、後に重要になるフラグです。

2・1で挙げたのはファミコンブームがファミコン本体不足が過熱のみに絡んだ話題として上げられますが、ファミコンブームに追随する各種現象と、その直後にと、1988年頃から1992年頃のファミコンの次世代ゲーム機ブームが発生した点が下地から現在への加速を促します。

ファミコン本体がある程度潤った後、1987年にドラゴンクエスト2が発売され、いわゆる「徹夜組行列を作る大作タイトル販売」のブームが起き、大作と言われるタイトル発売に際し、ファミコン本体と別の所で需要と供給のせめぎあいが発生します。

この社会現象が発生する度に、

  • 発売前に情報を仕入れにメッカである秋葉原へ行こう。
  • 販売店が豊富で列に並んで買い逃してもフォローが可能な店舗を探しやすい秋葉原へ行こう。
  • 発売日の前日にソフトが入手できると言われる秋葉原へ行こう。

と言われる現象が発生します。

ちなみにこの当時は、ゲームは何でも秋葉原と言うイメージは無く、新宿や池袋はヨドバシカメラやビッグカメラの存在が大きい上に、ゲームのイベントなどがある際は百貨店の屋上やサンシャインのワールドインポートマートを使用するので、秋葉原そのものはそれほど重点的に執着される物ではありませんでした。

ある種一線を越えたヘビーユーザーが秋葉原に注視するようになります。

そしてそのままPCエンジンを始めとした次世代ゲーム機のブームが始まると同時に、次世代機という最先端のミラクルマシンを求めてより一層秋葉原へ行くという考えが普及し始めます。

前述のように、次世代機を求めるのはまずヘビーユーザーで、そのまま次世代機入手に秋葉原がキーワードになるのは必然。

そして忘れてならないのが、中古ソフト市場の発生。

お金が限られたユーザーは中古で安くゲームを入手出来ていらないソフトがお金になったほうが助かるのは当然です。

秋葉原はジャンク品を扱ってきた経緯から、中古ソフトの市場の充実も完璧でした。

現在メイド喫茶と言われる店舗のテナントが、全て中古ゲームショップとして存在していて、営業が成り立っていたと言えば盛況具合が判りますでしょうか?

3・1991年頃から1995年ごろ、次世代ゲーム機のブームが一段楽しながら、更なる次世代マシンが出てくる中それらのマシンが共通して成長させてきた個所が、「CD-ROM対応による大容量化」と「CD-ROMの特性を活かした音声の標準対応」。

ここでゲームと声優の繋がりが強化されます。

前述のようにキャラクター販売強化している販売土壌に、ゲームの音声標準化で声優がピックアップされます。

そしてそんな中、声優参加型の各種アニメのイベントとは別に、1994年に秋葉原の石丸電気が、声優の椎名へきるがアニメの主題歌などのタイアップとは無関係のアルバム発売に関して、応対したイベントを開催します。

その後も声優主体型キャンペーンイベントを連続して開催。

ここで、ゲームのヘビーユーザー、アニメのヘビーユーザー共に声優に興味があれば秋葉原を重点チェックする対象と言う意識が生まれます。

1995年に入ると、第三次声優ブームと言われるブームが表面化し、声優が趣味の対象となる現在のスタイルのフォーマットが出来、声優雑誌バブルなどが発生します。

その際に秋葉原が声優イベント開催に一日の長を発揮し、けん引役と成ります。

その後「出演する声優目的でゲームやアニメが欲しい」と言った場合は、購入特典として声優参加型イベントが開催する事があるので、秋葉原まで出向いてゲームを買う。アニメを買うというスタイルが確立されます。

大まかな主体として、この1995年前後の声優ブームに伴う余波が、現在の「オタクの街としての秋葉原」の大部分の骨格形成を行いました。

4・この骨格形成と同時に、肉付けとなる現象が同時に起きています。

  • 1990年代から発生した、ゲームセンターでの格闘ゲームブーム。

格闘ゲームのブームは店舗毎の開催を行い、秋葉原でも現在のクラブセガなどが企業直営の大型店舗として、決勝大会などの舞台として活用されました。

そして大会が無くても対戦ゲームの腕を上げたい人にとっては、絶好の集合場所となりました。

また、店舗直営ゆえに実験的にゲームを先行稼動させる、いわゆる「デモプレイ」も多用に行われ、人気ゲームのバーチャファイターの新作やバーチャロン新登場の際も「まずは秋葉原へ行け」と言うスタイルが発生しています。

そのためゲームセンターとして見て、秋葉原駅前のゲームセンターは、家庭用ゲームを買う行き帰りに寄る場所以上に、情報発信基地としての機能が発揮されました。

  • 1994年、ときめきメモリアルと言う、「恋愛シミュレーションゲーム」が発売。その後1995年のプレイステーション移植を持って恋愛ゲームが爆発ブームと成りました。

この恋愛ゲームのブームは、同時に登場キャラクターの声優とリンクさせ、購入特典を生む結果となりました。

これが前述3とリンクして、ブームのある中ゲームを買いに秋葉原と言うスタイルも確立されました。


長くなりましたが、現在の土台と骨格と肉付け。

基本的なオタクが集まる為の経緯はほぼこれらの現象がコンビネーションとして発生したことが大きく影響していると言えます。

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 回答者回答受取ベストアンサー回答時間
1 ClaudeT 12 10 0 2007-10-25 10:34:33

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